2019.1.19:カムプロファイルに悩む (その4) - 過去の実機に学ぶ

 もう四半世紀以上になる時代に制作&使用したエンジンを当時の映像とともに検証してみましょう。おそらく反省材料もあり今後の改善策に役立つと考えます。

 その当時はシミュレーションなど使っていませんでした。組み上げて走った感じ、すなわちリアルでのデータのみが頼りの綱でした。と言っても、脳みその中あるいは体感の記憶がDNAのようにあるのは幸いです。それを今進めているシミュレーションでの分析との比較、検証をしてみます。すなわち、今日のIoT技術のようにリアル (現物) とバーチャル (仮想シミュレーション) です。

 シミュレーションの結果のグラフ (トルク表もあるがここでは省略) には下記の三つのエンジンを想定しました。出力はSAEですので10%ぐらい差っ引く必要があること、実際は感覚的に15%程度でしょう、それらにご配慮ください。

  • エンジン A (青線グラフ):標準クーペエンジン、ただしエキパイ&マフラーは3馬力アップのスポーツキット装着。よって都合、カタログ値では68馬力/5,500rpm程度。シミュレーションもそのようになっています。76馬力/5,500rpmX0.9=68.4馬力ですのでまあまあのシミュレーションです。
  • エンジン B (赤線グラフ):75ミリピストンにより排気量は1,251ccから1,395ccとおよそ12%アップ。吸気バルブは36->38ミリに拡大。圧縮比は9.0で変わらず、カム (272度) とマフラーはスポーツキット。86馬力/6,000回転程度です。トルクが上にシフトした分だけ3,000回転あたりは標準よりも落ちています。キャブはストックのSUです。
  • エンジン C (緑線グラフ):73ミリピストンにより排気量は1,251ccから1,322ccとおよそ6%アップ。圧縮比は9.3程度です。カムはEngel (273度) でリフト量は13ミリ (日野は9ミリ) ほど、キャブはソレックス40PHHです。排気量が小さいにもかかわらず中高速域が1,395ccよりこちらの方は強力で97馬力/6,000rpm+程度で、より高速型になります。その要因は主にバルブのリフト量と少々の圧縮比、それにBRE製のエキパイによるものと大と考えます。マフラーのスーパートラップはパワーにそんなに関与してないと考えます。

 グラフで見るとそれぞれ出力の傾向ですが実際の走行感覚は少々異なります。ボアの大きい方はトルク感大でありますが、ボアが小さく、パワーピークが高い方はより回る感覚であり、超軽量のフライホイール使用で加速も二輪のエンジンのようにも軽く回る感覚を記憶しています。

20190120 GR100 Simulation


 では、この二つのエンジンは現場でどうだったか、当時の走行ビデオを振り返りながら分析してみましょう。

 まずは、エンジン Bです。以下の映像は1987年3月28日のTACS (現JCCA) スピードフェスティバル、場所は筑波サーキット (現TC2000) です。


 この日はP68クラス (1968年以降のプロダクションクラス、何故かそれより旧いコンテッサではあるが初年度登録で新しいクルマたちと一緒になった)  、とても速いレーシングミニ (ストローカーエンジン?) につられて黄色いホンダ S8003台と共に上位グループに割りこみ、中盤で第二集団を大きく引き離してました。そしてミニはほどなく撃沈、その後はホンダの一台も撃沈し、結果的に3台のみとなり二台のホンダに続き3位に入りました。最終ラップで後方集団を半周くらい引き離していたようです。

 以上がエンジン Bの結末です。この日のミッションは富士用 (3.12-1.76-1.24-0.97) クロスでした。この日の走行を検証するならば、このエンジン Bでは短時間であればホンダ S800のようなGTクラスの実力車と互角に走れると感じます。ただストックでレーシングカー並みのホンダはおそらく何時間でも走行できるでしょうが、こちらの日野のエンジンはもう一周あったらお釈迦と思うものでした。でも少しの努力で格上のホンダと掛け合った経験は収穫でした。

 実は、この日の入賞車両の再車検でハプニングがありました。検査員がチェックしている際に、周辺の一人が「コンテッサはこんなに速くない」と!走ったホンダの方あるいは関係者でしょうか、はたまたこのコンテッサを良くないと思ったいた方でしょうか?抗議でしょうか?規則に従って金を積んでまでのアクションはありませんでした。このお言葉はいまでも頭に焼き付いております。それだけです。

 ここで後日談、翌年の1988年3月12日の大雨の スピードフェスティバルの出来事です。以下の画像です。

19880312 TACS TC2000 w800


 右の見える赤のホンダ1300ですが第一コーナーで外からパスしたようで、コンテッサと接触しました。おそらくホンダのフロントバンパーだけの接触で軽量ボデーのコンテッサはみごとにフロントノーズからサイドすべて後方までベコベコになってしまいました。フロントライト周りの修正しきれない痕跡は未だ残っております。

 思うに前の年に天の上のような格上のホンダSをカモってしまった洗礼をホンダ1300から受けたのかとも、。。。で、レースって面白い、ドラマありと、でも大怪我をしたコンテッサをさらに強くして生き返って今でも生きてるぞと何時も思っています。

 実はホンダ1300って、日野から移籍したシャシーやエンジンの技術者がいなければ出来なったクルマと分析しており設計に多くの共通点を持っています。そんな弟分のようなクルマの接触は敬意あるいは愛のキッスだったでしょうか!

 さらなる後日談、このエンジン Bは、1992年10月31日のミッレ・ミレア・ジャパン (日本で最初のミッレ・ミレアのイベント) の富士スピードウェイでの日本GP再現模擬レースに招待をいただき出走の際に使用しました。ミッションは富士用 (3.12-1.76-1.24-0.97) クロスを入れ、タイヤもYokohama GRAPRIX M3をわざわざ新調しました。ドライバーは自分自身でした。その映像が以下のものです。


 日本GP再現模擬レースとは如何にもすごいタイトルですが、要するに1960/70年代の当時の日本GPを走ったクルマ (本物あるいはそうでないもの) 集めてイベントを盛り上げようということだったと思います。

 当日、朝、中央高速経由でFiscoに向かう際、相模湖あたりの上り坂でどうもパワーがないなと感じておりました。そして模擬レースの本番走行、我々セダン勢は最後尾にアサインされました。何しろ先頭のグリッドには高橋国光さんの日産のCカー(?)あるはいすゞの浅岡さんのR7だったと思います。一応、スタート、第一コーナーに差し掛かったころセコンドの5,000rpm程度でパンチがありません。前のクルマたちに何とかついて行きました。そして一回りストレートを過ぎ、第一コーナーを過ぎパワーがまったく出てなく、第二ヘアピン前で完全に息絶えたようになりました。それでも今どうしても思い出せないことですがピットまでは戻って来ました。大勢の見学者のいる中、エンジンルームを開けると、ラジエータが亀裂、アッパーホースも完全にパンクしておりました。

 後に運び込んだ友人の塗装屋でヘッドを開けるとヘッドガスケットの3/4番の間が吹き飛んでいました。1/2番も吹き飛ぶ寸前でした。ノーマルのエンジンでないのでこの辺の管理は定期的にメンテする必要があると強く感じました。

 そして日本GP再現模擬レースにはさらなる秘話が、それは日野ワークスのロバート・ダンハムさんが実際の1967年の第4回日本GPにサムライコンテッサでツーリングクラスに出走した際に、レースの序盤、1週目まもなくエンジンブローしてリタイヤとなってしまいました。と、いうことは自分はミッレ・ミレアの日本GP再現模擬レースで本当にエンジンブローまで演じてしまったのです。当時、これを思い出して、エンジンを痛めたものの、苦笑、そんな感じで悔しさもない苦笑いの思い出であります。神様のいたずらでしょうか!

 そしてエンジン Cです。以下の映像は、1990年3月10日のTACS (現JCCA) スピードフェスティバル、場所は筑波サーキット (現TC2000) です。


 この日はPクラスではなく、大きく改造が許されるSクラスでのエントリーとなりました。よって映像のように前後バンパーなども不要なのではずしました。ミッションは船橋用の一速を改造した2.5-1.89-1.35-1.11とおそらく筑波には加速重視で富士ほど高速でなく全部使えるベストなものと考えて入れました。

 ドライバーにより最終調整は明け方、筑波サーキット到着前、当時の通称、火の見やぐらの交差点を曲がった先の直線で行いました。今ではお咎めものでしょう。その短い時間で最善の固定進角のタイミングがアイドルで確か40度程度だったと記憶します。通常よりも大きな進角です。横で座っていましたが、5~6,000rpmあたりのレスポンス&加速が素晴らしい、コンテッサがこんな今にも空に飛びそうな勢いで走るのかと感嘆してました。

 そして予選の走行で悪い前兆が出てました。上記の調整走行とは裏腹に上がパンチがないとのこと、タイムもまったくダメでした。念のためヘッドの増し締め、バルプクリアラスなどの調整で本走行に出しました。1週目はエンジンの調子とはウラハラに足の方はこの日は目論見通り決まり、第一ヘアピンの映像のように綺麗にカウンターが出ました。エンジンもビデアで見る限り、Engle&カムベアリングのいい音を出してました。しかし、映像で判る通り、マフラーからは水蒸気らしきものが見えます。もうこの時点でダメだったのです。3週走行後、ピットに入り、エンジンの終焉となりました。

 牽引で自宅に戻り、ヘッドを開けると、何と2/3番の燃焼室が貫通状態でした。もちろんガスケットも同様で吹き飛んでいました。

 この結果を検証すれば以下のように多くの要素があると分析します:

  • ヘッドガスケットが日野のスポーツキットのステンレス製であり、当時からよく飛ぶという言われている。 (自分の以前、箱根帰りの東名でとばしたり、茂木ツインリング走行後に首都高でも経験)
  • そんなところに圧縮比はそんなに高くないものの、13ミリのリフト量のバルブ (標準が9ミリ) で燃焼圧力が大きく増大した。
  • さらにタイミングを大きく進めた結果、バルブのリフトで高くなった燃焼圧力をとんでもなく高めた。
  • スーパートラップを当時の米国のトレンド (サーキットでの音量規制対策) を習って入れたがおそらく高回転で過大なバックプレッシャを生み、燃焼室にフィードバックされた。デフィーザの枚数を公道の倍にしたが後のまつりか!
  • そしてヘッド自体がくたびれている部分がその負担を負ってくれた。すなわち結果的に貫通した。その場所はよくある悪い例で巣を喰ったような状態であった。長い間のガソリンの中の悪い成分も影響したのでしょう。
  • あとは、月並みであるが、ガスケットなどの組み付けの技術的未熟があったことに間違い無い。

 以上のようであるが、すべてが重なった問題ではあるが、どれ一つとっても配慮の甘さと前提となる段取り&組み付けが出来てなかったと、要は技術&経験の未熟さにほかなりません。

 これらは旧い話ではありますが、自分のデータ&記憶 (リアル) と今のソフトウェアシミュレーション (バーチャル) の比較で何が問題か、あるいは次はどうすれば良いのかを再考する良い機会となりました。

 次回は現社のエンジンをシミュレーションしてリアルとの比較&検証をしてみましょう。

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