2021.12 師走 (しわす)


2021.12.31:2021年の暮れの三日間

DAY1 - ガレージの整理 (12月29日)

 ここ半年、ガラクタが襲来して以来を経てるエンジンパーツなど、今後必要なものと使い古しの使う予定のないもとに分別しました。最大の問題は作業場賞は、どう作業場所を回復させるかです。

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 その結果、約2.5平米程度のところに作業場所が確保できました。ここにエンジンスタンドや溶接機を設置し、これで懸案のエンジン制作が半年ぶり (2021.5.8:人車共OH中 - エンジン加工 第一弾 完了!) に再開できそうです。と、なると、いろいろと新たなアイデアが、そう、ヘッドはまだ未着手なのでどうするかの選択肢の決定&段取りが脳味噌に中に組み立てが出来てまいました。この先、楽しみです。

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DAY2 - 家事&整理 (12月30日)

 まずは何十年も保存してきた写真アルバム、どうせ見ない、必要なものはパソコンに入れてあると一気にすべて棄てることとなりました。これで結婚式関係を除いてアルバムは無くなりました。そしてもう一つはもう長らく見てない大量のVHSのビデオです。ほとんどがクルマ関係で米国の本屋で購入したものばかりです。昔のFORDのレースとかホットロッドの歴史とか、ある意味では貴重と思うものの、それを思ってはいけないと一気に捨てました。これもほんとうに好きな映像はデジタル化して旧いiPhoneに入れてあり、何時でもTVで楽しめます。これで断捨離項目、やっと二つ減りました!

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 そして親父の時代からの12月30日恒例の神棚、仏壇のクリーンアップ、神棚は親父の時代からのものなにでおそらく自分の歳よりは古いのかな?いつも壊れないように扱いながらクリーアップ、そして補修作業です。そして新しいしめ縄を入れ完了!つぎに神棚のろうそくなど器具のクリーンアップ、最近はクルマ用のMothersを使ってます。ピッカピッカになるのは気持ちのよいものです。また、仏壇の鐘のクリーンアップ、これは見た目だけではなく、音に絶大な効果があります。エンジンの回転物を磨く様なもので、音色がダントツによくなります。おすすめの作業です。これらを部屋の所定位置に戻し、クリーンアップした部屋の内部とともに新しい榊のもとに気持ちよいものです!

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DAY3 - 恒例 筑波詣

 そして家事が完了し、大晦日は恒例の筑波詣です。ことしはコンテッサでは行けず、メガーヌ で参上しました。朝日峠に向かうアップヒルでローダーが前を走ってました。あれ、これ、だれか落ちた?あるいは故障?どこでだろう、なんて考えていたら何と目的地の朝日峠に入りました。そこでは赤いAクラスが待っていました。なぜか、この日は、帰路の流山出口でCクラスが、その少し先の一般道への合流地点で白いCクラスとなんと3回もMB車のローダー積み込みを見ました。なぜでしょう?ハイテクになり過ぎて人間さまと折り合いがつかなかったのでしょうか?

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 そして、恒例大御神の朝日峠の光景、この日はとくにいつもになく7のオンパレード、660も二台ほどありました。ほかにはカプチーノ、ベレット、モーガン、現代のロータス、多くのマツダNDなどなど、満車状態で入れないクルマも多く見受けました。

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 何時ものGTR、117やNAの皆さんはおられず、昨日こられたのかなと、いつもこの日にお会いする方たちと会えませんでした。また、ごく平凡なメガーヌ では箸にも棒にもという感じでした。まっ、イイか!

 そしてスカイラインを走行して裏筑波へと、陽の当たらない地域はモンテカルロ状態でした! この桜川市の山村部が実に好きな光景です、とにかく、裏筑波、西に北にと、クルマを走らすには最高のロケーションです!

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 最後に、皆さん、佳いお年をお迎えください!『筑波山さん』、ありがとう!

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2021.12.19:1965年 パリ・モーターショー - コンテッサ1300の世界戦略 (2)

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 前回、本稿アップしたのが9月、大分時間が空いてしまいました。少しギアアップしてシリーズの完結に向かいしょう。今回は1965年のパリ・モーターショーです。

 前回の1964年編はエッフェル塔を前にしたコンテッサ 1300セダンでした。

 今回の冒頭の画像はルーブル美術館近くカルーゼル凱旋門 (Arc de Triomphe du Carrousel) の前のコンテッサ1300セダンです。この画像も当時のプレス向けに多用されました。

 画像の女性は先のエッフェル塔と異なりますが、コンテッサの個体は3047 WW75のパリの仮ナンバーを持つコンテッサ1300セダンであると分析します。

 また、おそらく1965年の初めには待望のクーペも到着したようで、雪景色ではあるものの、恒例のブルーニュの森での撮影があったようです。

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国内仕様のようにサイドの日野マークはなく、代わりにJM、すなわちミケロッティ・マークが付いている。また、フロントにサイドミラーはないのも実にスッキリしている!

 さて、日野自動車の小型乗用車の師でもあるルノー 公団 (当時) の本拠地、フランス&パリで4CVから進化し、純国産車であるコンテッサ1300を発表&販売すると言う壮大な夢はどうなるのでしょうか?実は1964年のパリーショーでのデビューの際から、フランス人コンサルタントを起用した様々なアクションが見られます。その第一歩がフランスでの代理店設定だった様です。

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左のお方が日野自動車のフランス進出プロジェクトに雇われた自動車業界コンサルタントのM. Garnier氏と分析。撮影場所はAutodrome de Linas-Montlhéry (オートドロム・ドゥ・リナ=モンレリ) と呼ばれるサーキットの正面ゲート前に間違いない (Google マップ参照) 。右のお方は、おそらく人相&服装からこの施設の担当者だろうか?他の場面でも登場する人物である。

 そしてPR向けのメディア対策、フランス自動車雑誌のナンバー1のL’AUTOMOBILEの1965年5月号に有名ラリードライバー&ジャーナリストにより “HINO… une japonaise“ として、日野コンテッサ1300セダンは、OPE: REORDやFIAT 124と肩を並べて大々的に試乗レポートと共に詳細な紹介記事となりました。

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 評価には、ロードホールディング良し、しかしブレーキングに不満、エンジン音が騒がしい、サスペンション が硬すぎる、ギアのシンクロが温まると障害あり…などが書かれています。自分の感覚とドンピシャです!詳細はこちらを参照:196505_L'AutoMobile_Hino.pdf

 販売チャネルについては、E. Dujardin SA社 (パリ12区、323. RUE DE CHARENTON) と契約できたようで、以下の様な広告も上記のL’AUTOMOBILE誌にも掲載されるようになりました。

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HINO - ROBUSTESSE FINITION JAPNAISES、英語ではROBUST JAPANESE FINISH、つまり "堅牢仕立ての日本車" であろう!オートドロム・ドゥ・リナ=モンレリでの白いセダン (7152 W 75) は、”MADE IN JAPAN" がドアに描かれている。”信頼の品質の日本” みたいなものがM. Garnier氏の戦略だったのだろうか?

 1965年は、実車の販売に向けて大きな進展がなかったように見えます。その背景の一つには、フランスでのホモロゲーション、日本で言えば、運輸省の型式認定に相当するものが得られなかったと分析します。もう一つの問題は日本からどうクルマを送るのかの問題も根底にあったと考えます。

 しかし、そして1965年のハイライトはやはり本稿のテーマである第52回パリ・モーターショーです。何といっても前年の1964年含めも当時の日本のOEMは日野自動車以外、この場には居なかったのですから!

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第52回パリ・モーターショーの日野のブースには当時のシャルル・ド・ゴール大統領 (18代、Charles de Gaulle) の来られ、コンテッサ クーぺを見学されたようだ。中央の大統領の右横には、日野自動車のコンサルタントのM. Garnier氏がおられる。大変、貴重な歴史の記録と考える。

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このレイアウト図から診ると、上のクーペの画像の向こうにはGLASが正しく見える。想像が膨らんで面白い。手元にある他の画像などの分析をすると、日野の右隣のSBARAは出展しなかったようで、そこにはコンテッサの白いセダンが鎮座していた。

 1965年、このように販売チャネルや価格設定もされたものの、販売開始は至らなかった様です。それについては、次回に記述しましょう。

 以上、紹介の各種、画像や雑誌、これら多くはパリの例のクルマ専門の古本屋で入手したものです。それも一回で集まったものでありません。以下の白いコンテッサセダン (1009 W 75)、L’AUTOMOBILEの1965年5月号の試乗に使用された個体、この写真もこの古本屋で入手しました。その裏には、なんと “L’AUTOMOBILE” も印 (参考までに、画像に貼付け) が!寸法などいろいろ表記があり、おそらく編集に使われたものと分析、そんなものが流れて来る、パリの古本屋です!

20211224 1965 Paris L'AUTOMOBILE


 冒頭画像のルーブル美術館近くカルーゼル凱旋門 (Google マップ参照) に、ビジネストリップの縁があり、ついでに自分の足で出向きました。この前でコンテッサ1300と当時の日野自動車の内田 一郎さん (素晴らしきカー・ガイ達) たちは欧州進出を目指していたのかと、勝手な妄想をし、感無量でいたことを昨日のように思い出します。実はその後も機会あればこの地を訪問しています。自分にとって、幾つかある日野コンテッサ1300の聖地なようなものなのです。

20000903 Paris Arc de Triomphe du Carrousel
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2021.12.11:みんカラ、過去所有のクルマの登録?

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 今日、ヤフオク見たら、日野ブリスカが出てました。結構な入札になっているようです。そこで思い出しのが昔、所有したトヨタ・ブリスカです。

 日野j自動車は、トヨタ業務提携の証しとして日野コンテッサと共に小型ピックアップトラックの日野ブリスカ1300 を撤退しました。しかし、トヨタとして空白だった小型ピックアップ、すなわち日産やいすゞに対抗するための一時しのぎとして、1967年4月 (昭和42年) からトヨタのブランドとして、少々改善が施されて販売されました。結果的に1年間の期間限定販売で、新しい車種:ハイラックがでました。

 思い出したついでに、みんカラの過去所有に登録しようとしたものの、日野ブリスカは該当しないなのでダメな様です。残念!以下は、紹介しようとしたテキスト:

++++++++++++++++++++++++++++++++

 1995年のとある時期に仲間内で、トヨタ・ブリスカがとある所にありエンジンだけを使おうという話しを聞きつけました。そう、エンジンは日野コンテッサと同じですが、次期モデル向けのパワーアップされたものが、トヨタ・ブリスカに搭載されていたのです。

 当時にしても、何しろ走るブリスカは世の中に存在しません。これはいかんと思い、その個体を保有している船橋市の中古業者に問い合わせをして、結果的に車両を買い取ることにしました。まったくもって浦島太郎みたいな話しです。

 車検は切れてましたがちゃんと走る状態であり、仮ナンバーで松戸に帰りました。ただ、我が家は空いた土地がある訳でもない普通の住宅であり、当然の事ながら駐車スペースがありません。近所の駐車場を契約して保管しました。

 ピックアップ・トラックは1980年代前半、長期滞在中の南カリフォルニアで友人のフォード・ランチョロ(7th Generation)をご好意で貸していたきました。女房の足車にと、そして週末の家族4人の足にさせていただき堪能し、ピックアップ・トラックは、今でも憧れの車です。

 そしていずれは、チーム・サムライの日野ブリスカのようにレーシング・コンテッサと全く同じ白のボデーに橙のストライプのカラーリングを入れようだとか、デフの減速比が大きいのでダットラ流用で乗用車並みのものしようかと誇大妄想だけが空回りしてました。

 その昔、ピート・ブロックさんのBRE側は日野に、日野ブリスカ1300でバハ1000などのデザートレース参戦を打診してました。しかし、日野はピックアップトラックのレースを理解することはなかったようです。

 結果的に購入したトヨタ・ブリスカは、月極駐車場のまま、時折、その中を走行したりして、4年弱を経た後、幸運なことにトヨタ・ブリスカのファン(映画:ワイルド7)である愛知県の若い方のもとへと嫁ぎ、その後、車検も取得しました。

 以下は、その当時の画像です:

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2021.12.8:SCCJ Time Trial @トミンモーターランド 参加記

 先の日曜日 (12/5) 、縁あって、由緒ある自動車クラブ:SCCJ (Sports Car Club of Japan) のタイムトライアルに、ビ筑のHISクラスの皆さんと参加させていただきました。愛機、コンテッサ ではなく、ルノー ・メガーヌ 2.0 CVTです。

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 場所は茨城県かすみがうら市のトミンモーターランド、ボクにとって、松戸の自宅からは比較的アクセス、時間含めて楽であります。

 このイベントはトミンモーターランドのBコースを使用、元自動車教習所だったとか (Aコースは2輪主体の立派なミニコース) 、当初は、このコースでどう走るのだと大いに疑問がありました。以下は、当日のコース図です:

20211205 SCCJ Course

 このコースを二周回ってタイムを計測、この日は都合、3回のトライアルの設定となりました。もちろん、その前に完熟走行みたいのを何周か集団でノロノロと、これはコースを記憶するにはとても良い方法だと思いました。

 さて、以下は本番走行の1本目のオンボードカメラと仲間のIntermeccanica 356さん (映像をMTKS) の映像を合成したものです:


 はじめてのイベント且つ1本目、大分、緊張気味で走行、では2本目、3本目のタイムが良くなったのかと、残念ながらこの手作り感満載のイベントはアナウンスもなし、計測の発表もなく、実際のところ分かりません。

 では、オンボードは、残念ながら、2&3本目はオンにするのを忘れてました。美味しい弁当をいただいたり、会場の雰囲気でついついのんびりしすぎた様です。歳はとりたくないですね。

 今日は、3本目、実は珍事が発生後からスタートした筈のビートルがゴールではすでに先に入ってました!何故?出走待機中のIntermeccanica 356さんのオンボードにはちゃんと、証拠が、ボクは二周後、チェッカーは振られてなく、そのまま、走ってしまったのです。

 そう、走行中の自分はチェッカーがある筈なのだが振られてない!、アレッと考えながら、仕方なく、そのまま走ったのがちゃんと記憶に残っており、これまた、正しかったと、チェックカーが振られるまで、どうも永遠に走りそうですね!

 なんだかんだで、最後に表彰式、ビ筑のHISクラスメンバー、Ginetta G4さんはSSクラス2位、Intermeccanica 356さんはNクラス3位という入賞結果でありました。

 この日は好天に恵まれ、また寒くもなく、昼の弁当も豪華、そしてなにより、実にゆる〜い運営が良いのかなと、また、この小さなコースでこれだけ楽しめるのはすごいなと一同の意見が一致、来年もと言うことでしょうかね!

 皆さま、お疲れ様でした。以下は当日、我々のクルマたちと個人的に最も気に入った一台 (エンジンが?) です:

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2021.12.7:旧車のハイドロ・シリンダーのスリービングについて

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 旧車の世界でではこなれている車種には問題のないブレーキやクラッチのハイドロ (油圧) シリンダーのお話しです。

 残存台数も少なく、流用&共有部品もなく、それも販売開始後たったの二年数ヶ月の販売 (事実上であり、メーカーの発表はもっと長いが...) で市場撤退を戦略的に強いられた日野コンテッサ1300はそれらの部品などはおいそれと手にすることができません。

 1980年当時以降、所属していた日野コンテッサ クラブではこのハイドロシリンダー (ブレーキ &クラッチ) の対処が長い時間かけて議論してました。それはそれで深刻な問題であるものの、"船頭多くして船山に登る" ごとく、議論はあるものの誰一人とも現実的なアクションを取るものはありません。しかも、世界の潮流であったスリービングを言う手段については、当初から説明していたものの、素人の意見は全く取り上げられることなく、日本の伝統的な旧来の方法の域を脱せず、何年もの間、不毛は議論が繰り返していたのです。

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これは使用過程品、’多くはこのように中にシリンダー面はグリコール系フルードと空気の進入で錆が発生している。また、外部のグリコール系特有の錆が発生してしまう。

 スリービング (冒頭の画像を参照) とは、欧米のクラシックカーの雑誌などによく書かれているもので、それは傷つき、使用限度が過ぎたシリンダーを修復する手段です。シリンダー内部を削り、そこに新たな円筒状の金属を入れ込む、すなわちスリープで新たな面を作り直すものです。材質には多くはサビに強いステンレスやブロンズが使われます。また、インサートにするには金属の特性を考慮した焼き嵌めを使うというのがボクの理解です。素人やガレージ工作では難しいレベルの経験とノウハウを必要とする技術だと思います。

 ボクは1980年代のある時期、英国自動車誌の実に小さな広告、確か、”Over the Sand...” なんとか言うスリービング 専門の業者を見つけ、早速、手紙を書きました。基本的にサイズ (内径) などの説明で、受けてくれることになりました。第一発目は自分用と予備の二組 (ブレーキ マスター、クラッチマスター、クラッチスリーブ) を送りました。

 航空便で送り、すぐに作業が終わり、手元に戻ってきました。実は欧米ではこの種の作業は昔から常識的且つ日常的に行われいるものだったのです。価格的に、材料費とおそらく作業時間分の工賃程度 (1時間?) でした。

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英国の業者によるのコンテッサクーペのクラッチマスターシリンダー、ステンレスのスリービング。

 早速、自分のコンテッサクーペに取り付け、テストをしました。近所を走ったらすぐにジャッキアップしてフロア下のブレーキクラッチマスターシリンダーを目視点検、それを徐々に距離を伸ばす、また少しずつ、過酷な操作を加えると、何度も何度も繰り返ししました。

 この時、初めて知ったのが、ブレーキ よりクラッチの方が過酷な状態にあることも身を持って経験しました。すなわち、マニュアル車は走って止まるまでに、クラッチは4回,完全フルストロークの操作、それに比べてブレーキはたったの1回、それもクラッチとちがってせいぜい10mmもない軽い動作です。その結果、町内一周くらいでもクラッチはシリンダーがかなりの温度で暖まる、しかしブレーキはそんなことはない、と、いうことです。如何にクラッチの方が過酷かということの結果です。そうです、これがクラッチシリンダーの方が痛みが早い、多いという根源なのです。

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英国製のステンレスのスリービングマスターシリンダーのテストベットになったコンテッサ
当初は初めてのことでビクビクだったが段々と自信がついた!

 それはそれで、この英国の業者にはその後、友人分などを依頼、そして90年代の後半でしょうか、3度目の依頼を打診した時です。どうもこのワンマンカンパニーの親父は神に召されてしまい、かなり時間を経て奥さまから「もう出来なくなりました」と、丁重に手書きのお手紙をいただきました。その親父は生涯、毎日々世界中からのハイドロシリンダーにステンレスを焼嵌圧入 (スリービング) していたようです。その技術と経験だけで世界のエンスー相手にビジネスしていたのです。まだ電子メールも無い時代には、手書での手紙のやり取りでした。

19921031The 1st La festa Mille Miglia in 1992

1992年10月31日 The 1st La Festa Nille Miglia in Japan での日本GP再現模擬レース
この頃には英国のスリービングで普通に走っていた!

 そして時を経て2000年に入り、当時、米国のフォード・マスタング(60年代)を得意とするステンレス専門のSSBC (Stainless Steel Brakes Coeporation;現在はStainless Steel Brakes Reborn in Western New Yorkを参照) に打診しました。出張ついでに、ナイアガラの滝近くの現地を訪問し、工場を見せていただいたり、友人たちからあづかった4〜5組のシリンダーを持ち込んだりしたものの結果的にそこでの作業は断念、社の加工方含め色々議論しましたが最終的にここでは加工せず、航空便で送り返してもらいました。ここは個人の工場ではなく圧倒させられる様なかなり大掛かりな設備と従業員を抱えた会社でした。

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 次に行き当たったのは、米国ニューヨークのロングアイランドにある英国車専門(ジャガーやMGなどダンロップ系のブレーキが得意技:Apple Hydraulics社)に話しをももちかけました。社は基本的にブロンズもステンレスも可能(ステンは少々金額が張る)、そして焼嵌加工後のシリンダーの再焼嵌も手がけています。また、加工前にはシリンダー外面のブラスト、後処理の錆止め塗装も表重プロセスでした。ここはその後、何度か仕事をお願いしました。

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Apple Hydraulics社の送付する前のクラッチマスターシリンダー、コンデションは色々。これと同数のブレーキマスターシリンダー、その他、クラッチスレーブの少数のドラムのホイールシリンダーもあった!

 このApple Hydraulics社は補修の再度のスリービング、すなわち焼嵌 (確か2回までと言っていた) 出来ると言う、その理由は実物を見たら理解出来きました。圧入の材料が非常に薄い、ここまで薄いかと言うか、つらいち、そんな感じで、これでは後、2回は確かに大丈夫だなと感じさせます。こんなところに彼らなりにそれぞれの長年の経験と技術があり、それを大切にして商売をしているのではないかと思いました。実はここも先の英国の業者すなわち親父と同様に、たった一人で世界のエンスーを相手にネットと国際宅配便で商売していることが後々判りました。SSBC社の大量生産体制と違った、一人の職人がコツコツと地道に仕事をするというのが如何に大切かも学びました。

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Apple Hydraulics社から戻ったコンテッサのシリンダーたち。
表面はブラストされ錆止め塗装も!

 そんなこんだでApple Hydraulics社にはその後、数回、コンテッサのシリンダーを送りました。都合10本以上も送っても1日程度の作業時間のようで、翌日は発送されます。また、取付部分などヒビもろう付けで修理します。もちろん追加工賃は発生します。また、ピストンなど入れっぱなしだとそれを抜く実費コストが発生しますが、当然と思います。スリービングだけのコストは100ドル/本前後 (Apple Hydraulics社価格表参照) なのです。また、長さによって価格は異なります。あくまで作業工数との関係であります。これは欧米では常識です。

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風を開けると、こんなように見事に綺麗になっている!几帳面にもPOも。

 コンテッサのシリンダー、総計でいうとおそらく20台分以上は微力ながらボクがお手伝いできたのではないかと自負しております。遥か彼方の昔にコンテッサクラブを退会しておりますが、在籍時代、素人のボクのやり方と違って、クラブの自動車修理屋さんが中心に国内の業者にシリンダーをマスで作らせたようで、これも結構、寿命が早く来てしまい (これはおそらく設計思想の貧弱さが原因?) 、その後も国内の機械加工業者にスリービングを委託しているとか、実はそれらがボクの個人的な行為と並行的に走っていたのです。それはよかったのか、あるいはクラブにクルマ屋さんを中心とする幹部の皆さんに迷惑をかけたのかは今も心の片隅にしこりが残る結果となっております。

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シリンダーの内部はこんな感じ、これはステンレスで依頼。
スリーブの厚さが非常に薄い!補修加工ができるという自信が窺える。
つまり、ステンレスであろうと、錆は避けれても傷は避けれないということである。

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このホイールシリンダーは矢印のブリーダ周辺に亀裂が入っていた。
ロウ付で補修、コストはUS$20.00ほどだった。

 さて、このスリービングについては、コンテッサのブログに掲載しておりましたので、コンテッサ以外の車種でお困りの方から相談を受け、紹介をさせていただき、皆さん、ご自分で発送などされて、無事、愛車が復帰したと、感謝のメッセージをいただきボクも嬉しく思っております。

 実は奥の深いスリービングの技術、取付マニュアルを参照

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このコンテッサ1300DXはすべてのシリンダー (下の画像) をステンレスのスリービングを施した。
この1台分の都合7本の加工のみの総費用は約US500.00程度 (約5万5千円) 。
この個体は、グリコール系フルードに換えてシリンコン系フルード (DOT5) のテストベッドにもなった。
そして、ある時期に北関東方面に嫁いた。朗報は今日に至るまでトラブルは聞いていない!

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2021.12.2:PLANES OF FAME - 12月4日 (土) の三菱 A6M5 "Zero" イベント

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 毎日&毎週、米国カルフォルニア州チノ市のPLANES OF FAME AIR MUSEUM  (プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館) からフレッシュな情報が配信されてきます。

 今は亡きエド・マロニー (Ed Maloney) さんがご自身の第二次世界大戦時代の航空機を中心としたコレクションやレストアプロジェクトで始めたのこのPLANES OF FAME AIR MUSEUMです。確か、最初に訪問したのが1970年の遅い時期で、零戦も秋水も屋外でバラバラの状態で保存されていました。その後も機会あるたびにある事情・理由 (!?) を理由に何度も訪問し、この場所の空気感が気に入り、それが麻薬のようになっております。

 この博物館のモットーは、Huonor (敬意)、 Educate (教育)、 inspire (奮起)、 preserve (保存) であり、それに従って、永遠とその活動が続いておるようです。

20211202 ZERO SPL Event

 さて、表題のイベントの案内、以下のような触れ込みです。

The Day of Infamy - 80 Years Later" This Saturday, December 4, 2021
Museum's Mitsubishi A6M5 "Zero" to Fly Following Special Edition Hangar Talk!

 12月4日 (土) に三菱 A6M5 "Zero" すなわち零戦を飛ばす、ついては格納庫で特別トークを実施!と、理解すれば良いでしょう。

 そして、ホームページを覗くと:

Special Edition Hangar Talk - The Day of Infamy: 80 Years Later
格納庫での特別トーク - 屈辱の日:80年を経て

 とでも解釈すればよいでしょう。日本人にとって、ちょっと微妙なタイトルです。しかし、毎年、この時期 (すなわち、12月7日の真珠湾攻撃) には米国ではよくある事象だと思います。すなわち、今でも規則正しく、歴史を語り継いていることだと理解します。これが、正に冒頭に書いた、Huonor (敬意)、 Educate (教育)、 inspire (奮起)、 preserve (保存) であると理解します。

 PLANES OF FAMEの格納庫イベントでのトークは、多くは当時の生証人あるいは歴史家を中心に脈々と1〜2時間、語るというもで、ただただお話しをすると、でも大切な行為でしょう。今回の以下の内容です (カッコ内は抄訳):

1. The Prelude to the Pacific War (太平洋戦争の前兆)
2. "Air Raid Pearl Harbor" (空襲真珠湾)
3. Heroes of December 7, 1941 (その日 (12月7日) の英雄)
4. A Look at Pearl Harbor in Popular Culture (ポピュラーカルチャーに於ける真珠湾の考察)
5. The Story of the Museum's A6M5 "Zero" (博物館のA6M5「ゼロ」の物語)

そして、

◎ Guests will be able to see the Museum's Zero start its engine and taxi away at 12:15pm 
  (ゲストは、博物館のゼロが午後12時15分にエンジンの始動と誘導路移動を見ることができる)
◎ Aircraft will fly over the Museum for 20 minutes
  (機体は博物館の上空を20分間飛行する)
◎ Question and Answer with the pilot to follow flight
  (飛行後、パイロットとの質疑応答)

 と、誠に素晴らしい内容です。

 この様なイベントがもう何十年も継続されてるわけでただただ敬服するのみです。また、当時の日本の航空機がこのように大切されているということに何時も感動しております。

 以下は、今から5年前の2016年4月に訪問した際の思い出です。その4月末の恒例の航空ショーに零戦を飛ばすということで、それは貴重な光景を目にしました。つまり、世界唯一オリジナルエンジンで飛行可能な零戦のオーバーホールでした。

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 お話を聞くと、飛行可能になって以来、大きなオーバーホールはなく、今回は37年ぶりとかで、機体をバラバラにしていました。お話によると、バルクヘッドの半分は新たなパネル、キャノーピーのグラスは新造、ナット&ボルト類 (SAEに) 、配管&配線なども新しいものになっていました。ボデーは全て剥離し、必要な部分の修復、再塗装をしていました。2週間後には飛ばすとのことで、新造なった零戦がエアショーで登場する訳です。

 お話した現場のエンジニア (多くは正真正銘のボランティア) の方に、日本の零戦をこのような飛ばすための正しいメンテナンス&リノベーションの行為に日本人の一人として感謝を述べさせていただきました。

 歴史的な旧いものに対するこの種の扱い、すなわち手法、材料だとか、メンテサイクルなど、足元にも及びませんが、何時も自分の所有物 (日野コンテッサ1300クーペなど) に対しても大いに参考にさせていただいております。

 以下に幾つかの画像を添付します:

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