2019.12.31:筑波詣で - 恒例の朝日峠に参上
今年も年の納めとして恒例も筑波山にやってきました。最近は寒い早朝を避け、自宅を午前10時近くに出ました。何時もの常磐高速経由で1時間程度で目的の朝日峠に到着しました。
現地は画像のごとく紺碧の空でした。
この日は実に温暖でいつもの寒い思いをすることなくこの日だけの再会の既知の皆さん、あるいは初めてお会いする方、とりとめのないクルマ談義に終始しました。自分の年齢からすれば一回り以上、あるいは三回りも若い皆さんをとしが弾みました。
いつものロータス7の大軍団、そしてこの日はスカイラインR31やR32を多くみかました。最近の旧車雑誌のようにやはり世の中はスカイラインありきなのかとも思いました。しかし、皆さん、若い方ですが綺麗にしてジェントルに乗られているようで好感がもてました。
この日のハイライトはおそらくそのまんまのいすゞ117でした。中年のご夫婦でもう30年以上これ1台だけを乗っているそうです。丸目のヘッドライトは昔ながらのシールドビームでした。ボデーのラインがきれいでおそらく板金もないようで大変良い個体を見させていただきました。
最後に皆さんに感謝、来年のこの日には会いましょうと別れました。
2019.12.30:FIVA - クラッシックカーの電動化にメスを入れる!
少し前の12月16日 (月) 、ロサンゼルス空港を降り立ってレンタカーを手にして近郊のホテルに向かう途中でした。梱包材料を購入するために立ち寄ったショップの駐車場で画像のような綺麗な米国仕様のMGBを発見しました。よく見ると何かが違う、ライセンスプレートに “LOVE EV” で判りました。EV化したクラシックカーでした。しかし綺麗に改造するものだとしげしげと眺めました。
その直後に書店で “CLASSIC & SPORTS CAR” に最新号を購入しました。そこにはなんと “FIVA pulls plug on conversions” 、”FIVAはコンバージョンのプラグを引きぬく” とでも理解、すなわちクラシックカーのEV改造を支持しないということです。もし改造したいならば必ず元に戻せる手段を取れとも書いてあります。
FIVA(FédérationInternationale desVéhiculesAnciens - 歴史的な車両の国際連盟)は、歴史的な車両の保存、保護、促進を専門とする組織として、所有者や規制当局に対して、歴史的な車両のパワートレインに代わる最新のEVコンポーネント (モーターとバッテリー) の使用を促進できないということです。
この意見は賛成であります。個人的には好きなクラシックカーをEVで乗りたいないう欲求はありますが。。。
2019.12.29:これは便利、ハンディ・ウルトラブライト・ハンズフリー・コードレス作業灯
エル・セグンドに滞在の最後の晩、近くのホームセンター、Home Depotを徘徊中、発見したのがこのULTRA-BRIGHT Cordless Light! - HANDY BRITE, Quick & Easy Light… ANYWHEREでした。
LEDの明るさが500ルーメン (40ワット強相当) とあります。価格は、米国$10弱です。これは買わない手はないとすぐにバケットに入れました。
コンテッサのトランクに2〜3のLEDライトを目的に応じて入れてます。しかし、これも便利と。。。そしてスタイルが良い、ガレージのランプと同じようなデザイン、しかもコードレス、これ以上のものはありません。
2019.12.23: 中途半端でないX’masイルミネーション @El Segundo, CA
エル・セグンドに滞在に1週間、最後の晩にとんでもない光景に出会いました。
日も暮れた夕方にウオーキングを時々して、目にしていたのが日本と感覚の違うX’masのイルミネーションです。この小さなタウンは古き良きアメリカの住宅街と思わせるイルミネーションがそれぞれの家の窓越しあるいは庭先や玄関先に慎ましく飾ってあります。まさにハッピーホリデジシーズンやシーズンズグリーティングの季節を思わせる光景です。
そんなことを感じて徘徊している中、この日、Center St. & Acacia Ave. の一角でとても派手なイルミネーションに出会いました。その Acacia Ave.のワンブロックがディズニーランドの電飾パレードのようになっているのです。入り口ではパトカーも駐車、おそらくこのタウンのローカルの皆さんがそれを楽しむかのように家族連れで散歩をしているのです。子供達は歌を口ずさみながら楽しんでいます。これもありかなと思うとてもド派手なものでした。このタウンの中の季節の名物風物詩のようです。
以下にいくつか、スライド形式で画像を入れました:
2019.12.22: Automobile Driving Museum @El Segundo, CA
個人的な所用で長年訪問してきたLAX (ロサンゼル空港) 南に隣接するEl Segundo (エル・セグンド市) 、小さなタウンですが航空機産業など歴史的にテクノロジータウンでもあります。
そのために50〜60年代からレーシングカー産業のメッカでもありました。日野コンテッサのBREもこの地にあり、ボクのコンテッサも言わば。”Made in El Segundo” です。”The SAMURAI” もこの地で誕生しました。その後のBRE Datsun 510 & 240Zに続きました。
最初に訪れたのが70年台の当時のTilton Engineering (オーナーのMac TiltonさんはDatsun時代のBREの従業員) でした。そこでは当時のF1テクノロジーと同じ材質のコンテッサ用のワンオフのクラッチなどが残っており譲っていただきました。
そんな時代から知っていたエル・セグンド市ですが、最近、勉強したのが表題のAutomobile Driving Museumでした。今回、初めて見学をしました。
ここのポリシーの凄いのは各車に乗り込んでよいことです (ごく一部を除く) 。そのガイドラインには、無理は操作はしないこと、エンジンはスタートさせないこと、ドアなど無理に押して閉じないこと、閉まらないならそのままにしておけ、と解釈するものです。
滅多にドライバーズシートに座れないMG TD、MGA、Moganの3輪車、1932 Buick 90、Ford Model T、CROSLEV、AVANTI、CORVAIR、その他多数、クラッチ、ブレーキ、そしてミッションの感触など味わうことができました。でも自分がドライブできそうに感じたのはCORVAIRだけでした。おそらくコンテッサと似たポジションなのかもと思いました。
小さなタウンの自動車博物館ですが建物内部もクリーン&清潔でクルマも綺麗にメンテされており、ライブラリーなどは何千冊もの所蔵があり、レーシングヒストリーなども探索にはもってこいです。この小さなタウンの文化の奥の深さを感じました。
2019.12.21: Autobooks - Aerobooks @Burbank, CA
今週は人生の終活の作業のためにここ4日間、とあるところで片付け&力仕事でした。6月の際のアクシデントのリベンジであります。
なんとか決めた予定通りにコトは進み一応区切りがつきました。土曜日のこの日は、久しぶりにバーバンク (Burbank, CA) の自動車専門 (正確には飛行機も多少あり) の本屋、Autobooks - Aerobooks に伺いした。ここはもう確か40年ぐらい通っていると思います。
もう年齢が年齢ですのであらたな貴重な書籍を探そうという気力はありません。そんな中で発見したのが1961年6月のSCG (SPORTS CAR GRAPHIC) 、ALFA ROMEO 1300のレーシングチューンが記載されてます。もう一つが同じSCGの1962年12月号でSCARABO-BUICKがフィーチャーされてます。共にボクにとっては興味のあるものです。共に5ドル/冊、実にリーズナブルでした。
ぶらっと寄って、こんなものが手にするとは実に幸せを感じました。神様からのここ4日間の労働のご褒美かもしれません。
2019.12.16:本日のデリバリー - 旧いSCGマガジン
米国のSCG - SPORTS CAR GRAPHIC誌です。旧い1964年1月号です。このサイト (Sports Car Graphic Magazine Covers 1961 to 1971) によると1961年に創刊、1971年まで出版されたようです。
1970年台後半、南カリフォルニアに長期滞在した際に古本屋で気に入った号をつつましく購入してました。またそれを知った仕事先の仲間が自宅にあるのを “キミにあげるヨ” と、ドンとダンボールに入れて何十冊もいただきました。
この号は手元になく2〜3週間前、たまたまeBayで発見、落札し、この日にデリバリーされました。目的は冒頭にある “200HP CORVAIR GENIE” です。これはおそらく1台のみの生産で終わってしまったレーサーです。
手にしてみると、ASA 1000GT、BMW 700 Sports、Cooper Formula 1、1962 Paris Show、Triumph Spitfire 4、Lotus Elan などの特集で実に興味津々です。また米国GPの幾つか報告されておりこれまた貴重なヒストリーの探索となります。
“CORVAIR GENIE” については、何故かを含めて別の機会に書きましょう。
蛇足ですが、現在のネコではない1960年代のベースボール・マガジン社の元祖CARマガジン誌はある時期からこのSCGの影響を明らかに受けたのではないかと分析します。
2019.12.14:ホームページトップ - “The 船橋"
当サイトのスライド画像をMX5ロードスターからコンテッサ1300の旧いレーシングシーンに替えてみました。MX5の画像は自分がドライブした際の気に入ったシーンを載せてました。他に多くあるのですが、ここでコンテッサ1300の気に入った画像を載せる決意をしました。
今回、”The Funabashi” としてまとめたのは正に当時の船橋サーキット (自分はリアルタイムでは現場をみてない) でコンテッサ1300がもっともカッコよくみえるシーンです。いずれも当時のオートスポーツ誌やカーマガジン誌 (現代の同名の雑誌とは関係ない、こちらがオリジナル!) からのものです。
どれもこれも満身創痍のような雰囲気が素敵です!
AUTO SPORT、1966年5月号
全日本レーシング・ドライバー選手権第一戦 (1966年3月21日) のスポーツマンクラス。
どれもこれもコンテッサばかりでワンメーク・レースのようだ。
一番手の68の尾崎選手のクーペ米国ホフカー・エンジニアリング (Huffaker Engineering) の
Genie Corvair パターンのスペシャル・アルミホイールが使われている。
残念ながらこのクラスは、JAFの記録にない。しかし、メインレースの
ツーリングカークラスには山西選手がクラス一位として記録されている:
https://motorsports.jaf.or.jp/results/search/1966/race/1966-9999-6
CAR MAGAZINE、1966年3月号
全日本自動車クラブ対抗レース大会 (1967年1月15日) の
コンテッサ1300クーペと日野レーシングの立役者のダンハム選手の雄姿。
このクーペは1966年10月末の米国のL.A.Times GPのセダンレースで
打倒 “MINI” を目指してクラス優勝した個体だ。
凱旋帰国としての緒戦です。ここでも宿敵 “MINI” を打ち破り見事優勝!
https://motorsports.jaf.or.jp/results/search/1967/race/1967-9999-40
AUTO SPORT、1967年5月号
全日本スポーツカーレース船橋大会 (1967年3月19日) の全日本ツーリンカークラス。
誌面の画像のコンテッサは尾崎選手と解説にある。カラーリングがかっこいい、すごい!
なにより、コンテッサの後にホンダS勢を抱えてるの最高!
この日は三台のコンテッサがエントリー、山西選手が優勝した。
https://motorsports.jaf.or.jp/results/search/1967/race/1967-9999-9
AUTO SPORT、1967年5月号
19670402_第7回クラブマンレース船橋大会の全日本ツーリングカークラス。
4台のコンテッサが出走しました。トップに見えるコンテッサのテーピングが壮絶!
コンテッサ、いずれも左ハンドル車!何故だろう?
https://motorsports.jaf.or.jp/results/search/1967/race/1967-9999-13
(20221110 Modified - JAF URL)
2019.12.9:人車共OH中 - 謎のクランクシャフト
ここ何ヶ月もの間、眺めているクランクシャフトです。問題はこれについているタグの内容です。
GLOBE BEARING COMPANY, LTDとあります。そこにある住所を調べてみると、ロサンジェルスのコンベンションセンター近くです。その住所には過去、4つの会社があり、その一つが Globe Bearing Co., Ltd.,と判明しました。1929年創業、その後、74年7ヶ月存在、現在はビジネスをしてないとありました。そしてMachine Shop、すなわちエンジンなどの機械加工業者と推測します。
このクランクはBREからのものでなく、その後のオーナーからのものです。
このタグを解きほぐすとマシンショップ to マシンショップとなっており、何故に加工をしたのかです。一見、なんの変哲もありませんが非常に気になります。
ただ、今日になって思い出したのが、コンロッドのビッグエンンのベアリングに “GB” と刻印した日野製でないものがあります。このベアリングは日野のものと微妙に厚みのサイズが異なります。それはベアリングキャプも異なると考えます。この “GB” 、それは "GLOBE BEARING COMPANY, LTD” を指すのでしょうか?
ガレージのどこかにそのベアリングがある筈です。早くさがして謎を解きましょう!正にクルマ文化の歴史の謎解きであります。
2019.12.8:人車共OH中 - クラッチカバーの選択
折角のOHですからこの際、けちらないで極力フレッシュな部品を入れようと目論んです。
本日、午後、そんなに寒くなく作業に楽な感じで、一気に旧いストックを出してみました。
画像の赤いクラッチカバーはBREの加工品で手作りのものです。一番、信頼ありと考えているものです。80~90年台、TACS/JCCAに出場していた時代はこれを使ってました。クランク&フライホイール込みでのバランスもとりました。発進が気持ちよく、これとフェロードのクラッチ板を組み合わせた際は、コツンとつないで無理なすべりもさせないでロケットスタートが可能でした。しかし、大きな欠点もある構造で前後方向に押さえの無いフリーな構造でクリアランスが出てくるとクラッチを切った状態でガラガラと音を立てます。これは設計上のようで教則本にも書かれています。当時は何回かMIG溶接で盛っては削ってクリアランスを調整しました。しかし、使用過程で音が発生します。今回、当初は使おうと考えましたがこの欠点で使用を断念しました。
左下のものは “マツダNA6ロードスター” のものです。ノックピンの穴は8mmとコンテッサの6mmより太いですがフライホイール側を変えてしまえばオーケーと判断しました。後は厚みが数ミリ薄いですがこれはなんとかなるだろうと考えました。そしてマツダのリリースベアリングを使用するかコンテッサのもので行くか、これもどうにでもなる問題です。とりあえず、チェックのためにベアリングも購入したました。今だ、これで行くかどうかを悩むものです。
しかし、最終的に画像の右のある半世紀前の旧い日野純正を使おうと決断しました。この部品は1971年にコンテッサ1300Sからクーペに変えた直後だと思いますが、当時の日野の葛西のデポで購入したものです。その時はいくつかのメンテ部品が欲しいとデポに行きましたが、日野の方は "コンテッサ1300の部品は一切ありません” と言われ、倉庫に案内されました。確かに棚はガランと何にもない、ただ薄暗い倉庫の中にこのクラッチカバーだけがポツンと置いてあり、"あるのはこれだけです” と言われました。もちろん、購入しました。日野コンテッサ1300の補給部品の実態は製造中止からたった4年後でメーカーから皆無と宣告をされる状況でした。
この当時、日野自動車は自ら生産&販売したコンテッサ1300を市場から消す方向にあったと後になって知りました。おそらくトヨタとの提携の関係でコンテッサ1300に対する戦略だったのでしょう。確かに補給部品を無いと言えば、自然に市場からすぐに消える、まさにそれが実態だったのです。しかし、このことが当時、日野をあてにしてはならない、部品は自分たちが考えようと言う考えが芽生えたのです。その後、ほどなくしてPD300クラブ (今の日野コンテッサクラブ) が誕生しました。
そんな怨念 (?) のあるクラッチカバーです。このことがこの際、使ってみようとなった大きな原動力です。50年近いコンテッサ歴で新品のクラッチカバーを使うのは初めての経験です。フィーリングが楽しみです。
2019.12.8:CARグラフィック - それは偉大なる歴史の証人
昨今、政府の “桜を見る会” とやらでデータをいとも簡単に消し去ってしまうことが話題になっています。税金を使った行事のデータがまったく残ってないと、それも規則で速やかに消去するなどと実にご都合主義に感じるものです。
多くの先人のお言葉や格言にあるように ”将来は過去の上に成り立っている” もので、過去を無くして、明日が創れないことは明白の理です。日本時の “飛ぶ鳥後を残さず” と言いたいのでしょうか?そうではありません。今日のデータは明日のための種です。
第二次大戦直後、重要なドキュメントを焼き捨てた当時の国のやりかたのように、日野コンテッサの重要な情報は補給部品と同様にその多くが日野自動車としては綺麗な形では保存されなかったようです。関係者の一部の独断的な意思あるいは善意により何とか点のごとく残っているのは幸いです。しかし、多くの公な歴史的なドキュメントは難しいと考えます。
最近、あることがきっかけで日野自動車が開発を進めた日本初のフォーミュラーカー (同時期にホンダも) 、デル・コンテッサの系譜をまじめに整理し始めました。と、いっても昨日と今朝です。そこでもっとま役にたったのが画像の様1966年〜1969までのCARグラフィックの一連の日本GP特集です。今となってはこれほど仔細に報道していただき頭がさがる思いです。今まで断片的に見ていたこのテーマをそこにある点のデータをつなぎ価値ある情報に展開中です。
2019.12.5:本日のデリバリー - 78歳ラリードライバー 菅原 義正 (著)
昨日、菅原 義正さんの著書、”78歳ラリードライバー、ギネス・ホルダー 菅原 義正の挑戦” の新刊書 (新紀元社) を発見しました。早速、Amazonで購入、夕方にポストに投函されていました。
最近、長年続けたダカールラリーを勇退、新たに2020年の年明けからアフリカエコレースに挑戦されるようです。この本は氏の長年のレース界での足跡の自分史なのかと思います。大変尊敬している師であります。とりもなおさず手にしました。
実は2004年 (平成16年) 秋の東京モーターショーの幕張メッセで思い履けなく3時間くらい氏ととりとめもない話をさせていただきました。日野のブースでレンジャーとともに立たれていたのですが、氏によると誰とも話がなく実に退屈していたとのです。そんなことで会場の裏の屋外のベンチでの長話となりました。日野 (人脈含め) 、レース (70年台前後) などの切り口で接点があり、盛り上がりました。
その際の別れ際に “ミニカーを遅らせていただきす” と、そして数日後に有名な氏がドライブした仕様のクロサキミニクーパーSとホンダ1300クーペ9レーシングが届きました。これは一生の宝物であり大事にしております。
78歳ラリードライバー、菅原さん、今後も年齢に関係なく戦ってください。何時でも人生の目標にしています。ありがとうございます。
2019.12.3:人車共OH中 - サビ取りのその後如何に
予定の48時間の昨日の夕方であります。しかし、庭先なので雨では作業しませんでした。
今朝は天候に恵まれ、午前中、陽の当たる暖かい中、小一時間作業をしました。
容器は画像のように茶色の錆色で如何にも化学反応でサビ取り、しかしこんなにもサビのカスがでるものかと驚きました。しかし、米国の飛行機のプライベータの説明の中の画像もまったく同じもので所謂、予定通りというものです。
鉄のアノードとして使用した8X25cm寸切りボルトもすごいサビの付着です。これほどのサビをクランクシャフトから転写したのか?そうではないでしょう。単なるサビの化学の結果であります。
クラングは表面だけの薄いサビだけになりました。これは所謂、食い込んだ部分と思います。これがどれだけうまく除去できるか、結果的にサビの深さです。それによってどの程度、研磨したらよいかアンダーサイズのベアリングはどの程度にと、これらは内燃機屋との相談となります。