「2024.2.9:我が家の図書館 (7) 」の「1300 GT スプリント (日野コンテッサ1300スプリントあるいは日野スプリント1300 GT) 」、実は今から60年前の1964年2月13日、日野自動車はアルピーヌエンジニアリング社とある契約をしました。
日野自動車は、日野コンテッサ1300発売前の1963年ころから本格的なスポーツカーを計画していました。イタリア、ミケロッティ社でデザイン&制作、アルピーヌエンジニアリング社でエンジン&シャシー、FRBボデー制作&治具の開発、また実車開発&走行試験へと進みました。日仏伊合作プロジェクトでした。
ベースとなるスチールボデーはミケロッティ側で完成、それをベースにアルピーヌ側でA110同様なシャシーにFRPボデー車を完成、欧州で試験走行、そして1966年のパリショーに出品しました。
欧州を中心に羽ばたくはずだったスプリント GT、トヨタとの業務提携とともにコンテッサ市場撤退となり、あえなく闇の中に葬られました。
その遺産、アルピーヌ製のFRPボデー制作治具 (193点) 、日野放出から約40年、個人の努力で保管しましたが、これ以上すべきでないと判断、先週、産廃業者に託しました。