今から半世紀以上も前の1966年8月21日、ニュージーランド (New Zealand) で組み立てられたコンテッサ1300の発表会が、オークランド (Auckland) 市郊外のキャンベルモーターテームズ工場 (Thames) で、数十名のデーラー代表者を招待し行われました。
式場では、キャンベルモーター社長、ウェブスター氏の司会で、テームズ市長の祝辞に始まり、当時の日野自動車、常務取締役、内田 一郎氏 (素晴らしきカー・ガイ達) の挨拶ならびに同氏によってラインオフのテープが切られました。
続いて工場が公開され、完成車は即日デーラーに引き渡されました。
ニュージーランドの生産、所謂、CKD:コンプリートノックダウン生産と言われるものであり、基本的に日本からのすべての部品を送り、現地で生産されました。しかし、当時の日本&ニュージーランドの間の貿易協定により、ニュージーランド国内の部品が使用されました。それについては、A Letter from Australia about New Zealand made Contessa - 再度の旅をご参照ください。また、車台番号は、国内生産のセダンと区別されており、PD100-8XXXXXとなっています。当サイトの日野自動車、小型車グローバル・センサス(調査)プロジェクトで把握しているもっとも新しい車台番号はPD100-80626Xであり、この6000という数字が生産台数を示すものかはさらなる調査が必要です。また、エンジン番号については国内生産のものと同じ連番です。これらエンジンやミッションはコンテッサ1300の生涯で最終のものがタイミング的に送られており、ベストなものが顧客のもとにデリバリーされたことになります。
当初の展示会では、日野コンテッサ1300セダンとクーペが展示されました。クーペはCKDではなく日本から完成車は送られてようです。セダンの生産台数は正確なことは明らかではありませんがかなりの台数になると推測されます。また、現存もしております。また、オーストラリアにも渡ってことが分かります。上記のA Letter from Australia about New Zealand made Contessa - 再度の旅からもしれを知ること出来ます。
このThames工場での日野コンテッサ1300のCKD生産は、日本での市場撤退に伴い、上述の内田 一郎氏の尽力でトヨタ自動車のカローラのCKD生産へと変化して行きました (参照:New Zealand Classic Car誌に載った日野コンテッサ1300 ) 。
以下は当時のCampbell Industrie社のThames工場の貴重な画像です。
(SE, 2017.4.13, Original)
(Renewed 2021.4.4)
本ページへのコメント&意見はこちら迄 (実名表記にて) 。
Any Comments to here would be appreciated (Please Use your one name)