先のビ筑最終戦後の整備がある課題でままならぬ中、今進めているエンジン制作の悩みであります。もう、師走になってしました。
日野自動車のエンジンといえば、上のように、『赤』、『日野レッド』、1960年台の日野コンテッサ 1300 GR100は勿論、当時の大型車も同じ、今日でも変わりないようです。つまり、『赤』のエンジンブロックがシンボルカラーなのです。(参考:プロフィア用A09C型エンジン)
現車に搭載のエンジンブロックの次のように『日野レッド』 (実際には米国GMレッドのエンジンブロック用ペイント流用) とこだわりをもって進めました。
しかし、競技の現場では、そのシンボルカラーは通用してなかったようです。次のシリアルナンバー:102874が刻印されている日野コンテッサ 1300 GR100のブロックの画像をご覧ください:
『赤』に代えて『黒』のペイント、日野ファンとしては常識をくつがえすブラックカラーなのです。誰もがこんなのは違うと言いかねない、あるいは昨今の旧車界の純正信奉者からは白い目で見られそうです。
このブラックカラーのエンジンは我が愛機:BRE コンテッサを1976年に購入した際に多くの部品と共に前オーナーから我が家にやってきました。このBRE コンテッサは第一回日本GP (1963年) から日野のワークスドライバーであり、米国BREのチームサムライの立役者であったロバート・ダンハム (wiki - Robert Dumham) さんから前オーナーのもとに1968年に渡ったものです。
さて、何故、『黒』、すなわち『ブラック』なのでしょうか?
ネットで、”Engine Block Black Panting”で検索すると、以下のような解釈するものです:
- 黒は最も熱エネルギーを放射しやすい。よってエンジン内部の熱を放出しやすい。
=> これは理論的にも常識的にも納得!コンテッサのようにリヤエンジンでは効果がありそう。 - ただ、それがランニング状態にエンジンの出力に影響するかは他の色と差別しにくい。
=> すなわち、これは馬力アップが目的ではない! - 効果があるのはランニング状態ではない時にエンジン内にこもった熱を逃しやすい。すなわち、エンジンオフの際に水の流れが止まった際に急上昇する水温でのブロックの温度上昇に効き目がある。
=>これはヘッドガスケットなどの保護に役立つことは明白。
まあ、そんな効果だと勉強しました。
しかし、このような微々たることも試していた当時の米国チームサムライのコンテッサであった証しです。
日野自動車の当時の文献ではこのような対処は出てきません。その理由は、おそらく、この『黒』の対処が試されたのが、日野自動車のエンジン技術者がBREに滞在された (開発初期の3ヶ月程度、〜1966年6月) 期間に関係すると分析します。すなわち、その後のBREでのコンテッサレーシングの戦闘能力が上がって来てから (1966年7月〜) であり、実は詳細な情報が残って無いのです。
また、秋口になってからはコンテッサ市場撤退を前提としたトヨタとの業務提携発表 (1966年10月)があり、その結果としてレース活動停止やその資産の処分に即座に向かったため、さらに詳細は消え去る結果となったと考えます。
そんな事実&歴史は脇に置いて、重要なことは日野自動車の外に『現物』がちゃんと残ったということです。それも再起不能の処分 (現物を抹殺する、これは日本メーカーとしてよくあること) や廃棄されたものでないことです。これは当時、日野コンテッサの競技資産の多くが日本国内の日野自動車の中だけではなく、米国BREの元にも貴重な資産があったためです。これは不幸中の幸いです。
この幸運にも残ったエンジン、今回のエンジン制作にこの『黒』ブロックを使用する所存です。このブロックはシリアルナンバーで分析するとおそらく1966年前期のものと分析します。BREのもとで競技エンジン開発のために米国に送られたものです。
何機かあるBREのエンジンの中でも他にない特徴がこのブロックにはあります。『黒』のペイントに加えて、次の画像のようにオイルラインを容易に清掃できるように各所にプラグが設けられていることです。これも米国のエンジン改造の教則本に書かれているそのものです。
加えて、このブロックをその他の部品からさらに分析&推測すると、おろらく1968年3月22日の第10回日本スポーツカー富士300キロレース大会 (全日本S&T) に山西喜三夫さんのドライブで活躍したものと断定しています。日野自動車として最後の競技出場のエンジンと解釈するものです。成績は総合13位、クラス6位、予選タイム:1分57.24 (左回り) と記録されています。以下の出走時の画像です:
さて、本題である目下の悩みは、日野本来の『赤』にするか、些細な理由ではあるものの歴史を重視して『黒』にするかです。
即断即決、早とちりではありませんが、『黒』のペイントです。理由は簡単明白であり、歴史を重視することです。先達がトライされたことを尊敬してぜひともその証しを『現物』として残しておきたいのです。それも完全な動態保存です。おそらく日野時代の競技エンジンとしてのパワーは得られないものの、街乗り&軽競技を目指したチューンアップを考えております。もちろん、最新のテクノロジーも盛り込みます。
これは2017年にレストア課題で話題になった “トリノ憲章” の一件や最近のClassic Motorsports誌で報じられている競技車両の価値に対してのレストア課題などのようなことを感じているためであります。
まさに遺跡発掘&検証のような、なんだかんだの日々であります。目下、妄想が先ばしっているようです!