大衆乗用車による工業社会をめざした星子イズムにより、日野自動車工業(以下、日野)の家本 潔(当時、専務取締役工場長)達はルノー4CVの国産化の結果としての自社開発のコンテッサ900を自信もって世に送り出して来た訳だが、必ずしも順調と言えなかった。
特にコンテッサ900のGP20エンジンには反省があった。その多くはタクシー需要であったことは既に承知の事実であるが、それは以外と早くクレームを受けることになったのだ。ルノー4CVよりも耐久性が劣ってしまったことだ。
エンジン開発を担当した鈴木 孝(当時、第二研究部第一課係長、現、副社長)達はその原因究明に奔走した。まず、それは現場に行き、実態を見ることであった。図面の上での口論などは最上の解決策ではない。現場で顧客と接触し、現物を見ることが不具合を解明するのが最良の道なのである。
「タクシー屋さんには散々かよい、怒られたね。10万kmはもたしてもらわとタクシーに使えないと。900はまあ、7-8万kmというところで。とにかく、オイル消費はコテンパンに怒られた」と鈴木が語るようにエンジニア達は方々のタクシー会社に出向いたのであった。
さて、コンテッサ900の耐久性の原因は何であったのだろうか?
GP20エンジンは基本的にはルノー4CVのスケール・アップであった。シリンダーのボアを54.5mmから60mmに広げ、ストロークを80mmから79mmから若干縮めたものの排気量は748ccから893ccへと20%程度増大したのであった。
スケール・アップには十分その強度など検討はされていたものの、ブロックの剛性不足に起因する数々の問題によるピストン・リングやシリンダー(ウエット・ライナー)の摩耗によるオイル消費量の増大等が発生したのだ。
このGP20エンジンの反省は「その場所に最低10年はいないと何も分からない」と、家本がいみじくも語るところのタクシー需要での経験を次の新型RR乗用車に活かすことだった。
コンテッサ1300用のエンジンの狙いは次に様なものだった。
- ファミリー・セダンとしてあらゆる使用環境・状況に耐えうること。
- RR故、出来る限りコンパクトで且つ軽量であること。
- 十分なる高速性能と市街地でのフレキシビリティ。
- 整備性、メンテナンス・フリーそしてサービス・フリー。
- 要求出力は55馬力。
まず、ボアとストロークなどの諸元の決定は、信頼性及び耐久性を重視して進められた。その結果、排気量は要求出力からトルクを十分考慮して1250cc程度にターゲットを置いた。
GR100と名付けられたコンテッサ1300用新型エンジンはGP20に比較して1250ccと40%も大きなものである。これはタクシー需要で苦汁を味わった耐久性の問題に加えて、RR固有の熱対策、更に軽量化など問題山積で正に三重苦であったといえる。しかし、それは当時、日野の小型車専門に組織された若きエンジニア集団、第二研究部の精鋭部隊にとって、苦難は予期されるものの挑戦のしがいのあったものと想像するものである。
エンジン設計の極初期、鈴木はエンジン重量を軽減と前後長を短くするために狭角のV4を考えた。しかし、このアイデアは上司の一喝で消えてしまう。これはエンジニアとして新たなるの挑戦のしがいはあるもののGP20の経験をもってみれば、世界市場を狙うマス・プロダクションとして時期早尚というものであった。
実はルノー4CV及びGP20エンジンはRR故の工夫がなされている。それはリヤに大きくオーバーハングしてマウントされるエンジンのため重量軽減と前後長を短縮するオープン・デッキとウエット・ライナーそしてロング・ストロークを採用している。この構造は当時として、小型軽量化高性能にするものの、ピストン速度の増加により耐久性等に問題が出てくるものでもあった。早い話が高速度で回転しているエンジンはシリンダー・ブロックの剛性如何によって、クランクやライナーというものはグニャグニャになるものであり、これをどの程度までおさえられかでもある。
小さな排気量であったルノー4CVに比べて同じ構造で排気量を20%程大きくしたGP20エンジンはこの問題を持っていた訳だ。しかし、新型エンジン、GR100はウエット・ライナーとオープン・デッキの採用は避けて通れなかった。排気量が50%程大きく且つ高回転を要求されるGR100ではまずこのシリンダー・ブロックの剛性の問題をかたずけておく必要があった。
当時、小型4気筒エンジンのクランク・シャフトの支持は3ベアリングの時代であった。ルノー4CV及びコンテッサ900も例外ではなかった。エンジンは時代の要求に応じて2ベアリングから3ベアリングへと発展してきた様に、当時の流れとして、4気筒エンジンの5ベアリングが更なる高出力、高回転型への要求に沿うべく実用化への兆しが見えて来た状況でもあった。
鈴木たちはまずGP20の3ベアリング・エンジンに新たに2つのバルク・ヘッドを追加し、5ベアリングの可能性を入念に試験した。これにより、シリンダー・ブロックのベアリング部のひずみ量の大幅な減少やシリンダー・ヘッドのひずみの減少を確認した。また、それと同時に5ベアリングは、3ベアリング以上に入念なシリンダー・ブロックの設計が必要であることも学んだ。
このGR100エンジンへの5ベアリングの採用はバルク・ヘッドの増加によるシリンダー・ブロックの剛性が向上し、結果的にそれはシリンダー・ライナーの変形を減少させ、ピストンとピストン・リングの摩耗が減ることであった。また、クランク・シャフトとカム・シャフトのベアリング部の変形も減るのでそれらのベアリングの耐久性も向上することであった。
更に信頼性を向上させるためにホワイト・メタル・ベアリンングが一般的であった時代に、圧力と温度に対してより優れた高価なケルメット・ベアリングと焼入れクランク・シャフトを採用した。
「乗用車でこんなものはなかった。コストも大変なものだったが社内的には通った。しかし、あのクラスでは結果的にオーバー・クゥリティだった」と鈴木は語る。
実際のGR100のシリンダー・ブロックの設計には数々の思考錯誤もあった。例えば、如何にシリンダー・ブロックの前後長をつめるかで、1mm単位の議論はなされたものだ。結果的にブロックの中にオイル・ポンプが収まらくなってしまい、オイル・パンの改造の必要にせまられたのだ。
「生産技術にかけあってプレスの可能性を検討したが、不可能ということで別ピースで溶接となってしまった。高い設計だった」と、鈴木が語る様にそれは最終的にはパッチ・ワーク的な手法を取らざるを得なかった。
シリンダー・ブロックの設計に加えて、特に大きな努力が払われた部分はルノー4CVの時代からあったパーコレーションの問題であった。通常のフロント・エンジンではキャブレターの下に位置する排気マニホールドもその暖かさをもって、ガソリンの気化を促進する方向に利用出来るものである。しかし、冷えた空気が積極的に入らないRRではその暖かさも問題を発生させる何者でもなかった。特にGR100の様に大型化したエンジンでは大きな懸念が当初から予測された。それはルノー4CVやコンテッサ900の経験からも明らかであった。
この対策のために大胆の試みがGR100では施されたのだ。それはクロス・フロー式の吸排気システムをもったシリンダー・ヘッドである。その動機は熱源となる排気マニホールドを吸気側に置かないで、反対側にもって行ってしまうという単純明快な方法であった。更にこの排気マニホールドから発生する熱を減少させるべく、排気マニホールドの長さを出来るだけ短くするために30度、エンジンを傾斜させてしまった。
しかし、これにより冬場の暖気が問題として露呈することになり、始動時の対策として電気式オートチョークが考え出された。また、同様な理由で温水によるインテーク・マニホールドを加熱する方式も採用した。
以上の様にGR100エンジンはRRが故の数々のアイデアが経験に基づいて盛り込んだものであった。それはRRのリヤ・マウントのため、重量軽減、前後長の短縮を実現するロング・ストローク、そして結果的に剛性と信頼性アップの5ベアリング、ケルメット・ベアリング及びの採用、またRR独特の熱対策で生まれたクロス・フロー&30度傾斜エンジンだった。
これらが全てRRに帰結するところに挑戦するエンジニアの魂を感じざるを得ない。そして、1962年(昭和37年)10月、第一号試作エンジンが完成したのであった。
(SE, New Original, 2022.6.25)