20190217:ビギナーズジムカーナ in 筑波 2018 第1戦 - 魔の#34 厄払い

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 2019年度のビ筑第1戦、昨日の練習会とは気分が異なる “競技” です。完熟歩行は結局4周となりました。そしてミスコースなど不安をいだきながら完熟走行です。最初の走行は、結構、無心で走れるものです。走りが終わり、パドックに戻り、ヘルメットを外すと、遙か彼方の小学校で50m競争を思い出すような爽快さでやはりモータースポーツなのです。何歳まで走るのかの自問自答の中、毎度、やはり走ってよかったと思う瞬間であります。

 この日のHISクラスはホンダS600と二台だけの出走で残念ながら “不成立” でした。ドライバーズブリーフィング後、ハプニンがありました。それはハンディ、ズーミーさん含め、出走者同士で “ジェントルな議論” の結果、70最以上は4秒つけようと、75歳以上はさらに加えるとか和気藹々と。。。また、そこであった議論はクルマの設計年代でのハンディ、例えば1967年前後を境に国産車は大きな進歩があり、パワートレイン&シャシー性能も大きく変化しました。例えば、日産ブルーバードと言えば、410と510の差であり、いすゞベレットであれば、初期のOHV、後のOHCの違いなど同じ土俵に置くことは不可能です。これはその10 年後のターボ&大馬力時代にも同様な進歩があります。また、当時のGTとツーリングの違いも議論がありました。これらは今後、ステップバイステップで議論されることと思います。

 今回のこの謂わば ”年寄りハンディ” は、素直にありがたいものです。それは “年齢” というよりは、クルマ自体の性能、あるいは自分の技量です。その意味では走る楽しみでは、不要と考えるものです。しかし、HISクラスはある意味で目下、無差別級でもあり、人車共にいろいろな要素で差が明快に存在します。良い意味で諸々のハンディは歓迎するものです。もし、格上のクルマ (あるいはドライバー) より速く走ってしまたっら、入賞ハンディという “お仕置き” が課せられるのでバランスもとれていると思います。

  さて、ここ1年余りのデータ分析の結果、ホンダS600号との差は3秒です。この日の結果、これはドライバーの技量を別にして、当時の0-400mの2秒差程度差を考えれば妥当と考えます。走行1回目は生タイムで0.3秒余りの差でした。S600の原さん曰く、「これはヤバい!」、そして本戦、最終的に、S600号はタイムを上げ、コンテッサよりも3秒弱の差となりました。面白いですネ、ホボ過去の分析データ通りの結果となってしまいました。ボクの方は完熟走行から0.6秒アップでほとんどよくなっていません。そこで原さん曰く、「心にXXXが出たんじゃない?」、お見通し、心理的に負けたかな?と、経験不足を反省しました。以下は両車の比較映像です:

事実上レーシングマシンのS600はやはり瞬発力あり、そしてムダの無いドライビング!。
コンテツ、何度か加速が鈍る場面、これはドリフトになり逆ステア気味に。

 公式結果では、ハンディがあるので一応、こちらの方が順位は上に記録されました。

 終わってみて、考えることはS600とのベンチマークとしての3秒差はおそらくドライビングを向上させてどんなにうまく行ってもあと2秒が限界と感じます。どこで何して、こうして積み上げての積算です。今のコンテツのドライブトレインはこれ以上良くなりません。後は自分自身の技量アップでしかありません、それが今年の目標と、でも歳を重ねることの衰えも肝に命じておかねばなりません。

 でもそんな目論見は、昨年、ダントツのいすゞジェミニは居なくなったものの新たな鉄仮面スカイラインが来ますのですぐに吹っ飛んでしまいます。さらに2L RBLの510他など大排気量&大パワー車も予定されてます。また、この日、はじめてクラスに参加のカリーナ (AA63) 号が次からHISクラスにエントリーするので、まさに上はガラスの天井如くであります。でも色々なクルマが出走して面白い競技が出来ればと思うものです。

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 最後に余談です。この日のゼッケンは#34をいただきました。表彰式の場でも話しましたが、この偶然の “34” はボクにとって、”魔” のナンバーだったのです。

 この “34” を知って、実に気の思いをしてジムカーナ場に入りました。今日はまさかエンジンブローさせないだろうなと、そんなのが頭から離れませんでした。ドキドキものでした。

 それは日野自動車がワークス時代、第4回日本GPのツーリングレースでサムライコンテッサは、決勝1周目にエンジンブローをしてまいました。そのカーナンバーは “34” 、当時のドライバーのロバート・ダンハムさんの日本国内での専用ナンバーでした。そして20年あまりして、第一回日本ミッレミレアの日本GP再現模擬レースに招待されたボクは “34” をいただきました。ローリングスタート後、一周して、ほどなくエンジンブローとなりました。まさにエンジンブローまで再現していました。

 そんなことで不吉な予感の “34” 、しかし表彰式で不成立ですが台上にたち、このショートストーリを話しました、前でカメラを構えた今年からカプチーノでこの日も優勝のマッシュさんが「厄払いになった!」と、実にポジティブなコメントいただきました。まさにその通り、ありがとうございました。

 今回も1日、走ることに楽しく時間をすごしました。参加者の皆さん、ズーミーレーション&スタッフの皆さんのホスタピリティに感謝申し上げます。

20190310 MM Fisco 34

1992年秋の第一回ミッレミレア・ジャパンでの日本GP再現模擬レースでの本車です。
この日も第4回日本GP同様に綺麗な富士山をバックに走りました。
結果は本文通り、悪夢のエンジンブローでした。(こちらも参考)

20190310 4th JP GP 34

1967年5月 第4回日本GP、ドライバー:日野自工ワークスのロバート・ダンハムさん、
その傍らは、ピート・ブロックさん。尚、この個体は1966年シーズン用であり、
1966年10月、米国カリフォルニアのリバーサイドのセダンレースのクラス優勝車です。
ボデーはノーマルクーペであり、ライトウェイトではありません。
この後、ツーリングクラスでスタート、すぐにエンジンブローとなりました。


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