8月も末に迫ったこの日、先の4月の幕張メッセのオートモバイルカウンシルの場で ”カーグラフィック誕生のプロローグ - CAR GRAPHICの誕生と小林彰太郎” 主催のアウト ガレリア “ルーチェ” のオーナー氏に公約した現地見学を果たすことができました。
友人と共に会場に入るとライレー (右の画像) とともにそれは適切に走っていることを証明するいいオイルの香り (これはこのばに居なければ絶対に分からない) とその展示のオーラに圧倒されました。何がすごいか、展示の車そのものの個体はここ何十年か各所で目てしているので一同に介していることはすごいですが、特に会場の史実の各種資料のコンテキストの整理に驚くとともに大いなる感動を得ました。こじんまりとした会場を何度か周回してそのために懐かしいものあるいは発見がありました。
この展示に数ヶ月も貴重なクルマ個体をオーナーからお借りする努力も大きなタスクだったでしょう。しかし、それ以上にこれだけ特定の歴史にフォーカスした史実をまとめるには相当なプロジェクトだったと推測します。アウト ガレリア “ルーチェ” とその関係者の皆さんにこのようなものを見学できたことに本当にお礼申し上げます。
さて、立場上、どうしても会場で展示があった日野自動車ネタに、それらを以下のようです (最後の画像は小林 彰太郎さんが自らつくばサーキットをドライブした際ものです:2006年9月23日撮影):
日野コンマース、第一回日本グランプリ、1963年5月。CARグラフィックの取材車だった!
欧米のレース上でよく見る光景、ルーフでのレース観戦、
日野コンマースは万能ミニバンのさきがけであったのだ!
日野コンマースを壁にモチーフ、日野車エンスーのみならずものすごくインパクトある展示方法だ!
ルノー日野4CVでの第一回アルペンラリー (1959年7月10日) 、
モーターマガジン、1959年9号、日本アルペンラリーレポート、来年こそはの記、武田 秀夫・小林 彰太郎の参考閲覧
右の武田さん、日野のシャシー技術者、日野コンテッサのルノーを
真似してないラジアスアームの設計者、
後にホンダに移籍、一連のF!のシャシーの設計、ホンダ1300のクロスピーム、
最後がオデッセイRB1開発と分析する。
ホンダ車内ではカリスムと言われていたとお聞きしている。
氏の足の設計は柔らかいと、ホンダ車の足は氏が現場を去った後は再び硬い方向に、
コンテッサも同様、900まではよかった、しかし1300は不自然な足に、
オーバー&アンダーが同時に発生する奇妙なクルマと外国では評された。
日野コンテッサのロードテスト、1961年3月22&23日。
モーターマガジン、1961年5号、ロードインプレッション:コンテッサ デラックの参考閲覧
氏のコンテッサデラックスへの評価はすこぶる高く、
80km/hまでの加速が15秒とか、特に操縦性について、
「現在の国産中、操縦してもっとも面白い軽快な操縦性をもっている」と、
コンテッサべた褒めである。なるほど、これでは、それなりの操縦技術を持った
つわものばかりの1963年の第一回日本GPでのダントツ優勝は納得である。
2006年9月23日、筑波サーキット (TC2000) 、CCCJ/SCCJのInterClub、パドックでの一コマ。
このライレーで優雅に走行されていた光景は今でも脳裏に焼き付いている。