ゲリラ的ともいえる積極的な輸出展開の中、1965(昭和40)年3月15日の英国のデーリーミラー紙はコンテッサ1300の英国輸出の可能性を次のように取り上げていた:
- 価格は750から850ポンドになろう。しかし、日野は市場が確保するまで大幅な利潤の切り詰めをしいられるだろ。
- 日本から二輪車が輸入されているが4輪車が輸入されるのは初めてである。
- 仕上げは細部に至って非常によい。4輪独懸架でディスクブレーキを採用、さらにロールスロイスだけの自動アンテナも装備されている。
- 率直にいって、英国及び欧州市場を脅かすにはいたらないだろう。しかし、それ以外の市場では確実に脅威になるだろう。
と、いかにも英国らしいクールな評価をしている。結果的に日野は先駆者的役割を果たし、その後、ホンダ、日産等がヨーロッパで成功することは歴史が物語る。
そんな中、コンテッサ1300の知名度を高めるためにヨーロッパの代理店協力のもとエレガントなトリネーゼ・デザインにふさわしく各地のエレガンスコンクルに評価を求めていったのだ。結果は次の通りだ。
- 1965年7月、イタリアのアラシオでの第5回国際自動車エレガンスコンクール
- クーペ - 名誉大賞
- セダン - 第1位
- 1966年7月、ベルギーのノッケでの1966年度国際自動車エレガンスコンクール
- クーペ - 名誉大賞(プロフェショナル部門)
- セダン - 名誉大賞(プライベート部門)
- 1967年6月、ベルギーのサンミッシェルでの第4回サンミッシェル自動車エレガンスコクール
- クーペ - 名誉大賞
- セダン - 第3位
- 1967年7月、ベルギーのノッケでの1967年度国際自動車エレガンスコンクール
- クーペ - 名誉大賞(プロフェショナル部門)
これらコンクールの審査基準はクルマのエレガンス、安全性、居住性、品質などクルマに要求されるすべてのファクターが対象である。ライバルは当時のヨーロッパ車の名門、フェラーリ、ジャガー、ロータス、メセデス、アルファロメオ、BMWたちであったことは当然だ。日本からヨーロッパ進出を狙っていた多くの国産車たちの参加があったがいずれも賞を得てない。
このように単なる販売努力だけでなく、エレガンスコンクールという文化的イベントで評価を得ることで海外での受け入れが確実になってきた。
(SE, New Original, 2022.6.25)