8.1 BC戦争と乗用車輸入自由化の狭間 - 弱小メーカーの悲哀


 コンテッサ1300を1964(昭和39)年9月1日に発表と同時に販売を開始した日野自動車工業株式会社(以下、日野)はルノー4CVといった軽快なリヤエンジン・リヤドライブ車を国産化を進め、オリジナルモデルのコンテッサ900、ミケロッティ・デザインの1300へと独自の展開を図ってきた。

 日野の常に技術に挑戦するクルマ造りの姿勢は戦前のガス電時代の星子イズム(第2回参照)をルーツにするもので、過剰品質とも評価されたコンテッサ1300はその結果でもあった。技術面を絶対的な自信はあるものの、その当時の小型乗用車戦国時代での販売力は確固たる伝統があった訳ではなかった。

 ルノー4CVに始まった日野の乗用車販売の経験は全く白紙から日野ルノー販売(株)を組織した。家本潔(当時、専務取締役)が「ルノー販売は素人ばかりのだったんです。日野はルノーと大型車をかかえて、小さな組織で日産やトヨタに対抗して行かねばならなかった」と語るように必ずしも順調とは言えなかった。その後、ルノー専門の日野ルノー販売(株)と大型専門の日野ジーゼル販売(株)を統合し、日野自動車販売株式会社(以下、自販)を設立、販売面の強化を進めた。

 トヨタ、日産に比べて販売面の弱体感はあったものの ”世界にはばたくコンテッサ1300” をバックボーンに日野の内部の勢いを背負って1964(昭和39)年9月、世に出したものの、おりしもその東京オリンピック後の大不況が序々に押し寄せ始めていたのであった。日野の大型/小型トラックやバスなどの商業車が売り上げ目標は達成出来ない中、コンテッサ1300は不況による需要の停滞をカバーすべく販売台数を延ばしたのだった。

 このことは自販側の要望で1965(昭和40)年度の更に販売を延ばす施策が講じられることになる。宣伝活動は発表当時のBC戦争とまで言われたコロナ、ブルーバードなどのライバルたちと同様な設定であったファミリーカー的なものから、RRを全面に出したスポーティ感を強調し、ファミーカーは補佐的なものにして行った。

 結果的に大不況のさなかコンテッサ1300オーナードライバーの絶対的な評価を得て着実な売れ行きを示してのだ。特にクーペは高級オーナードライバーの好みを刺激し、独自のマーケットを形成して行ったのだ。

 一方、コンテッサ1300は輸出適格車と社内で位置付けていたように独自の海外展開が積極的に進められた。宮古忠啓(当時、常任監査役)によるピートブロック起用の対米輸出計画が進める一方、輸出部門の長であった内田一郎(当時、常務取締役)を中心にヨーロッパ、オセアニア、発展途上国にと売り込みに世界をところ狭しと駆け回ったのだ。

 ”乗用車の自由化こそ輸出伸長のチャンス” とする内田はジュネーブショー、パリショーなど世界のショーにコンテッサ1300のセダンとクーペを連れ出し、積極的に代理店展開を進めてとともに、ニュージランドやオランダなど数か国でノックダウン生産を取り付けて行ったのだった。

 当時の資料から代理店を通じての輸出先を整理してみると、グァテマラ、プエリトリコ、ハイチ、キュラサオ、ドミニカ、フランス、フィンランド、デンマーク、ノルウェー、ベルギー、ルクセンブルク、スイス、イギリス、オーストラリア、パナマ、イタリア、オランダ、スペイン、キプロス、ニカラガ、、カルメーン、パキスタン、ギリシャ、マカオと数え切れない。また、ノックダウン生産を進めた輸出先はセイロン、タイ、フィリピン、イスラエル、ニュージーランド、オランダなどが記録に残る。

 代理店輸出は10台程度のサンプル的なものから数百台程度、ノックダウン生産については千台を超える程度と思われる。これについてはピート・ブロックとマーケティングの専門化を起用して用意周到進めた対米輸出計画プロジェクトと比較はすることは難しい。日野が既に関係をきずいていた既存のトラック輸出の代理店を利用していたことにも依るものだろう。いずれにせよコンテッサ1300がこのように多くの国に散って行ったことは興味深い。

(写真-3) 1965(昭和40)年7月のアイデンテティの変更。発表当時のスタイリングと耐久性を重視したファミリーカー的なものが、ライバルたちに差を付けるべく方向転換すべくRRの個性を全面に押し出している。

8.1 BC戦争と乗用車輸入自由化の狭間 - 弱小メーカーの悲哀

新たなキャンペーン、「軽く踏む - グーンと飛びだします - リヤ・エンジンだからです 」。
しかし、時すでに遅しか、なぜなら、数ヶ月前にはトヨタ自動車との間で
「コンテッサの市場撤退」を前提に支援を仰ぐといえる提携交渉が進んでいたからだ。

(SE, New Original, 2022.6.25)

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