2019.12 師走 (しわす)
2019.12.14:ホームページトップ - “The 船橋"
当サイトのスライド画像をMX5ロードスターからコンテッサ1300の旧いレーシングシーンに替えてみました。MX5の画像は自分がドライブした際の気に入ったシーンを載せてました。他に多くあるのですが、ここでコンテッサ1300の気に入った画像を載せる決意をしました。
今回、”The Funabashi” としてまとめたのは正に当時の船橋サーキット (自分はリアルタイムでは現場をみてない) でコンテッサ1300がもっともカッコよくみえるシーンです。いずれも当時のオートスポーツ誌やカーマガジン誌 (現代の同名の雑誌とは関係ない、こちらがオリジナル!) からのものです。
どれもこれも満身創痍のような雰囲気が素敵です!

AUTO SPORT、1966年5月号
全日本レーシング・ドライバー選手権第一戦 (1966年3月21日) のスポーツマンクラス。
どれもこれもコンテッサばかりでワンメーク・レースのようです。
一番手の68の尾崎選手のクーペはホフカーパターンの特性アルミホイールが使われてます。
残念ながらこのクラスは、JAFの記録にありません。しかし、メインレースの
ツーリングカークラスには山西選手ほかがクラス一位として記録されてます:
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1620&window_flg=1

CAR MAGAZINE、1966年3月号
全日本自動車クラブ対抗レース大会 (1967年1月15日) の
コンテッサ1300クーペと日野レーシングの立役者のダンハム選手の雄姿です。
このクーペは1966年10月末の米国のL.A.Times GPのセダンレースで
打倒 “MINI” を目指してクラス優勝した個体です。
その凱旋帰国としての緒戦です。ここでも宿敵 “MINI” を打ち破り見事優勝となりました。
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1635&window_flg=1

AUTO SPORT、1967年5月号
全日本スポーツカーレース船橋大会 (1967年3月19日) の全日本ツーリンカークラス。
画像のコンテッサは尾崎選手と解説にあります。カラーリングがかっこいい、すごい!
この日は三台のコンテッサがエントリー、山西選手が優勝しました。
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1644&window_flg=1

AUTO SPORT、1967年5月号
19670402_第7回クラブマンレース船橋大会の全日本ツーリングカークラス。
4台のコンテッサが出走しました。トップに見えるコンテッサのテーピングが壮絶!
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1648&window_flg=1
2019.12.9:人車共にOH中 - 謎のクランクシャフト

ここ何ヶ月もの間、眺めているクランクシャフトです。問題はこれについているタグの内容です。
GLOBE BEARING COMPANY, LTDとあります。そこにある住所を調べてみると、ロサンジェルスのコンベンションセンター近くです。その住所には過去、4つの会社があり、その一つが Globe Bearing Co., Ltd.,と判明しました。1929年創業、その後、74年7ヶ月存在、現在はビジネスをしてないとありました。そしてMachine Shop、すなわちエンジンなどの機械加工業者と推測します。
このクランクはBREからのものでなく、その後のオーナーからのものです。
このタグを解きほぐすとマシンショップ to マシンショップとなっており、何故に加工をしたのかです。一見、なんの変哲もありませんが非常に気になります。
ただ、今日になって思い出したのが、コンロッドのビッグエンンのベアリングに “GB” と刻印した日野製でないものがあります。このベアリングは日野のものと微妙に厚みのサイズが異なります。それはベアリングキャプも異なると考えます。この “GB” 、それは "GLOBE BEARING COMPANY, LTD” を指すのでしょうか?
ガレージのどこかにそのベアリングがある筈です。早くさがして謎を解きましょう!正にクルマ文化の歴史の謎解きであります。
2019.12.8:人車共にOH中 - クラッチカバーの選択

折角のOHですからこの際、けちらないで極力フレッシュな部品を入れようと目論んです。
本日、午後、そんなに寒くなく作業に楽な感じで、一気に旧いストックを出してみました。
画像の赤いクラッチカバーはBREの加工品で手作りのものです。一番、信頼ありと考えているものです。80~90年台、TACS/JCCAに出場していた時代はこれを使ってました。クランク&フライホイール込みでのバランスもとりました。発進が気持ちよく、これとフェロードのクラッチ板を組み合わせた際は、コツンとつないで無理なすべりもさせないでロケットスタートが可能でした。しかし、大きな欠点もある構造で前後方向に押さえの無いフリーな構造でクリアランスが出てくるとクラッチを切った状態でガラガラと音を立てます。これは設計上のようで教則本にも書かれています。当時は何回かMIG溶接で盛っては削ってクリアランスを調整しました。しかし、使用過程で音が発生します。今回、当初は使おうと考えましたがこの欠点で使用を断念しました。
左下のものは “マツダNA6ロードスター” のものです。ノックピンの穴は8mmとコンテッサの6mmより太いですがフライホイール側を変えてしまえばオーケーと判断しました。後は厚みが数ミリ薄いですがこれはなんとかなるだろうと考えました。そしてマツダのリリースベアリングを使用するかコンテッサのもので行くか、これもどうにでもなる問題です。とりあえず、チェックのためにベアリングも購入したました。今だ、これで行くかどうかを悩むものです。
しかし、最終的に画像の右のある半世紀前の旧い日野純正を使おうと決断しました。この部品は1971年にコンテッサ1300Sからクーペに変えた直後だと思いますが、当時の日野の葛西のデポで購入したものです。その時はいくつかのメンテ部品が欲しいとデポに行きましたが、日野の方は "コンテッサ1300の部品は一切ありません” と言われ、倉庫に案内されました。確かに棚はガランと何にもない、ただ薄暗い倉庫の中にこのクラッチカバーだけがポツンと置いてあり、"あるのはこれだけです” と言われました。もちろん、購入しました。日野コンテッサ1300の補給部品の実態は製造中止からたった4年後でメーカーから皆無と宣告をされる状況でした。
この当時、日野自動車は自ら生産&販売したコンテッサ1300を市場から消す方向にあったと後になって知りました。おそらくトヨタとの提携の関係でコンテッサ1300に対する戦略だったのでしょう。確かに補給部品を無いと言えば、自然に市場からすぐに消える、まさにそれが実態だったのです。しかし、このことが当時、日野をあてにしてはならない、部品は自分たちが考えようと言う考えが芽生えたのです。その後、ほどなくしてPD300クラブ (今の日野コンテッサクラブ) が誕生しました。
そんな怨念 (?) のあるクラッチカバーです。このことがこの際、使ってみようとなった大きな原動力です。50年近いコンテッサ歴で新品のクラッチカバーを使うのは初めての経験です。フィーリングが楽しみです。
2019.12.8:CARグラフィック - それは偉大なる歴史の証人

昨今、政府の “桜を見る会” とやらでデータをいとも簡単に消し去ってしまうことが話題になっています。税金を使った行事のデータがまったく残ってないと、それも規則で速やかに消去するなどと実にご都合主義に感じるものです。
多くの先人のお言葉や格言にあるように ”将来は過去の上に成り立っている” もので、過去を無くして、明日が創れないことは明白の理です。日本時の “飛ぶ鳥後を残さず” と言いたいのでしょうか?そうではありません。今日のデータは明日のための種です。
第二次大戦直後、重要なドキュメントを焼き捨てた当時の国のやりかたのように、日野コンテッサの重要な情報は補給部品と同様にその多くが日野自動車としては綺麗な形では保存されなかったようです。関係者の一部の独断的な意思あるいは善意により何とか点のごとく残っているのは幸いです。しかし、多くの公な歴史的なドキュメントは難しいと考えます。
最近、あることがきっかけで日野自動車が開発を進めた日本初のフォーミュラーカー (同時期にホンダも) 、デル・コンテッサの系譜をまじめに整理し始めました。と、いっても昨日と今朝です。そこでもっとま役にたったのが画像の様1966年〜1969までのCARグラフィックの一連の日本GP特集です。今となってはこれほど仔細に報道していただき頭がさがる思いです。今まで断片的に見ていたこのテーマをそこにある点のデータをつなぎ価値ある情報に展開中です。
2019.12.5:本日のデリバリー - 78歳ラリードライバー 菅原 義正 (著)

昨日、菅原 義正さんの著書、”78歳ラリードライバー、ギネス・ホルダー 菅原 義正の挑戦” の新刊書 (新紀元社) を発見しました。早速、Amazonで購入、夕方にポストに投函されていました。
最近、長年続けたダカールラリーを勇退、新たに2020年の年明けからアフリカエコレースに挑戦されるようです。この本は氏の長年のレース界での足跡の自分史なのかと思います。大変尊敬している師であります。とりもなおさず手にしました。
実は2004年 (平成16年) 秋の東京モーターショーの幕張メッセで思い履けなく3時間くらい氏ととりとめもない話をさせていただきました。日野のブースでレンジャーとともに立たれていたのですが、氏によると誰とも話がなく実に退屈していたとのです。そんなことで会場の裏の屋外のベンチでの長話となりました。日野 (人脈含め) 、レース (70年台前後) などの切り口で接点があり、盛り上がりました。
その際の別れ際に “ミニカーを遅らせていただきす” と、そして数日後に有名な氏がドライブした仕様のクロサキミニクーパーSとホンダ1300クーペ9レーシングが届きました。これは一生の宝物であり大事にしております。
78歳ラリードライバー、菅原さん、今後も年齢に関係なく戦ってください。何時でも人生の目標にしています。ありがとうございます。
2019.12.3:人車共にOH中 - サビ取りのその後如何に

予定の48時間の昨日の夕方であります。しかし、庭先なので雨では作業しませんでした。
今朝は天候に恵まれ、午前中、陽の当たる暖かい中、小一時間作業をしました。
容器は画像のように茶色の錆色で如何にも化学反応でサビ取り、しかしこんなにもサビのカスがでるものかと驚きました。しかし、米国の飛行機のプライベータの説明の中の画像もまったく同じもので所謂、予定通りというものです。
鉄のアノードとして使用した8X25cm寸切りボルトもすごいサビの付着です。これほどのサビをクランクシャフトから転写したのか?そうではないでしょう。単なるサビの化学の結果であります。
クラングは表面だけの薄いサビだけになりました。これは所謂、食い込んだ部分と思います。これがどれだけうまく除去できるか、結果的にサビの深さです。それによってどの程度、研磨したらよいかアンダーサイズのベアリングはどの程度にと、これらは内燃機屋との相談となります。
2019.11 霜月 (しもつき)
2019.11.30:人車共にOH中 - 清水寺から飛び降りる決断!

1970年半ば、日野コンテッサでの公認レース出場を断念した友人から長い時間の説得の結果、譲り受けた部品の一部のクランクシャフトです。当のご本人は諦めた際にコンテッサを八つ裂きにしました。部品もバラバラにして、そのいくつかが雨ざらしに近い状態になっていました。非常に残念なことですが、最後の処分の仕方としてそれもありと理解出来るものです。
最初は全部捨てると強い意志でしたが、数ヶ月、説得の上、まだ使えそうな貴重な部品をいただきました。しかし、最重要なクランクはその時点ですでにサビが発生していました。その後、油漬けにして外気を触れないようにして今日まで場所を変えながら大切に保存していました。結果的にサビは増大してません。
そのサビをなるべく最適な方法で除去しようと進め始めました。米国の航空機エンジンのレストアなどのプロセス (すべて個人のプロジェクト) をチェックすると自分としても納得できるものがありました。それを試すべく始めたのが画像の方法です。これが清水寺から飛び降りるような大胆な方法です!
表面をサンドペーパーやブラストなどで削ることなくまずは付いているサビだけを化学的に取ろうというものです。いくつかの文献に共通的にある48時間の処理後、取り出し、水洗いをして、ゴミを取り、すぐに乾かし、油を入れると、そしてサビの状態をチェックし、次のプロセスをどうするか判断することになります。楽しみです!
2019.11.29:フェアレディZ 50th Anniversary を見る!

本日、所用で横浜パシフィコに出向きました。その帰りの足の途中、日産横浜本社ののショールームを例によって見学しました。ここを見学し、歴史的な個体を目にできるは楽しみです。
先に発表され話題になった “フェアレディZ 50th Anniversary” が展示されていました。もちろん、他の展示車同様にキャビンにすわりといろいろいじくりまわすことができます。このモデルの特徴的なデザインはもう有名なアイコンになっているピート・ブロックさんのサイドの2本の斜めのラインでしょう。2013年の東京モーターショーで発表された “IDX” にも同様なラインが描かれていました。
ピートさんのラインはいまでも日産のマーケティングとして重要なアイコンになっているものだと思います。おそらく永遠のモチーフなのかもしれません。それはやはり、Datsun 510を含め、BRE Datsun 240Zの米国レース界での実績による米国日産の成功に大きく貢献したピートさんへのリスペクトを感じます(ご参考:現BRE HP)。また、そこにはこの個体をモチーフにした特別ポスター (Limited Edition 50th Anniversary Poster) も案内されていました。
二人乗りで後輪駆動だけのモデル、シンプルなスペックが良いですネ。車両重量:1,500kg、馬力:336ps、これはパワーウィエトレシオ:4.4、凄い!、アウディS4 (4.7) より高性能、ホンダ シビック タイプR (4.3) に近い、丁度、新しいアルピーヌA110とドンピシャと同じが良い、これでビ筑をトライするとどうなるだろうと舞い上がり、コクピットの中で色々シミュレーションしながら誇大妄想状態でした。
コクピットにも座れたし、あれころと操作もできたし良い日でありました。ピートさんの偉大を感じました。 (ご参考:短編:ピーター・ブロック(Peter Brook)物語 - すばらしきクリエーター)

1990年代の半ば、米国西海岸の小さな町、サンタクルーズを散策した際、
アンテックショップで偶然発見して購入したBRE Datsun 240Zのミニカーです。
ともに程良くやれた状態、しかも赤の一台はボデーだけ、
それも一部破損状態ととても気にいって大事にキープしています。
このようにピートさんの日産のレーシングカーは
多くの米国人の生活の一部として愛されている証しだと分かる瞬間です。

Road & TRack誌 1970年11月号の新たなBRE Datsun 240Z レーシングカーの詳報より
背後のトランスポーターは日野のKMバンです。
ピートさんの日野コンテッサの時代にコンテッサ用のトランスポーターでした。
氏の要求仕様にそって製作されコンテッサと共に輸出されました。
ただ、日野の標準ジーゼルエンジンではハイウウェイの上り坂がきつく
ピートさんたちがガソリンのV8にスワップしたそうです。
この個体は今でも米国の愛好家のもとにあることは有名なことです。
2019.11.29:人車共にOH中 - ピストンリングのミステリー

画像の左のピストンは日野品番:7109125310のYE28用、右は日野品番:7106120730、共に高回転向け競技向けエンジンに製作された74mmの径、所謂74ピストンです。
左のものはオイルリングがありません。当時の日野の設計&試験に関する書物を読むと、そこにはちゃんとピストンの下部ではありますがオイルリングが存在します。それはどの過程で省かれたかは分析できていません。少なくとも米国のオーナーがチューンナップした結果のYE28エンジンのピストンにはオイルリングが存在しません。またスペアパーツにもありません。
オーナーの証言によると、オイルリングは使用しなかったこと、高回転向けの薄い二つのコンプレッションリングだけを使用したとのことです。さらにそのオイルリングにはアルファロメオのものを使用、そのために大量のオイルリングをストックしていました。また、取付方法や使用オイルにもノウハウがあったようです。
以上の話がミステリーではありません。ミステリーは画像の右の74mmピストンのコンプレッションリングとオイルリングです。リングのサイズをチェックすると米国のオーナーが使ったアルファロメオのそれと同サイズです。これはいけるぞと思い、早速、イタリアからアルファロメオ1300のリングセットを購入してみました。
結果的にサイズ的には日野のそれとアルファロメオのそれは同じであり、フォーム・フィット・ファンクションとして使えると考えております。多くのノウハウがある断面形状については完全には分析できていませんが、今のところ、日野ワークスだけに提供されたOHV 74ピストンのエンジンが新品のリングを使ってOH (オーバーホール) できると期待しております。
しかし、1960年代の日野のエンジニアは何故、1950年代から市場に出ているアルファロメオ1300のTOHCエンジン (ボア:74mm X ストローク:74mm) のピストンと同じサイズであったのかが興味あるところです。
2019.11.22:人車共にOH中 - アイドルギヤのミステリー

またまたミステリーです。画像はクランクシャフトからカムシャフトを駆動するためにその中間に入っているアイドルギヤです。長年、保存したいたものです (左の部品) 。
これは日野独自の設計によりアルミ製で中間にゴムのダンパーが入っています。これはノイズの削減が目的です。ルノーを踏襲した設計のコンテッサ900では独特のカラカラ音を発してユーザーの批判をかったようです。
そこでコンテッサ1300では、アルミのギヤにダンパーとサンドイッチしたと設計者にお聞きしています。しかし、市場では900であったノイズが1300でもあると指摘、すなわち改善がないと評価さた部分です。
日野最後のガソリンエンジンとなるトヨタ向けのブリスカ1300のエンジンにはオイルラインからノズルを設けてこのアイドルギヤに吹き付け、ようやく悪魔のカラカラ音も収まり静かなエンジンになりました。しかし、時すでに遅し、生産中止になったコンテッサ1300には適用はされず市場撤退となりました。
さて、本題のミステリーは、通常は右のアイドルギヤのようにクランクシャフトのギヤ (下側二つ) とカムシャフトギヤ (上側一つ) の合マークが入っていますが、左側のアイドルギヤにはそれが存在しません。これは何故でしょうか?
目下、理由は不明であります。この未使用の部品も使う際には右のアイドルギヤ同様な位置に打刻すれば良いでしょう。大したことではありません。でもミステリーですネ。
2019.11.20:人車共にOH中 - シリンダーライナーのミステリー (続)

先日、日野ワークスに供給された排気量アップ (1358cc) の74mmのボアのライナーは標準品と異なって強度を上げるために厚いものだったことを書きました。そのスペシャルなライナーは1976年に手にしたクーペ “L” に入っていました。当時の購入先の前のオーナーは、K型の75mmピストンを使用する場合は厚いライナーを変えないとダメと強く言っていました。
厚いライナーの検証に画像を参照ください。左のライナーはストックの標準品で前回書いたように段付きになっています。右のライナーはその部分がフラットで胴回り全体も太いものになっています。つまり厚いということです。
右のライナーは日野プロトのレーシングエンジン、YE28のものです。すなわちボア:74mm、ストローク:74mm、高回転向けにスクェアにしています。下の画像でライナー下部の厚みの違いを明確に目視できます。
これで判明したことは、日野は、当初のライナー間に冷却の間隙を設けたがそれをやめて、ピストン径の増大に伴うライナーの強度を保証するために厚いものを制作していたことです。それもOHVにもツインカムにも同様なことをされたと分析します。競技向けでもロングストローク故にそんなに高回転でもないOHVエンジンにもそうしていたことに敬服するものです。

2019.11.17:人車共にOH中 - シリンダーライナーのミステリー

日野コンテッサ1300のGR100はウエットライナーです。当時の日野の技術で1-2番、3-4番の間には1ミリ弱の間隙を設けて水の流れを作ったそうです。もちろん冷却のためであります。
右の画像のようにライナーを合わせるとその隙間が明らかに目視することが出来ます。これを設計した当時の日野の技術者はこの狭いスリットのような間隙を何時も自慢されておりました。おそらく日野自動車が初めて設計した小型ガソリンエンジンなのでそれなりの思いやりがあったのだろうと思う場面でした。

そして右の画像のあるのがそのスリットが存在しないシリンダーライナーです。
このライナーは私が1976年に入手したBRE製のクーペ “L” に入っていたものです。
何時の時点にこのスペシャルなライナーが入ったかは定かではありません。
前オーナーによると、このオリジナルの設計を変えたスリット無しの厚いライナーの目的は、ボアアップしたライナーの剛性を上げるためだったと聞いております。
それは正に正論です。スポーツキットの72.2ミリ程度ならそんなに剛性を気にする必要はないでしょう。しかし、それがワークスに供給した74ミリならそれなりの考慮があったのではないかと推測するものです。
当時からボアアップしたライナーはフニャフニャになって踊っているかも知れないと我々仲間内で議論していました。やはり、競技に取り組んでおられる方はちゃんと対策をしていたのだと思います。私はこの厚みのあるスリット無しのライナーで何年も日常使用しましたが冷却に何ら問題を感じませんでした。と、言うことは日野の技術者の思い入れは技術上のよかれだったのかとも結果的にそうかも知れません。
以下に参考までに形状の画像を示します。左がスペシャルの大きなボアアップしたものです。右は標準品のライナー (画像はスポーツキット) です。見ての通り、ボアアップのライナーはフラットな構造で組み付けた際に厚みによりスリットは無くなります。問題はライナーの下部がわかりやすのですが、一番下のようにそこがカミソリ状態になってしまうことからもライナーの厚みが明らかなリスクであることは間違いありません。


追記:上記の1-2番、3-4番の間の間隙、当時の高性能エンジンであった日産 SR311 2Lエンジンの断面図をみるとありません。つまり、そこには冷却水を流してなかったようです。と、いうことは無くてもよいのではと考えます。日野の技術者は卓上の設計のこだわりを現場の実務より優先したのではないかと推測します。でもそのスピリットを否定するものではありません。 (2019.11.20)
参考文献:DATSUN COMPETITION PREPARATION MANUAL by BOB SHARP RACING with NISSAN MOTOR CORP. IN U.S.A.
2019.11.16:人車共にOH中 - コンロッドのミステリー

先週記述のようにコンロッドの差異に気づきました。
そこで色々取り出し、品番をチェックしました。先週、大端部の厚さが異なっていると気がついたコンロッドは品番 2 005 1211 00 (画像の左二つ) と同じものです。28.0mm vs. 27.7mmでした。
そこでもう一つ出してみました。品番は 7 112 1211 00 (画像の右二つ) で、これは試作品番あるいはワークス向けに出された部品です。これらは28.0mmでした。
おそらくこの程度の違いはいいのではないかという気になりました。
画像のコンロッド&ピストンの経緯は以下の通りです (思い出した際に備忘録を):
一番左:これは今回投入しようとしているセットです。先般記述のように友人からのものです。その前の使用者は1970年までFiscoで活躍したSさん、その前は1967年1月の全日本ドライバーズ選手権の優勝したダンハムさんの個体、さらにその前はピートさんが優勝した1966年10月のLA Timps GPの個体と分析します。ピストンについては、友人がエンジン始動不可の際にメンテナンスしていた当時のDELでバラし (それには自分もその場に居た) 、新たなピストンを組み込み、未使用だったものです。その状態で今日に至っています。
左から二つ目:これは1970年代の半ば、日野の試作車などの外注先の工場にあったエンジンからのもので、当時、自分のクーペに搭載したものです。ピストンは所謂、”74” でワークスに供給された薄型リングの1,360ccエンジンのものです。このエンジンは2~3年でボロボロになり、トヨタ K型の75ミリ (1,390cc程度になる) に入れ替えました。このエンジンは強力でした。
左から3つ目:上記と同じ工場からのもので、同様に “74” ピストンのエンジンで八王子の友人のクーペに搭載されていました。しかし、ある時期にダメになり、トヨタ K型の73ミリ (1,330cc程度になる) に入れ替えました。それもダメになり、その際、ジャンクとして引き取りました。面白いことにコンロッドは 7 112 1211 00 でスペシャルです。
一番右:これはBREの部品、多くの残骸パーツの中からかきあつめたコンロッドです。7 112 1211 00 の品番、同じものでこうも軽くして磨き上げたのかと感心するものです。飛行機エンジンのコンロッドを彷彿させられます。当時の米国の航空機エンジンのなども背景にしたOHVエンジンのチューンアップ技術&経験の深さを垣間見るもです。
2019.11.10:人車共にOH中 - クリーンアップ&次のステップへ

先の桐生CCFに際してエンジンルームも多少クリーンアップしました。すなわちごみ取りとアルミの磨きです。しかし、納得のいう輝きからほど遠く曇りのある状態でした。
今日はエンジンルームのアルミを重点的に磨きました。と、いうのも数ヶ月もの間、磨きを入れていませんでした。健康であれば毎週ごとに軽くゴミを取る程度に磨いていました。しかし、それを怠るとなかなか元のクリーンさに戻りません。何回か行って望む輝きになるまで、もう少し、努力して続けましょう。
今日はガレージの何年、いや30-40年チェックしてない部品を今後のために開けてみました。旧いもの・ことはだんだんと記憶が薄れるものです。時折、確かなる確認が必要なようです。その一例が下の画像です。
これは1970年代半ば、まだコンテッサ1300でレースをやるのだと頑張っていた友人から譲り受けたものです。保存のために油漬けにしてました。今日、今日になって判明したことですが、コンロッドの大端部 (ビッグエンド) の厚みがストックよりダイブ厚いと言うことです。競技向けに大端部 の強度を増していたと推測します。当時の日野のワークスカーはそんなことまでしてたのかと、感心、しかし、そのためにはこのコンロッド用のクランクシャフトが必要ということです!日野コンテッサ1300レーシングの闇に切り捨てられた歴史を垣間見るものです。

2019.11.4:想定外のルーチンワーク - 下回りのクリーンアップ

昨日、桐生クラシックカーフェスティバルに参加しました。
事前の天気予報で関東地方南部は夕方以降、雨ありと予報にありました。3時半ぐらいに桐生の会場を出て、渋滞に会い下道と変わらない時間を要した往路の高速道路は避け、復路は慣れた一般道にしました。グーグルナビも2時間30分とかその時間で高速使用に40分くらい余計な程度でした。
ひたすらグーグルナビに沿って多くが広域農業道路でほとんど信号がありません。そして新国道4号線に入り、幸手くらいでしょう、雨が突然きました。来たかと、結構、強い振りでした。せっかく、昨日、下回り綺麗にしたのと (なぜか外回りは気にならない!) 、野田近くになると道路は乾いていました。自宅には6時半前に到着、グーグルナビよりは若干多めの所要時間でした。
そんな雨にたたられ、これは悔しいと主に、今日の午後に再度、下回りのクリーンアップ、実際は拭き掃除程度ですが進めました。つくづく思うのは、このエネルギーなくなったらこのクルマを乗る資格無しというのが心にあることです。
2019.11.3:年一度のイベント参加 - 桐生クラシックカーフェスティバル

文化の日、桐生クラシックカーフェスティバルに参加、年一回のメジャーイベントです。もう何年もこの種のことに経験がないので会場の入り口では緊張をするものです。
多くの綺麗な旧車たちがいる中、恐る恐る案内された場所に駐車、そうすると顔なじみのお方数人に挨拶をいただきました。知り合いがいることは大変心強く感じました。なにはともあれ、受付に行きました。画像のような気の利いたバッグとフルカラーの分厚い参加車すべてを紹介したプログラムが入っていました。
なるほど、このプログラムは優れもの、それは参加者の個人の氏名がすべて載っていることです。ここ何年も個人情報なにやらで参加者のリストを載せないとか、氏名は削除することが多くのイベントで見受けます。この桐生CCFはそうではない、すごい、この場所は、参加者の顔が見える!これはぜひとも今後も継続いただければと考えます。ブランドアップとして大きな要素です。
さらに一言を加えるなば、残念ながら車両の画像にナンバープレートが消されていること、ここでもそうかと思うものです。ナンバー自体はオーナーの氏名同様に車両個体の貴重な履歴情報であるので個人的に消すべきものではないと考えます。検討されることを強く望みます。個体の貴重な歴史や存在感を無理やり無視しているようにもので、それなら掲載の写真はなんでも良い、昔のカタログのコピーでも十分です。
さて、まる一日、原宿竹下通りのような大勢の見学者、座ってひたすら話しかられた方への対応をしました。数多くの質問をいただきました。ここでもあったのが「ここまで自走してきたのか」とか、「部品は困っているしょう」、さらに「コンテッサの横に空気穴がないとか (900と混同) 」など珍問は避けて通れません。また、コンテッサのスタイルになると、それに見合った馬力のないクルマと言うと、「走らなくてもいいじゃない、こうやって置いて観てるだけで十分」、何とも唖然とする場面は一度だけではなかったのです!
しかし、中には「入り口の今回目玉のホンダコレクションの個体よりも貴重」だとか今でも競技走行していることを知ると「これからもガンガン走らせてください」など、オーナーとしてこれ以上ないエネルギーをいただけるお言葉もありました。「旧車は走ってこそ!走らなければ1/1のスケールモデル!」旧車は走れば走るほどクルマは良くなり、停車していてもオーラを発して美しくなるものです。ぜひ、飾っておくだけでなく、それなりに目いっぱい、クルマもドライバーも汗をかきたいものです。
午後になるとラリー参加のクルマが戻り、その際に主催者の粋な計らいでコンテッサをこちらの場所へと誘導されました。都合、4台のコンテッサ1300が並びました。以下の画像のように当サイトオーナーが以前所有していた1300DX (エンジンはスープアップしたクーペ仕様) と並ぶことが出来ました。以前も増して綺麗になり維持されていることに感謝です。
閉会式の前にはこの日の参加者への表彰式 (コンクールデレガンス?やラリー入賞と思う) がありました。たしか募集要項にはこの種の案内がありません。参加申込に際して、表彰の基準 (誰がジャッジするのか含めて) を明確にすることが必要です。事前に公開することにより審査の透明化が計られこのイベントの価値はさらに上がるものでグローバル基準に成長すると確信します。
最後に、前原実行委員長ともご挨拶できました。奥様ともどもお話をいただき、とても素敵なご夫婦と感じました。年一回のイベント参加、とても素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。主催者ならびにお寄りいただいた皆さま、ありがとうございました。

2019.11.2:ルーチンワーク - 何時もの光景

何時ものように先週の土日のビ筑の後の下回りのチェック&クリーンアップです。
ジャッキアップをして、下回りのチェックと汚れのクリーンアップ&ワックス入れです。今回は土曜日の朝が雨上がりだったこととジムカーナ場がウェットから始まったこともありフェンダー周りが結構汚れていました。汚れのキツイところはコンパウンド入りのワックスを掛けてこびりついた汚れを除去、そして全体的に雑巾で清掃後は水ワックで仕上げました。
ミッションカバー関係は1/16〜1/8程度の増し締めがありました。ガスケットが厚いので当然と思います。その他は思いの他、増し締めはありませんでした。
実は明日 (11月3日) は、おそらく初めてで最後の桐生CCFに参加します。年一度の旧車イベンド参加、今年はここを選択しました。
そのために外装に1年ぶりくらいと思いますがワックスがけしました。また、ウインドウの清掃、こちら横浜のイベント以来ですので数年ぶり、社内の清掃、これは2013年公道復帰以来です。実に不精なオーナーです。下回りはビ筑を走った後、毎回、清掃する割には外装&内装の掃除はほとんどしてないのが実情です。
最後にタイヤをノーマル&スティールホイールに替え、空気圧の調整をして完了となりました。作業時間にして9時間近く!身体の関係で通常の倍くらい掛かるようです。でも、作業に耐えられるように徐々に戻りつつあるのは幸いです。ボチボチと行きましょう。
2019.10 神無月 (かんなづき)
2019.10.28:ビギナーズジムカーナin筑波 2019 第6戦&前日練習会 (10月26&27日)

半年ぶりの参戦です。自分の不祥事で怪我をかこって5ヶ月を経た前の週の10月17日に担当医から治療は今回で終わりと、それは嬉しいものであります。当初のプログラムにはリハビリなどいろいろな項目が書かれていましたが、もう病院ではやることなしとのことです。これは早くから自主的にウォーキングと筋トレを進め、それ知っている担当医のご判断なのか?、病院にもう世話にならないというのも寂しいと複雑な気分でした。しかし、ネットなどで一般的な知識によれば、完治にはおそらくこの先長い時間が必要であり患部とうまく付き合って日常生活をする必要があるでしょう。まずはともあれ一区切れつきました。

DAY1 - 前日練習会
この日はあくまで人間本人のシェークダウンです。まず最初の3本で慣れることを目標にしました。
この日の全体的な目的は次のようです:
- 怪我の巧妙でついに投入したフルバケットシートの感触をたしかめる。それに伴うステアリングハンドルとの相性を試す。
- スパークプラグのセッティングを重点的に行う。
- キャブのジェット (MJ=135 AJ=190 PJ=60) は変えない。前回の最終を継承する。
- タイヤ空気圧 (F-2.0 R=2.6) も前回の最終を継承する。
- 三月の超ビ筑練習会で体験した荷重移動をさらに習得する。そしてターンを小さく回る。
以下が走行タイムとセッティングの状況&コース図:
<午前>
- 1本目:01:29.996 ウェット F1.8 R2.4 BP5ES-11 ステアリングハンドル 日野40cm。最終セクションの12番 左ターン、アプローチミスあり、バックしてリカバー。
- 2本目:01:15.959 ウェット F2.0 R2.6 BP5ES-11 ナルディ36cmに変更
- 3本目:01:14.129 セミウェット F2.0 R2.6 BP7ES-11
- 4本目:01:18.967 ほぼドライ F2.0 R2.6 BP7ES-11、最終セクションの14番右ターン PT1回あり!(5秒加算)
- 5本目:01:10.801 ドライ F2.0 R2.6 BP8ES-11 以降、荷重移動を重点に
<午後>
- 6本目:01:13.248 ドライ F2.0 R2.6 BP8ES-11
- 7本目:01:13.762 ドライ F2.0 R2.6 BP8ES-11
- 8本目:01:13.509 ドライ F2.0 R2.6 BP7ES-11
以下は得た感触&成果です:
<ステアリングハンドル&フルバケット>
フルバケットの効果は絶大と感じました。体の上半身&中心が固定され手足の動きが確実になり操作の集中度が増したようです。また、それに伴い、日野純正の40cmの大径は操作し難く、すぐに2本目からナルディの36cmに交換、これは正解でした。
一般道や車庫入れなど36cmでは非常に重い (パワーステアリングでない) ので日常では40cmが楽ですが、一旦走ってしまえば、あるいはクイックな操作をするにはやはり径の小さい方が非常にスムーズに操作できることを以前にも増して感じることが出来ました。
<スパークプラグの選定>
1本目のBP5ESは日常の始動などにリスクが少なく今日まで長くこのビ筑でも使用してました。今回、昔のTC2000時代に遡って冷え型、すなわちコールドタイプに振ってフィーリングがどう変わるかを試してみました。

今回、面白いことが分かりました。それはホットタイプのBP5ESが良く焼けるかというとそうでもなくBP7ESの方がよく焼けているということでした。おそらく5〜6千rpmまで回しているとBP7ESの方が綺麗に焼けたと、BP5ESはその回転には向いてないのかと素人の分析です。おそらく街乗りの4千rpm程度の低回転ではその反対でしょう。
さすがBP8ESはBP7ESより調子は良かったもののそれ程焼けてない、これは少々ダラダラとなった午後の走行後にチェックしたもので、おそらくエンジンが完全に暖まっていない状態かもしれません。あるいはリスクをもって思い切り回すべきだったのかもと思います。古典的にあるエンジンの暖機にはホットプラグ、そして本番ではコールド方向にを思い出しました。もっともこのBP8ESだけは新品でなくで30年以上も前にTC2000で一度だけ使用した年代物だったので、次回は新品で試してみたいと考えます。
オフィシャルの方に興味深いお話をしていただきました。それはエンジンのサウンドがだんだんとよくなってきたとのことです。最初はくすぶっていたようなサウンドが午前の後半には吹けているサウンドになったとのことです。それもプラグの成果かなとイイ気持ちになりました。これは1本目から何本かビデオを撮っていただいた映像をいただいものを観ても (聴いても) も明らかにその通りと分析します。
以下は7本目の走行映像 (RA2ひらさん、ありがとうございます)
以上のようで、この日の練習会のコンテッサのもろもろの調整は成果大でした。もちろん、本人の復帰のためのシェークダウンも無事終了しました。
DAY2 - 本線:第6戦 (2019年シリーズ最終戦)
この日のHISクラスは何と5台の参加となりました。ワープするようなとてつもない加速のジネッタG4、今年のシリーズ戦でダントツのカリーナAA63、これまたハイパワーの2輪のようなサウンドのダルマセリカ、そして常に安定上位走行、すばらしいエンジンのホンダS600、そして今年のレギュレーションは70歳越ハンディのある我がサムライコンテッサととても賑やかな旧車たちです。

今日も昨年来ベンチマークにしているホンダS600には4秒弱のビハインド、これは常につまりません。おそらくその50%がパワー&シャシーの差、ドライバーの技量の差が50%と分析しています。パワーの差は1970年代前後の当時の大磯などでもジムカーナを観てもホンダS600/S800とコンテッサのタイム差は2〜3秒あったので、これについては我がコンテッサが完調であれば現在も同じと診るべきものと思います。しかし、技量の差は自分の能力を考えれば経験も素質もこのような競技向けではありませんので、これからも先も欲を出さず、地道に行きましょう。目的はコンテッサが楽しく走るということを特に若い人たちに向けて残したいという事です!
この最終戦の結果はジネッタG4さんが優勝、そしてシリーズチャンピオンはカリーナAA63さん、みなさん、おめでとうございます!

来年は新たなレギュレーションになるようです。ビ筑のHISクラスは1昨年から試験的に始まり、昨年から本採用されシリーズ戦となりました。まだまだ参加台数が少ないですが、来年に期待したいと思います。旧車は走ってこそ!走らなければ1/1のスケールモデル!旧車は走れば走るほどクルマは良くなります。ぜひ、飾っておくだけでなく、それなりに目いっぱい、クルマもドライバーも汗をかきましょう。
そう、前日の練習会、オフィシャルの方のすばらしいお言葉がありました。我がコンテッサに対して、「このクルマはパドックに停車して時よりも、コースを走っている方がよっぽど美しい!」、これ以上の旧車に対する表現はありません。ありがとうございます!
2日間のイベントも我が身のコンディションを心配したものの無事に終わることができました。また、皆さまから色々暖かいお言葉をいただき本当に元気をいただきました。ズーミーレーシング&オフィサルならび参加の皆さん、本当にありがとうございました。
以下は本線1本目のオンボードカメラです。何時もながら街乗りのような緊張感のないドライブです。
参考映像:
2019.10.22:人車共にOH中 - Sparcoシート取付完了

試行錯誤の上に構造&プロセス共に最もシンプルな方法で一先ず完成したブラケットに早速スパルコ (SPARCO Speed F104) バケットシートを取り付けてみました。
今回、新調した8マークのボルト類は、20/25/30ミリを用意、これは正解でした。長さ的に取り付けてみてベストなものを選択しました。ナット側は例によってナイロンナットを使用しました。
画像がその光景です。このスパルコを購入した際に考えたのが、ドイツ製の “R” でない、日本製の “B” でもない、イタリアのミケロッティ・デザインのコンテッサにはやはりイタリア製と、なんとミーハーなものです。結果は見ての通り、自分ながらステアリングやダッシュとの全体感が決まったなと思いました。自画自賛かも知れません。
前後の高さは穴の位置で15ミリで三段階調整可能、いくつか試してみました。これ以上の調整はワッシャをかましての数ミリ単位の調整となります。
ひとまず。これで6ヶ月ぶりの今週末のビ筑・最終戦&前日練習会を楽しみたいと思います。
2019.10.20:人車共にOH中 - シートステー完成

地道に一歩づつブランクの鉄板&ブラケット流用を加工してきました。
最終プロセスとして全体の最適化を進めました。
すなわち不要な形状部分のカットや高さ調整の数個の穴、シートの方向をコンテッサのセオリーに従って若干内側方向になるよう仮止めで座って何度も確かめて調整したものになりました。
最後にブラックを塗装して取り敢えず、コンテッサ専用スパルコ底止めスペシャルの完成となりました。
明日、取り付け&調整、楽しみです。
2019.10.19:本日のデリバリー - ボルト!

一昨日の夕方、オーダーした強化ボルト (8マーク) が到着しました。今、進めているSparcoのシートのステーヤレールなどの固定のためです。
手持ちのボルトもありますが長さやヘッド形状が異なり、バラバラではビジュアルの品質が悪くなるためです。と、言ってもシートなので外からは多くは目にすることがありません。
径8ミリ、長さは、20ミリ、25ミリ、30ミリ、そして強化平ワッシャを購入しました。
折角ですから少し多めに (今回の使用量ではとても多めか?) に注文しました。何時もながら、これだけでもかなりの重量です。ボルト&ナットごときでありますが、車両全体の軽量化の観点からは、ボルト一本であっても適切なものを使用し、重量軽減したいと思いました。
2019.10.15:人車共にOH中 - シートステー溶接の便利グッズ

昨日は雨で作業を中止、ディスクワーク、本日は屋外で溶接が出来そうで数時間リカバリーしました。
久しぶりの素人溶接作業、何時ものように今回溶接の材料と同じ厚さのものでまずは練習です。そしてこれで行けそうと確信したところで本番作業です。
今回は画像にあるように “Solar Panel Variable Light LCD Lense Auto Darkening Welding Glasses” 、ソーラーパネル電源のLCDレンズ溶接メガネ、これは便利、1年前にAliExpresで送料込みで1,000円以下でした。
これは、便利、使えます。手軽なのが良い、ヘルメットのようにかぶったりと面倒なことが必要ありません。ちょっとした溶接にはもってこいです。でも、顔面の保護はまったくないことに注意しなければいけません。
2019.10.13:人車共にOH中 - シートステーの仮組み付け

先日仮加工したしたステーを取り付けてみました。まずまずの出来です。
これに加えて、スパルコの底止め用のシートレールの加工も進めています。取付位置関係は他車用なの当然会いません。色々、試行錯誤しましたが最終的にステーの溶接などばらして新しいステーを入れること進めてます。これが一番の早道であります。
久しぶりにシートなど取り去ってみると、コンテッサのキャピンのスペースは広大と思うものです。二人乗りホンダS600などに比べては倍もの広さがあるようです。これでは同じ2シーターでも鉄板の重量が倍も違うと思うものです。実際、900kg vs. 600kgの車重であります!
2019.10.12:本日のデリバリー - イグニションプラグ

今年の春先からプラグの1番下げてNGK BP5ES-11を使用しています。以下の利用によるものです:
- 始動時にカブリのリスクを減らす。
- 11にしてギャップの適正化を図る。
これらの効果は感じています。特に始動時のカブリは成功でかなりラフに、すなわち神経をすり減らすことなくいけるようになりました。これは自分だけの問題と思います。
今月の久しぶりのビ筑に向けて、街乗りではないある程度の高回転のプラグの効果を試したいと思い、標準的なBP6ES-11と若干コールド使用のBP7ES-11を入手しました。共に11です。
今までBP6ESでは11を使ってなかったので違いが楽しみです。またBP7ES-11はトップエンドでの違いを確認したいと思います。
2019.10.6:人車共にOH中 - 久しぶりに加工作業

夢だったレカロ (RS-G) を諦め、初心に戻ってだいぶ前に入手した座面がハンモックタイプのスパルコ (Spraco Sprint) を使用することにしました。
大分前からステーをどうするか悩んでいました。最初はどうしても複雑な仕組みを考えてしまいます。ポンチ絵を書いては修正、そして最後にはスーパーセットなシンプルなものが出来上がります。それに基づいて、モノタロウや近所のホームセンターから材料を調達しました。
そして今日、久しぶりにボール盤を使って加工を始めした。ドリルの歯の先端が金属に食い込んでゆく感触はいつも新鮮です。素人ながら機械加工は楽しいものです。
2019.10.5:第18回まつどクラシックカーフェスティバル (第46回松戸まつり 2019併設)

今年も地元のイベントへの参加です。ここ数年は土曜日のみの参加です。いつもながら、掃除もしないで参加する我がコンテッサに比べ、どのクルマも綺麗、デコもない、何してこんなコンディションを維持するのだろうか、それも昨年以上に綺麗に見えるのです!
今年は主催者のトップが変わりました。それなりが例年との変化を感じました。以下の辛口でその◯とXです。
◯例年の地下1階の会場に加えて地下2階の一部も会場になった。
今までの60数台の制限が解けて、110台の展示スペースとなった。
また、展示場所の番号も参加番号と同じになり迷うことがなくなった。
X 昼食、今までは専門のおばさんがおり、2〜3種類の弁当、カレーライス、焼きそばの選択ができた。
今年はそのおばさんは消えて、ただ一種類の弁当のみが参加者のみに用意された。
また、見学者も利用できた会食用のスペースもなくなった。
そして飲み物もお茶のボトル一種類になってしまった!
X 携帯の電波が非常に弱い、あるいは遮断状態。
最近のSNSなど情報の発信あるいは受信ができない。
以上のように感じました。
さて、本日は大変、貴重な個体の会うことができました。
それは、SIMCA 4CV、通常のSIMCA 1000の廉価版で、777ccの小ぶりのエンジン、内装も簡素化されており、自分としては好みなつくりです。フロントシートに座らせていただき、そのシートのやさしさ、さすがフランス車、フロアシフトは小さな力で操作できると感じました。
なお、4CVとフランスの税金の区分を示すもので、Renailt 4CVも747ccと同様な区分です。
オーナーさん、ありがとうございました。気分的にのんびりとして人生長生きが出来そうなクルマです。ちなみにオーナーさんの足車はルノーサンクとか、筋金入りと見ました。

2019.10.4:カムプロファイルに悩む (その3) - パワーの絶対指標を考える
本シリーズ、考えてみれば年初めの1月以来です。齢をとると時間の管理が悪いようです。
ここで “絶対指標” としてのエンジン出力のみで加速力を中心にクルマの性能を診てみたいと、具体的には、”パワーウェイトレシオ” です。それをベースにビ筑などジムカーナの “戦闘力” を考察してみましょう。
この課題は自車すなわちコンテッサを何馬力にすれば、例えば、ビ筑での他車に比べて加速力がどうなのかです。相対関係を診るために末尾のような表を作ってみました。
表の各ラインの背景色の黄色が自車を示します。そして想定するパワーを得られるとどの辺のポジションになるのかを診てみました。
背景の色無しがビ筑でみるクルマたちです。また薄緑はビ筑には未だ登場してないが個人的に気に入ってる旧いクルマたちの例です。尚、ビ筑のクルマには軽自動車は除外しました。理由は、メーカー公表のパワーは一律64hpであり、これは個人的な見解としてここでは参考にはならないと考えるためです。
自車の車重を860kgとしました。標準車両 (表の一般市販車:Delux & 一般市販車:Standard車 (実際には市場に出なかった) の所謂カタログ値) から走行に不要なもの全てを取り去ったり、アクリルに材質変更したりでFIA公認重量は830kg、そこにロールバーを入れたり、オイルクーラーやサブラジエータ&ヒーターを入れたりと30kg加えて860kg程度と推測しました。実際はもうちょっと重いかもしれません。
さて我がコンテッサはどんなにがんばって、すなわち本題であるカムプロファイルを検討して多少なりともパワーを得てもせいぜい85hpが現実的な数字、一応入れたみたものの90hpは非現実的と考えます。でも80hp程度になればホンダS600などに対して少し戦闘力がありそう、だが1600cc以上のクルマにはまったく歯が立たないのはこの表から明白です。ウ〜ン、これでは夢も希望もありません。まずはとにもかくにも大きな馬力、軽い個体に加速力あり、すなわち “戦闘力” ありです。
全体を見ると、現代のスポーツカーに比べて倍近くも劣るパワーウェイトレシオです。また年代に関係なくスーパースポーツたちに比較して3倍ちかくも差があります。実に絶望的な感じであり、考えるだけでパニックになります。
さらにパワーウェイトレシオについて実際に走る性能の検証をしてみましょう。今ではあまり使われてませんが加速力の指標となるSS1/4、つまり0-400mのタイムを検証すると明らかです。
当時のデータをみると、表中の6.3のフェアレディ2000 (SR311) は、15.1秒とダントツです。7.8のホンダ 1300 クーペ 9も、16.9秒とコンテッサと同じ1300ccにしては例外的な性能です。9.8のルノーゴルデーニ R8 (1,255cc) は、17.5秒とこれまたすごい性能です。12.2のホンダ S600と12.9のトヨタ スポーツ800は、それぞれ18.7秒と18.8秒です。そして我がコンテッサは、14.5、19.8秒です。これら以下の表にまとめてみました。パワーウェイトレシオとSS1/4の時間の関係は明白であり、パワーウェイトレシオが小さいほど加速力が良いことで、表のように完全に比例しています。

以上のように、パワーウェイトレシオの小さいほど、加速力が大きいことを実際に走る数値をもって証明した訳です。なお、ここでの数値はあくまで一般市販車をベースにしたものです。オプションのクロスミッションなどは考慮に入れてません。また、ジムカーナなどの現場では、各車それなりにエンジンのチューンアップ/スープアップ、そして様々な軽量化、極端にはドライバーズシートだけのドンガラ車も珍しくはありませんので現実は違った数字にもなるでしょう。いずれにせよ、ここでの数字は公に公表されている一般標準車両の馬力&重量です。
まずはジムカーナでの戦闘能力を得る第一歩はパワーウェイトレシオであることが間違いなさそうです。
この検証は正しいと考えますが、実際の “戦闘力” はどうなのか?であり、サーキット、ヒルクライム、そしてジムカーナ、それらを考えればパワーウェイトレシオの “絶対指標” であるかは再考が必要と考えます。例えば、ジムカーナの場合、それに路面とちゃんと対話できる最適なシャシーの性能 (最近ではタイヤも大きなファクター) 、そして最大はドライバー本人の性能&能力 (クルマを壊さない/無理を掛けないも要素) が大きな要素になるでしょう。つまり自分が考えるには、パワーウェイトレシオ=20%、シャシーの運動性能=30%、そして最大はドライバーの技量=50%でしょうか!
スポーツカーでないスポーティカーである非力なコンテッサも20%の効果に寄与するパワーウェイトレシオ対策のパワーアップに向けた "カムファイルの悩み” でありました。(続く)

参照文献:
- 三栄書房 ROAD TEST DIGEST (1967.9)
- オートテクニック (1969.12)
2019.9 長月 (ナガツキ)
2019.9.30:本日のデリバリー - FRAM PH30オイルフィルター

コンテッサの車検でオイルフィルターの手持ちの部品に問題あり、取り敢えず、モノタローから購入しました。早朝、調布に向かい、合わせてオーケー、事なきを得ました。
車検は無事完了、夕方、コンテッサとともに自宅に戻りました。こ
ここ数ヶ月のどんでもない生活が日常となってしまい、十分な準備なく何もともあれ車検に出しました。それが結果的にいろいろな問題へと、整備工場のみなさんには面倒をかけてしまいました。
さて、米国Summit Racingに注文したFRAMAのPH30オイルフィルターは予定通り、夕方デリバリーされました。これでこの先、数年、オイル交換に対応できるでしょう。まずはハッピーエンドです。
2019.9.28:コンテッサの車検 (続)

さて昨日のオイルフィルター騒動が一夜が明けました。
朝9時過ぎにさっそく玄関チャイムがなり、モノタロウのオイルフィルターが届きました。さすがモノタロウ、注文からわずか18時間です!
品物はAC DelcoのPF46E、外寸は予定通り一回り小さいがこれでいいでしょう。月曜日には取り付けられることを目論んでいます。
さてバックアップのSummit Racingに注文したFRAMAのPH30はどうなっているでしょうか?
発送はFedex、Summit Racingからのメールにある追跡番号をクリックしてみると、注文から20時間へた今は、すでに出荷となり、発送途中でメンフィスにあり、松戸の自宅には月曜日の午後6時に配達予定とあります。注文から70時間あまりで届くようです。
到着が楽しみです。
(追加)日曜日の朝 (9/29) の朝、ブツは午前10時過ぎにはすでに成田に到着していました。何時ものことですがここからが距離の割には時間がかかります。到着予定は明日の午後6時までですから50キロほどの距離に最大32時間かかることになります。
2019.9.27:コンテッサの車検

2013年の公道復帰から早6年、4回目の車検です。復帰当時、2013年型新造コンテッサなんで言ってましたがもう立派なメンテナンスフェーズに入りました。新造した部分のケアも必要な立派な中古車 (?) であります。
早朝に家を出て、いつもお世話になっている調布の工場には8時前に到着、しばしシャッターが開くのを待っていました。
さて、オイルフィルターを外して、新しいフィルターを入れようとしたら大問題が発生、それはネジのピッチが合わないということが判明したのです。ネットを使いながら正確なピッチをチェックしたら本来は13/16-16であり、交換用に持ち込んだのは3/4-16でした。
とにもかくにも調布から松戸の自宅に電車で戻り、手持ちを携え調布に戻りました。チェックするとやはり3/4-16。一応、この日に検査ラインに通すことは中止しました。
何でこんな間違いをしたのか、頭をクールダウンして考えたら、自宅のガレージ内に在庫しているのが昔購入したものも含めて全部は3/4-16、それがそもそも間違い、どこのタイミングで間違いで購入、そのデータを元に新たに買い足したものも間違いだったと実にお粗末なものです。1年前に入れたはずしたものが最後の13/16-16だったのです。
その場で、すぐに入手できるものをチェック、モノタロウにあることが判りました。ボデーは一回り小さいですが “フォーム・フィット・ファンクション” でヨシと当日発送可能な3時前ギりギリに注文を完了しました。これで明日の土曜日には手にする事になります。
そして家に戻り、今まで使っていた13/16-16のフィルターの同じものを米国のSummit Racingにバックアップとしてオーダーしました。
改めて感じたことではありませんが、適合に関しての情報がモノタロウ含めて、ネジに関してあるものの、大きさだとか性能 (フィルターの材質や特徴) などに国内のサイトには記述されてません。日本は品番や車種 (これもかなり大まか、あれば良い方か) というスーパセットだけの情報です。やはり “フォーム・フィット・ファンクション” でメンテナンスあるいは物事を考える土壌では残念ながらないようです。
2019.9.20:RECARO RS-G 期待そして大いなる失望!
目下、”コンテッサ 人車共OHリハビリ中” 状態、その課題の一つがドライバーズ・シートです。
6〜7月中に安静中に悶々と考えたのが日野純正のバケットシートの限界です。今回が初めてはありません。健康に何の問題のないしかも強靭な身体であればその欠点も吹っ飛んでしまうでしょう。しかし腰回りのサイズが全く合わないとか腰回りに怪我・障害があるとんでもないことになります。ビ筑のジムカーナで今まで2回ほど腰をグニャリを非常に不安になったあるいは危険になりそうな場面がありました。
今回のアクシデントで縦方向の圧迫に注意が必須です。そこでまず腰に良いレカロと考えました。事実、事務所の仕事用の椅子に1995年以来、4半世紀もレカロオフィスチェアを愛用しています。その腰に対するサポートの良さは絶大なる信頼があるからです。
そこでRECARO RS-G、日本人向けの日本仕様の小ぶりになったものです。今日、出先の帰りにレカロ製品がすべて置いてあると言われる東雲のオートバックスに行きました。やはり実際に座ってみなければわかりません。

現場にはRS-GKのみで、目当ての競技向けのRS-GEはなく、ベロアの質感などは確認することができず、現物のRS-GKで座り感を試しました。確かに横方向のサポートは絶大でした。自分のようにかなり細めの体格には良いと感じました。ただ何度も確かめると縦方向に大いなる問題を感じました。それは強靭な硬い底の面に3センチぐらいのヤワなクッションだけです。これは完全に腰椎に極度な負担をかけることになると判断しました。要は公園などの樹脂製ベンチにクッションを敷いたようなプアなものです。
みんカラなどのRS-Gの評価に一人の方が書いてました。RS-Gに交換後、突き上げが非常にきつくなったことを指摘してました。ワインディングやサーキットは良いが一般の道路での使用に不向きとも書かれていました。おそらくサスの硬いあるいはタイヤの問題もあるでしょう。と、言うことでこの意見にすぐに納得しました。
結果的に自分としては大いに期待していたRECARO RS-Gは不採用としました。なるほど、パリダカの菅原 義正さん曰く、「ラリー走行時の縦方向の圧力で脊柱&腰椎の圧迫で数センチ身長が縮んだ」は真実のようです。
また、オートバックスでさらにわかったのですが、シートレールのデータ、寸法や車種向けの情報、すなわち取り付け位置などの情報は企業秘密で出ないそうです。自分としてはコンテッサ用で一番加工し易い形状のものを知りたいと話しましたが企業秘密の一点張りでした。非常に残念な対応でした。これにもやや失望感を禁じ得ません。
また、RS-GEのベロアは座るにくい、展示のRS-GKのグラスメッシュがよいとか、さらに競技に使うならより価格の高いのを薦めるなど、オートバックスの店員の目線にも大いに抵抗を感じました。納期はこの専門店であっても2〜3週間と完全な受注とのことでした。
さて、この先どうしようか、今、購入してある競技専用品と言われるSPARCO (SPARCO Speed F104) にするか、これはコンテッサのレーシングシート同様にまれなフレーム構造で尻のクッションがバンドのケージタイプなので突上げがありません。ただ重量はRECARO RS-Gの樹脂製の5kg弱にくらべてこちらは鉄フレーム構造ですので8kg台と重いです。
しからば、COBRA CLASSIC RSにと、ただこれはじっくり確かめたことがないので不安です。
とにもかくにも善は急げ、あるいは急がば回れ、どちらにするか!日野製バケットシートを自分用に改造するのがベストを考え、当面の手間の掛からないテンポラリーソリューションを考えることにしました。
2919.9.14:神様に会う!その名は、Mr. ED ISKENDERIAN
今から3ヶ月前の6月7日の金曜日、人生の中で記念すべきことが偶然にも起きました。

それはその日の夕刻、出先からガーデナ (米国ロス近郊) のホテルに戻る際でした。交差点で目にしたのがホットロッド・カムで長年のトップサプライヤー&クリエータとして超有名なISKY RACING CAMのED ISKENDERIAN RACING CAM社の建物でした。時間もあったので飛び込みで事務所に入りました。
事務所でED ISKENDERIANさんの息子という方と話が始まり、昔の話になり、そうしたら親父は工場のどこかにいるから探して来ようと工場の中に入りました。この時、自分は何が起きているのか推測できませんでした。そうしたら、奥からどこかで見慣れたお顔の老人が出て来て、話が始まりました。ホットロッド界のレジェンド、いやそれ以上の神様、Mr. ED ISKENDERIANだったのです。びっくりしてしばし言葉を失いました。
「以前、会ったことあるか?」と質問され、実は初対面であります。そして自分の紹介をして、今、自分のクルマのカムも自分でオーバーホールしている、その写真を見せたら、「それはヨシムラのカムか、それとも…」などと会話が弾みました。

そうこうして氏は工場に入り、戻って来て、「君にこの本とDVDをあげよう」と有名な最近の書と講演のビデオをいただきました。おまけにEd Iskenderian and the History of Hot Roddingには、サインと “The Racing Brother, Satoshi” とこれ以上ないお言葉をいただきました。誠に粋な計らいであり、歳をとっても思ったことを即実行すれば素晴らしいことがあることを再認識しました。
氏は今年で98歳、まだ工場で数時間/日の作業を日課としているそうです。100歳を間近にした現役、すごいですね、正に神様にお会いしたようなものです。とんでもない大きなエネルギーを頂きました。
最後に日野との関係、と言っても日野自動車でもピートさんのBREでもありません。それは、The SAMURAI (ヒノ・サムライ) の4人目の個人オーナー (米国人) は、全く個人レベルでGR100エンジンのレーシングバージョン、YE28をサムライに搭載して、馬力を引き出す努力をしてました。それは1970年半ばでした。そのオーナーの手記によれば、最後に馬力を引き出したのが、上記の ISKY社のカムだったとあります。Mr. ED ISKENDERIANに依頼し、二種類、トルクバンドが7,200〜8,200rpmのピーキーなものと少しマイルドにしたものがオーナーに提供されたそうです。
結果的にそのカムでGR100-YE28エンジンは140+馬力に達したそうです。日野自動車のR&Dではせいぜい110+馬力だったので、OHVエンジンを何十年も手がけているカルフォルニアのホットロッドのカムチューンの奥深さを証明するものです。Mr. ED ISKENDERIANのカムを得たヒノ・サムライは、結果的に数年、SCCA SWリージョンで50戦弱戦い、3年連続オーバーオールチャンピオンを獲得しました。
最後にもっと感銘を受けることは、Mr. ED ISKENDERIANはそのカムの開発&製造に関わるコストを受けとらなかったそうです。なぜならな、当時としても旧くなったエンジン (しかも商業目的でなく個人のレーサー) のものから金はとれないと、受け取りを拒否、何ともサムライ・スピリットを感じるものです。正に『神』そのものであります!

2019.9.7:摩天楼を前に “成功汽車修理” - NYCの旧車

9月7日の金曜日、午前で予定のカンファレンス終了、午後からはオフとなり自由の身になりました。そこでホテルからすぐそばの有名なブルックリンブリッジ (Brooklyn Bridge) の橋のたもとからマンハッタンを見てみたいとそばの公園へと向かいました。
この場所 (画像参照、右端がブルックリンブリッジ) はかつてのCGTVの1989.11.5 - 世界一素敵なフェラーリスタの中の250LMのオーナーのインタビューに登場しました (参考:YouTubeに一部の映像がアップされました) 。オーナー氏は正に尊敬に値すべきお方の一人で自分とは格が違いますがその生き方を今でも範としています。CGTVのビデオを時折眺めるが楽しみの一つであります。
そんな場所に向かう途中に“成功汽車修理” という中国系オーナーと思われる修理工場がありました。そこには初期のナローポルシェが2台もリフトの上にありました。過度な厚化粧も整形美容もない AS-IS コンディションで自分の好みであります。また奥のリフトには旧いメルセデスもありました。

写真撮影の許可もいただきゆっくりと眺めさせていただきました。土地柄、冬は雪でさびがあるのかと、実際はそんなものもまったくなく実に綺麗な下回りには驚きました。修理で入っているのではなく、おそらく、売り物でしょうか?
さてこの “成功汽車修理” と摩天楼&ブリックリンブリッジはグーグルマップで見ると以下のようです。ポルシェもちゃっと見えます。(ここをクリック:“成功汽車修理” から摩天楼を観る)
2019.9.4:ベトナム初の自動車OEM - オールデジタル&新ビジネスモデル

今年も縁あって、業界大手メーカー、シーメンス社主催の年次会議に出席、今回は米国ニューヨークで開催されました。
当該企業の最新状況&今後の戦略の紹介がメインです。世界からおよそ200人ほどの関係者の一員として出席しました。
今回の個人的に大いなる興味をもったのは、ベトナム初となるVINFAST社についてのプレゼンでした。ベトナム最大規模のVingroupは不動産、ホテル、ゴルフ場を始めとするスーパーや小売り店を展開、そしてまだ手をつけてない製造業への参入へと、それがベトナム国民のための自動車への展開でした。
この展開方法 (ビジネスプロセス) が従来の方法とまったく異なるものでした。アイディエーションから続くプロセス全てがデジタル技術です。そして2017年に始まったユニークなのはデザインのコンペが行われたことでpininfarina社が選択されました。自社デザインに始まるプロトタイプ製造に至るプロセス (設計&生産) はBMW社との契約 (技術ライセンス) で進められ、およそ1年後の2018年秋のバリショーに於いてセダンとSUVが東南アジア初のOEMとしてデビューしました。
2018年末には工場 (プレス/ボデー/エンジン/塗装&組立) も完成5000人規模の従業員を配し、ベトナム国民向けのクルマが発進したようです。
ここで感じたことがかつての日本が60数年前に欧州からの自動車の技術導入が国策として始まった訳です。CKD方式での技術習得の積重ねが今日の日本の自動車産業へと長い時間をかけて発展しました。しかし、このVINFAST社の例はおよそ2年と言う短期間で自社ブランドのクルマが出来上がったのです。
重要なことはVINFAST社にクルマづくりのすべてがシーメンス社を含む多くのドイツ企業の努力 (及び技術) で成り立っていることです。そして背景にデジタルベースのモノづくりであることです。今回発表のセダン&SUVモデルはBMW社の1世代古いモデルをベースにしたものと分析しますが、アジアの新興市場のみならず世界の新興市場に大きな影響を与えるスピード感あるビジネスモデルと考えます。
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