伯爵夫人の香り:コンテッサ900スプリント(極上の時間)


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図1:ミケロッティのオリジナルスケッチ

日野コンテッサ スプリント 900の機械式タコメーターをオリジナルに戻す

 ボクの一生の中でこんなことがあるとは想像してませんでした。とにもかくにもそれは夢のようは時間でした。当初は見学程度と日野自動車のシャニン21(東京都八王子市)に向かいました。目的は、過日から日野の広報さんと打合せをしていたお宝(個人的には国宝級と思います)の日野コンテッサスプリント900の機械式タコメーターをオリジナルに戻すためのものです。

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写真1: 当時のオリジナルのコクピット

必然性に基づいたメカニカルな集合メーターのデザイン

 スプリントのメータークラスターは多くの方が目にしているようにワンオフのアルミ地の中央に機械式タコ、右の速度計、左に水温などの集合メーターとフェラーリなどしか保ち得ないイタリアンGTの最も好ましいレイアウトにデザインされています。しかも三つのメーターは全て名門のVEALIA製が用いられ、HInoのロゴを配し統一されています。クーペのそれよりは一回り大きい径の見栄えのあるものです。カロッツリア、ステューディオ・ミケロッティ(作品一覧)の作品を特に感じさせる部分です(図1:ミケロッティのオリジナルスケッチ、写真1: 当時のオリジナルのコクピット)。

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写真2:新田工場にて

失望に満ちた集合メーター

 しかし、この一番重要な機械式タコメーターがかなり以前から本来のものではなくクーペの電気式が径を合わせるためのマウンタ(リング)を伴って付いておりました。おそらく皆さんも疑問を感じていたのではないかと思います。ボクも80年代の半ばに日野の新田工場(群馬県)でスプリントに会った際にそれを目にしていました(写真2:新田工場にて)。その後、90年代の半ば、外観修復なったスプリントを日野本社にて撮影させていただく機会を得ました。そこで目にしたのは修復したのだから当然、メーターもちゃんとオリジナルになったものと推測していたものの10年前同様、クーペのものが全く不自然に付いておりました。

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写真3:我が家のお宝だった本物のVEGLIA製機械式タコメーター

我が家のお宝だった本物のVEGLIA製機械式タコメーター

 実は、そこで本心「これはまずい!」と大いに感じました。と、言うのは結果的に本来そこにあるべき「本物」のタコメーターはボクの宝物として我が家に20年近く飾りものになっていました。何故、ボクが?それは70年代の半ばに、ボク以上にコンテッサエンスーの友人から部品を譲り受ける際に手に入れたものです。その友人は日野の社員から部品を譲り受ける際に手に入れたとのことでした。ボクはスプリントのものと判っていましたので超貴重なお宝として温存していたのです(写真3:我が家のお宝だった本物のタコ)。

 しかし目の前であるべきの無いものほど空しくも寂しく感じるものはありません。そこで浦島太郎のごとく、その際にお世話になった技術管理の方に経緯を説明し、ぜひ元も戻ることをお願いし、後ほど返却(部品購入の一部なので返却ではないと思うが、敢えてそうしましょう)をさせていただきました。その後、この機械式タコメーターは長い間、本社の資料室にあったようです。しかし、10数年を経て、広報さんの計らいで遂にシャノンに展示のスプリントに取付けようと相成ったのです。

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写真4:伯爵婦人の纏を剥がす

伯爵夫人の纏を剥がす

 さて、お約束の当日、現場に伺いますと、何と交換はボクに作業をして下さいと、凄いオファオーを!想像も出来ないお言葉をいただきました。それは高貴の伯爵夫人の身に手入れ、治療をするようなものあり、緊張と言うより身震い、いや『歓喜』以外そのものでない、そんな興奮を感じて取りかかりました。

まず、準備いただいた真新しい白の手袋(まるで手術の様)でどう分解して行くべきかメータークラスター廻り、そして手探りで裏側の構造・配置、ボルト&ナットサイズなどを探りました。頭の中に段取り&必要工具を組立た後、一つ一つナットやパネルを一枚一枚纏いをはがすように外して行きました(写真4:伯爵夫人の纏を剥がす)。そして、場違いに装着されていた電気式且つ小振りなクーペのメーターを取り外し、遂に念願の本物の機械式と交換しました。

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写真5:蘇ったコクピットの眺め

蘇ったコクピット

 さて、本来のメーターに戻ったスプリントのメーター・クラスターは全く見違えるようになりました。ボクたちがその昔、カーグラなどを通して憧れた景観そのものに戻ったのです。ドライバーズ・シートからの眺めはそれは言葉に表せないものを感じました。(写真5:蘇ったコクピットの眺め)

 ここまで来ると、現場居合わせた関係者一同約3名の意見は中央コンソール上の取って付けたような灰皿に目が移りました。これはミケロッティ側では付いてなかったと言う結論に達し、勢い外させてもらい、すっきりした本来あるべき美しさが戻りました。これについては後日、当時の時間軸で検証してみますと、日本に来る迄は無いことが判明しました。おそらく1963年の東京モーターショーの直前の日野本社でのプレスへのお披露目の際に装着されたものと推測します。当時の日本市場へのプレゼンには灰皿は必須だったのでしょう。