8月14日のNAC/KSCC主催の全日本レーシング・レーシング選手権第3戦のスポーツカー選手権レースは7000cc以下のスポーツ、スポーツ・プロトによる30周で争われるレースである。ライバル達はポルシェカレラ 6、コブラ・デイトナ・クーペ、ジャガーEタイプ、フィアレディ 1600などであった。8月13日の予選では山西選手が2分21秒23、塩沢(勝)選手は2分22秒93をたたき出し、それぞれ4/5番手を確保した。
気温上昇に対する根本的な解決策はこの日まで得られなかったため、フロントのオイル・クーラーに水噴射ポンプを取り付けた鈴木は「山西さんに『油圧が低下してきたらチューチューとポンプで水をかけて』とレース出走前に耳打ちをした」と当時の秘策を語る。
レースそのものはゼッケン22の塩沢(勝)選手はサスペンション破損でリタイヤするものの、ゼッケン02の山西選手は4位のポルシェ911を約1周と大きく引き離して総合3位に輝いたのだった。それは1位のポルシェカレラ 6(1988cc、平均ラップタイムは2分9秒1)、2位のコブラ・デイトナ・クーペ(4700cc、同 2分9秒5)など世界の名レーサーに伍しての快挙と言えよう。因に1293ccのJ-494こと日野プロトタイプの平均ラップタイムは2分23秒7であった。
この日は天候が雨混じりになるドン曇りで幸いにも気温は27度を超えることがなかったのだ。YE28エンジンの今まで問題になっていた気温上昇による油圧低下によるパワーダウンを起こすことなく済んだのだった。レースはあくまで結果である。
この日のために精魂を尽くして来た大竹は「日野30年の仕事で最も思い出に残る時」と、また浜口も「今、レースをマネージ出来るのもその時に学んだものが全て」と語り、現在パリ〜ダカ・ラリーの日野カミオン・レースを指揮する。
この結果は1967年(昭和42年)5月の第4回日本グランプリに向けての日野のレース関係者の意欲を大きく前進させることになり、直後のレース委員会ではYE28エンジンの更なる熟成を計ることの決定などや2〜3年後を目処とした次期乗用車エンジンとの関わりあいなどが議論されていた。そして、翌9月から次期プロト6台開発の計画を進めようというものだった。
こうして8月14日は日野の技術陣の心血をそそいだ努力が報われた記念すべき日であった。一方、偶然にも米国の日野レーシング・チームのピート・ブロック率いるチーム・サムライのコンテッサ1300もこの日、ロサンジェルス郊外のリバーサイド・インターナショナル・レースウエイの6時間レースで壮絶な戦いを展開していたのであった。
(SE, New Original, 2022.6.25)