ヒノ・サムライ研 – 日野コンテッサ&モータースポーツの歴史

(Research Center of Historic and Existing Hino Contessa & Hino Samurai Cars)

今日、どの程度多くの人々は日野コンテッサと言うクルマを知っているでしょうか?

Notice – 本サイト、システム上のアクシデントにより新たに再構築中です。過去2年のコンテンツの修復努力をしております!(2025.6.10)

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 日野自動車は第二次世界大戦以前から日本の工業立国のために大衆車製造を語り、その後フランスのルノー社と提携し、大衆車ルノー4CVの国産化、そして社運を賭け、精魂を尽くし、自社技術の日野コンテッサ1300を世に出しました。
 他社に先駆け世界に向けて輸出を目指しました。欧州ではコンクール・デ・エレガンスで毎年大賞を得ました。国内では、’第二回日本GP(1964年)に国産初のフォーミュラカーで参戦、また国産勢初のサファリラリーへの参戦日本車初の米国でのセダンレースを仕掛けたていたことをご存知でしょうか?
 歴史とは単に語り継がれるだけでは、特定の部分が意図的に強調されたり、歪みを持って継承されがちです。過去にあった有名メディアによる “プロジェクトXXX” の世界では、得てして我ら日本人は、コトのホンの一部 (本質ではない、あるいは検証されてない) をまつりあげて涙の物語に浮かれてしまいます。
 そんなことでは真の真実は伝わらないでしょう。本サイトはそんなことを目論み、真の真実を目的としています。ビジネス面、産業面から見れば実にマイナーな日野コンテッサについて:
    • 現物を持って、
    • 当時の現実を理解し、
    • 更にそれに今もって走るために磨きを掛ける努力をしている皆さん(プロジェクト、モータースポーツ)を忠実に、
    • 点でしかなくなったデータをつなぎ合わせ、情報にして、
    • 真実の起源、歴史、そして現状を夢を持って語り、検証&実証する以外ありません。
 日本の工業立国のための生まれた日野コンテッサの歴史について、クルマ本来の走るコト含めて文化的価値をもってバーチャル&リアル共に次の世代に正しく伝えることが出来れば幸いです。
 永年に渡り情報整理に多大なご協力をいただいた日野自動車&関係者並びに情報提供いただいた友人たちに感謝いたします。(江澤:サイトオーナー、(以下、SE))

日野の当時の雑誌広告:モーターファン1967年2月号より

 日野コンテッサ1300の発売の時代、まだ高校生であった当時(サイトオーナー)、街で見たボデーライン(特にフロント)が低く見える流れるようなスタイルのコンテッサを、将来何時か自分のものにするのだと夢に見ていた。そんな中、このような広告を目にし、日野コンテッサ1300に対するイメージを変えてしまった。
 ヤワなクルマでなく、実はハードなクルマなのだと。
 サーキットの中でいかにも飛び出しそうなアングルに心が惹かれたのだった。本当にこのようなクルマを手にしたいと決意した広告であった。
 尚、ここにあるリバーサイドの写真には秘密が隠されていることを、25年を経て判明した。マーケティングの魔力は恐ろしいものだと思った。(別途記述予定)