2022.5 皐月 (さつき)
20220522:ルーチン作業 -下回りチェック&クリーンアップ

この日は、思いがけず、澄んだ高い空となりました。久しぶりの五月の天気です。気持ちもよく、午後、先月のビ筑後の点検とクリーンアップをしました。雨の汚れもあり、また午後の時間だけで作業だけなので、後輪周りだけで終わりました。
例によって、ジャッキアップし、中性洗剤を染み込ませたタオルで汚れをとる、そして同時に各部の目視点検です。これだけでも、エンジンルーム内の水パイプのクランプに緩みを発見、今後も注意が必要です。
そして、画像の右にあるような液体カーワックスを施します。下回りのワックスがけにお手軽で重宝しています。そしてボルト類には錆止めを施します。定期的にはWD40ですが、あるインターバルでより強力な液体フィルムという画像の左側のを施します。

以上の作業ですが、こうやって、愛車を手当てしている時間が至福と感じております。この先、天気の良い日にフロント周りの手当てをしましょう。
以下の画像は少し前に手直ししたマフラーのフランジです。スムージング、ホンのささいなことですがこれで改善されるとイイなと楽観的に考えています。

20220521:メガーヌ 号 - エアコンのケア

夏の季節、それも梅雨に入る前に切実に感じるのがエアコンです。
コンテッサクーペから始まる歴代所有車のエアコントラブルが続いています。今、女房中心の足車、メガーヌ 3も何かとトラブルを抱え、今に至っております。要は、専門家にお任せすればよいのでしょうが、そうはしない自分がいることが問題であります。しかし、不具合解決も楽しみの内と考えています。何しろ、大きな資金流出を防げるのでから。。。
さて、メガーヌ 号、ようやくコンプレッサクラッチのコネクタの接触不良が解決したようです。これで、クラッチオンにならない場合、ブラインドの位置にあるコネクタを「揉む」必要もなくなりそうです。と、思ったら、もう一つ、接触不良、圧力センサーのコネクタ、これも完全に繋がってないようです。よく見たら、端子が奥に引っ込んでいました。おそらく、これは自分の差込方が悪かったのでしょう。少し前の作業した際のものと推測します。
と、言うことで、この日は期待をもって、作業開始、まずは先週、手当てした真空ポンプを使用しての真空引きです。

何回か繰り返し、上記のような状態になりました。実は、ここまで真空にはならず、コンプレッサへの配管の緩みも発見、締め込むと改善しました。この値が良いかというと、数年前にコンプレッサを交換した際もこの程度だったので、、、しかし、以前のセニックはもう少し出たのだがと、、、まあ、良しとしました。
そして、冷媒のプロセスです。最近のネットの記事やよくあるキットの取説でも、最初のエンジンオフでの注入は低圧側となっています。しかし、自分が持っている専門書やメーカーの整備マニュアルでは高圧側となっており、自分はそれを信じてました。正解はよく分かりません!でも、コンプレッサは機能しないので、結果的に圧が掛かってなく、全ラインが同じ圧力になる筈、と考えれば、どちらでも結果は同じ、と素人考えです。今回も高圧側で進めました。

エンジンオフの冷媒は全部入ってなかったようで大分残った状態でした。おそらくうまく気化しなかったのでしょう。そして、エンジンオンで、1本目の冷媒、今度が手で温めるのも面倒なので、チンしたタオルを巻いてやりました。そしたら、あっと言う間に完全に空になったようです。しかし、まだ圧力がそんなに上がらない、室内の冷気も弱い、すなわち冷媒不足!当然です、おそらく1本目が半分程度なので都合300cc程度なのでしょう。
そして3本目を注入、おそらくこれで500cc+程度になったと勝手な解釈です (メガーヌ3は、520cc) 。室内の冷気の冷気もまあまあ、圧力も画像のようです。一般的な値と比較すると:
【低圧側で0.15〜0.25MPa】=> 37PSIは、0.255MPa
【高圧側で1.37〜1.77 MPa】=>250PSIは、1.724MPa
おおよそ、標準値の上限のようです。取り敢えず、及第点としましょう。うまく収まったようです。
と、いうことでこれから夏に向かって、まずは梅雨時、快適に過ごせるでしょうか?
2022.5.21:古の日野コンテッサ1300レビュー - モーターマガジン 1966年3月号

自分が何十年のやって疑問に思うことが当時の雑誌の記事を拝見すると、なるほどと思うことが多々あります。
画像のモーターマガジン誌、1966年 (昭和41年) 3月号もその一つです。数ヶ月間、書棚からピックアップし、就寝前、ベッドの中で開くと実に興味深い記事がありました。
6ページに及ぶ記事、「コンテッサ1300Sのロードインプレッション」 (和田垣 雄三氏執筆) がそれです。丁度、1965 年 (昭和40年) 12月の新発売になったコンテッサ 1300Sについて取り上げた記事です。
氏の記事は実に質実剛健と言えるもので昨今の自動車雑誌のカタログ的な内容ではなく、実に率直にインプレッションが書かれています
その中でもっとも印象的なのが以下のテキストです:
「以上がコンテッサ1300Sのエンジンの特長を主とした概要であるが、実際に各種の状況下での走行状態は、かなり 安定したすぐれた性能を示した。と言ってよい。単純にエ ンジン性能だけから推測するのは軽率であるが、第三京浜での最高速テストには、軽く148km/hをマーク, まだ出力には余裕のある気配を示した。この出力は、急登坂、発進 加速の面でも、一貫した力強い特性を示し、伯爵夫人のス タミナは今や全盛期か、と思わせるものがあった。
ただし、高速時に於ける高性能に比べて、エンジンの低回転時におけるトルクの少なさは、どうにも否定できないようだ。あらゆるスピード・レンジにおける、フレキシブル なエンジンなる謳い文句には、やや異論がありそう。具体的な徴候として、 停止からの発進時に、ごく静かなスター トを試みた場合、クラッチの合せが適切であるにかかわらず、エンストを越したことが再三と, 3速 2速とも、著しく低回転接近につれて、エンジンのノック症状が早く始まるような印象をうけた。一方エンジンの出力要求反応は発進、追越とも鋭い加速性を有し、レスポンスに優れる。 高出力・高速回転への設計意図は、よく生かされているといえそうだ。」
自分の興味は、太字の部分です…低速トルクの問題です。現代の多く、あるいはほとんどのコンテッサ のユーザーや旧車の記事などではそのような表現はなく、むしろ低速トルクが大きいということです。しかし、自分自身ではこの記事に同意するもので、やはりそうだったのかです。
この問題は、日野自動車はある時期にエンジン特性を変えるためにふらいホイールを実に重いものに変更しました (参照 - 知恵集:フライホイール) 。日野自動車のその変更理由は明確ではなかったのですが、おそらく、市場の意見がこの記事にあるようなもので、なるほど、それを反映した、と理解しました。この1300S発売直後、全面的に変更されたを分析するものです。
日野コンテッサ1300、初期の個体は、低速トルクはなかったが、実は軽快感のあるスポーティかーだったのでしょう。それが設計本来の目論見だったと、しかし、市場の意見、あるいはコンテッサ1300ユーザーの意見はそうではなかったと、ちょっと、残念な気がします。
そういえば、80年代前後のコンテッサクラブに在籍していた時代、トルクが無いなど理由で、わざわざ重いフライホイールに切り替えたオーナーは一人や二人ではなかったことを思い出しております。50数年前の日野コンテッサ 1300本来の軽快感を味わいたいと思う方は、鋭意、考慮すべき事項と考えます。

2022.5.19:本日のデリバリー - iPhone 13 Pro

先週、Apple Storeに注文したiPhone 13 Proがデリバリーされました。
右の画像は、手元にある歴代のiPhone達です。一番、右の大きのがiPhone 13 Proです。レンズの数も増えてきました。
左から二つ目が、2016年に購入した初代のiPhone SEです。丁度、丸6年、約70ヶ月もの使用です。SIMフリー使用のランニングコスト、本体は、約920円/月、そしてIIJMioのSIMが、1,600円/月、よって約2,500円/月です。その前にYahooモバイルなどの7~8,000円のコストとくらべると実に格安と言うか、実にリーズナブルです。もちろん、それに従量性の通話コストがかかりますが、そんなに使うものでもないし、何年か前からはLineやFacebookほかのSNS利用に通話ですので実質通話料金は無視できるほどのものです。時代は進歩したものです!

画面もこのように実に大きなものになっています。実は歴代のiPhone、一部を除いて、画像にように角がフラットなものを使用してきました。丸いのは何となく掴みどころがないように感じて好みではありません。しかし、今回のiPhone 13 Proは重い!最初は半日は腕が疲れる...、しかしその後は慣れてきました。右から2つ目のiPhone 12 Mini (女房用) が丁度良い様な気がはします。
さて、iPhone 13 Proを選択した理由が以下の画像です。

結構、長い間、ミラーレスの一眼レフを愛用してきました。それは広角と望遠レンズがあることでした。iPhoneの通常のレンズではどうしても遠近感がイマイチでした。そこで、考えたのが広角と望遠レンズで三つの目をそなえたiPhone 13 Proでした。
このミラーレスの一眼レフも独特の色合いはあるものの、iPhoneのレンズの明るさに及ばないし、ビビッドでもない、それに重たい&かさばる、などなど、考えると「iPhone 13 Pro」はそれに対するベストソリューションと考えた訳です。そう思ったら、即断即決で決定、ということになりました。
この先が楽しみです!
2022.5.15:真空ポンプのメンテナンス

ルノー・メガーヌ号、先般、エアコンのコンプレッサの接続コネクタの不良を追及、コネクタを変え、不審な状況を解決、と思いました。が、それだけでは済まされない様な事態に陥っております。
真空引きからちゃんと、と思い立ったところ、肝心のバキュームポンプの動きがおかしいようです。
動きに渋いのです。そこでバラして、いろいろとチェックしました。バラしては組みを繰り返し、どうも2ステージの一つの動きが渋いようです。
最終的に、ローターはカバーの接触面の調整をしました。どの程度、削れば良いかが問題です。アルミ板を定盤に800番のペーパーにオイルを引いて、軽く、10回ほど、研磨しました。あくまで目やし、これでどれだけ変化するかです。
結果的に渋い動きはなくなり、普通の感覚で接触もないように思えるようになりました。一応、これですべてを組み上げ、作動させてみました。取り敢えず、動き良し、吸引力良し (?) 、としましょう。

2022.5.14:古のプログラム - サンタバーバラロードレース 1967年9月

先日、書棚から何気なく取り出してみた書籍、というか、旧い米国のレーストラックのプログラムです。30〜40年以上も前にカリフォルニアのバーバンクの自動車専門の本屋で入手したものです。タイトルは、28TH SANTA BARBARA ROAD RACES - September 2 & 3, 1967, Sponsered by California Sports Car C;ub region of SCCA & Santa Barbara Jr. Chamber of Commerce with cooperation of the Long Beach MG Clubとあります。
実は、この前の年、すなわち1966年の南カリフォルニアのレーストラックには、日野コンテッサは必ずエントリーリストに登場しております。しかし、日野自動車は、1967年はレース活動を撤退しましたので見ることはありません。
上記の様に自動車専門の本屋に宝の山で旧いプログラムなどが数多くあります。そんな中で目にしたのが1967年9月のサンタバーバラで、何と、この中にコンテッサがエントリーリストに載っていたのです。なるほど、話には聞いていたが、日野自動車の撤退後もダンハムさん達がおそらくプライベートでまだ走らせていたことがこれで証明できたことになります。

実はこの他にも1967年のプログラムに日野コンテッサ (#55) が存在します。それは別途、書きましょう。これらはすべて、上の画像にあるように、日野自動車のレース活動の立役者、ダンハム (wiki - Robert Dunham) さんの#55 (BRE - Team SAMURAI) です。つまり、今、自分が所有している個体そのものです。
こんなヒストリーをみながら、なるほど、我が愛機:コンテッサクーペ、朽ち果てても、永遠に走らせなければと、思う瞬間でした!
上記のCalifornia Sports Car C;ubは、ピート (Brock Racing Enterprises) さんのお話では、当時、米車ばかりのレースに対抗して、輸入小型スポーツ車を中心に走る場を創ったのが始まりだそうです。そう、日野コンテッサも米国の黎明期の一員だったのです。
そしてこのサンタバーバラのレーストラックは、所謂、Airport Raceであり、当時の飛行場を使ってのサーキットだったのです。そのレイアウトは以下のプログラムの1ページから知ることができます。

2022.5.12:本日のデリバリー - NPT1/4-18 タップ

先月4月後半にeBayで購入したNPT1/4-18 タップが届きました。およそ3週間弱で到着です。いつもながら中国のこの種の販売は例外を除いて安く、早く、そして品質良しです。
楽観的に見ており、今回も成功でした。何しろ、支払いは送料込みでたったの770円です。同じものを国内で購入してもこの価格ではありません。また、一般的な製品は数倍します。おそらく一度か2度しか使うチャンスはないのでこれで良いでしょう!
さて、このタップはどこに使うのでしょうか?画像のタップの右にある水温センサーの取り付けに使用します。EWPの新しいデジタル方式のコントローラのものです。この先の工作が楽しみです。
2022.5.1:JPMA Standard Paint Colors - 色見本チャート

以前から手にしたかった塗料の色見本チャートです。日本塗料工業会の2021年度版です。
今、補修を進めている愛機:コンテッサですが、補修用塗料、以前、鈑金屋に調合していただいた塗料もなくなりつつあります。もっとも四半世紀も前のものですのでそれを使おうということ自体に難があります。いずれにしろ、最新の塗料でフレッシュなものを目論んでいます。
そこでこのチャート (関西ペイント) を購入しました。おそらくこの色見本の中に近いものがあり、それに黒を入れたり、白を入れたりで、ある程度近い色ができるのではないかと誇大妄想中であります。
2021.4 卯月 (うづき)
2022.4.30:メガーヌ 号、タイヤ交換 - ミシュラン PS4

来月の5月でちょうど、まる4年になるミシュラン PS4 (205/55R15) です。距離にしては、1万キロ後半の使用ですが、そろそろ交換時期と思い進めました。
ミシュランを中心にリサーチ、ただ試してみたいと思うヨコハマ ブルーアースGT - AE51も魅力でしたが、試す勇気もなく、結果的にミシュランのPS4、つまり4年前の選択と同じになりました。ミシュランの新しいPS4SやPS5も考えましたがもう16インチサイズは設定外でした。
ミシュラン PS4は、一般的なものに比べてやや高価ですが、実に気に入っています。マイナス点がまったく見当たらないのです。もし、PS4に14インチサイズがあればコンテッサにもと思うのですが、それは叶わぬものです。

昨日、連休初日の金曜日に配送され、生産国は "Made in Spain” となってました。これはラッキー?、つまりメガーヌ の生産国と同じなのです。
この日もいつものパーツワン (足立) さんに組み込みをお願いしました。いつものように手際よく15分ほどで完了しました。ありがたいものです。
さて、驚いたことがあります。それは以下の画像のように、バランスウェイトの場所は前回のそれとほとんど変わらないということです。最近のタイヤはこんなものなのでしょうか?あるいはミシュランの品質管理がよいのでしょうか?

2022.4.29:日野 GR100エンジンの遠心ガバナー進角度 (その4)

先の2022.4.2:日野 GR100エンジンの遠心ガバナー進角度 (その3)では、VWやBMW、国産の初代のホンダシティの所謂、遠心ガバナーの進角について、レビューしてみました。
それらの進角にはクルマ個体の性格を決める様な特徴的なノウハウがあることが見えてきました。そこで、今回は何時も座右の書にしている「HOW TO HOT ROD CORVAIR ENGINES」をチェックしてみましょう。
イグニションの項には実に興味深いプラクティス、すなわち実践が記述されています。ノーマルエンジンの進角 (実線) と数少ない140HP仕様 (点線:右ページの赤矢印) のディステリビュータの進角の違い、それを作り出すメカニカル的な違いが説明されています。
加速の良い140HP仕様にするにはどうしたら良いか、次の様です:
(1)高回転域でのガバナー進角(クランク) を2度下げる - この対処には、ロックピンの動きを制限するために、そこにスリープを入れる (左ページの赤矢印)
(2)低回転域〜中回転域の進角を早める - この対処には、ガバナースプリングを140HP仕様のものにする。
(3)アイドル回転の進角を6度を10度〜6度プラスする。これで16度〜12度とする。
以上がその概要です。
なるほど、これでスタート直後のアクセル踏み始めのレスポンスに上げる、そして最大進角は、ガバナー進角の18度、そしてアイドルの16度となり、最大で34度と基本原則である35度程度になると理解しました。
もちろん、もっと子細の調整事項が記述されていますが、おおよそ理解できるものです。ポイントは、先のBMW、356、またホンダのそれと考えが一致することです。

2022.4.24:ビ筑 (ビギナーズジムカーナ in 筑波) 2022年シリーズ 第2戦

2月の第1戦から2ヶ月、早、第2戦となりました。昨年中盤からのエコタイヤをグリップタイヤに戻し、マフラーはMONZAに、そして点火系も前回からDISに戻し、タイミングの精査といった諸々、手を入れて来ました。どれもこれも大したことない、マスターベーションのような自己満足の世界であります。
この日のHISクラスは、久しぶりのスカイライン R-S DR30 (FJ20エンジン) が登場、150馬力、コンテッサ の2.5倍!トルクも倍ある、サウンドも凄い、旧車市場でも超人気のモンスターマシンです。そしてレギュラーメンバーでとても綺麗な走りで俊足レディスドライバーのホンダ トゥデイ550ATと常時全開のホンダ S600です。コンテッサと合わせて4台の出走です。以下の画像にように雲行きが怪しい空模様です。

さて走ってみれば、やはり楽しい、反省事項はどこかに吹っ飛んでしまいます。タイヤ、F=1.8 R=2.6で走行、途中変更も無し。今回、感じとことは以下の通り:
プラス点:後輪のリバウンドストラップの調整、ポジにならないでこの程度で正解かも知れない。これは冒頭の画像でも明らか、以前のように極端なポジにはならない。車高、フロントは、気持ち、5ミリ程度アップした方がよさそう。
マイナス点:排気音、スカイラインの爆音に比べれば、おとなしいが、もう少しジェントルさが必要、つまり “品” だと思う。また、見てる方からガスが濃いのでは、という意見、抜けがよくなったせいで燃調が変わったかと、2本目、エアフィルターを除いたが変わらない。まっ、MONZAはこれでストップ、Borlaに戻そう。

以下は、走行画像です。何時もの録画をいただく友人たちに感謝です:
2022.4.23:人車ともOH中 - 車高調整

4月24日 (日) のビ筑第二戦に向けての下回りチェック、そして新たに車高調整を進めました。
昨年の10月を前にノーマルタイヤ (ミシュラン エネジーセーバー 175/70R14、ホイールは、4.5J) に変えた際に何年かぶりに、自分としての車高に戻しました (ノーマルとはかなり異なる) 。
それは結果的に、落としすぎ、リヤキャンバーの付きすぎと反省、若干、修正することにしました。冒頭の画像にあるように、何種類かのスペーサを用意しております。今回の目標は、約1センチほど高くする、これには大いなる理由が、175/70R14のタイヤが入るが、185/60R14 (ホイールは、6J) が取り付けの際に、フェンダーの干渉なく装着できるようにすることです。
その為のスペーサが以下の画像です。ミッション&エンジンのメンバーとシャシー取り付け場所の間に入れるものです。これが1センチ調整用です。2018年5月27日と製造日が刻印されています。

これを装着したのが以下の画像です。Before&Afterが明確にわかります!本当は最高部のエンジンマウントのメンバーにも同様な調整が必要ですが、今回は無しとしました。結果的にエンジンは約1センチ、前下がりとなります。これはこれで、経験的にトーインを減少させる効果になっています。

次の画像がコイルスプリングです。グリーン (有効巻数:5.75) が昨年から使用、オレンジ (同:6.5) の今回使用するものです。スペーサ:1センチ分の補正且つキャンバーを若干減らすための組み合わせです。実はこの構成、初めての試みです。リバウンドストラップはここの見えるものでなく、使用中のものです。その理由は伸びきった際になるべくキャンバーゼロにすべく調整した使用中のものがベストと考えた結果です。

と、いうことで、185/60R14のタイヤも無事入り、全体の姿が以下です。コイルスプリングの関係で目論みの1センチよりは高いが、取り敢えず、これで良しとしましょう。

2022.4.17:ルーチン - エンジンオイル交換

基本的にオイル交換は6ヶ月毎にしています。これは、旧車のコンテッサ に限らず、現代車のルノー・メガーヌ も同様であり、長年の正にルーチンであります。
これは走行距離も関係ありません。今回、コンテッサは諸般の事情で300km余りでした。また、フィルターは、12ヶ月、すなわち1年のインターバルとしています。
さてオイルの銘柄は、このコンテッサの場合、これも長年同じ、古典的なバルボリン・レーシングです。1970年代から変化する事なく、律儀な付き合いです。

ドレインプラグの脱着には、上の画像の中の上のロータリー式のものを使用しています。もう40年くらい前に米国で購入したもので、航空機の整備用とかでした。今ではモノタロウでももっと便利で小型のものが販売されています。また、最終的な締め付けには必ずトルクレンチで3kg (ちょっと多めかな) としています。素人が故のリスクを避けてのトルクレンチの使用です。
今回は下の画像のようにスロープを利用してみました。ジャッキいらずで便利のものだと理解しました。次の日曜日はビ筑の第二戦、楽しみです。

2022.4.15:AUTOMOBILE COUNCIL 2022 (オートモビル カウンシル)
今年も縁あって幕張メッセでの「オートモビル カウンシル」、見学することができました。ここまで皆勤、色々と変化も目についてきます!

今年のテーマは、当初は欧州のレースで活躍した車だったような記憶があります。しかし、実際に現場でそのような雰囲気が感じられません。記憶が違っているのかも知れません。
また、ここ数年、残念がら継続的に縮小化の方向なのか、今年は、特にメーカーブース、ホンダとマツダはいらしたものの、日産やトヨタはあまり目に入りません。この辺、販売促進のような展示の業者と違って、クルマ文化を表現していただけるメーカーが少数だというのも寂しい限りです。
さて、例年のように自分が感じたトップ3、独断と偏見で挙げてみましょう。
ナンバー1:ホンダシビック 1972年型
初代の1,200cc車、日本はもちろん、世界、特に米国で普及した日本初のベーシックカーだと思います。今年はちょうど、50年目であり、50th Anniversry CIVICと共に「50」を強調して大々的な展示でした。
すばらしいですね、CONGRATURATIONS!
50年後の現行CIVICは、ボディもパワープラントとも大分マッシブ且つ豪華になっていて個人的にはシビックとしてオーバースペックで寂しい限りです。世界の潮流なのでしょうが、いつかは原点回帰したCIVICを見たいものです。

ナンバー2:ホンダシビック (フジGCマイナーツーリング仕様車」
初代のシビック、1978年から1983年までGCシリーズで活躍した個体だそうです。エンジンのスペックを見ると、水冷4ストローク 直列4気筒 OHC 2バルブ ベルト駆動 1,298cc 最高出力:150PS/7,800rpm、車重は600kgとか。パワーウェイトレシオ:4kg/PSと恐るべきものです。ちょうど、コンテッサ1300の標準車の4倍です!

ナンバー3:マツダコスモスポーツ、マラソン・デ・ラ・ルート出走車 (レプリカ)
1968年 ニュルブルクリンクのマラソン・デ・ラ・ルートの84時間の過酷に競技にロータリーエンジン (10A) で挑んだそうです。1周23kmのトラックを84時間、7855kmを完走、総合4位だったそうです。
すごいですね、これは快挙だとしか言いようがありません。
残念ながら当時の個体は存在しないそうです。このレプリカは1980年ごろにマツダ社内で製作されたそうです。結構、気合が入った作りで、画像に見えるスチールホイールも肉厚、スタッドボルトも一回り厚い/太いような感じ、つまり強化型なのだと思います。また、シェルなどのステッカー類jも今のようにCG&カラー印刷はなかったので、デザイナーとステッカー業者が苦労して再現したそうです。
実はここで、上記の3車、大きな共通点があります。それはホイールが極めて特殊な日野コンテッサと同様なPCD120だということです。ただそれだけです。奇遇?でしょう!ホンダ車は、日野コンテッサ関係のトップエンジニがホンダに移籍したいう証でもあります。もちろん、シビックの初期のエンジンにもその片鱗が伺えます。面白いですね、歴史の紐解きは。
この個体は地元の広島市交通科学館に寄贈されたとのことです。

特別賞
以上が独断と偏見のトップ3、そして今年は、特別賞、以下のホンダブースの横にあまり照明もあたらず、ひっそりと、あるいは控えめに展示されていた、あの超有名な「F1 ありがとう」号です。Red Bull Racing Honda RB16B、トルコGPスペシャルカラーだそうです。2021年の世界選手権参戦車両です。
これこそが文化を謳い文句にするオートモビル カウンシルにふさわしい車両でしょう。

今回は、ホンダとマツダの両社はクルマ文化のお手本のようなブースを設けました。これこそが本物の絵画をみるようなすばらしい演出だったと感じます。今後もこのようなテーマをもって継続いただけたらと思うものです。
そして、ここで付録、蛇足です。以下の画像はメーカーではなく、販社の展示の車両ではなくプライスタグを集めてみました。NAロードスターが600万、スバル360が1,500万!... どうも数字の意味が飲み込めなくて往生しました。頭の一桁が見えない、あるいは一桁違う!と、つまるところどうもこちらが単なる浦島太郎さん状態となりました。
しかし、これが現実なのか、そう思うと、プログラムの案内にある「乗り継ぐ誇り、乗りかえる愉しみ」、これが現実に享受できるお方はどのような皆さんのでしょうか?ホンの一握り、0.1%ぐらい?まっ、そこで回して貰えばいい事、なんてことでしょうか!?ボクにとってはこれは別世界です。

さらに世の中は変わったものです。ついでにもう一つ、CG Clubのブース、例年、そこのある歴代の表紙のパネル、これ結構、見るのを楽しみしていました (過去形!) 。何故か、今年のそれは、1970年代以降しか無く、自分の原点の60年台はありません。昔あった「明治は遠くなりにけり」のごとく、我々の時代は捨て去られたようです。これは、もうCGの原点を自らを葬ったようです!残念ながら!

以上のようですが、今回も色々、貴重なことが勉強できました。マツダのブースでは約1時間半、ヨコハマタイヤでは30分もお話しさせていただきました。午後2時に入って4時半過ぎに会場を出ましたので、多くの時間が両社のブースで油を売っていた訳です。でもそれは決して無駄話ではなかったと、これがオートモビル カウンシルだけが出来る場所なんだと考えています。
2022.4.2:日野 GR100エンジンの遠心ガバナー進角度 (その3)

前回 (2022.3.31:日野 GR100エンジンの遠心ガバナー進角度 (その2)) では、ディストリビュータ のガバナー進角について、日野コンテッサ1300のそれて、当時の似たような小型エンジンの比較をしました。
確かに、確かにコンテッサ1300のガバナーの進角は小さく、幅も狭いということが明らかになりました。そこで、もう少し、理解を深めるために、エンジン回転数との関係を理解したく、下に示すようなグラフを創ってみました。ここでは、日野コンテッサ1300、空冷VWとそのエンジンの高性能化したPorsch 356、70年代のBMW 316、さらに自分も所有したホンダシティ (E-AA) をピックアップしてみました。
ここで見えたことは以下のようです:
(1)日野コンテッサ 1300と空冷VWは、ホボ同じようなカーブです。ただ、空冷VWの方がアイドル時、すなわち始動時の新角度は低いようです。ある意味では始動がし易いのかなと思います。この設定はリスクフリーなのでしょうか、つまり空冷VWの世界中至るところでの使用環境を考えたものかも知れません。日野コンテッサ 1300も同じ戦略?、これはどうでしょうか?
(2)すごいと思ったのは、空冷VWとPorsch 356、同じ型式のエンジン、Porsch 356は随所にアップグレードしたというのは事実ですが、進角度についてはあまり知られてないようです。それがこんなにも違うのかと、始動時は5°、そしてすぐに立ち上がり、1400rpmで20°と、3000rpm以降は理想の35°!これこそが German魂のチューンアップなのでしょうか!鋭いピックアップ、そしてレスポンスの秘密はここにありそうです。
(3)そして驚いたのがホンダシティ "R" です。解せないというのか、驚愕はイニシャル、すなわちアイドルが25°!そして2000rpmでが33°、そしてトップエンドの5000rpmでが46°、信じられないのですが整備書がそうなのです。結果的にこれもありかと感じるものです。1200cc、90mmの超ロングストローク!なるほど、これが0-400m、ホンダS600並の18.1秒を叩き出す秘密なんでしょうか!?
(4)そして、もう一つ、面白いと感じたのが、BMW 316、何の変哲もない4気筒の1600ccエンジンです。それがアイドルでは8°程度、2000rpmでは28°、その後、4500rpmでは44°、何か危険さも感じるほどのカーブです。でもこの辺が平凡そうに見えるエンジンがFun to Driveになる秘密なのか知れません。
これで、いろいろなものが現実なものとして見えて来ました。この先が楽しみです!

2022.3 弥生 (やよい)
2022.3.31:日野 GR100エンジンの遠心ガバナー進角度 (その2)

先の1月に、2022.1.20:日野 GR100エンジンの遠心ガバナー進角度に書いたように、日野コンテッサ1300 GR100のディストリビュータ の遠心ガバナーの疑問です。
つまり、高回転域で定説の36°と言う進角へのコンテッサ の対応です。また、これまた、一般に言われている、エンジンの始動が可能は進角に設定する、それは10°以下だということです。
コンテッサはどうでしょうか?
その後、検証のために、いろいろ、似たような当時の4気筒エンジンのリサーチをして以下のようなことが判明しました (抜粋):
- 日野コンテッサ1300 (DENSO 29100-063-1)
- 開始 (ガバナーの動作開始):0° at 1000 ~ 1400 rpm
- 中間 (セカンダリースプリング動作開始):2.5 ~ 4.5° at 1800 rpm
- 最大 (これ以上は無しの最大進角):10 ~ 12° at 3800 rpm
- 推定最大進角 (アイドル時のイニシャル進角を加えた):セダンは、22°、クーペは、28°
- VW 1302 & Super Beetle 1600 (Boche113 905 205 AM)
- 開始:0° at 1000 ~ 1200 rpm
- 中間:12 ~ 16° at 2200rpm
- 最大:22 ~ 25° at 3800 rpm
- 推定最大進角:31°
- PORSCHE 912 (Boche)
- 開始:0° at 700 ~ 900 rpm
- 中間:12 ~ 18° at 1400rpm
- 最大:27 ~ 33° at 3100 rpm
- 推定最大進角:35°
- Mini Cooper S 1275 (Lucas 23D4)
- 開始:0° at 650 rpm
- 中間:12° at 1200rpm
- 最大:30° at 5000 rpm
- 推定最大進角:36°
- BMW 316 (1975 -1982) 以下は、イニシャルの進角を加味した進角 (ガバナー単体での最大進角:36°)
- 開始:8 ~ 14° at 1000 rpm
- 中間:25° at 2000rpm
- 最大:40 ~ 46° at 4500 rpm
これを見れば、確かにコンテッサ1300のガバナーの進角は小さく、幅も狭いということになります。また、アイドルの進角、特にクーペは異常のごとく高いものになっています。それに比べて、コンテッサ 以外の車両の定説である35 ~ 36°であること、また始動時の設定が10°以下であることが明確です。中間点の進角についてはそれぞれの設計者の考え方あるいは車両の味付け、カムのプロファイルその他諸々含めた包括的な要素の結果であることは間違いありません。
これが良いのか、悪いのか、議論が必要です。また、日野自動車の当時のエンジン設計者は、GR100エンジンにどのような性格を望んでいたのでしょうか?
2022.3.27:桜、あっと言う間に全開か!

松戸ナンバーにも描かれているように、松戸市のシンボルは、画像にあるように、矢切の渡し、本土寺のあじさい (右下) そして常盤平の桜 (左上) です。
昨日の天気予報の桜情報は東京は本日、3月27日 (日) に開花 (満開?) と言っておりました。
二日前、何時ものウォーキングコースもまだ開花していませんでした。
しかしどうでしょうか、同じところを昼前に歩いてみると以下のような状況になっていました:

桜というものは、あっと言う間に開花するようです。素晴らしいですね。昨晩の雨風の後に一気に花開いたのでしょう。
そこで、数ブロック先の卒業した小学校の桜をチェック、BINGO!、実に見事の開花ぶりです。早速、コンテッサを出して画像に収めました。近所の方が来られ、昨日は咲いてなかったとか、やはりこちらも昨晩の雨風を我慢して、今朝、開花したようです。
やはり、桜って良いですね、日本人の心の原点なんでしょう!

2022.3.26:古の知恵 - ショックアブソーバーの支点

最近、LINEつながりの友人のIntermeccanica 356のオーナーさんとKONIのショックが話題になりました。
その彼は最近、ビルシュタインのガスショックからKONIのスペシャルDのオイルショックに替えたそうです。国内のVW系専門店から購入したそのフロント用がKONI 80-2275だったそうです。
エッ、2275!即座にピンと閃き、それは我がコンテッサにも適用してきたものです (参考:ショック・アブソーバ - 実践編) 。冒頭の画像がそれです。
それは、今では日本で入手困難ないすゞジェミニ PF60のフロント用に販売されたものです。欧州では同型のオペル/GM車用として今でもネットで検索でき、多くのところで在庫しているようです。
おそらく国内のVW系専門店は、伸ばし/縮めた際の寸法が合うので販売しているのではと推測するものです。この2275がVW系 (ローダウン) に適切な減衰力かは別として、今回、話題にしたのはショックアブサーバーの下側とシャシーの位置関係です。
教則本 Advanced Race Car Suspension Development (By Steve Smith) を理解すれば、図のように出来る限りボールジョイント、つまりスプリングなど荷重を受ける部分にショックアブサーバーの支点を結合するということになります。さもないと、様々な問題 (バイブレーションなど) が発生するそうです。


では、我がコンテッサはどうなっているかということです。右の画像はサムライ・コンテッサのリヤサスであり、ショックアブソーバー下部取り付け部は1インチ (25mm) 程度、外側にずらしています。
その理由は正に上記の適切な支点の場所であり、スプリングの中心と一致するようにスペーサーが入れられています。これはBREに改造された数多くの中の一つです。
なるほど、すごいですね、コンテッサごときでも米国のレーシングチームはこのようなことをしているとは!話に聞けば、このような教則本に忠実でない部分は、日野自動車からコンテッサを受け取って、その実車をチェックしてすぐに修正、それも最初の数週間の出来事だったようです。
今回のKONI 80-2275の談義でこのようなことを改めてレビューしました。BREが進めたこのような教則本に忠実でない部分についてほとんどがその後のコンテッサ には反映されていません。残念なことですが、55年以上前の「古」であります。
2022.3.20:週末の作業
DAY 1 (土曜日) :

我がコンテツ、ボンネットやルーフなど上向き方向のボデーの表面を触ると結構、ざらついています。これはいけない、もうかなりの間、ケアをしてない、ワックス (固形) もおそらく1年半くらいはサボっています。
早速、タオルで表面をクリーンアップして、手持ちのSoft 99、かなり硬くなっており、ヒーターで柔らかくして、ワックスがけをしました。画像ではわかりませんが、やはり、綺麗になったは良いなと、どこかにドライブしたい気分になるのは不思議なものです。
DAY2 (日曜日)
静かなマフラーも良いですが、抜けの良いものにと、禁断症状みたいなものでしょうか、昔、使用していたMONZA (80年代のPACESETTER社製) マフラーに換えました。
このMONZAマフラー、40年前くらいに購入、完全なビンテージ、しかしスチール製です。やはり音が温かくて好印象です。

2022.3.6:ルーチン作業 -下回りチェック&クリーンアップ

先週のビ筑 2022年シリーズの初戦から1週間、この日はいつもの様に下回りのチェックとクリーンアップです。寒い冬から抜けて年寄りには大分作業環境の良い陽気になって参りました。
当日は雨も無かったので下回りは汚れを拭く程度で実に楽な作業でした。何時もの様にボルト類には液体シールド (Fluid Film) を軽く施しました。よくあるプラシーボではありません。何時迄もボルト類のオリジナルなメッキの光沢を保っています。
今回、久しぶりに ”Bcak to the Compu-Fire DIS” にあるようでオールドスクールから脱して、ついてにタイミングも変えた訳で、再度、タイミングをしっかりと点検しました。ついではInnova 5568 タイミングライトのワイヤ類の取り回し面倒で邪魔だったドエル測定用のワイヤをターミナルを介して切り離しました。これで際行政が向上します。
なんだかんだで、1日の時間は短く、あっと言う間に午後の時間になってしまいました。

2022.2 如月 (きさらぎ)
2022.2.27:ビ筑 (ビギナーズジムカーナ in 筑波) 2022年シリーズ 第1戦

2016年以来、7年目になるビ筑の開幕戦です。今年も状況が許す限り懲りずに参戦する所存です。
我がコンテツ、一昨年の後半あたりから不具合に甘んじております。つまるところ自分の問題解決能力不足以外ありません。この日は、「Back to the Compu-Fire DIS」にあるようにイグニション システムをオールドスクールから自分として本来の形に戻しました。プラグは保守的にBP-6ES11,ギャップは1.1mm。タイミングが今回のテスト項目としていつもより5度ほど進めました。ただこれは公道向きではありません。その他、タイヤは競技向けでないミシュランのエネジーセーバー (175/70R14) 、エア圧は経験的にF=2.0 R=2.8としました。
参加すべき否や、大いに自問自答してましたが、走ってみれば、悪い癖でそんなものが吹っ飛んで、入賞はもちろん無いですが「ああ、よかった」だけです。コンテツも今回は相変わらずパワー不足ですが頑張ってくれました。また、Zummyさんの画像も綺麗に撮れてました:

以下は、走行画像です。何時もの録画をいただく友人たちに感謝です:
2022. 2.25:Back to the Compu-Fire DIS

今日は久しぶりに暖かい日になりました。午前中、仕事のネットミーティングなどを済ませ、この春のような陽気は実に貴重です。愛機コンテッサの点火系、昨年来のオールドスクールをここのところ準備していたMSDワイヤー に換えたCompu-Fire DISに戻しました。
作業自体は1時間もかからないのですが、始動がもたつきました。2013年の取り付けの際のやっつけ仕事のせいで、ディスビューのシャフトの角度を変えねばなりません。当初、間違えて90度シフトしました。もちろんグイグイと言うだけで始動しません。つまり点火時期が早すぎた設定です。そうです、90度シフトではなく、45度なのだと、気を取り直して始動、もちろん一発始動です。
まだ、走ってないのでMSDの効果も未知数です。明日、フロント下回りのチェック&クリーンアップをした後に試したいと思います。楽しみです!
いずれにしろ、エンジンルーム、この方が眺めがすっきりしています。自画自賛ですが。。。

2022.2.23:MSDイグニション ワイヤの制作
本日は祭日であります。天皇誕生日を祝うかのように朝の空は高く澄んだ碧空でした。

今日は晴れると予報があり、フロントの下回りのチェック&クリーンアップを目論んでましたが以外の他、重たい冷気であり、その作業は暖かそうは土曜日に変更し、先延ばしになっていた別な作業をすることにしました。
それはCompu-Fire DISイグニション (俗に言う、同時点火) 用のワイヤを制作することにしました。
本来、空冷VW用のものですが、日野コンテッサ1300のデンソー製ディストリビュータは、設計のルーツを辿ると、ドイツにボッシュに行き着きます。そんな訳で少々の工夫でVWのそれはコンテッサに流用可能となります。
オリジナルのワイヤも悪くないのですが、極限の抵抗値と作りの良さであるMSDのスーパーコンダクターにしました。オールドスクールのワイヤも以前、製作して目下、使用中です。それはそれで、やはりエネルギーは多い、DISイグニションに戻したいと言うことです
さて、数時間の作業で以下の画像のようはワイヤーは完成しました。それぞれの抵抗値は記述の通りです。長さに比例して、当然のことですが抵抗値が増加しました。でも、せいぜい140オーム程度です。さすが、MSDです!
さて、今回、作業に当たって二つ、問題がありました。
その1:MSD製の簡易専用カシメ工具、樹脂製です。今回、最後の1本の作業で割れました!前回から、都合、8本目の作業です。と、言うことはMSDらしくV8:8気筒エンジンのワイヤの制作がおおよその寿命なんでしょうか?マッ、使い方の問題もあるでしょう。
その2:最初の1本目が失敗しました。抵抗値を測ると300オーム台、大きすぎる!何が問題かを調べると、カシメルために折り曲げるのですが、どうもそこで断線したようです。要注意です。MSDの作業手順にあるように作った後、必ず抵抗値を測れ!と、それは正解です。
まずは4本完成、週末のテストが楽しみです!

2022.2.19:人車共OH中 - ルーチン作業

ここのところ、エンジンの不調さやその他も問題で中々進んでいないルーチン作業です。寒い中ではありますが、春に向かって冬眠から覚めた様に活動を開始ました。ビ筑の開幕戦も来週です。何とか、走りたいと思います。
リアの下部の補修もここ2ヶ月くらい進んでおらず、地肌を出した部分もサビが心配です。幸いなことに処理はしてあるのでサビを呼ぶことはない様ですが、兎にも角にもサフェーサだけは入れることにしました。

先般購入したロックペイントのフラサフグレーを早速使いました。やはり、ホームセンターなどのものよりは優れていると感じました。プラシーボではありません。確かにコメントなどに書かれている様に薄い皮膜はその様ですが、滑らかな仕上がりになります。この先が楽しみです。
そして、懸案事項のフロントマスクの不注意により損傷です。しかも、厄介なことに構造的に手の届きにくい部位です。取り敢えず、数センチ凹んだ大きな凸も何とか修復しました。取り敢えず、タッチペイントなどで白やオレンジを入れごまかし状態です。よくある戦歴の名残りの様です。

暮れからここまでに週末に少しずつ作業、その間に以下の画像の様な特殊専用工具が開発されました。鈑金用のハンマーを購入しようと考えましたが、直に叩くことはないので木片やローラーとそれを叩く一般の手持ちのハンマーだけの作業に終始しました。この先、暖かくなったら塗装を剥がし、ディテールの作業を目論んでいます。つまり、あくまでパテなし鈑金と言うことです。

そして、今月末のビ筑の今シーズンの初戦に向けても準備の下回りのチェックとクリーンアップです。まだまだ、やることが多く残っているは頭の痛いものですが。。。

2022.2.12:リチウムイオンバッテリー、導入2年を経て

リチウムイオンバッテリー (Shairai Battery - LFX36A3-BS12, 36A CCA=540A) この2月で丁度2年を経ました。1年目もリポートしましたが、2年目についてもリポートしましょう。
始動状態も何の問題もなく実に良好です。実は、昨年の6月から我が家のガレージの立ち位置が劇的に変わり、それまで屋内ガレージに鎮座していたコンテッサですが、屋外のカーポートに一時的 (と、言っても長期) にボデーカバーと共に保管しております。
その様な訳で、暑い夏、寒い冬と厳しい環境にさらしております。また、屋内の時は、専用充電器のバッテリー保管モードで管理をしておりましたが、それも今はしていません。そんな意味で、より一般的な環境で使用となっております。
さて、そんな中でどうかと言うと、すこぶる強力な始動状態です。以前のVARTAで強力でしたが、始動に関してはそれを遥かに超えると感じております。
ここ3週間、始動して無かった状態での状況です。このまま、3年目を迎えることを祈るものです。また、以前は予備に保管していたVARTAも処分しました。
2022.2.15:本日のデリバリー、ロックペイントのプラサフグレー

この日の夕刻にチャイムが鳴り、宅配便が届きました。
それは朝方、Amazonで購入手続きをしたロックペイントのフラサフグレーが何と8時間くらいを経てデリバリーされました。翌日にはデリバリーされると目論んだ物です。
この速さは何なんだろうか?と、ちょっと疑問符が!それほどにしなくてもと思うもは自分だけでしょうか?
実はフラサフグレーはウレタンの2液性をシンナーなど含めて1L購入済みです。でもこの寒い容器には手間のかかることはしたくないと、ある一部分の処理なのでスプレー缶に急遽しました。
このロックペイントのフラサフグレーは缶にも既述のように業務用のもののようです。内容も420mlとかなり多めです。しかし、ホームセンターでは販売されてません。ホームセンターのものも使用過程のものがありますが、結構、時間を経てるので新たに購入した訳です。
週末が楽しみです。温度がある程度あると良いのですが。。。

2022.1 睦月 (むつき)
2022.1.28:松戸メガーヌ号誕生

所謂、『地方版図柄入りナンバー」です。松戸は後発で2020年5月から、公布が開始されました。以前から、筑波のジムカーナの場でも、人気があるとお話を聞いており、薦めらてもいました。そこでルノー・メガーヌを申請し、この日に野田の陸運局でナンバー変更してまいりました。
久しぶりの陸運局、そう言えば、このルノーの名義変更、何年か前以来です。その際は販売の仲介をいただいたクルマ屋さんが予備検査を受け、自分の管轄の野田陸運局への提出書類は全部作成されていました。今回は、OCRシートなど含めて、ネットをチェックし、自分で作成し、陸運局での一連のプロセスを済ませました。やはり、緊張を久しぶりに体験しました。
改めて松戸市の市の図柄入りナンバーをチェックしてみると、なんと後発の2020年5月開始の全国17地域の中で最多の登録車数だそうです。どうも図柄、桜と矢切れの渡し (テーマが松戸の風景) が人気みたいです。なるほど、そうだったのかと、自分も大変気にっています!
さて、番号:46-69、これは引継ぎました。これは何なんでしょう!実が前のルノーも同じ番号にしていました。その内にお話ししましょう。では、コンテッサもこれに?と、思うものの、やはり旧い習志野ナンバーなので大切にしましょう!

2022.1.20:日野 GR100エンジンの遠心ガバナー進角度

この画像は日野 GR100エンジンのディストリビュータです。そして表題の遠心ガバナーはポイント取り付けのベースの下に位置しています。
そしてのその進角度は、日野の整備マニュアルなどによれば下の画像の様になっています。そこにある値は、その記述から横軸の「毎分回転数」は、ディストリビュータの回転数、つまりクランクの回転数ではその2倍となると理解しまし。そして縦軸の進角度はクランク角度ということなので、一般のこの種の表示のディストリビュータ の角度ではないことと理解します。
実はこれをちゃんと理解するのに実に長い時間がかかりました。いずれにしろ、整備解説書を信用することにしましょう。つまり、日野のそれは、縦軸はクランクの角度であると推測します。


ということは、GR100エンジンの新角度は非常に小さく、3,800rpm以上の出力が必要となる部分でもせいぜい10〜12度でしかありません。おそらくこれには設計の裏付けがあるのでしょう。しかし、それを知るにはあまりにも旧い時代の話となります。
で、よく考えると見えてくるのが、スタティックではないアイドル状態:650〜700rpmも進角度が大きな16〜18度 (セダンは10〜12度) と言う理由が理解できます。つまり、3,800rpm以上の回転域では一般的に理想の35度程度はないものの28度程度 (セダンでは22度以下) になると言うことです。
コンテッサクーぺ (SUキャブ) が寒い時期にエンジンがかかりづらいという問題もこのアイドリングの進角度の16〜18度の大きさに起因すると長年考えています。10度前後にすると一発です。それとそれとして再度、これまた何故、こんな設計なんでしょうか!
そこで、似た様なエンジンの遠心ガバナー進角度の表を作って見ました。ルーカスのミニなどの23D/45D、ルノーR8など比較して見ました。実は他にも色々比較したのですが、どう言う訳か、日野だけが遠心ガバナー進角度が考え方が違うと言うか特異な設計なのではないかと目下、大いなる疑問を感じております。
つまり、どの様な走りの特性を考えたと言うことです。少なくとも当時の欧州各社は同じエンジンでの用途に合わせて、遠心ガバナー進角度をきめ細かに決めていたからです。日野のそれはセダンだろうが、スポーティクーペであろうが、はたまたトラック (トヨタブリスカも全く同じ) であろうが同じだったのです。この問題は現物検証も含めてさらに続けましょう!

2022.1.14:ジャン・レデレ (Jean Rédélé) さんの生誕100年のルノー・アルピーヌ・イベント

数日前、FaceBookで参加しているグループ:ルノー・アルピーヌのCRAGI - Club Renault Alpine Gordini Italiaの案内に次のようなメッセージがありました。
それは今年の5月17日がルノー・アルピーヌの立役者、ジャン・レデレ (Jean Rédélé) さんの生誕100年になる訳です。イタリアでも日野コンテッサ1300をデザインしたミケロッティさんの生誕:100年を記念してのイベントが開催されています。ポイントは、両氏 (あるいは両社) はクルマの制作にコラボレーションしたことです。また、日野自動車のコンテッサにとっても切っても切れない赤い糸があることです。
案内によれば、’アソシエーション・デ・アンシエンス・ダルパイン(AAA)、クラブ・アルパイン・ディエップ(CAD)、CAUDクラブ・アルパイン・ファクトリー・ディエップがこの機会に団結し、氏の生誕記念日を組織し、アルパインのすべての所有者を集めてディエップ市のウォーターフロントでの大規模な集会を以下のように計画しているとのことです (抄訳) 。
- 日時:5月28日土曜日と5月29日日曜日
- タイトル:「JeanRédéléの100年間の1000のALPINE (1000 ALPINE pour les 100 ans de Jean Rédélé) 」
- プログラムの内容:
- 神話のALPINEとJeanRédéléの偉大なる作品の展示 (Exposition d’ALPINE mythiques et d’objets souvenir Jean Rédélé)
- トリビュートイブニング (Soirée hommage)
- JeanRédéléさん石碑での記念式典 (Commémoration à la stèle Jean Rédélé)
- ディエップのパレード (Parade dans Dieppe)
グーグルで検索すると、Exposition d’ALPINE mythiques et d’objets souvenir Jean Rédélé で様々な画像を見ることできます。
『JeanRédéléさん石碑での記念式典』とはこの場所を言っているのでしょうか?ディエップの市内に入る際のラウンドアバウトで迎えてくれるジャン・レデレさんです。ディエップにとって、氏が如何に偉大なのか感じされる瞬間でもあります。
今年の5月はディエップのこのイベントに注目したいと思います。
以下の画像は、冒頭の表紙のように、『Alpine : Des hommes : Des voitures (アルピーヌ、男たちとクルマたち) 』の中の冒頭のページです。ディエップのアルピーヌに関わったと面々とクルマたちを特集した貴重な内容です。
ボクにとって、この書籍が重要なことは、その中に、日野自動車に関する記述が合計で3ページもあることです。これは別途、紹介しましょう。


Chateau Musee de Dieppe (シャトーミュゼドディエップ) から見るディエップの街並み、
奥のグリーンのエリア:ウォーターフロントでこのイベントが行われるのかな?

我が家のアルピーヌ (系) ガレージ、久しぶりに棚から出したら結構汚れていた!
自分のお気に入りは、ここには無い『A310 1600』だ。
2022.1.9:日野 GR100 エンジン#334959

日野コンテッサのGR100エンジン、ブロックに334959を刻印された個体には興味深いのが多くあります。
このエンジン番号:334959は、セダン向けのですが、基本的にブロック自体はセダンもパワーアップしたクーペ用も全く同じモノです。クルマに搭載する際の補機類の差だけとなります。頭の3で始まる55馬力のセダン向けか1で始まる65馬力のクーペ向けかであります。つまり、334959はセダン向け、そしてシリアル番号:34959となります。
このエンジンの腰下をチェックすると以下の画像様な興味深い内容が詰まっています。クランクやコンロッドはポリッシュしたものが組み込んであります。航空機のそれの様であり、また、雲の上のホンダS6/8のエンジンの様の光景です。

このエンジンは1970年代の半ば、友人が都内の中野区の方から購入 (5万円だったとか?) したものです。下の「ドライバー誌」の右の画像にある「新品エンジン」そのものでした。本来はコンテッサクーペのスペアパーツと売り出されていたものを無理を言って、大枚の上積みをして入手したとのことです。
さてこのエンジン、友人が当時所有していた「デル・ダンディ・ツーリング」に搭載しました。そのエンジンで箱根のターンパイクの10%の登りをトップギアで走ったのは今でも記憶しています。このエンジンは75mmピストンが組み込まれていたせいなのかもしれません。カムはノーマルなので返って低速トルクがあったのでしょう。
この様なエンジンとは知らず、友人の「デル・ダンディ・ツーリング」は80年代に自分のものになり、スポーツキットのヘッドに換装したりして、大いにスムーズさとパワーと普通ではないフェラーリの様なサウンドを楽しみました。しかし、当時は中味がこんな素晴らしいものは知りませんでした。
ある時期にオイルパンを外した際に驚嘆したものです。「デル・ダンディ・ツーリング」を手放す際もこのエンジンは手元に残しました。それから約20年、ここに来てチェックをしています。いつの日か、自分がわかっている欠点を修正して再度、走らせて見たいと思います。
最後に、この#334959、履歴を辿ってみると、日野自動車内部にあったことが判明しました。と、いうことは誰がこんなクランク、コンロッドを造ったのか!?考えるだけで楽しくなります。

2022.1.8:トリノ国立自動車博物館、ミケロッティの世界、開催延長へと

本サイトのBlog (8月5日) の「天才カー・スタイリスト、ジョバンニ・ミケロッティさんに関する書籍」に書いた、イタリアのMuseo Nazionale dell’Automobile di Torino (MAUTO、トリノ国立自動車博物館) ”の特別展、MICHELOTTI WORLD. 1921-2021 One hundred years of a designer without borders (抄訳:ミケロッティの世界、 1921-2021、国境無きデザイナーの100年) " 、1月9日閉幕でしたが、2月20日まで拡張するようです。これは朗報です!
日野コンテッサ1300をデザインしたミケロッティさん、生誕:100年を記念してのイベント、各種メディアを見ますとカー・スタイリスト、ミケロッティさんの偉業を称えております。
なにしろ2,000とも3,000とも言われる多くのデザイン、あのクルマも、このクルマも、といったような具合です。日本では多く知られたBMW2002、アルピーヌA110、なにしろシリーズものも多くあるし、またメーカーとの契約で当時、公けにされなかったもの多々あるようです。
このイベント開催に際して、トリノ国立自動車博物館から日野自動車にも出展協力の要請があり、コンテッサ1300クーペの原画2点 (以下にその参考画像) が貸与されたようです。インタビューなどでは美術品のように厳重な木箱に入れられて送られて来たと、日野自動車への謝辞を述べていました。

若々しさを否応なく感ずるミケロッティ自筆のコンテッサ1300クーペのイメージ・スケッチ。
自筆のサインと共に日付が12/18/61とある。

コンテッサ1300クーペのイメージ・スケッチ、ブルーのボデーにホワイトのルーフ!
日野自動車保有のコンテッサ900スプリントやコンテッサ1300の実車の貸与について、メインの要望として博物館から日野自動車に打診があったものの、最終合意には至らなかったようです。会場の展示車の個体は実に貴重なものを見受けます。また、展示に際して、世界中の愛好者や企業から献身的な申し出があったとお聴きしております。この場に、世界の名だたるクルマと共に日野コンテッサもあったらと思った次第です。
日野コンテッサのファンとしては、博物館に参上して、現場の雰囲気を感じたかったと思うものの、それは一個人にとって叶わぬ夢であります。博物館のホームページやネットの情報で楽しませていただきました。
プレスカンファレンスの画像は以下のようにに、公開されています:
以下は、参考までにMAUTOのサイトからの抜粋画像です。(詳細はMAUTOのサイトを参照下さい) :




2022.1.5:新しい年を迎えて思う - Simple is Best!

最近、ビジネス上の課題について、コトの複雑さ (あるいは複雑にしたがる傾向) について以前に執筆した資料の問い合わせがあり、年始年末で時間的余裕があり、その中の肝となる "Simple (単純さ) " というものを再度考えてみました。
執筆した資料に中では、Apple社のスティーブジョブズの "それは私のマントラ (真言) の1つであり、つまりフォーカスすることとシンプルであることです。シンプルなものは複雑なものよりも難しい場合があり、すなわちシンプルにするには、考えを整理するための努力が必要です。しかし、いったんそこに達すれば、山を動かすことができるので、結局それは価値があるのです”、そして、イタリアの博識家、レオナルド・ダ・ヴィンチは "Simplicity is the ultimate sophistication (シンプルさこそが究極の洗練である)" など引き合いに出しました。
これらは複雑なものを克服した結果としてそのような言葉になったものと同感するものです。そして、12月の暮れ、有名な音楽家のショパンも同様な言葉を残してることを学びました。それは、
“Simplicity is the highest goal, achievable when you have overcome all difficulties. It is simplicity...” 「単純さは最も高い目標であり、すべての困難を克服したときに達成可能です。....」
おそらくこれは、例えば、ピアノなど練習に練習を重ねてすべてを学んだ結果なんだと理解します。競技スポーツ選手も同様であらゆる引き出しを持つために訓練に練習を重ね。本番に勝負では、如何なる場面でも体が自動的に反応して、戦えることとなるのだと思います。
素晴らしいですね。人間、いつになっても、精進が必要だと、それも "Simple (単純さ) " を目指してと、自問自答をしております。趣味としてのジムカーナもまったく同じ、普段のクルマいじりもディスクでの思考作業も全く同じと考えます。何事も鍛錬あっての結果しかないのです。
しかし、最終的には、現実論として、理論物理学者のアルバート・アインシュタインは、"ものごとは出来得る限りシンプルにすべきだが、シンプルすぎてもいけない。" と最高の言葉を残しています。これは疑いの余地もありませんが、いずれせよ、シンプルなのが最善であります。
本年も日野コンテッサ1300クーペ共々よろしくお願い申し上げます。

2021.12 師走 (しわす)
2021.12.31:2021年の暮れの三日間
DAY1 - ガレージの整理 (12月29日)
ここ半年、ガラクタが襲来して以来を経てるエンジンパーツなど、今後必要なものと使い古しの使う予定のないもとに分別しました。最大の問題は作業場賞は、どう作業場所を回復させるかです。

その結果、約2.5平米程度のところに作業場所が確保できました。ここにエンジンスタンドや溶接機を設置し、これで懸案のエンジン制作が半年ぶり (2021.5.8:人車共OH中 - エンジン加工 第一弾 完了!) に再開できそうです。と、なると、いろいろと新たなアイデアが、そう、ヘッドはまだ未着手なのでどうするかの選択肢の決定&段取りが脳味噌に中に組み立てが出来てまいました。この先、楽しみです。

DAY2 - 家事&整理 (12月30日)
まずは何十年も保存してきた写真アルバム、どうせ見ない、必要なものはパソコンに入れてあると一気にすべて棄てることとなりました。これで結婚式関係を除いてアルバムは無くなりました。そしてもう一つはもう長らく見てない大量のVHSのビデオです。ほとんどがクルマ関係で米国の本屋で購入したものばかりです。昔のFORDのレースとかホットロッドの歴史とか、ある意味では貴重と思うものの、それを思ってはいけないと一気に捨てました。これもほんとうに好きな映像はデジタル化して旧いiPhoneに入れてあり、何時でもTVで楽しめます。これで断捨離項目、やっと二つ減りました!

そして親父の時代からの12月30日恒例の神棚、仏壇のクリーンアップ、神棚は親父の時代からのものなにでおそらく自分の歳よりは古いのかな?いつも壊れないように扱いながらクリーアップ、そして補修作業です。そして新しいしめ縄を入れ完了!つぎに神棚のろうそくなど器具のクリーンアップ、最近はクルマ用のMothersを使ってます。ピッカピッカになるのは気持ちのよいものです。また、仏壇の鐘のクリーンアップ、これは見た目だけではなく、音に絶大な効果があります。エンジンの回転物を磨く様なもので、音色がダントツによくなります。おすすめの作業です。これらを部屋の所定位置に戻し、クリーンアップした部屋の内部とともに新しい榊のもとに気持ちよいものです!

DAY3 - 恒例 筑波詣
そして家事が完了し、大晦日は恒例の筑波詣です。ことしはコンテッサでは行けず、メガーヌ で参上しました。朝日峠に向かうアップヒルでローダーが前を走ってました。あれ、これ、だれか落ちた?あるいは故障?どこでだろう、なんて考えていたら何と目的地の朝日峠に入りました。そこでは赤いAクラスが待っていました。なぜか、この日は、帰路の流山出口でCクラスが、その少し先の一般道への合流地点で白いCクラスとなんと3回もMB車のローダー積み込みを見ました。なぜでしょう?ハイテクになり過ぎて人間さまと折り合いがつかなかったのでしょうか?

そして、恒例大御神の朝日峠の光景、この日はとくにいつもになく7のオンパレード、660も二台ほどありました。ほかにはカプチーノ、ベレット、モーガン、現代のロータス、多くのマツダNDなどなど、満車状態で入れないクルマも多く見受けました。

何時ものGTR、117やNAの皆さんはおられず、昨日こられたのかなと、いつもこの日にお会いする方たちと会えませんでした。また、ごく平凡なメガーヌ では箸にも棒にもという感じでした。まっ、イイか!
そしてスカイラインを走行して裏筑波へと、陽の当たらない地域はモンテカルロ状態でした! この桜川市の山村部が実に好きな光景です、とにかく、裏筑波、西に北にと、クルマを走らすには最高のロケーションです!

最後に、皆さん、佳いお年をお迎えください!『筑波山さん』、ありがとう!

2021.12.20:本日のデリバリー、メガーヌのタッチアップペイント

我が家のブルー・メガーヌ 号、何年か前にリヤのマッシブなフェンダーの左部分を家人が駐車場のポールをヒットしてしまいました。実はこの部分、2度目のアクシデントです。小さく見えるボデーとは裏腹に1.8メーター越えと、家人にとっては一番見えにくい左後方は鬼門のようです。
1度目は大枚をはたき鈑金塗装屋のお世話になりましたが、2度目はダメージが小さいので取り敢えず錆とめを施してました。やはり、見た目も悪いので微小の凸凹を修正し、同じカラーのタッチアップをすることにしました。
ただ、多くの国産車のようにホームセンターには同色のタッチアップペンはありません。そこで欧州のそれをeBayに求めました。メガーヌのカラーコードは、上の画像のように”TERNA”、これをベースに検索すると、沢山の販売サイトがあり、その中から”CAR TOUCH UP PAINT RENAULT CODE TERNA / RNA EXTREME SAPPHIRE BLUE CLIO LAGUNA”に発注をしました。クリアやコンパウンド含む、豪華なセットです。結構、ボリュームがあり、おそらく何十分の一しか使わないでしょうが、まっ、良しとしましょう。

2021.12.19:1965年 パリ・モーターショー - コンテッサ1300の世界戦略 (2)

前回、本稿アップしたのが9月、大分時間が空いてしまいました。少しギアアップしてシリーズの完結に向かいしょう。今回は1965年のパリ・モーターショーです。
前回の1964年編はエッフェル塔を前にしたコンテッサ 1300セダンでした。
今回の冒頭の画像はルーブル美術館近くカルーゼル凱旋門 (Arc de Triomphe du Carrousel) の前のコンテッサ1300セダンです。この画像も当時のプレス向けに多用されました。
画像の女性は先のエッフェル塔と異なりますが、コンテッサの個体は3047 WW75のパリの仮ナンバーを持つコンテッサ1300セダンであると分析します。
また、おそらく1965年の初めには待望のクーペも到着したようで、雪景色ではあるものの、恒例のブルーニュの森での撮影があったようです。

国内仕様のようにサイドの日野マークはなく、代わりにJM、すなわちミケロッティ・マークが付いている。また、フロントにサイドミラーはないのも実にスッキリしている!
さて、日野自動車の小型乗用車の師でもあるルノー 公団 (当時) の本拠地、フランス&パリで4CVから進化し、純国産車であるコンテッサ1300を発表&販売すると言う壮大な夢はどうなるのでしょうか?実は1964年のパリーショーでのデビューの際から、フランス人コンサルタントを起用した様々なアクションが見られます。その第一歩がフランスでの代理店設定だった様です。

左のお方が日野自動車のフランス進出プロジェクトに雇われた自動車業界コンサルタントのM. Garnier氏と分析。撮影場所はAutodrome de Linas-Montlhéry (オートドロム・ドゥ・リナ=モンレリ) と呼ばれるサーキットの正面ゲート前に間違いない (Google マップ参照) 。右のお方は、おそらく人相&服装からこの施設の担当者だろうか?他の場面でも登場する人物である。
そしてPR向けのメディア対策、フランス自動車雑誌のナンバー1のL’AUTOMOBILEの1965年5月号に有名ラリードライバー&ジャーナリストにより “HINO… une japonaise“ として、日野コンテッサ1300セダンは、OPE: REORDやFIAT 124と肩を並べて大々的に試乗レポートと共に詳細な紹介記事となりました。

評価には、ロードホールディング良し、しかしブレーキングに不満、エンジン音が騒がしい、サスペンション が硬すぎる、ギアのシンクロが温まると障害あり…などが書かれています。自分の感覚とドンピシャです!詳細はこちらを参照:196505_L'AutoMobile_Hino.pdf
販売チャネルについては、E. Dujardin SA社 (パリ12区、323. RUE DE CHARENTON) と契約できたようで、以下の様な広告も上記のL’AUTOMOBILE誌にも掲載されるようになりました。

HINO - ROBUSTESSE FINITION JAPNAISES、英語ではROBUST JAPANESE FINISH、つまり "堅牢仕立ての日本車" であろう!オートドロム・ドゥ・リナ=モンレリでの白いセダン (7152 W 75) は、”MADE IN JAPAN" がドアに描かれている。”信頼の品質の日本” みたいなものがM. Garnier氏の戦略だったのだろうか?
1965年は、実車の販売に向けて大きな進展がなかったように見えます。その背景の一つには、フランスでのホモロゲーション、日本で言えば、運輸省の型式認定に相当するものが得られなかったと分析します。もう一つの問題は日本からどうクルマを送るのかの問題も根底にあったと考えます。
しかし、そして1965年のハイライトはやはり本稿のテーマである第52回パリ・モーターショーです。何といっても前年の1964年含めも当時の日本のOEMは日野自動車以外、この場には居なかったのですから!

第52回パリ・モーターショーの日野のブースには当時のシャルル・ド・ゴール大統領 (18代、Charles de Gaulle) の来られ、コンテッサ クーぺを見学されたようだ。中央の大統領の右横には、日野自動車のコンサルタントのM. Garnier氏がおられる。大変、貴重な歴史の記録と考える。

このレイアウト図から診ると、上のクーペの画像の向こうにはGLASが正しく見える。想像が膨らんで面白い。手元にある他の画像などの分析をすると、日野の右隣のSBARAは出展しなかったようで、そこにはコンテッサの白いセダンが鎮座していた。
1965年、このように販売チャネルや価格設定もされたものの、販売開始は至らなかった様です。それについては、次回に記述しましょう。
以上、紹介の各種、画像や雑誌、これら多くはパリの例のクルマ専門の古本屋で入手したものです。それも一回で集まったものでありません。以下の白いコンテッサセダン (1009 W 75)、L’AUTOMOBILEの1965年5月号の試乗に使用された個体、この写真もこの古本屋で入手しました。その裏には、なんと “L’AUTOMOBILE” も印 (参考までに、画像に貼付け) が!寸法などいろいろ表記があり、おそらく編集に使われたものと分析、そんなものが流れて来る、パリの古本屋です!

冒頭画像のルーブル美術館近くカルーゼル凱旋門 (Google マップ参照) に、ビジネストリップの縁があり、ついでに自分の足で出向きました。この前でコンテッサ1300と当時の日野自動車の内田 一郎さん (素晴らしきカー・ガイ達) たちは欧州進出を目指していたのかと、勝手な妄想をし、感無量でいたことを昨日のように思い出します。実はその後も機会あればこの地を訪問しています。自分にとって、幾つかある日野コンテッサ1300の聖地なようなものなのです。

2021.12.11:みんカラ、過去所有のクルマの登録?

今日、ヤフオク見たら、日野ブリスカが出てました。結構な入札になっているようです。そこで思い出しのが昔、所有したトヨタ・ブリスカです。
日野j自動車は、トヨタ業務提携の証しとして日野コンテッサと共に小型ピックアップトラックの日野ブリスカ1300 を撤退しました。しかし、トヨタとして空白だった小型ピックアップ、すなわち日産やいすゞに対抗するための一時しのぎとして、1967年4月 (昭和42年) からトヨタのブランドとして、少々改善が施されて販売されました。結果的に1年間の期間限定販売で、新しい車種:ハイラックがでました。
思い出したついでに、みんカラの過去所有に登録しようとしたものの、日野ブリスカは該当しないなのでダメな様です。残念!以下は、紹介しようとしたテキスト:
++++++++++++++++++++++++++++++++
1995年のとある時期に仲間内で、トヨタ・ブリスカがとある所にありエンジンだけを使おうという話しを聞きつけました。そう、エンジンは日野コンテッサと同じですが、次期モデル向けのパワーアップされたものが、トヨタ・ブリスカに搭載されていたのです。
当時にしても、何しろ走るブリスカは世の中に存在しません。これはいかんと思い、その個体を保有している船橋市の中古業者に問い合わせをして、結果的に車両を買い取ることにしました。まったくもって浦島太郎みたいな話しです。
車検は切れてましたがちゃんと走る状態であり、仮ナンバーで松戸に帰りました。ただ、我が家は空いた土地がある訳でもない普通の住宅であり、当然の事ながら駐車スペースがありません。近所の駐車場を契約して保管しました。
ピックアップ・トラックは1980年代前半、長期滞在中の南カリフォルニアで友人のフォード・ランチョロ(7th Generation)をご好意で貸していたきました。女房の足車にと、そして週末の家族4人の足にさせていただき堪能し、ピックアップ・トラックは、今でも憧れの車です。
そしていずれは、チーム・サムライの日野ブリスカのようにレーシング・コンテッサと全く同じ白のボデーに橙のストライプのカラーリングを入れようだとか、デフの減速比が大きいのでダットラ流用で乗用車並みのものしようかと誇大妄想だけが空回りしてました。
その昔、ピート・ブロックさんのBRE側は日野に、日野ブリスカ1300でバハ1000などのデザートレース参戦を打診してました。しかし、日野はピックアップトラックのレースを理解することはなかったようです。
結果的に購入したトヨタ・ブリスカは、月極駐車場のまま、時折、その中を走行したりして、4年弱を経た後、幸運なことにトヨタ・ブリスカのファン(映画:ワイルド7)である愛知県の若い方のもとへと嫁ぎ、その後、車検も取得しました。
以下は、その当時の画像です:




2021.12.8:SCCJ Time Trial @トミンモーターランド 参加記
先の日曜日 (12/5) 、縁あって、由緒ある自動車クラブ:SCCJ (Sports Car Club of Japan) のタイムトライアルに、ビ筑のHISクラスの皆さんと参加させていただきました。愛機、コンテッサ ではなく、ルノー ・メガーヌ 2.0 CVTです。

場所は茨城県かすみがうら市のトミンモーターランド、ボクにとって、松戸の自宅からは比較的アクセス、時間含めて楽であります。
このイベントはトミンモーターランドのBコースを使用、元自動車教習所だったとか (Aコースは2輪主体の立派なミニコース) 、当初は、このコースでどう走るのだと大いに疑問がありました。以下は、当日のコース図です:

このコースを二周回ってタイムを計測、この日は都合、3回のトライアルの設定となりました。もちろん、その前に完熟走行みたいのを何周か集団でノロノロと、これはコースを記憶するにはとても良い方法だと思いました。
さて、以下は本番走行の1本目のオンボードカメラと仲間のIntermeccanica 356さん (映像をMTKS) の映像を合成したものです:
はじめてのイベント且つ1本目、大分、緊張気味で走行、では2本目、3本目のタイムが良くなったのかと、残念ながらこの手作り感満載のイベントはアナウンスもなし、計測の発表もなく、実際のところ分かりません。
では、オンボードは、残念ながら、2&3本目はオンにするのを忘れてました。美味しい弁当をいただいたり、会場の雰囲気でついついのんびりしすぎた様です。歳はとりたくないですね。
今日は、3本目、実は珍事が発生、後からスタートした筈のビートルがゴールではすでに先に入ってました!何故?出走待機中のIntermeccanica 356さんのオンボードにはちゃんと、証拠が、ボクは二周後、チェッカーは振られてなく、そのまま、走ってしまったのです。
そう、走行中の自分はチェッカーがある筈なのだが振られてない!、アレッと考えながら、仕方なく、そのまま走ったのがちゃんと記憶に残っており、これまた、正しかったと、チェックカーが振られるまで、どうも永遠に走りそうですね!
なんだかんだで、最後に表彰式、ビ筑のHISクラスメンバー、Ginetta G4さんはSSクラス2位、Intermeccanica 356さんはNクラス3位という入賞結果でありました。
この日は好天に恵まれ、また寒くもなく、昼の弁当も豪華、そしてなにより、実にゆる〜い運営が良いのかなと、また、この小さなコースでこれだけ楽しめるのはすごいなと一同の意見が一致、来年もと言うことでしょうかね!
皆さま、お疲れ様でした。以下は当日、我々のクルマたちと個人的に最も気に入った一台 (エンジンが?) です:



2021.12.7:旧車のハイドロ・シリンダーのスリービングについて

旧車の世界でではこなれている車種には問題のないブレーキやクラッチのハイドロ (油圧) シリンダーのお話しです。
残存台数も少なく、流用&共有部品もなく、それも販売開始後たったの二年数ヶ月の販売 (事実上であり、メーカーの発表はもっと長いが...) で市場撤退を戦略的に強いられた日野コンテッサ1300はそれらの部品などはおいそれと手にすることができません。
1980年当時以降、所属していた日野コンテッサ クラブではこのハイドロシリンダー (ブレーキ &クラッチ) の対処が長い時間かけて議論してました。それはそれで深刻な問題であるものの、"船頭多くして船山に登る" ごとく、議論はあるものの誰一人とも現実的なアクションを取るものはありません。しかも、世界の潮流であったスリービングを言う手段については、当初から説明していたものの、素人の意見は全く取り上げられることなく、日本の伝統的な旧来の方法の域を脱せず、何年もの間、不毛は議論が繰り返していたのです。

これは使用過程品、’多くはこのように中にシリンダー面はグリコール系フルードと空気の進入で錆が発生している。また、外部のグリコール系特有の錆が発生してしまう。
スリービング (冒頭の画像を参照) とは、欧米のクラシックカーの雑誌などによく書かれているもので、それは傷つき、使用限度が過ぎたシリンダーを修復する手段です。シリンダー内部を削り、そこに新たな円筒状の金属を入れ込む、すなわちスリープで新たな面を作り直すものです。材質には多くはサビに強いステンレスやブロンズが使われます。また、インサートにするには金属の特性を考慮した焼き嵌めを使うというのがボクの理解です。素人やガレージ工作では難しいレベルの経験とノウハウを必要とする技術だと思います。
ボクは1980年代のある時期、英国自動車誌の実に小さな広告、確か、”Over the Sand...” なんとか言うスリービング 専門の業者を見つけ、早速、手紙を書きました。基本的にサイズ (内径) などの説明で、受けてくれることになりました。第一発目は自分用と予備の二組 (ブレーキ マスター、クラッチマスター、クラッチスリーブ) を送りました。
航空便で送り、すぐに作業が終わり、手元に戻ってきました。実は欧米ではこの種の作業は昔から常識的且つ日常的に行われいるものだったのです。価格的に、材料費とおそらく作業時間分の工賃程度 (1時間?) でした。

英国の業者によるのコンテッサクーペのクラッチマスターシリンダー、ステンレスのスリービング。
早速、自分のコンテッサクーペに取り付け、テストをしました。近所を走ったらすぐにジャッキアップしてフロア下のブレーキクラッチマスターシリンダーを目視点検、それを徐々に距離を伸ばす、また少しずつ、過酷な操作を加えると、何度も何度も繰り返ししました。
この時、初めて知ったのが、ブレーキ よりクラッチの方が過酷な状態にあることも身を持って経験しました。すなわち、マニュアル車は走って止まるまでに、クラッチは4回,完全フルストロークの操作、それに比べてブレーキはたったの1回、それもクラッチとちがってせいぜい10mmもない軽い動作です。その結果、町内一周くらいでもクラッチはシリンダーがかなりの温度で暖まる、しかしブレーキはそんなことはない、と、いうことです。如何にクラッチの方が過酷かということの結果です。そうです、これがクラッチシリンダーの方が痛みが早い、多いという根源なのです。

英国製のステンレスのスリービングマスターシリンダーのテストベットになったコンテッサ
当初は初めてのことでビクビクだったが段々と自信がついた!
それはそれで、この英国の業者にはその後、友人分などを依頼、そして90年代の後半でしょうか、3度目の依頼を打診した時です。どうもこのワンマンカンパニーの親父は神に召されてしまい、かなり時間を経て奥さまから「もう出来なくなりました」と、丁重に手書きのお手紙をいただきました。その親父は生涯、毎日々世界中からのハイドロシリンダーにステンレスを焼嵌圧入 (スリービング) していたようです。その技術と経験だけで世界のエンスー相手にビジネスしていたのです。まだ電子メールも無い時代には、手書での手紙のやり取りでした。

1992年10月31日 The 1st La Festa Nille Miglia in Japan での日本GP再現模擬レース
この頃には英国のスリービングで普通に走っていた!
そして時を経て2000年に入り、当時、米国のフォード・マスタング(60年代)を得意とするステンレス専門のSSBC (Stainless Steel Brakes Coeporation;現在はStainless Steel Brakes Reborn in Western New Yorkを参照) に打診しました。出張ついでに、ナイアガラの滝近くの現地を訪問し、工場を見せていただいたり、友人たちからあづかった4〜5組のシリンダーを持ち込んだりしたものの結果的にそこでの作業は断念、社の加工方含め色々議論しましたが最終的にここでは加工せず、航空便で送り返してもらいました。ここは個人の工場ではなく圧倒させられる様なかなり大掛かりな設備と従業員を抱えた会社でした。

次に行き当たったのは、米国ニューヨークのロングアイランドにある英国車専門(ジャガーやMGなどダンロップ系のブレーキが得意技:Apple Hydraulics社)に話しをももちかけました。社は基本的にブロンズもステンレスも可能(ステンは少々金額が張る)、そして焼嵌加工後のシリンダーの再焼嵌も手がけています。また、加工前にはシリンダー外面のブラスト、後処理の錆止め塗装も表重プロセスでした。ここはその後、何度か仕事をお願いしました。

Apple Hydraulics社の送付する前のクラッチマスターシリンダー、コンデションは色々。これと同数のブレーキマスターシリンダー、その他、クラッチスレーブの少数のドラムのホイールシリンダーもあった!
このApple Hydraulics社は補修の再度のスリービング、すなわち焼嵌 (確か2回までと言っていた) 出来ると言う、その理由は実物を見たら理解出来きました。圧入の材料が非常に薄い、ここまで薄いかと言うか、つらいち、そんな感じで、これでは後、2回は確かに大丈夫だなと感じさせます。こんなところに彼らなりにそれぞれの長年の経験と技術があり、それを大切にして商売をしているのではないかと思いました。実はここも先の英国の業者すなわち親父と同様に、たった一人で世界のエンスーを相手にネットと国際宅配便で商売していることが後々判りました。SSBC社の大量生産体制と違った、一人の職人がコツコツと地道に仕事をするというのが如何に大切かも学びました。

Apple Hydraulics社から戻ったコンテッサのシリンダーたち。
表面はブラストされ錆止め塗装も!
そんなこんだでApple Hydraulics社にはその後、数回、コンテッサのシリンダーを送りました。都合10本以上も送っても1日程度の作業時間のようで、翌日は発送されます。また、取付部分などヒビもろう付けで修理します。もちろん追加工賃は発生します。また、ピストンなど入れっぱなしだとそれを抜く実費コストが発生しますが、当然と思います。スリービングだけのコストは100ドル/本前後 (Apple Hydraulics社価格表参照) なのです。また、長さによって価格は異なります。あくまで作業工数との関係であります。これは欧米では常識です。

風を開けると、こんなように見事に綺麗になっている!几帳面にもPOも。
コンテッサのシリンダー、総計でいうとおそらく20台分以上は微力ながらボクがお手伝いできたのではないかと自負しております。遥か彼方の昔にコンテッサクラブを退会しておりますが、在籍時代、素人のボクのやり方と違って、クラブの自動車修理屋さんが中心に国内の業者にシリンダーをマスで作らせたようで、これも結構、寿命が早く来てしまい (これはおそらく設計思想の貧弱さが原因?) 、その後も国内の機械加工業者にスリービングを委託しているとか、実はそれらがボクの個人的な行為と並行的に走っていたのです。それはよかったのか、あるいはクラブにクルマ屋さんを中心とする幹部の皆さんに迷惑をかけたのかは今も心の片隅にしこりが残る結果となっております。

シリンダーの内部はこんな感じ、これはステンレスで依頼。
スリーブの厚さが非常に薄い!補修加工ができるという自信が窺える。
つまり、ステンレスであろうと、錆は避けれても傷は避けれないということである。

このホイールシリンダーは矢印のブリーダ周辺に亀裂が入っていた。
ロウ付で補修、コストはUS$20.00ほどだった。
さて、このスリービングについては、コンテッサのブログに掲載しておりましたので、コンテッサ以外の車種でお困りの方から相談を受け、紹介をさせていただき、皆さん、ご自分で発送などされて、無事、愛車が復帰したと、感謝のメッセージをいただきボクも嬉しく思っております。
実は奥の深いスリービングの技術、取付マニュアルを参照。

このコンテッサ1300DXはすべてのシリンダー (下の画像) をステンレスのスリービングを施した。
この1台分の都合7本の加工のみの総費用は約US500.00程度 (約5万5千円) 。
この個体は、グリコール系フルードに換えてシリンコン系フルード (DOT5) のテストベッドにもなった。
そして、ある時期に北関東方面に嫁いた。朗報は今日に至るまでトラブルは聞いていない!

2021.12.2:PLANES OF FAME - 12月4日 (土) の三菱 A6M5 "Zero" イベント

毎日&毎週、米国カルフォルニア州チノ市のPLANES OF FAME AIR MUSEUM (プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館) からフレッシュな情報が配信されてきます。
今は亡きエド・マロニー (Ed Maloney) さんがご自身の第二次世界大戦時代の航空機を中心としたコレクションやレストアプロジェクトで始めたのこのPLANES OF FAME AIR MUSEUMです。確か、最初に訪問したのが1970年の遅い時期で、零戦も秋水も屋外でバラバラの状態で保存されていました。その後も機会あるたびにある事情・理由 (!?) を理由に何度も訪問し、この場所の空気感が気に入り、それが麻薬のようになっております。
この博物館のモットーは、Huonor (敬意)、 Educate (教育)、 inspire (奮起)、 preserve (保存) であり、それに従って、永遠とその活動が続いておるようです。

さて、表題のイベントの案内、以下のような触れ込みです。
The Day of Infamy - 80 Years Later" This Saturday, December 4, 2021
Museum's Mitsubishi A6M5 "Zero" to Fly Following Special Edition Hangar Talk!
12月4日 (土) に三菱 A6M5 "Zero" すなわち零戦を飛ばす、ついては格納庫で特別トークを実施!と、理解すれば良いでしょう。
そして、ホームページを覗くと:
Special Edition Hangar Talk - The Day of Infamy: 80 Years Later
格納庫での特別トーク - 屈辱の日:80年を経て
とでも解釈すればよいでしょう。日本人にとって、ちょっと微妙なタイトルです。しかし、毎年、この時期 (すなわち、12月7日の真珠湾攻撃) には米国ではよくある事象だと思います。すなわち、今でも規則正しく、歴史を語り継いていることだと理解します。これが、正に冒頭に書いた、Huonor (敬意)、 Educate (教育)、 inspire (奮起)、 preserve (保存) であると理解します。
PLANES OF FAMEの格納庫イベントでのトークは、多くは当時の生証人あるいは歴史家を中心に脈々と1〜2時間、語るというもで、ただただお話しをすると、でも大切な行為でしょう。今回の以下の内容です (カッコ内は抄訳):
1. The Prelude to the Pacific War (太平洋戦争の前兆)
2. "Air Raid Pearl Harbor" (空襲真珠湾)
3. Heroes of December 7, 1941 (その日 (12月7日) の英雄)
4. A Look at Pearl Harbor in Popular Culture (ポピュラーカルチャーに於ける真珠湾の考察)
5. The Story of the Museum's A6M5 "Zero" (博物館のA6M5「ゼロ」の物語)
そして、
◎ Guests will be able to see the Museum's Zero start its engine and taxi away at 12:15pm
(ゲストは、博物館のゼロが午後12時15分にエンジンの始動と誘導路移動を見ることができる)
◎ Aircraft will fly over the Museum for 20 minutes
(機体は博物館の上空を20分間飛行する)
◎ Question and Answer with the pilot to follow flight
(飛行後、パイロットとの質疑応答)
と、誠に素晴らしい内容です。
この様なイベントがもう何十年も継続されてるわけでただただ敬服するのみです。また、当時の日本の航空機がこのように大切されているということに何時も感動しております。
以下は、今から5年前の2016年4月に訪問した際の思い出です。その4月末の恒例の航空ショーに零戦を飛ばすということで、それは貴重な光景を目にしました。つまり、世界唯一オリジナルエンジンで飛行可能な零戦のオーバーホールでした。

お話を聞くと、飛行可能になって以来、大きなオーバーホールはなく、今回は37年ぶりとかで、機体をバラバラにしていました。お話によると、バルクヘッドの半分は新たなパネル、キャノーピーのグラスは新造、ナット&ボルト類 (SAEに) 、配管&配線なども新しいものになっていました。ボデーは全て剥離し、必要な部分の修復、再塗装をしていました。2週間後には飛ばすとのことで、新造なった零戦がエアショーで登場する訳です。
お話した現場のエンジニア (多くは正真正銘のボランティア) の方に、日本の零戦をこのような飛ばすための正しいメンテナンス&リノベーションの行為に日本人の一人として感謝を述べさせていただきました。
歴史的な旧いものに対するこの種の扱い、すなわち手法、材料だとか、メンテサイクルなど、足元にも及びませんが、何時も自分の所有物 (日野コンテッサ1300クーペなど) に対しても大いに参考にさせていただいております。
以下に幾つかの画像を添付します:






2021.11 霜月 (しもつき)
2021.11.20:週末の作業 - 超素人鈑金&塗装

2013年復帰以来の懸案事項である作業をある一件のトリガーで急遽開始しました。「2021.11.7:週末の作業 - 久々のビ筑後、気を取り直し、一歩一歩」で記述の通りです。
この日は、リアのボデー下部に対処、右隅から左隅で全部です。このボデー下部は26年前のオール剥離のリフレッシュ全塗装の際に鈑金&塗装ショップでおそらく完全剥離しなかった部分なのです。
マフラーなど邪魔なものを外してエアグラインダー&#60ディスクペーパーで塗装を履いてみると結構、パテが、そうこれで一見、綺麗に見えたのだと、まだ懸案の場所も以前の塗装の上に塗ったので地肌も綺麗ではありません。また、その際に錆びていた部分は塗装を剥いてみればそのママの状態で錆びたスポットの穴が残っていました。

取り敢えず、部分的に塗装を剥いたもののこの先はどうするか?まずはスポット溶接部分はスポットブラスト処理、そして若干小さな凹みがある箇所は、デントツールを試してみようか、何て誇大妄想をしております。これは先が長くなりそう!
2021.11.13:週末の作業 - 断捨離プロジェクト

今月に入り、政府のコロナ対策の外出自粛も解禁になったせいでしょうか、今までどこもかしこも中止だった旧車イベント、それが先週、今週と日本全国で打ち合わせでもしてたかの様に一斉に再開です!多くの皆さんのネットでの情報も実に盛況です。
昔でしたらそんな話に浮き足立った自分を思い出しつつ、現実を見つめ、温暖な秋に日差しの下に女房からやいのやいのと言われている不用品の処分、いわゆる、断捨離プロジェクトです。
まず、2ヶ月前に交換したコンテッサ のスペシャルエキパイです。これは冒頭の画像の個体 (須永 淳選手 第5回富士ツーリスト トロフィー レース 500マイル (1970年11月3日) ) で使われていたものです。そんな旧いものですがここ数年活用していました。しかし、このトヨタブリスカ1300の非常に重い鋳物製はこれでおしまいとしました。保存には場所も取るし、申し訳ないと思いつつ、思い切って処分することにしました。ゴミ出しサイズに切り刻んでしまいました。


次に、旅行用のキャリーケース、TUMI製!購入は2001年、もう20年です。ただここ数年はこの古典的なキャリーケースは出番が減り、もっぱらTimnuk2のカジュアルなものなりました。Unitedのタグをみますと2019年3月のL.A~成田となっていました。このケースは結構、酷使しており、増し締めの繰り返し、ボルトなども強化してました。なにしろ、航空では積み下ろしで放り投げられるのは皆さんもご存知と思います。また、中身の検査などで平気でキーロックも破壊されます。ここ何年もチェックインする際はキーロックもせず預けていました。自分のUnitedのマイレッジは100数十万マイルですのでその半分くらいはこのTUMIと一緒でした。でもこれで終わり、よくぞがんばったと感謝!バラしてみると、びっくり、車輪にちゃんとベアリングが入っていました。さすが、TUMI!


もう一つ、TUMIです。これは上記のキャリーケースより前に購入したブリーフケース、これもだいぶ前から出番がなくなっています。Timnuk2などのカジュアルにものになっています。これを購入のころは日本ではまだTUMIはほとんど見かけませんでした。仕事仲間の欧米人の中では半ばデファクトになり、いつかTUMIと思い、手に入れました。当時としてはかなり思い入れがありました。キャリーケースと同様に強靭であることは事実でしょうが、中に入れたPCに対してはそうでもなく、購入当時、テーブルの上からの落下でMacBookの液晶がダメになりました。その後は、MacBookは分厚い専用ケースに入れてそれをTUMIの専用スペースに入れるようにしました。そんなこんだのTUMI、お別れです。感謝!

今日の最後は、IGケーブルです。Compufire製です。これももう使いません。処分!ただ、貧乏性が発覚、プラグのキャップのゴム、これは外して取っておくにいました。なにしろ、空冷VW用ですが、コンテッサにドンピシャなにですから!

さあ、これで狭い我が家のスペース、0.5平米くらいはセーブ出来たでしょうか?継続が大事、断捨離プロジェクト、続けましょう!
2021.11.7:週末の作業 - 久々のビ筑後、気を取り直し、一歩一歩
「2021.11.3:人車ともOH中 - 10月30日のビ筑 最終戦 前日練習会」のように結果は人車共、散々な結果でした。コンテッサが完調ならば、この日曜日は久々の大観山に足を伸ばそう、その帰路に大磯のジムカーナを見学しようかと、だが、ブルーな心はそんなようになりませんでした。
さて、週末、気を取り直して、昨日&今日、できることを以下のように進めました:
(1)再度の油面のチェック。何度やっても同じなんでしょうが。。。

そこでニードルバルプのサイズをチェック、1.8です。これが良いのかネットでチェック、なかなか気筒容積との関係のスペシフィックなデータがありません。そこで旧い40PHH-2をチェック、画像のように1.8でありました。これでここの疑いは取り敢えず、パスすることに。。。

(2)断捨離プロジェクト、不要なミッションを出してみました。40年近くそのままです。一応、ヤフオクに?一円スタートで、と思ったものの、とにかくコンテッサの部品は貴重な割には誰も買いません。何故でしょう?とにかく人気がないのです!いや、実に少ない残存車両台数にくらべて部品が余っているでは?

(3)デリバリー、その1:少し前にブログで個人的に話題になった下回り部品の防錆用の「液体シール」、久々にモノタロウ から購入、これで後10年は保つでしょう。ついでにコメントをいただいたモリブデングリースも注文、それでも無償配達の3,500円に到達せず、結果的にモノタロウ何とか魂の格安ブレーキクリーナーも注文。

(4)デリバリー、その2:久しぶり、15年ぶり?プラサフェ (2液性) 、アマゾンに注文。同じものがヤフーでも出てますがアマゾンのほうが送料含めて微妙に安い!

(5)先日のビ筑最終戦の抽選で頂いた「ヘルメットピラー」とやら、使い道に困ったが、なるほど、逆さに置くにはちょうど良い!本当の使い方?

(6)乗りもしない自転車 (今では完全な旧車) のタイヤ空気補充。数ヶ月に一度は必要。。。

(7)女房からやいのやいと言われていた飲み水用のフィルター。左上の二本のように見事に真っ黒。勿論,右下が新しいもの。やはり、新しいと水の出も良いし、味もまろやかだし、スターバックスの味に深みがでます。当然でしょう!?このシステム、20数年前にL.A.のHome Depotで購入したもの、GE製だったが今で手を引いてるようですが、肝心のカートリッジは今でも入手できるのがありがたいです。しかも、このフィルターは目的別に何種類もあり、使用する水の質を知ってないと選択が難しい!

(8)ガレージの整理、断捨離PJの一環として少しずつ進めてます。これは旧いフォーミュラカー (Le Grand) のHartman製のステアリングギアボックス。非常に簡単明瞭な構造!ロックツーロックが1.8と超が付く!外観をクリーンアップ。オレンジペイントがちょっとついているが、これは我がコンテッサのオレンジストライブと同じカラー!もっともこの部品はもう使うものではありません。

(9)ペイントガンのクリーンアップ。10年ぶりぐらいでチェック、外観をクリーンアップ。一応、エアを通して見てまだ使える様。右の大きいカップの二つは今は無き20年以上前購入のCraftsmanのガン、モノは英国のDebilbiss (デビルビス) 、確か、150ドルくらいでした。HVLPでエア圧が1.5k指定の超低圧!これは逆さ吹きができるすぐれもの!この画像にあるガンを使い、公道復帰に向けて、コンテッサ の下回り,部品含めて全ての塗装を行いました。

(10)これが本日のハイライト、何故、プラサフェを購入、スプレーガンを手入れしたかです。実は2013年の公道復帰の時点からしたかったのがボデー下部を綺麗に、最近、ある理由にやる気がでてきました。また、競技走行独特の多くの傷やダメージもかこってしまいました。やらざるを得ないが本音か。いずれにしろ、2月まではジムカーナはないし、この間に作業を進めたいと始めました。素人作業ですが、何とかなるでしょう。

以上、備忘録まで!
2021.11.3:人車ともOH中 - 10月30日のビ筑 最終戦 前日練習会

今年のビ筑 第3戦はエントリーしたもののコンテッサ不調で欠席でDNS、第4戦&第5戦も不調を解決できずエントリーせず、この第6戦でなんとか走ってみようと、しかし半年近くのブランク、コンテッサ以上にドライバーの歳が問題、大事をとって正に人車共に試運転で土曜日の前日練習会を申し込みました。
この日は画像のようにピーカン、秋の空はこれ以上ない紺碧でした。さてクルマの調子はどうでしょうか?

課題&テスト項目は以下の様です:
(1)所謂、省エネタイヤ、ミシュランのエネジーセーバー、175/70R14 + 日野製4.5J鉄ホイール
エア圧、F=2.0、R=3.0からスタート、最初はグリップどころではありません、簡単に尻が流れます。前後を調整して、最終的に8本目に落とし所が見つかました。F=1.8、R=2.8、これで結構、省エネタイヤでも安定的に走れることが分かりました。これはをベースに後輪のブレーキ圧の調整をしました。最初は25%減、そして、50%減でオーケーとしました。すなわち、結構、フロントに荷重を与える設定です。なお、街乗りの空気圧、そんなに高くなく、F=1.7、R=2.3ですが...
(2)車高調整
今回、この個体本来のセッティングに修正しました。後輪はリジッドな構成なので問題ないのですが、フロントのトーションバー,結構、決まりません。下げたり、上げたりと難儀、いつものことです。すなわち、全体のバランスです。これで良いとしたものの、ホテルで一晩した後に自然に下がってしまったりで、まあ、これで良いかと、妥協せざるを得ません。
(3)プラグの焼け具合 - 懸案事項
燃調およびバランスです。実はそんなものをチェックする以前に、この日は発進してすぐ先のパイロン (#5) を前にしてストールしてしまいます。かぶりです。恥ずかしくも何度もです。馬鹿なことにキャブをチェックする前に、それをどう誤魔化すかに脳味噌が動いてしまいます。結局、1日、トラウマになりました。焼けの悪い前側のキャブの油面もチェックしましたが進展はなし、また、以前からあった右回りのカブリは以前よりは顕著でした。

このような具合で、久しぶりの練習会も空はピーカン、心はドン曇りと何とも情けない結果でありました。
明けて、日曜日は本戦、HISクラス、VW1302とRR対決とか、結果はコテンパンでした。発進の問題、右回りの問題、すべて練習会のリアル・コピーでした。プラグの焼け具合は最終セッションが練習会の90度&270度の左回りが右回りになったので、真っ黒と燦々たる有様でした。
よく考えると、今までも出ていた現象、それが点火系がオールドスクールになって、スポイルされていたのが表に出た、つまり、本当に悪いものが明らかになった!と、いうことは問題をフィックスし易くなったと考えます。
もう少しがんばりましょう!グッドニュースは現代のグリップタイヤとか高性能点火で判らなかったこと (つまり、自分の能力を勘違いする!) がオールドスクールのお陰で基本の必要性を改めて学んだことです。
11月7日の日曜日は久しぶりに大観山詣を早朝にして、その足で大磯のジムカーナを見学しようかな、なんて甘い考えは吹っ飛びました。まだまだ神様が許してくれないようです!

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