2026.5.23 日野自動車の「星子イズム」を思い出す!

 昨日 (5月22日) 早朝のNHK AMラジオの “明日へのことば” で前熊本県知事・東京大学先端科学技術研究センターフェローの蒲島郁夫さんが登場しました。
 その中で蒲島氏がご尽力された「同じ地域で生まれた”三賢人”称える顕彰碑が建立 山鹿市鹿本町」のお話がありました。三賢人のお一人が、1970年から熊本市長を4期16年務めた星子敏雄さんだそうです。その政治姿勢は『清廉潔白』と評されてるようです。
 ここでピンと来たのが、日野自動車の「星子イズム」、星子 勇さんです。ひょっとしたらと思い、お生まれの地は「熊本県鹿本郡鹿本町(現山鹿市鹿本町)」、ビンゴ!、鹿本町の「星子姓」が気になり、関係は調べてみましたが関連性は見つかりません。
 上記の三賢人同様、あるいはそれ以上に日本の航空機&自動車産業に大きく影響を与えたことを地元の皆さんがご存知かと気になります。調査は継続しましょう。参考までに星子 勇さんの略歴をリストしておきましょう。
1884年(明治17年) 熊本県鹿本郡鹿本町(現山鹿市鹿本町)で生誕。
1907年(明治40年:23歳) 熊本高等工業学校(現 熊本大学工学部)卒業。
  同年 住友鋳銅所入社。その後軍隊に入営。
1911年(明治44年:27歳) 軍務を終了、母校からの紹介状をもらい上京、
 当時国内唯一の自動車「タクリー号」を製造した会社「日本自動車」に入社。
 既に自動車製造はやめていたが輸入車の整備を担当し東京三田小山町の小山工場長に就任。
1913年(大正2年:29歳) 農商務省実業練習生に合格、イギリスに留学。
1915年(大正4年:31歳) 著書「ガソリン発動機自動車」発行。(当時、自動車工学のバイブル)
 同年、「日本自動車」の米国ハドソン車日本国内販売契約に伴ないハドソン社工場研修を経験。
1916年(大正5年:32歳) 帰国後、著書「ガソリン発動機自動車(改訂版)」発行。
1917年(大正6年:33歳) 東京瓦斯電気工業 松方五郎社長の招聘により入社。
 同社 自動車部、航空機部を統括。我が国初の純国産 TGE-A 型トラックを製作。
1918年(大正7年:34歳) TGE-A 型が軍用保護自動車検定第1号を受領。
 以降、TGE トラック、バス、軍用車両を開発・生産。
1921年(大正10年:37歳) 米・英・仏 渡航調査実施
1923年(大正13年:39歳) 取締役
1932年(昭和7年:48歳) 商工省主導の標準型トラック「いすゞ号」を共同開発。
1937年(昭和12年:53歳) 合併により社名が「東京自動車工業」となる。
1941年(昭和16年:57歳) 社名が「ヂーゼル自動車工業」となる。
 同社の軍用装軌車両専門「日野製作所」が落成。
1942年(昭和17年:58歳) 5月、日野製作所が独立し「日野重工業」設立、専務取締役に就任。
1944年(昭和19年:59歳) 1月逝去。
(参照:星子 勇氏のアルバムから、2011年 1月10日 総務部 社史史料編纂担当 大森 (日野自動車))

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