ボデーのスタイリングのリフィンも無事完了し、シャシー・ボデーの設計も順調に進んで行った。
日野はルノー4CVによりデザイン、設計と生産技術が一体となった仕事の進め方、すなわち今日でいうコンカレント・エンジニアリングともいうべきものを早い時期から取り入れていた。コンテッサ1300の開発のころには完全にこの方式が確立し、実践していた。例えば、フロアパンをプレスするにしても部品点数を少なくして後で溶接などの箇所が少なくて済むよう、デザイン、設計と生産技術が一体で考えたもので、結果的にそれは軽い材料で剛性を向上させるなどのメリットにもなった。
「リヤ・サスペンションは大きくなった分だけ各部の強度の見直した程度」と、シャシーを担当した中原 幹男(当時、第二研究部第二課係長)が語る様にコンテッサ900で考案された日野独自のラジアス・アーム方式を踏襲した。
一方、フロント・サスペンションはルノー4CV以来のフランス的味付けの大きなキャスター・アングル(12度)やリターン・スプリングの入った当時としては切れの鋭いラック・アンド・ステアリング・ギア・ボックスは継承したものの、トーション・バー・スプリングとボール・ジョイントの採用でばね下荷重の軽減やストラット・ロッドによるオーバー・ステア対策など数々のリファインを行った。また、ディスク・ホールは当時のJIS規格最大の41/2Jを採用し、コーナリング・パワーの向上を図った。
これらの結果が、正に路面に吸いつくようなコンテッサ1300のフィーリングを実現した驚異的なロール率(横加速度 0.5g時のロール角)2.95度の秘密である。
コンテッサ・クーペは国産車で最初にディスク・ブレーキ採用したクルマでもあった。対向ピストン・タイプも検討したが、コストやスペースなどの見地から9㌅のディスク・ローターとシングル・ピストン・タイプのものを採用した。しかし、それは一般のドラム・ブレーキに比較して大きな踏力が必要だった。
「最後の最後まで悩んだ部分だ。ヨーロッパの車でもそうであったし、ディスクにすると ”これがスポーティ” であると、自分に言い聞かせてやった覚えがある。しかし、思いきり蹴飛ばすという感じだった」と、中原が思い出す様に、今ではディスク・ブレーキに常識の踏力軽減のバキューム・アシストなどはその後の時代に採用されたものだ。
そして、1963年(昭和38年)夏には数々の実験を経て、最終量産車が完成した。この間、20台の試作車と70台余りの試作エンジンが造られ、台上試験、オーバーラン試験などでエンジンの寿命に関する大幅な改善を進め、また、車両の運動性能を主体にした総合的な性能試験を進めた。
その後は生産のために準備に入り、量産設備の数々の機械装置、治具などのテストが進め、1964年(昭和39年)1月、パイロット・プロダクションを行い、工程、設備、レイアウトなどの総合的なチェックを行った。
尚、コンテッサ1300の場合、コンテッサ900で行った様な日野のテスト・コースを出ての一般路上での最終テストは行わなかった。当時、コンテッサ900では社内で「ふくろう部隊」と称し、深夜のみのテストだったり、それはマスコミから闇の試走車とか黒の試走車などど大きく騒がれ始めた頃だ。
「コンテッサ900に黒いカバーを被せ、フロントのライトのあたりはセドリックにのライトを付けたりしカムフラージュしたが、それでも各所で後をつけられたりした」と、岩崎も語るように新型車のテストは大変な苦労した訳で、一般道でのテストそのものが難しいものになってきたのだった。
コンテッサ1300ではこの様なわずわらしさを排除するため、また、輸出適格車としてのあらゆる環境下でのテストを効率良く進めるために、海外でのテストを行うということが自然の成り行きとなった。これがオーストラリアでの16000kmの秘密走行となり、日野のトレーラーとともに野宿をしながらの高速で自由に走るというテストであった。
そして、1964年(昭和39年)7月、運輸省の立ち合い試験を済ませると共に量産開始をし、9月には発表・発売となった。
コンテッサ1300で高性能・高品質車の実現が全て自社の技術で実現された。それは家本達がルノー公団と「ルノー4CVの組み並びに国産化の契約」を結んだ年から11年、暗中模索で始めた日野オリジナルのコンテッサ900の開発を始めて9年の年月を経ていた。
そして、鈴木はコンテッサ900のGP20エンジンのクレームを経験に「日野の伝統は自分の欲しい情報は自分で探しに行くことだ」と語り、「新製品はエンジニアが自分の造った商品がどの様に使われているかを自ら知ることにより生まれてくる」と若いエンジニア達に対して積極的に外に出ることを勧め、新たな技術開発の継承を怠らない。
さて、優雅な伯爵夫人を名にもつコンテッサ1300はその後、その美しい姿を ”男のロマン” の場、レース・トラックに姿を表わすことになる。
(SE, New Original, 2022.6.25)