2019.9.30:本日のデリバリー - FRAM PH30オイルフィルター
コンテッサの車検でオイルフィルターの手持ちの部品に問題あり、取り敢えず、モノタローから購入しました。早朝、調布に向かい、合わせてオーケー、事なきを得ました。
車検は無事完了、夕方、コンテッサとともに自宅に戻りました。こ
ここ数ヶ月のどんでもない生活が日常となってしまい、十分な準備なく何もともあれ車検に出しました。それが結果的にいろいろな問題へと、整備工場のみなさんには面倒をかけてしまいました。
さて、米国Summit Racingに注文したFRAMAのPH30オイルフィルターは予定通り、夕方デリバリーされました。これでこの先、数年、オイル交換に対応できるでしょう。まずはハッピーエンドです。
2019.9.28:コンテッサの車検 (続)
さて昨日のオイルフィルター騒動が一夜が明けました。
朝9時過ぎにさっそく玄関チャイムがなり、モノタロウのオイルフィルターが届きました。さすがモノタロウ、注文からわずか18時間です!
品物はAC DelcoのPF46E、外寸は予定通り一回り小さいがこれでいいでしょう。月曜日には取り付けられることを目論んでいます。
さてバックアップのSummit Racingに注文したFRAMAのPH30はどうなっているでしょうか?
発送はFedex、Summit Racingからのメールにある追跡番号をクリックしてみると、注文から20時間へた今は、すでに出荷となり、発送途中でメンフィスにあり、松戸の自宅には月曜日の午後6時に配達予定とあります。注文から70時間あまりで届くようです。
到着が楽しみです。
(追加)日曜日の朝 (9/29) の朝、ブツは午前10時過ぎにはすでに成田に到着していました。何時ものことですがここからが距離の割には時間がかかります。到着予定は明日の午後6時までですから50キロほどの距離に最大32時間かかることになります。
2019.9.27:コンテッサの車検
2013年の公道復帰から早6年、4回目の車検です。復帰当時、2013年型新造コンテッサなんで言ってましたがもう立派なメンテナンスフェーズに入りました。新造した部分のケアも必要な立派な中古車 (?) であります。
早朝に家を出て、いつもお世話になっている調布の工場には8時前に到着、しばしシャッターが開くのを待っていました。
さて、オイルフィルターを外して、新しいフィルターを入れようとしたら大問題が発生、それはネジのピッチが合わないということが判明したのです。ネットを使いながら正確なピッチをチェックしたら本来は13/16-16であり、交換用に持ち込んだのは3/4-16でした。
とにもかくにも調布から松戸の自宅に電車で戻り、手持ちを携え調布に戻りました。チェックするとやはり3/4-16。一応、この日に検査ラインに通すことは中止しました。
何でこんな間違いをしたのか、頭をクールダウンして考えたら、自宅のガレージ内に在庫しているのが昔購入したものも含めて全部は3/4-16、それがそもそも間違い、どこのタイミングで間違いで購入、そのデータを元に新たに買い足したものも間違いだったと実にお粗末なものです。1年前に入れたはずしたものが最後の13/16-16だったのです。
その場で、すぐに入手できるものをチェック、モノタロウにあることが判りました。ボデーは一回り小さいですが “フォーム・フィット・ファンクション” でヨシと当日発送可能な3時前ギりギリに注文を完了しました。これで明日の土曜日には手にする事になります。
そして家に戻り、今まで使っていた13/16-16のフィルターの同じものを米国のSummit Racingにバックアップとしてオーダーしました。
改めて感じたことではありませんが、適合に関しての情報がモノタロウ含めて、ネジに関してあるものの、大きさだとか性能 (フィルターの材質や特徴) などに国内のサイトには記述されてません。日本は品番や車種 (これもかなり大まか、あれば良い方か) というスーパセットだけの情報です。やはり “フォーム・フィット・ファンクション” でメンテナンスあるいは物事を考える土壌では残念ながらないようです。
2019.9.20:RECARO RS-G 期待そして大いなる失望!
目下、”コンテッサ 人車共OHリハビリ中” 状態、その課題の一つがドライバーズ・シートです。
6〜7月中に安静中に悶々と考えたのが日野純正のバケットシートの限界です。今回が初めてはありません。健康に何の問題のないしかも強靭な身体であればその欠点も吹っ飛んでしまうでしょう。しかし腰回りのサイズが全く合わないとか腰回りに怪我・障害があるとんでもないことになります。ビ筑のジムカーナで今まで2回ほど腰をグニャリを非常に不安になったあるいは危険になりそうな場面がありました。
今回のアクシデントで縦方向の圧迫に注意が必須です。そこでまず腰に良いレカロと考えました。事実、事務所の仕事用の椅子に1995年以来、4半世紀もレカロオフィスチェアを愛用しています。その腰に対するサポートの良さは絶大なる信頼があるからです。
そこでRECARO RS-G、日本人向けの日本仕様の小ぶりになったものです。今日、出先の帰りにレカロ製品がすべて置いてあると言われる東雲のオートバックスに行きました。やはり実際に座ってみなければわかりません。
現場にはRS-GKのみで、目当ての競技向けのRS-GEはなく、ベロアの質感などは確認することができず、現物のRS-GKで座り感を試しました。確かに横方向のサポートは絶大でした。自分のようにかなり細めの体格には良いと感じました。ただ何度も確かめると縦方向に大いなる問題を感じました。それは強靭な硬い底の面に3センチぐらいのヤワなクッションだけです。これは完全に腰椎に極度な負担をかけることになると判断しました。要は公園などの樹脂製ベンチにクッションを敷いたようなプアなものです。
みんカラなどのRS-Gの評価に一人の方が書いてました。RS-Gに交換後、突き上げが非常にきつくなったことを指摘してました。ワインディングやサーキットは良いが一般の道路での使用に不向きとも書かれていました。おそらくサスの硬いあるいはタイヤの問題もあるでしょう。と、言うことでこの意見にすぐに納得しました。
結果的に自分としては大いに期待していたRECARO RS-Gは不採用としました。なるほど、パリダカの菅原 義正さん曰く、「ラリー走行時の縦方向の圧力で脊柱&腰椎の圧迫で数センチ身長が縮んだ」は真実のようです。
また、オートバックスでさらにわかったのですが、シートレールのデータ、寸法や車種向けの情報、すなわち取り付け位置などの情報は企業秘密で出ないそうです。自分としてはコンテッサ用で一番加工し易い形状のものを知りたいと話しましたが企業秘密の一点張りでした。非常に残念な対応でした。これにもやや失望感を禁じ得ません。
また、RS-GEのベロアは座るにくい、展示のRS-GKのグラスメッシュがよいとか、さらに競技に使うならより価格の高いのを薦めるなど、オートバックスの店員の目線にも大いに抵抗を感じました。納期はこの専門店であっても2〜3週間と完全な受注とのことでした。
さて、この先どうしようか、今、購入してある競技専用品と言われるSPARCO (SPARCO Speed F104) にするか、これはコンテッサのレーシングシート同様にまれなフレーム構造で尻のクッションがバンドのケージタイプなので突上げがありません。ただ重量はRECARO RS-Gの樹脂製の5kg弱にくらべてこちらは鉄フレーム構造ですので8kg台と重いです。
しからば、COBRA CLASSIC RSにと、ただこれはじっくり確かめたことがないので不安です。
とにもかくにも善は急げ、あるいは急がば回れ、どちらにするか!日野製バケットシートを自分用に改造するのがベストを考え、当面の手間の掛からないテンポラリーソリューションを考えることにしました。
2019.9.14:神様に会う!その名は、Mr. ED ISKENDERIAN
今から3ヶ月前の6月7日の金曜日、人生の中で記念すべきことが偶然にも起きました。
それはその日の夕刻、出先からガーデナ (米国ロス近郊) のホテルに戻る際でした。交差点で目にしたのがホットロッド・カムで長年のトップサプライヤー&クリエータとして超有名なISKY RACING CAMのED ISKENDERIAN RACING CAM社の建物でした。時間もあったので飛び込みで事務所に入りました。
事務所でED ISKENDERIANさんの息子という方と話が始まり、昔の話になり、そうしたら親父は工場のどこかにいるから探して来ようと工場の中に入りました。この時、自分は何が起きているのか推測できませんでした。そうしたら、奥からどこかで見慣れたお顔の老人が出て来て、話が始まりました。ホットロッド界のレジェンド、いやそれ以上の神様、Mr. ED ISKENDERIANだったのです。びっくりしてしばし言葉を失いました。
「以前、会ったことあるか?」と質問され、実は初対面であります。そして自分の紹介をして、今、自分のクルマのカムも自分でオーバーホールしている、その写真を見せたら、「それはヨシムラのカムか、それとも…」などと会話が弾みました。
そうこうして氏は工場に入り、戻って来て、「君にこの本とDVDをあげよう」と有名な最近の書と講演のビデオをいただきました。おまけにEd Iskenderian and the History of Hot Roddingには、サインと “The Racing Brother, Satoshi” とこれ以上ないお言葉をいただきました。誠に粋な計らいであり、歳をとっても思ったことを即実行すれば素晴らしいことがあることを再認識しました。
氏は今年で98歳、まだ工場で数時間/日の作業を日課としているそうです。100歳を間近にした現役、すごいですね、正に神様にお会いしたようなものです。とんでもない大きなエネルギーを頂きました。
最後に日野との関係、と言っても日野自動車でもピートさんのBREでもありません。それは、The SAMURAI (ヒノ・サムライ) の4人目の個人オーナー (米国人) は、全く個人レベルでGR100エンジンのレーシングバージョン、YE28をサムライに搭載して、馬力を引き出す努力をしてました。それは1970年半ばでした。そのオーナーの手記によれば、最後に馬力を引き出したのが、上記の ISKY社のカムだったとあります。Mr. ED ISKENDERIANに依頼し、二種類、トルクバンドが7,200〜8,200rpmのピーキーなものと少しマイルドにしたものがオーナーに提供されたそうです。
結果的にそのカムでGR100-YE28エンジンは140+馬力に達したそうです。日野自動車のR&Dではせいぜい110+馬力だったので、OHVエンジンを何十年も手がけているカルフォルニアのホットロッドのカムチューンの奥深さを証明するものです。Mr. ED ISKENDERIANのカムを得たヒノ・サムライは、結果的に数年、SCCA SWリージョンで50戦弱戦い、3年連続オーバーオールチャンピオンを獲得しました。
最後にもっと感銘を受けることは、Mr. ED ISKENDERIANはそのカムの開発&製造に関わるコストを受けとらなかったそうです。なぜならな、当時としても旧くなったエンジン (しかも商業目的でなく個人のレーサー) のものから金はとれないと、受け取りを拒否、何ともサムライ・スピリットを感じるものです。正に『神』そのものであります!
2019.9.7:摩天楼を前に “成功汽車修理” - NYCの旧車
9月7日の金曜日、午前で予定のカンファレンス終了、午後からはオフとなり自由の身になりました。そこでホテルからすぐそばの有名なブルックリンブリッジ (Brooklyn Bridge) の橋のたもとからマンハッタンを見てみたいとそばの公園へと向かいました。
この場所 (画像参照、右端がブルックリンブリッジ) はかつてのCGTVの1989.11.5 - 世界一素敵なフェラーリスタの中の250LMのオーナーのインタビューに登場しました (参考:YouTubeに一部の映像がアップされました) 。オーナー氏は正に尊敬に値すべきお方の一人で自分とは格が違いますがその生き方を今でも範としています。CGTVのビデオを時折眺めるが楽しみの一つであります。
そんな場所に向かう途中に“成功汽車修理” という中国系オーナーと思われる修理工場がありました。そこには初期のナローポルシェが2台もリフトの上にありました。過度な厚化粧も整形美容もない AS-IS コンディションで自分の好みであります。また奥のリフトには旧いメルセデスもありました。
写真撮影の許可もいただきゆっくりと眺めさせていただきました。土地柄、冬は雪でさびがあるのかと、実際はそんなものもまったくなく実に綺麗な下回りには驚きました。修理で入っているのではなく、おそらく、売り物でしょうか?
さてこの “成功汽車修理” と摩天楼&ブリックリンブリッジはグーグルマップで見ると以下のようです。ポルシェもちゃっと見えます。(ここをクリック:“成功汽車修理” から摩天楼を観る)
2019.9.4:ベトナム初の自動車OEM - オールデジタル&新ビジネスモデル
今年も縁あって、業界大手メーカー、シーメンス社主催の年次会議に出席、今回は米国ニューヨークで開催されました。
当該企業の最新状況&今後の戦略の紹介がメインです。世界からおよそ200人ほどの関係者の一員として出席しました。
今回の個人的に大いなる興味をもったのは、ベトナム初となるVINFAST社についてのプレゼンでした。ベトナム最大規模のVingroupは不動産、ホテル、ゴルフ場を始めとするスーパーや小売り店を展開、そしてまだ手をつけてない製造業への参入へと、それがベトナム国民のための自動車への展開でした。
この展開方法 (ビジネスプロセス) が従来の方法とまったく異なるものでした。アイディエーションから続くプロセス全てがデジタル技術です。そして2017年に始まったユニークなのはデザインのコンペが行われたことでpininfarina社が選択されました。自社デザインに始まるプロトタイプ製造に至るプロセス (設計&生産) はBMW社との契約 (技術ライセンス) で進められ、およそ1年後の2018年秋のバリショーに於いてセダンとSUVが東南アジア初のOEMとしてデビューしました。
2018年末には工場 (プレス/ボデー/エンジン/塗装&組立) も完成5000人規模の従業員を配し、ベトナム国民向けのクルマが発進したようです。
ここで感じたことがかつての日本が60数年前に欧州からの自動車の技術導入が国策として始まった訳です。CKD方式での技術習得の積重ねが今日の日本の自動車産業へと長い時間をかけて発展しました。しかし、このVINFAST社の例はおよそ2年と言う短期間で自社ブランドのクルマが出来上がったのです。
重要なことはVINFAST社にクルマづくりのすべてがシーメンス社を含む多くのドイツ企業の努力 (及び技術) で成り立っていることです。そして背景にデジタルベースのモノづくりであることです。今回発表のセダン&SUVモデルはBMW社の1世代古いモデルをベースにしたものと分析しますが、アジアの新興市場のみならず世界の新興市場に大きな影響を与えるスピード感あるビジネスモデルと考えます。