2011.4.2:伝統を貫く、それにつつましく - MOONEYES


伝統を貫く:それにつつましく - MoonEyes, Santa Fe Springs(2011年4月2日)

 東日本大震災も覚めやらない3月20日過ぎにNRT (成田空港) からミシガン大学の地のアナバーにビジネスで滞在、その週末に友人に会う以外大きな目的もなくロサンゼルスで過ごしました。連日の震災&原発の壊滅的な現状を伝えるメディア、千葉でさえ昼夜間髪入れずの余震、巷では電気も計画停電、スーパーでは必需品も消える、コンビニでは水も無い、そんなことは頭の中から消える筈もない、心の中にずっしりと深く刺さった身になっていました。多くの人はそんな状態であっただろうと推測します。

 ロスの空気を吸えば,ウツな心も気も晴れるだろう、というのはあまりも軽い妄想でした。気分はどこに行っても同じ、スーパーやホームセンターでの豊富な食料&物資を目の辺りにすれば、何で日本はこうなったんだろうとか、ホテルでテレビを視れば、リビア&中近東などの問題が大きな話題ではあるものの、日本の震災は東京電力の問題含めて、英語だが否応無く飛び込んで来ました。おまけに映像も日本よりリアルなのです。何時もなら、ボクにとって特別なロスで土曜日の朝が来れば、クルマでどこに行こうかと天国のような気分なのだが、今回ばかりは全く気が乗りません。要はモヤモヤ頭が回転してない、効率が数分の一、リフレッシモードヘの切り替えもままなりません!

 そんな中、気を紛らわすために、昨今、日本ではあまりにもメジャーなポジションになった横浜の「Mooneys」の故郷のサンタフェの「MOON Equip. Co. (現、MOONEYES USA)」に尋ねてみました。ここは、かのDeen Moon氏の亡き (1987年6月没) 後、日本人オーナー (Shige Suganuma & Chico Kodama) に売却されたものの、当時のMoonの場所且つそのままのガレージ&バックヤード・ショップが時間が止まったような面影をそのままにショップを営んでいるのです。おそらくアメリカ人のハートはそのようなものであり、見事に継承している現オーナーに敬意を表するものです。しかし、なぜ、このコンテツ・サイトとMoonか?

20110402 Santa Fe w500

現代のMOONのGarage & Machine Shop 。勿論、敷地にないはアクセサリーのショップもある。

American Hot Rod

「街の通りのコーナーごとに、サンフェルナンド・バレーのロッダーば北ハリウッドのC-T AutomotiveとバーバンクのSo-Calへと、ウエストサイドは西ロス地区のLewis Shellのショップ群に、パサデナ地区はサンタ・フェ・スプリングのDon Blairのショップに、またDean Moon」と、おそらく1950年代前後のストリーロッダー達のプロショップへの発展の過程が書かれている。1/200頁の中の数行ではあるのは、南カリフォルニアに置けるHot Rod やOHVチューンの歴史の「濃厚」な証しでもある。

 それは、日野コンテッサのOHVエンジン・チューン(断っておきますが、ここではOHVのままのチューンを言います。TOHCなどのツインカムのルーツはカリフォルニアでなく、フランスのアルピーヌ社です)はこの南カリフォルニアのホッドロッド地帯がルーツなのです。米国は1900年代のかなり早い時代から自動車の発展とともにクルマを大人の玩具として楽しむストリートなどで速さを楽しんでいたようです。当然、性能を得るための各種のチューン(エンジン、足回り、そして格好よく見せる「裏書のある」ドレスアップ等)がガレージショップなどのビジネススタイルで発展していったのです。そのルーツの一大拠点が南カリフォルニア、すなわちロス周辺だったのです。

 右のThe Americal HOT RODにはその発展の歴史がギッシリと詰まっています。200頁弱の中にMoonについての記述が、たったの1語ではありますが、それが何十、いや何百というアメリカンOHVエンジンを基にしたクルマのチューンをするショップがロス近郊、およそLAX(ロス空港)の半径50マイル (80km) にあったのです。その背景にはこの地域が航空宇宙&防衛産業のメッカであり、ガレージショップをベースに多くの技術があったことも色濃く起因します。

 ストリートロッダーの発展は南カリフォルニアのトラックレースにも発展して行きました。60年代に入りますと、MGなどの英国車やフィアットなどのイタリア車をはじめとする手頃な価格の欧州車は、金の無い若い層を中心に普及を果たす訳です。そのような一派が60年代のトラックレース、ジムカーナ、ヒルクライムなどへの独自のクラブレースやセダンレースへと、ホッドロッドのOHVチューン技術などを背景に発展し、日野コンテッサ900(折しも今年で生誕50年目にあたる)は日本車として初めてその世界にに入っていたのです。

Hino 1000GT w500

Old Timer誌 No.13 (1994年6月号,174頁,当サイトオーナー執筆) 、日野の夢、コンテッサに託して (第6回):サムライになったヤンキーより第2回日本グランプリ (1964年) 出場の1台は、ロサンジェルスに渡り、カリフォルニアナンバー (当時は黒字に黄色の文字)を取得し、ストリートでチューンをしながら、スラローム (ジムカーナ)、ヒルクライム、クラブレースなどへと欧州小型車に仲間入りをした。

MOONEYS 60s LP

この日は、おみやげに60年代のカリフォルニアのライセンスプレートをモチーフにしたMOONEYSのメタルライセンスプレートをゲットした。

 と、言うことで、コンテツであろうと、Moonに軟着陸:帰結しました。Hot Rodは偉大なる文化の一つなのです。デトロイトなどの伝統的な自動車産業に比べて、南カリフォルニアにはガレージ産業の起業家精神、あるいは航空宇宙&防衛産業などを背景にした高度な技術があったのです。そんなコミュニティの中で、コンテッサ900がデビューし、コンテッサ1300クーぺのOHVエンジンや足回り、そしてカラーリングは見事な南カリフォルニアチューンが成されていったという貴重な事実があるということで締めたいと思います。




【ご参考:1950年代のHot Rodチューニングショップ関連の雑誌広告切抜き集】

Hot Rod w500

THE ALL-AMERICAN HOT ROD, The Cars, The Legends, The Passion., My Old Hot ROd、48頁より:MOONをはじめ、So-Cal、BELL、Eskederian、その他諸々を見ることが出来る。

(江澤:サイトオーナー、オリジナル:20110501)
(修正:2013.11.1)


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