今回の旅の中で念願の目的が果たすことが出来ました。それは米国カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のチノ市にある「Planes of Fame (ブレーンズ・オブ・フェイム:チノ航空博物館) 」の飛行機博物館に保存されている「秋水」に再会する事でした。
ご存知の方も多いと思いますが、秋水は第二次世界大戦末期に米国のB29に対する迎撃用ロケット戦闘機として開発されました。実戦への熟成する事無く日本の敗戦となりました。高田さん(故人)はこの日本の航空機史上でも貴重な数少ないテストパイロットの一人でした。
たまたまボクは70年代後半にこの博物館でその機体を見ていました。いつしか高田さんとその話で意気投合させていただいき、しかも「神風になりそこなった男達」の著書の冒頭にボクが撮影した機体やエンジンの写真を使っていただきました。
そんなこともあり、高田さんにエアショーがあるときにぜひ見に行こうとお話をしたり、博物館のオーナーのエド・マロニーさんに手紙を書いり、著書をお送りしていました。ボクは秋水と零戦(オリジナルエンジンで当時以上の性能で飛行可能)の前に高田さんが立っていらっしゃる光景が現実なものになればと勝手に色々イメージしておりました。しかし、高田さんのご返事は何時も『行きたいですね』の短い言葉の繰り返しだったのです。
一昨年(2004年)の春だったか、ボクはこれ以上遅くなると行く事が難しくなると再度切り出しました。『実は仲間のことを思うと見たくないんです。自分の意思でなく散ってことを思うと。。。』、あっそうなのかと穏やかな高田さんから頭にハンマーで一撃を受けたようなものです。ボクは即座に『解りました』とこの話を永久に封印しました。肺がんのお話をお聞きしたのはそれから僅かな月日でした。
それから一年、ついにお隠れとなってしまいました。ご葬儀の場で秋水隊の皆さんとお話をする機会がありました。上記の高田さんのお気持ちを話して見ました。お一人の方が、『秋水のビデオを作ったものの実は見てないんです』と、高田さんと同じお気持ちだったのです。人生経験浅い若輩ものの「よかれ」は、実は人のこころを切り裂いていたのかも知れません。その場でボクは自分の浅はかさをお詫び申し上げました。
このようななこともあり、今回は高田さんのご逝去を「秋水」に向かってご報告することでした。数年ぶりに見た「秋水」は何時もより誇りまみれになっていました。しかし、機の前に立っていると段々何となく徐々にきらびやかに見えるような気がしました。その操縦席にはもちろん何時ものことながら若き高田さんがおられることを想像したのです。
実はこのテキストはシカゴから成田行きの最新鋭機ボーイング777の中で書いております。今受けた過大なエアショックはひょっとしたら高田さんがロケットファイター秋水で近くに来て「この俺の方がまだまだ速いぞ」と追い越して行ったと、機内サービスの好きなスターバックスコーヒーを味わいながらそんな気持にさせられました。
(SE Original:2006.11.16)
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