昨日の “第一回日本GP (1963年) の日野コンテッサ900のドライバーは偉大だった!” で日野コンテッサ900をストックのままで最速ラップやクラス優勝など当時の105マイルクラブのドライバーの偉業に注目しました。
ここでは第二回日本GPで更なる制覇を目指しスープアップした日野コンテッサのドライバーたちはどの程度のゲインを果たしのか予選タイムをもって検証してみましょう。
第二回日本GPはT-3とGT−1でのエントリー、レギュレーションに沿った軽量化&排気量アップなどでエンジンの高出力化、T-3は55馬力/6000rpm、GT-1は70馬力/6500rpm程度とだったようです。ストックの40馬力/5000rpmに比べて大きなゲインです。ミッションはもちろん四速となりました。
ドライバーの予選タイムのデータから均してみるとT-3では15秒程度のゲイン、そしてGT-1ですとさらに10秒アップと大きなゲインを得ていることが分かります。前年度のストックに近い車両と比べて大きな結果を示しています。
第二回日本GPに於いて日野コンテッサは相当なる進化を示しました。技術陣の努力の賜物であります。しかし、残念ながら新たに登場した三菱コルト1000の完全なる後塵を拝する結果となりました。如何ともしがたい技術力の差であったと分析しております。それはレースの現場での進展&動向を読む力とも視ます。
1963年第一回日本GP | 1964年第二回日本GP | |||||||
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1963.5.3 | 1963.5.4 | 1964.5.3 | 1964.5.4 | |||||
クラス | B-1 (13周) | C-3 (10周) | T-3 (10周) | GT-1 (12周) | ||||
R.ダンハム | 14 | 3'30"9 | 4 | 3'37"9 | 8 | 3'19"5 | 8 | 3.09"3 |
山西 喜三夫 | 6 | 3’36"3 | 3 | 3'48"6 | 6 | 3'23"7 | 6 | 3"11"7 |
立原 義次 | 15 | 3'39"0 | 6 | 3'47'4 | 2 | 3'29"2 | 2 | 3'11"8 |
小島 常男 | 13 | 3'40"2 | 7 | 3 | 3'25"4 | 3 | 3'12"6 | |
塩沢 勝臣 | 16 | 3'33"9 | 15 | 3'56"8 | 5 | 3'22"1 | 5 | 3'11"5 |
塩沢 三子夫 | 7 | 3'45"1 | 8 | 3'43'3 | 7 | 3'23"6 | 7 | 3'15"9 |
塩沢 進午 | 9 | 3'59"6 | 1 | 3'35"7 | 1 | 3'18"4 | ||
クラス名称 | スポーツカーレース | ツーリングカーレース | ツーリングカーレース | GTカーレース |