トラベリング:コンテッサの聖地(!?)への旅:ディエップ(Dieppe)で待ち受けたのは(2010年6月26日~)
アルピーヌ(Alipine)、実際の発音はアルパインのように聞こえますが日本ではこう発音するようですががそんなことはどうでもよいでしょう。フランスはパリの北西部に位置するノルマンディーのディエップ (DieppeApline社) と言う片田舎の港町に存在します。面倒な理屈は抜きにして誰でも一度は行ってみたいと思わせる「聖地」に夢にまで見た旅をしました。
さてディエップに向かう前にパリ市内でお参り、場所はMONCAU FLEURS(花屋)のある建物、この一角のアパートメントにアルピーヌ創設者のジャン・レジレ(Jean Redele)さんはディエップのお住まいと行き来してたとご近所の方が思い出を語っておりました。ここで、2007年8月10日,85歳でお亡くなりになったのかと合掌。
欧州の多くの街は同じと思いますがパリも例外でなくちょっと走れば人口建造物なんぞ消え広大な畑の景色となります。フランスが如何に農業大国であり世界最大の小麦の輸出国であるかを納得するものです。そんな光景がパリ郊外からディエップ近く(以下)まで続きます。
ほどなくディエップ市内直前で目にした異様な光景(?)、クリオのドンガラが大量にさられているのが目にみることになります。どうやらそこは、アルピーヌ社のサービスデポでサービス販売部門の様です。ドンガラはあるということがボデー・シャルも買える!、これは凄いですネ。
そしてディエップ市内に入るランナアバウト(グルグル回る信号の無い交差点)でとんでもないモノ、いや人です!例のレジェントでもある腕組みスタイルでジャン・レジレ(Jean Redele)さんが居りました。ここは停車出来ないの写真を撮っておりません。その場所はこのグーグルで見て下さい。現在のアルピーヌ社の本社&工場はこの場所にあります。しかし、街の入口に銅像があるとはディエップ市民の象徴なんだと誠に偉大なものです。これは市内に入るとさらにJeanさんの色々なサインが出てきます。街あげての感じでもあり、彼の言わば城下町と印象を受けました。
欧州の夏時間独特の夜10時過ぎに陽が落ちて夕食、早、夜明けとなり、ホテル周辺のディエップの海岸を散歩しました。そこには何と!Renault Estafette(エスタフェット)。どうやらシニアの朝のクルマの散歩の様でした。凄い!こんなクルマを足の様に楽しむとは!しかも最高のロケーションです。人生はこうでなくては!
さて、このディエップへの旅はこれからが本番です。ある目的をもってアルピーヌ社を尋ねました。写真のゲートでは広報担当者によれば例のブルーのクリオスポーツかなんかが大量に製造されているようで出来上がったばかりの車両が並んでおりました。
以上、しり切りトンボですが、この結末は別途でと。因みに目敏い方はお分かりになると思いますが、エスタフェットの写真の場所は、誠に偶然ではありますが1965年のある時期に日野コンテッサのスポーツプロト(アルピーヌ製)の写真撮影をした場所そのものであったのです。この写真は良い記念になりました。
(SE、オリジナル:2010.8.12)
(Yodated 2019.5.17)
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