今日、ヤフオク見たら、日野ブリスカが出てました。結構な入札になっているようです。そこで思い出しのが昔、所有したトヨタ・ブリスカです。
日野j自動車は、トヨタ業務提携の証しとして日野コンテッサと共に小型ピックアップトラックの日野ブリスカ1300 を撤退しました。しかし、トヨタとして空白だった小型ピックアップ、すなわち日産やいすゞに対抗するための一時しのぎとして、1967年4月 (昭和42年) からトヨタのブランドとして、少々改善が施されて販売されました。結果的に1年間の期間限定販売で、新しい車種:ハイラックがでました。
思い出したついでに、みんカラの過去所有に登録しようとしたものの、日野ブリスカは該当しないなのでダメな様です。残念!以下は、紹介しようとしたテキスト:
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1995年のとある時期に仲間内で、トヨタ・ブリスカがとある所にありエンジンだけを使おうという話しを聞きつけました。そう、エンジンは日野コンテッサと同じですが、次期モデル向けのパワーアップされたものが、トヨタ・ブリスカに搭載されていたのです。
当時にしても、何しろ走るブリスカは世の中に存在しません。これはいかんと思い、その個体を保有している船橋市の中古業者に問い合わせをして、結果的に車両を買い取ることにしました。まったくもって浦島太郎みたいな話しです。
車検は切れてましたがちゃんと走る状態であり、仮ナンバーで松戸に帰りました。ただ、我が家は空いた土地がある訳でもない普通の住宅であり、当然の事ながら駐車スペースがありません。近所の駐車場を契約して保管しました。
ピックアップ・トラックは1980年代前半、長期滞在中の南カリフォルニアで友人のフォード・ランチョロ(7th Generation)をご好意で貸していたきました。女房の足車にと、そして週末の家族4人の足にさせていただき堪能し、ピックアップ・トラックは、今でも憧れの車です。
そしていずれは、チーム・サムライの日野ブリスカのようにレーシング・コンテッサと全く同じ白のボデーに橙のストライプのカラーリングを入れようだとか、デフの減速比が大きいのでダットラ流用で乗用車並みのものしようかと誇大妄想だけが空回りしてました。
その昔、ピート・ブロックさんのBRE側は日野に、日野ブリスカ1300でバハ1000などのデザートレース参戦を打診してました。しかし、日野はピックアップトラックのレースを理解することはなかったようです。
結果的に購入したトヨタ・ブリスカは、月極駐車場のまま、時折、その中を走行したりして、4年弱を経た後、幸運なことにトヨタ・ブリスカのファン(映画:ワイルド7)である愛知県の若い方のもとへと嫁ぎ、その後、車検も取得しました。
以下は、その当時の画像です: