本日3月11日は誰も忘られない記憶に刻まれた東日本大震災が14年前に発生しました。その日、午後は品川方面に出向く予定でしたが、変更になりました。品川にいたら帰宅できなかったでしょう。
自宅にいて、ラジオの緊急放送、1〜2秒後には揺れが始まりました。すぐに収まらず、強くなるばかり、家の中に居ては危険と女房と息子と共に外に出ました。道路では自動車や電線&電柱が踊るような状態でした。テレビではヘリのライブで津波が宮城地方の田畑を飲み込んでゆくのがなぜか実に冷静に眺めておりました。
その後も毎日24時間、余震が収まることなく続きました。世界中の仲間からメールで問い合わせ、画像はその際に計画停電でも日本人は冷静だと送ったものです。フロリダの友人は自宅の離れを提供するから家族ですぐ来いと東電の放射能を心配してのオファーでした。
2週間後の3月最終週、予定してたデトロイトでのフォーラムは強行、日本ではガソリンも生活必需品もままならぬのに、米国の街では普段通りの生活で、どこに行っても自分たちは何なんだと情けなくも感じました。以上、思い出したままメモってみました。(参考ブログ:イベント – 旅ついでに(2011年4月2日)