今から3ヶ月前の6月7日の金曜日、人生の中で記念すべきことが偶然にも起きました。
それはその日の夕刻、出先からガーデナ (米国ロス近郊) のホテルに戻る際でした。交差点で目にしたのがホットロッド・カムで長年のトップサプライヤー&クリエータとして超有名なISKY RACING CAMのED ISKENDERIAN RACING CAM社の建物でした。時間もあったので飛び込みで事務所に入りました。
事務所でED ISKENDERIANさんの息子という方と話が始まり、昔の話になり、そうしたら親父は工場のどこかにいるから探して来ようと工場の中に入りました。この時、自分は何が起きているのか推測できませんでした。そうしたら、奥からどこかで見慣れたお顔の老人が出て来て、話が始まりました。ホットロッド界のレジェンド、いやそれ以上の神様、Mr. ED ISKENDERIANだったのです。びっくりしてしばし言葉を失いました。
「以前、会ったことあるか?」と質問され、実は初対面であります。そして自分の紹介をして、今、自分のクルマのカムも自分でオーバーホールしている、その写真を見せたら、「それはヨシムラのカムか、それとも…」などと会話が弾みました。
そうこうして氏は工場に入り、戻って来て、「君にこの本とDVDをあげよう」と有名な最近の書と講演のビデオをいただきました。おまけにEd Iskenderian and the History of Hot Roddingには、サインと “The Racing Brother, Satoshi” とこれ以上ないお言葉をいただきました。誠に粋な計らいであり、歳をとっても思ったことを即実行すれば素晴らしいことがあることを再認識しました。
氏は今年で98歳、まだ工場で数時間/日の作業を日課としているそうです。100歳を間近にした現役、すごいですね、正に神様にお会いしたようなものです。とんでもない大きなエネルギーを頂きました。
最後に日野との関係、と言っても日野自動車でもピートさんのBREでもありません。それは、The SAMURAI (ヒノ・サムライ) の4人目の個人オーナー (米国人) は、全く個人レベルでGR100エンジンのレーシングバージョン、YE28をサムライに搭載して、馬力を引き出す努力をしてました。それは1970年半ばでした。そのオーナーの手記によれば、最後に馬力を引き出したのが、上記の ISKY社のカムだったとあります。Mr. ED ISKENDERIANに依頼し、二種類、トルクバンドが7,200〜8,200rpmのピーキーなものと少しマイルドにしたものがオーナーに提供されたそうです。
結果的にそのカムでGR100-YE28エンジンは140+馬力に達したそうです。日野自動車のR&Dではせいぜい110+馬力だったので、OHVエンジンを何十年も手がけているカルフォルニアのホットロッドのカムチューンの奥深さを証明するものです。Mr. ED ISKENDERIANのカムを得たヒノ・サムライは、結果的に数年、SCCA SWリージョンで50戦弱戦い、3年連続オーバーオールチャンピオンを獲得しました。
最後にもっと感銘を受けることは、Mr. ED ISKENDERIANはそのカムの開発&製造に関わるコストを受けとらなかったそうです。なぜならな、当時としても旧くなったエンジン (しかも商業目的でなく個人のレーサー) のものから金はとれないと、受け取りを拒否、何ともサムライ・スピリットを感じるものです。正に『神』そのものであります!