今日は8月14日、毎年、この日を楽しみにしております。と、いうのは今から53年前の1966年8月14日は日野車が日米同時にレースフィールドで優勝を飾ったからです。
日本では、新しい日野プロト (J494) が富士スピードウェイでの全日本レーシングドライバー選手権第3戦でSPクラスで一位、総合でポルシェカレラ6 、フォードコブラ に続く3位の快挙でした。また、米国カリフォルニア州 Riverside International Raceway での6時間耐久レースでBREの日野コンテッサは、クラスウインを得ました。衝突転倒の結果、ボデーの大きなダメージとなりました。しかし、かなりの周回数の遅れを取り戻しても結果だったようです。しかし、フロントウィンドウ破損での走行により、レギュレーション違反となり失格となりました。
富士スピードウェイの日野プロトは、『日野プロト 緒戦を飾る 全日本スポーツカーレース(日野社報、昭和41年9月)』に、また、JAFの記録にも明確な記録がされています。
カリフォルニアでの日野コンテッサの活躍は、『コンテッサ1300クーぺ - 驚異の逆転勝(日野社報1966年9月号別冊)』に、しかし一般文献 (当時の雑誌やプログラムなど) では目下のところ、確認ができません。また、ネットの中の検索でも出て参りません。かなりのローカルなイベントだったのかもしれませんが、調査は続けたいと思います。
FISCOのスターティンググリッドに向かう山西選手の日野プロト
レースを終え、ピートさんの自宅 (推定) に戻った戦闘で傷ついた日野コンテッサ!