2013.10.5&6:まつどCCF 2013 - 日野コンテッサの世界のモータースポーツ参戦記録


第12回を迎えた地元のメジャー・カー・イベント

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 松戸の一市民として、毎年、楽しみにしている「まつどクラシックカーフェスティバル」に今年も参加できました。一昨年の10回目の節目を乗り越え、新たな段階に入り、小粒ながら今や全国的に有名になっているJR松戸駅西口の地下駐車場という絶好のロケーションでのイベントであります。

 折しも本年度、この日曜日には江戸川をはさんだ川向こうで開催される新参の三郷の大規模なイベントや旧車メディアのオールドタイマーによるお台場でのプロショップ&ガレージを巻き込んだ超大規模商業イベントと旧車持ちやファンにとっては格好な週末となりました。

 そんな中、「まつどクラシックカーフェスティバル」は、事務局によりますと、過去最大の応募台数となり、メインの二日目に行われる日本一短いたった80メートルのパレードが40台超え、これまた最大の出走台数と相成りました。一般の旧車イベントにはない公共性という特徴を持つ本イベントは、よくある市民まつりの単なる客寄せパンダではないポジションへと高め、全国ブランドを確立している現れと分析するものです。

特別企画展:日野コンテッサの世界へのモータースポーツ参戦記録展

20131005 Matsudo CCF Hino 2

 さて、本年はすでに「今年の松戸まつり(2013年)」でお知らせのように、「日野コンテッサ・クーペ L」を展示し、「日野コンテッサの世界へのモータースポーツ参戦記録展」と称して、手作りの特別企画展を進めました。今日は、歴史の記録・記憶から忘れ去られてしまったような日野自動車の日野コンテッサのモータースポーツ参戦物語です。

 我が米国1967年シーズン向け競技車両車は、実は1995年の東京モーターショーに日野自動車の依頼で展示後、ガレージの中でシートをかぶったまま、2000年頃からはすべての機能部品&部位、すなわち下回り、パワートレイン、シャシー,電気系などウマに乗せた状態でリノベーション(レストアでない)をすすめておりました。友人たちからはこのクルマは絶対に完成しないとか色々云われておりました。自分はコンテッサの新車がどのようなものであったかを残念ながら知る由がありません。このリノベーション・プロジェクトを持って、日野コンテッサの新車あるいは進化した日野コンテッサを味わいたいと目指しておりました(その内容&過程は別途、記述)。しかし、終わりが見えないまま、時間だけが過ぎて行くという有様に情けなくも思う中、年初めに松戸のイベントの事務局から展示の打診を受け、二つ返事を、すなわち、これで何が何でもメドを立てることができると。実際、10月5日を前にして、車検(前日の晩に整備工場からデリバリーされた)をとった状態ではありますが、参加出来るということは正に「まつどクラシックカーフェスティバル」への感謝であります。人間、やれば出来るということを、年齢に関係なく味わさせていただき、本当に勇気&元気もいただいた次第です。

 記録展:切り取られた歴史:コンテッサ の挑戦 〜日野コンテッサの世界のモータースポーツ参戦記録〜と称したものには以下の3点を数ヶ月掛けて準備&制作をすすめて参りました:

1:映像関係

 1963/64年第1/2回日本GP、米国西海岸レースなどを中心に(ハイライトを独自の視点&史実検証をもって編集)

  • 切り取られた歴史 - 伯爵夫人の挑戦(約32分)東京オリンピックの年、昭和39年に登場したコンテッサ1300の“レースはクルマを売る”というコンセプトの下に世界市場に進出するためのモータースポーツ参戦記録(右に期間限定で縮小簡略映像を掲載)
  • 勝利の記録 - 優勝 日野コンテッサ、第一回日本GPレース(約15分)
  • 鈴鹿サーキットで開催された日本初の国際レースに参戦し、国産車として優勝を果たした日野コンテッサ900の記録映画(日野自動車借用)
  • 挑戦:デル・コンテッサ誕生(約26分)
  • 日本初のフォーミュラ・カー ”デル・コンテッサ”、その誕生までの記録映画(日野自動車より借用)

2:パネル展示

 日野コンテッサ900/1300を中心に、1963年の国際レース参戦開始から1968年撤退まで、当時の貴重な写真やニュース&雑誌記事を中心に7枚のパネル(A1サイズ)にまとめました。どれも門外不出あるいは未公開なものばかりです。(日野コンテッサの世界のモータースポーツ参戦記録

 東アフリカサファリラリー日本GP、メジャーレース、米国西海岸セダンレースなど、あまり知られてない歴史、すなわち日本で始めてサファリに挑んだクルマであること(同時期に日産も)や米国のレース文化に日本車としてはじめて参加したことや勝利を得たことなど、日野自動車の努力&日野コンテッサの活躍などぜひ記憶に留めておきたいものばかりです。残念ながら日本のメディアではマイナー扱いされている日野コンテッサであり、正に「切り取られた歴史」であります。

3:ワークス部品の参考展示

 これは当時の日野のレーシング・チームの努力の結果です。現代では常識的あるいは旧い技術になっているかも知れませんが、現代の技術は、これら過去の技術の上に成り立っていることを忘れてはなりません。これらはほんの一例です:

  • 米国イングル (Engle) レーシング製ハイリフトカム (12.6mm) 及び比較参考市販車用のカム(リフト量:9.6mm)
  • 英国製メタルクラッチプレート(当時のF1と同じもの)および強化型クラッチプレート (英国FERODO使用)
  • 米国マロニー (MALLORY) 製ディストリビュータ
  • 5速トランスミッション:プライマリシャフト
  • シボレー、鋳鉄オイルポンプを流用改造:高温時の油量&油圧確保
  • バルブシステム関係:ストレス軽減目的の鏡面仕上げバルブシステム関係:ストレス軽減、バルブシステム関係:軽合金プッシュロッド (米国Smith製)、ストレート・カット・タイミングギア (材質は鋳鉄に変更)
  • 74mmピストン (3mmアップ) 高速型ピストンリング採用、コネクティング・ロッドの強化&軽量化、アルミニウム製オルタネータプーリ
  • メタル・ブレーキ・ライニング(リア)
  • 2個1オイルパン:油量倍増&バッフルなど(最大6.5リッター!、油冷エンジンとも云える改造)
  • 日野自工が1964年 (昭和39年) 、デル・レーシングと制作した2座オープン・プロト:RSA (コンテッサ900ベース) のヒドロ・アルミニウム・ホイール(6J-13、米国ホフカーレーシングのコピー),及びその新造ワンオフ・コンテッサ1300用アルミホイール:当時の日野レーシング・チームのパターンをベースにインチアップをし、ワンオフ (木型使用) 制作(左:7J-14 オフセット 5mm 、右:6J-14 オフセット 20mm)

 我が家ではゴミ扱いになっているものばかりではありますが、この日ばかりは主役にさせてしまいました。 (画像は巻末を参照)

来場者の反応?

 さて、旧車界ではマイナーであるこの日野コンテッサの特別展のどのように映ったでしょうか?

  • 来場者の多くはコンテッサという名称を知っていても、ほとんどがレース文化の中で世界に挑戦・活躍をしていたことを知っていなかった。おそらく50代以下の人は特にそうなっているようであった。
  • 米国のピート・ブロック氏を知っていても日産時代のダットサンのことであり、日野コンテッサ1300に尽力をしたことは,上記の如く、知られてないようだった。ましては米国のメジャーイベントでの勝利は日野自動車が最初だったということも知られてない。
  • サファリ・ラリーはダットサン、すなわち日産自動車そのもの、しかし実は、日野コンテッサが同時期に日本車初としてチャレンジしたことが、これまた、上記の如く、知られてないようだった
  • 以上は、国際モータースポーツでの日野コンテッサの話しだが、今年、結構、質問があったのが日野自動車自体が乗用車を開発・製造・販売をして手がけていたことを知らなかった来場者も多かった
  • その他、展示車両について、毎年のことですが、以下のように、愚問、難問、秀問が:
    • 愚問:このクルマ、走るの?
      =>毎年、開口一番、多く飛び出す「お言葉」。クルマは走らなければ、1/1の模型、走ってこそクルマなのである。博物館によくある一見奇麗でも展示保存目的で実際、血の気を感じない標本のような生気の無いクルマとはまったく違うのだ。この「まつどクラシックカーフェスティバル」に参加の多くのクルマ同様、オーナーの強い意志(および日々の努力)のもとにちゃんと血が通った筋金入りの個体なのである!このような質問が出るのは何故だろう?推測するに、メーカーを含む(ホンダを除く)日本国内の自動車博物館のクルマ達を想像してるのではないだろうか?つまり、そこに置いてあるだけで、クルマとしてしての機能を果たさない展示だけの寂しい姿をだ。そうとしか思えない。個人的には動かないクルマは、本来の機能を果たしてないので展示すべきてないと思うのが本音である。
    • 難問:レースで走ったのに内張ついてるのか?
      =>そうか、それもそうである。ただ、個人的な眼では、当時、日本のレーシング・カーの仕上げはなんとも美しくなかった、いや全体をちゃんとまとめてなかったと思う。雑誌などの教則本もそのようであった。
      本車は一例であるが、米国、特に南カリフォルニア・カーと言って良いだろう。それなりのまとめ方をしてあったのだ。部品にしても多くは航空機品質のものを使うとかホット・ロッドなどのペインティング(本車の色はそれなりのマジックあり、別途、記述)をするとか、競技車両でも全体のデザインを重んじていたのである。レーシング・カー制作の文化の違いかも知れない。これはあくまで当時の話しである。
      現代のレギュレーションでは、内張は外すほうが好ましい、あるいは無しと言うことにもなろう。実は約20年前のJCCAで本車のロールバーの一部はその外径を満たしてなかった。申し込みの際に、その旨を銘記し、受理されていた。現在ではそんなことは受け入れられないだろう。
    • 秀問:ツクバで大きなクラッシュをしたが、その後、見なくなったのでクルマが駄目になったと思っていた!
      =>ご記憶いただいており、感謝、感激。その通り(その光景は、「切り取られた歴史」のビデオにも)。20年以上の前の出来ごとをちゃんと記憶いただいており、恐縮。その後、2度の修復を行い、現在(18年前の作業だが)は、パテをまったく入れず、所謂、鈑金だけで少々デコがあっても塗装面からオリジナルの金属&プレス・ラインなどを感じるようにしたもの、と説明させていただいた。実に有り難いお言葉であった。この松戸まつりに出展したのは正解だった!

 と、いう具合でした。手作りの展示ではありましたが、歴史をちゃんとすると云う意味で少し貢献できたのかなと感じると共に公共へのこのようなアクションの必要性を大いに感じました。来年、2014年は、日野コンテッサ1300が発売されて、半世紀(50年)の節目になります。日野自動車自体としても公共的に「切り取られた」あるいは「切り取ってしまった」社の重要なる歴史&文化を正しく継承する意味でも何らかのアクションをすべきであると期待するものです。

これはドラマだった!

 イベントの二日目の日曜の朝には、噂を聞きつけて(すでに土曜日の来場者がネットのブログにアップしたようで、それをチェックした息子から知ったとか)、はるばる東京都の青梅から日野自動車のOBと云われる方が駆けつけてきました。当時、この「クーペL」を知る方で実際に現場におられた方でした。当時はレースでアメリカに行けると云う希望をもって仕事をしていたそうです。結果的にあっと云う間にトヨタとの業務提携によってすべてが終わってしまったそうです。日野の中にあった開発中のツインカムエンジン(市販用やレース用など技術が詰まった)など、すぐに「接収」されたとか。後に研修で出張したら、カムカバーを変更(すなわち日野のマークを消す?)して置いてあったそうです。何とも悔しい思いをしたそうです。ワークス専用の74mmのピストンが溶けて溶接をしたとか、コンテッサ7とか、当時のお話を短時間に多く語っていただきました。最後にクルマのシートを座っていただき、記念撮影をしましたら、涙がというような状態でありました。日野コンテッサで活躍した山西さん、ダンハムさん、両氏(共に他界)を現場で知るお立場だったようで、彼らが実際にレースで座っていたシートに座って感激をし、これで若い時の悔しさが晴れたとか。貴重な時間、場面、そして大いなるドラマでもありました。

イベントを終わって

 今年は例年にも増して楽しませていただいた松戸まつりでした。今回、我が愛車は17年ぶりに公道復帰となった訳ですが、ガレージの中から外に出すのも17年ぶりでした。機能部品、すべてをばらし、掃除をして、改良をしてと、正にねじ一本までが新しいものにした訳です。自分自身がコンテッサの新車をいうものを知りませんのでその意味で、コンテッサの新車(2013年型!)を乗れることを楽しみに進めました。しかし、先に見えない状況にもなりつつあった中、このような機会をマイナーな日野コンテッサと私に与えてくださった「まつどクラシックカーフェスティバル」の事務局の皆さんのおかげです。ここに感謝を申し上げます。本車は、今後、数ヶ月は調整が必要かと思います。近所を周回し、少しづつ、距離を伸ばしております。ノートにはすでも多くの調整個所が記載されました。

 イベントの一日目の土曜日の朝、展示会場のセットアップをお手伝いいただいたトヨタスポーツ800のMさん、二日目の撤収をお手伝いいただいたコンテッサ・クーペのMさんに御礼申し上げます。また、本HPの読者の皆さん,何人かが土曜日の雨の中、駆けつけていただきました。バーチャルでないリアルな交流が出来るということはネット社会の中、この上ない喜びであります。ありがとうございました。

 さて、来年の「まつどクラシックカーフェスティバル」は、オペルを取り上げると閉会の際に事務局から発表がありました。その背景には、このイベントに「オペル1900GT」で参加されている87歳(来年)になられる超元気な年齢的大先輩所有の新車で購入されたオペル及びその「人なり」がメインとなるようです。オーナーは新車から所有されており、昨今の多くのイベントで見る旧車のように(コンテッサも同様に)、お金をだせば手に出来るクルマではないと、クルマだけでは見えないオーナーの歴史・人生も一緒に評価してあげたいと推測し、そういう意味で「人となり」ということです。どこにもないユニークないベンドになると推測します。楽しみにしております。

 この「まつどクラシックカーフェスティバル」は、およそ9割の見学者は旧車のマニアではなく、一般の皆さんと日本の経済発展に貢献した貴重なクルマたちを目の前にして、理解、共有、またクルマだけではない歴史を学び・伝承出来る数少ない場です。特に若い方、そのお子さんたちには、日本の将来にこれ以上の教育の場はないと考えております。ぜひ、来年もこの貴重な地元のイベントに参加したいと思います。

 以下は関連ブログです。ご参考ください:

ワークス部品の参考展示品

20131005 Matsudo CCF Hino a

米国イングル (Engle) レーシング製ハイリフトカム (12.6mm) 及び
比較参考市販車用のカム(リフト量:9.6mm)

131005 Matsudo CCF Hino b

英国製メタルクラッチプレート(当時のF1と同じもの)および
強化型クラッチプレート (英国FERODO使用)

131005 Matsudo CCF Hino c

米国マロニー (MALLORY) 製ディストリビュータ (左)
5速トランスミッション:プライマリシャフト (右)

131005 Matsudo CCF Hino d

シボレー、鋳鉄オイルポンプを流用改造:高温時の油量&油圧確保

131005 Matsudo CCF Hino e

バルブシステム関係:ストレス軽減目的の鏡面仕上げ
バルブシステム関係:ストレス軽減、
バルブシステム関係:軽合金プッシュロッド (米国Smith製)、
ストレート・カット・タイミングギア (材質は鋳鉄に変更)

131005 Matsudo CCF Hino f

74mmピストン (3mmアップ) 高速型ピストンリング採用、
コネクティング・ロッドの強化&軽量化、
アルミニウム製オルタネータプーリ

131005 Matsudo CCF Hino g

メタル・ブレーキ・ライニング(リア)

131005 Matsudo CCF Hino h

2個1オイルパン:油量倍増&バッフルなど
(最大6.5リッター!、油冷エンジンとも云える改造)

131005 Matsudo CCF Hino i

日野自工が1964年 (昭和39年) 、デル・レーシングと制作した2座オープン・プロト:
RSA (コンテッサ900ベース) のヒドロ・アルミニウム・ホイール
(6J-13、米国ホフカーレーシングのコピー),
及びその新造ワンオフ・コンテッサ1300用アルミホイール:
当時の日野レーシング・チームのパターンをベースにインチアップをし、
ワンオフ (木型使用) 制作(左:7J-14 オフセット 5mm 、右:6J-14 オフセット 20mm)


(SE, 2013.10.20 Original)
(Corrected、2019.1.15)


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