データにみる真実 - 日野コンテッサ1300の終活の変遷


 日野コンテッサ1300ほど悲劇的な市場撤退した車種はないかと常日頃考えております。それは日野コンテッサ1300自体の開発&生産そして販売の投資に見合う利益が出ず、結果的に日野自動車の将来についてトヨタ自動車に支援を求めるに至りました。その具体策が1966年10月 (昭和41年10月) に発表された業務提携 (参考:トヨタ自動車 75年史 第2節 モータリゼーションと貿易・資本の自由化 第4項 日野自動車との提携) であり、その交渉の前提条件の一つが日野コンテッサ1300の生産中止そして市場撤退であったのです。

悲劇的計画、日野コンテッサの市場撤退:経営者の断腸の思い

 ビジネスというものは何時の時代も非情であり、1966年 (昭和41年) の春先に始まったトヨタ自動車との交渉ですが、その時点で日野コンテッサ1300の将来は断ち切られていたようです。しかし、日野自動車の現場では生産&販売は平常通りに、レース活動も日野プロト&レーシングエンジンの開発、さらに米国では輸出前提としたピート・ブロック起用でのセダンレースの展開、そしてオランダやニュージーランドでの現地生産などおそらく日野自動車の現場の従業員にとっては、経営レベルで今進んでいる悲劇的な計画、いやそれは企業を存続させ、従業員の生活を守るという断腸の思いの決断と裏腹に日野コンテッサ1300への夢をまだ持ち続けていたのではないかと分析するものです。

 しかし、上述の1966年10月 (昭和41年10月) の業務提携の発表で、悲劇の現実が始まることとなったのです。その直後にはサプライヤに対しての発注停止が巷の噂となったのです。そして、年明けて、1967年4月1日 (昭和42年10月4月1日にはトヨタ自動車との業務提携が実行されました。日野コンテッサ1300の生産台数のこの日を境にして激減します。おそらく工場のラインは通常の生産モードから完全に生産中止に向けた動きになったと分析します。そして年末となる1967年12月 (昭和42年12月) をもって、日野自動車の歴史として日野コンテッサ1300は幕を閉じました。(生産台数:小型車の全モデル)

 ただ市場に対してこれらの状況は明確に宣言されてないというのが事実です。例えば、社内的には市場撤退であっても数年後まで在庫がある限り生産を細々と続けていたようです。また、1967年 (昭和42年) はまだまだ販売も (在庫一掃のために) しなければならず、ローンをもって販売していたこともあり、広報上は各種メディアを通じてコンテッサ健在をアピールしていたのが事実です。その一例がレース活動でした。広報活動として、翌年一年間は予算計上され、レース活動は続けれていました。もちろん、これは日本国内だけの話です。

市場撤退の意味するところ - 登録台数データにみるユーザー事情

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 さて、この撤退の状況は日野コンテッサのユーザーにはどう映ったのでしょう?

 右のグラフは、日野自動車の小型乗車の登録台数、つまりオーナーの人数とも言える数字について、1967年以降のデータを可視化のためにグラフ化したものです。(日本国内都道府県別登録台数)

 データ上、日野自動車の小型乗用車には、日野コンテッサ1300、日野コンテッサ900、そして日野ルノー4CVを含めてものとなります。

 このグラフにしたデータから判るように、1966年 (昭和41年) には、85,000台程度の登録のあった日野の乗用車も1967年 (昭和42年) が急減を始めます。そして、10年近くを経て、一段落して、さらに急減し、10年後、すなわち1980年半過ぎには200数十台とまさに絶滅危惧種のような状態であるものの、その数をかろうじて維持して推移しています。

第一の減少期 - 如何にして市場から消えたか!

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 市場撤退の1967年 (昭和42年) から上述のように幾つかの明らかな変化点はあります。それは何を意味するのでしょうか?どのような終活であったのでしょうか?

 それを分析したものが右のグラフのコメントです。すなわちデータが背景には以下のような事象があったと分析します:

  • 1967年 (昭和42年) の生産中止からは、戦略的に日野コンテッサ1300はユーザー離れを促進させた。具体的には特にトヨタ車 (コロナとかカローラ) への転換、下取りした個体は積極的に解体へと、グラフの8万台余りからの激減のその実態を検証・証明するものです。
  • そして5〜6年を経て、登録台数が1万台割れとなると急減も一段落となっています。これはおそらく一万台割れで戦略的な下取り&解体という手段をしなくなったものと分析します。おそらくその数字になれば企業としても日野コンテッサはいずれ自滅するだろうという目論見だったのでしょう。それにしてもたったの5〜6年で登録台数、すなわちオーナーの数が1/10にも減らせるのだと言うことです。このことは日野自動車からみれば、生産中止から10年の部品供給の義務を果たす必要もなかったのでしょう。魔女狩りのようなコンテッサ排除が功をそうしたのです。
  • しかし、1979年 (昭和54年) あたりから少ない登録台数にも関わらず、再度の激減となります。これは10年越えの車検 (当時は1年車検だった) の問題や部品などの問題でこれ以上の日野の乗用車を一般的なファミリーカーとして持つことが本当に困難になったことが背景と分析します。(参考:JAMAGAZINE 2014. October #48 特集 車検制度の歴史と自動車検の意義・役割 (一般社団法人 日本自動車工業会))

 以上は、現役時代から1967年 (昭和42年) の市場撤退に始まった激減の10数年の分析です。

第二の減少期 - ロイヤルティ&筋金入りのオーナー

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 そして右のグラフが1980年 (昭和55年) 以降、登録台数が千台割れになり、今日に至るまでの詳細です。このデータ&グラフからは何が読み取れるでしょうか?

 上のグラフの1979年 (昭和54年) あたりから上述のように2度目の急減となりました。そしてそれは1984年 (昭和60年) あたりにはストップとなり、その後は穏やかな減少傾向にあります。

 この時点になると、純粋なファミリーカーとしての用途はなくなったと考えます。この1984年 (昭和60年) から減少についてはどのようなことがあったのでしょうか?

 その現象は、およそ20年余りの長い時を経て昭和の時代から新たな平成の時代に入り2008年 (平成20年) には下げ止まりとなっております。所謂、底を打ったのでしょう。

日野の乗用車、底を打った、これ以上は減らないだろう!

 1984年 (昭和60年) には600台余りあった日野の乗用車ですが、2008年 (平成20年) には200台余りと誠に数少なくなってしまいました。その2/3が日野コンテッサ (900&1300) 、1/3が日野ルノー 4CVと分析します。

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 実はこの200台余りが重要な意味をもっていると考えます。なぜならば、2008年 (平成20年) 以降、およその数字を保っているのです。それは今後もその数字を保ち、日野の乗用車を生き残って行くものと、一人の日野車ファンとして推測、あるいは期待するものです。

 これが日野の乗用車の登録台数の下限であり、将来もこの数字を保つと推測するもので、それは以下のような三つのいずれかの理由であると考えます:

  • 現役当時を含む長年の日野車ファン&エンスーが愛し続けている。それは筋金入りである!
  • 親世代 (あるいはその先代含む) から脈々と受け継がれて愛し続けれている!家宝のように親から息子・娘にと、それに孫にまで!
  • 昨今の日本の旧車ブームの中で、日野コンテッサもその対象となり、オーナーになった!すなわち、新世代のオーナーです。

 以上のような皆さんの愛情&努力が200台余りの日野の乗用車の登録の背景になっていると考えます。終活なんのその、どっこいしぶとく生き延びているのです。魔女狩りのような時代を経たのですがタフネスなのです。

 旧車の種類は実に多くありますが、その中でマイナー中のマイナー、あるいが流通もままならない日野の乗用車でありますがこの少数の皆さんの愛情&努力に支えられて今後も長く生き残って行くものと推測します。クルマは走ってころクルマであります。50年をすでに超えてますが、登録、すなわち車検を維持して、走ってこそ体力を養えるものです。

他の旧車の現実は?

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 最後に、参考までに日野の乗用車以外の一般的な旧車の登録状況に触れてみます。

 多くは車種は、たったの200台余りの登録台数に下げ止まった日野の乗用車に比べて、まだまだ多くの登録台数があり、結果的に今だ減少傾向にあるようです。

 例えば、比較的多くが残っているいすゞ117ですが、右のグラフのように減少を続けているようです。

 いすゞベレットについては、ここ10年で大いに数を減らしています。現行の登録台数は1,000台を切ったようで、ある意味で下げ止まり、すなわち筋金入りのオーナーだけになるのはそんなに遠くないと推測します。

 マツダのコスモ&ルーチェについてはモデルチェンジでシングルモデルでなく長期の生産があったのでまだまだ登録台数がかなりの数字があるようです。

日野の乗用車、200台余りの将来?

 以上のようにデータ&グラフを読むと様々な背景が検証できます。現在、日野コンテッサは160台余り、日野ルノーは90台の登録台数です。その多くは実はどこの誰が所有していると見えるような非常に少ないものです。他の旧車に比べても極端に小さな数字でもあります。また、人気の高い (メディアの関心も高い) 旧車に比べれば市場の流通も少ないし、メンテナンスサービスや部品もままならない (すなわち、ビジネスや商売にならない) 日野の乗用車です。しかし、現役当時同様に日野の乗用車は、現在でもロイヤリティ高いオーナーに恵まれています。そのような皆さんとともに今後の生き続けて行くものと考えます。(参考:日野コンテッサをまともに走らせるための活動&プロジェクト)

 なお、本サイトでは、独自のプロジェクトとして、日野小型車グローバル・センサス(調査)プロジェクト」でトレース調査をしております。興味のある皆さんはぜひエントリーください。

(SE, 2017.7.15, Original)


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