一昨日、旧知の友人の所用に同行、道中の車内で、「何故、コンテッサ1300クーペ?」と質問があり、とっさに答えるほどの俊敏性が欠けたしまった年齢になったのか、あるいは簡単に一言で答えるほどの簡単なものでないのか、「他に選択肢がなかった…」なんて本音ではない中途半端な会話をしてました。
これはいかんと思い、思い出す努力を、...ありました。我がHPのコンテッサ暦の「1964年〜1970年」に、原点をちゃんと書いていたのです。時は高校生、クルマは当然無し、つまり誰もが誇大妄想に明け暮れる時代です。高校生の頃は、コンテッサ1300、ホンダS600、そしてジープがあれば完全なコンビネーションと友人たちと少年たちの夢を話していた記憶があります。
ただ、コンテッサ1300だけは別格で、それはおそらく、市内の何かのイベント(警察?)で画像のような交通安全標語のコンテッサ1300のポストカードセットをいただいたことにあります。購入もしない少年に大変立派なカードセットを振舞った訳ですから日野ファンあるいはコンテッサ1300になったのです。特に当時は他メーカーにはワインレッド (ピンク色に近い) メタリンクカラーのクーペが印象的でした。
そして、近所のモータース (オリエントを含む日野車販売の修理工場) だったと思いますが、以下のようなカードセットいただきました。何故か、これもワインレッドのクーペ、そして封筒はなんとも洒落たことにワインレッドと凝ったものでした。当時の日野自動車のマーケティングのセンスを感じております。
その直後の1964年の東京モーターショーのNHKニュースで日野自動車の説明員は、「この新しいコンテッサ1300は、イタリアのミケロッティ氏によるもの。このすばらしいスタイリングは向こう10年は持つ」と、自慢げに語っていた光景、これでスタイリング中心ではありますが完全な釘付けになりました。すなわち、心に刻み込まれた決定打となりました。(画像は参考までに1965年東京モーターショー)
そんなかんだで高校2年のころ、近所の6号線の松戸トンネルで初めて走っているコンテッサ1300クーペをカメラ (リバーサルカラー) でキャプチャーしたのも、何とのワインレッドのクーペでした。走行姿がとても格好良く見えました。
また、米国のTEAM SAMURAIの活躍、すなわち走っている姿がものすごく格好い、そうコンテッサ1300は静止しているよりも走っているそれがいいんだと感じました。これは大きなインパクトであり、さらなる絶対的な決定打となりました。(末尾の画像参照)
その後、何年も経て、普通のサラリーマンになって初ボーナスをはたいてクーペを購入、残念ながらワインレッドメタリックでなく、モスグリーンメタリックでした。中古車ですから仕方ありません。(その前に半年ほど、セダンSを使用)
さて、実車を手にすると、有頂天もすぐに目が覚めました。友人たちのどのクルマ (コンパーノ、410SSS、サニークーペ、ホンダN600など) に比べて、自分としては走りに満足するものではありませんでした。自分の個体だけが悪かったのでしょうか。。。あるいはドライビング技量の問題でしょうか?
スタイリングは良し、イヤ、完璧、しかし無いものが一つあり、それは走り、TEAM SAMURAIのコンテッサのイメージにはどうしても程遠い!そこにある自分にとって完璧なキャッチコピー:「国際舞台で実装した高性能とスタイル」、これでノックアウトされてるのですが。。。
ではどうすれば、もっと気持ちいいコンテッサクーペにするにはどうすればいいのか?実はこれがその後、半世紀近く続いているのです!これが’持続するエネルギーの源、おそらく終着駅はなさそうです。