2020.12 師走 (しわす)


2020.12.27:人車共OH中 - 遺跡発掘&検証の日々 (続)

20201227 Engine Block 1

 昨日に続いて、日野コンテッサ1300 GR100のエンジンブロック:シリアルナンバー:GR100-102874のクリーンアップです。エンジンブロックのこびり着いた日野の"赤"を出来る限り取り除く作業です。

 塗料リムーバでは日野の “赤" の上に塗られたBREの “黒" は簡単に剥がれました。しかし、日野の “赤" は中々取れません。昨日まではマフラー側は比較的フラットの面にサンダーも使いましたがそれはベストなソリューションとは思えません。

 今日は複雑な形状のキャブ側、いろいろブラシを試しました。そうするとブラシの形状&材質により向き不向きがあることがわかりました。すなわちそれは経験&技術不足の何者でもありません。

20201227 Engine Block 2


 ツールとは正に使いようです。使い手を選ぶものです。以下のその結果です。鋳造時の地肌となって来ました。

20201227 Engine Block 3


 なるほど、これで行けそうだと感じました。素人がツールを使いこなすには数時間の習熟が必要なようです。これでもう一回デティールをこなせば全面綺麗になると予測します。

 鋳造時の綺麗な肌になりました。サンダーなど使ってしまった他の面も同様なプロセスで進めましょう。

 さて今日は、タイトルの"遺跡発掘&検証"にあるように新たな発見をしました。

 日野GR100エンジンブロックシリアルナンバー:102874もう一つのオイルラインのプラグを “発掘" しました。以下の画像のようにオイルフィルターブロックの脇に小さなプラグ、新たな発見で、興味津々です。

20201227 Engine Block 4


 シリアルナンバー:GR100102874の刻印の周辺もリブの形状も綺麗になりました。これでこのブロックの歴史を証明し、その軌跡を残すための日野の ”赤" ではないBREの ”黒" を示すための塗装への道ができました。この先のプロセスが楽しみです。果たしてどんなサウンドを力強いパワーとともに発するのか誇大妄想の日々です。

2020.12.26:人車ともOH中 - エンジン修理その後 & 制作進捗状況

20201226 enngine 1

 "電動ファンの不動" もその後、順調に動作しています。オーケーのようです。


 "エンジンブローの寸止め" 後、ほぼ2ヶ月を経過しました。2度のビ筑も取り敢えずトラブルもなく終えました。

 シリンダーヘッドの組み付け後、いつもように増し締めが必要であり、本日、進めました。昨日、エンジンをオンしましたが若干、タペットの音が自分にとって正常でないように思いました。そんなこともあり早速すすめました。

 結果は、シリンダーヘッドのボルトの半分以上は非常に僅かではありますが増し締めとなりました。よくあることですが (本当はあってはならないのだが) 、一本のボルトはかなり入り込みました。これは何故でしょうか?いまだ、解明できていません。

 一つ、反省として言えることは、過去の組み付け後、水がオイルラインに回ったことがあります。結果的に中央右 (今回は反対側) ですが、締め込んでオーケーとなりました。ただ、その時はオイルラインに水が回ったのでその処理に手間取りました (分解はしなかった) 。どうも一本だけ、ちゃんとトルクがかからないということがあるようです。自分の初歩的ミスかもしれません。

20201226 enngine 2


 バルブロッカーガイドも半分は増し締めとなりました。バルブのクリアランスは暖気をして再調整しました。半分以上のバルブがクリアランス不足で再調整しました。

 タペットカバーを閉じ、エンジン始動、タペットの音が自分にとって正常な範囲となりました。

 次にここのところ、鋭意進めているエンジンブロックのクリーンアップ、ペイント (ブラック) すべく表面を整えています。黒に塗られてた塗装は一般のペイントリムーバで簡単に取れました。しかし、その下の日野オリジナルの赤の塗装は簡単には取れません。

 そこで今日は、サンダーを使ったり、ブラシを使ったりとその処理に難儀をしています。これは明日も続行となるでしょう!

20201226 enngine 3

2020.12.19:人車共OH中 - 電動ファン不動、原因に悩む - 原因は平型ヒューズ?

20201219 Fan 3

 先月末のビ筑第6戦 (2020最終戦、11月29日) の帰路に気が付きました。どうもリヤのラジエータにマウントの二機の電動ファンの一つ、右ファンが動作してないのです。手元のスイッチを入れても動きません。ファンが動作しなくとも88度くらいまでに水温が上がるものの問題無しと自宅まで戻りました。

 さて、なぜ、右のファンが回らないのか?その後、もろもろ、部品を外したり、配線図とにらめっこしたりと問題を追求、12月の5/6日の週末、時間を費やすすものの不明です。その後も平日の昼休みなど時折チェックしても分からず、12日の土曜日もダメ、ようやく13日の日曜日に完全な再現性をもっての原因解明に至らないものの右ファンが動作するようになりました。

 最終的には画像の20Aの平型ヒューズが原因でした

20201219 Fan 1


 結果的にこの日のチェック中に完全に切れました。”切れました” と言うのはこの日までのチェックでは目視では切れてなかったのです。導通もありました。しかも、不可解な現象、それはこのヒューズを通した後の回路、すなわちリレーの起動電源やファンの電源で発生したことは、テスターやLED程度の電流であれば導通がある、しかし、5W程度の電球では導通がなかったことです。それ故に原因解明に時間を要したのです。

 最初はこれはリレーだと、なぜならば、時折、チャッチャッと音がして一瞬動作するのではと、しかし、ちゃんと働きません。暮れだし、時間を無駄にしたくないので急遽、新しいSPDTリレー (12V、5ピン) を注文しておきました。しかし、結果的にこれは使わずに済みました。

20201219 Fan 5


  平型ヒューズについて本当の原因は分かりません。一つ、思い出すとすれば、昔の管型ヒューズのトラブルです。それは一見、切れてないようなヒューズですが実は導通がない、すなわち切れていることがあったことです。これは自分だけではなく周辺にもそれを経験されている方がおりました。見えないくらいの断線あるいは見えない部分の断線で実は切れているのでしょう。

 今回の平型ヒューズでもそれを疑うようになりました。すなわち見えない程度の断線がどこかにある、でも電流が小さなものでは流れる、LEDやテスターでのチェックは通ってしまう、しかし、普通の電流ではちゃんと流れないと、これは上記のリレーが働きそうでダメだったという現象につながるのではないかと推測します。そして幸いなこと (?) に目視できる場所で最終的に完全に断線してくれたのでしょう、すなわち画像のように目視できる状態でです。

 いずれにせよ、その後は、問題が出てません。気持ちが悪いですが、平型ヒューズでも昔の管型ヒューズの問題があるのだと肝に命じておきましょう。一つ、良い経験をしました。

 そして、今回、反省したことが画像の手書きの配線図です。もう10年近く経たものです。CADに落とそうと思っていますがいまだ実現してません。もう忘れかけている配線なのでとにもかくにも電子化をして情報 (すなわち、注記とかコンテクストなど) をちゃんとしたいと考えます。アナログな旧車、コンテッサ と言えども健康的に維持するためには昨今のトレンドのDX (デジタルトランスフォーメーション) とかデジタルツインの活用が必要です。そして、配電盤のネジに多くが緩みがありました。これも普段の点検が必要と感じました!

20201219 Fan 2
20201219 Fan 4


2020.12.13:人車共OH中 - 遺跡発掘&検証の日々

20201212 Black BLK a

 先のビ筑最終戦後の整備がある課題でままならぬ中、今進めているエンジン制作の悩みであります。もう、師走になってしました。

20201212 Black BLK b


 日野自動車のエンジンといえば、上のように、『』、『日野レッド』、1960年台の日野コンテッサ 1300 GR100は勿論、当時の大型車も同じ、今日でも変わりないようです。つまり、『』のエンジンブロックがシンボルカラーなのです。(参考:プロフィア用A09C型エンジン

 現車に搭載のエンジンブロックの次のように『日野レッド』 (実際には米国GMレッドのエンジンブロック用ペイント流用) とこだわりをもって進めました。

20201212 Black BLK c


 しかし、競技の現場では、そのシンボルカラーは通用してなかったようです。次のシリアルナンバー:102874が刻印されている日野コンテッサ 1300 GR100のブロックの画像をご覧ください:

20201212 Black BLK d


 『』に代えて『』のペイント、日野ファンとしては常識をくつがえすブラックカラーなのです。誰もがこんなのは違うと言いかねない、あるいは昨今の旧車界の純正信奉者からは白い目で見られそうです。

 このブラックカラーのエンジンは我が愛機:BRE コンテッサを1976年に購入した際に多くの部品と共に前オーナーから我が家にやってきました。このBRE コンテッサは第一回日本GP (1963年) から日野のワークスドライバーであり、米国BREのチームサムライの立役者であったロバート・ダンハム (wiki - Robert Dumhamさんから前オーナーのもとに1968年に渡ったものです。

 さて、何故、『』、すなわち『ブラック』なのでしょうか?

 ネットで、”Engine Block Black Panting”で検索すると、以下のような解釈するものです:

  • 黒は最も熱エネルギーを放射しやすい。よってエンジン内部の熱を放出しやすい
    => これは理論的にも常識的にも納得!コンテッサのようにリヤエンジンでは効果がありそう。
  • ただ、それがランニング状態にエンジンの出力に影響するかは他の色と差別しにくい
    => すなわち、これは馬力アップが目的ではない!
  • 効果があるのはランニング状態ではない時にエンジン内にこもった熱を逃しやすい。すなわち、エンジンオフの際に水の流れが止まった際に急上昇する水温でのブロックの温度上昇に効き目がある。
    =>これはヘッドガスケットなどの保護に役立つことは明白。

 まあ、そんな効果だと勉強しました。

 しかし、このような微々たることも試していた当時の米国チームサムライのコンテッサであった証しです。

 日野自動車の当時の文献ではこのような対処は出てきません。その理由は、おそらく、この『』の対処が試されたのが、日野自動車のエンジン技術者がBREに滞在された (開発初期の3ヶ月程度、〜1966年6月) 期間に関係すると分析します。すなわち、その後のBREでのコンテッサレーシングの戦闘能力が上がって来てから (1966年7月〜) であり、実は詳細な情報が残って無いのです。

 また、秋口になってからはンテッサ市場撤退を前提としたトヨタとの業務提携発表 (1966年10月)があり、その結果としてレース活動停止その資産の処分に即座に向かったため、さらに詳細は消え去る結果となったと考えます。

 そんな事実&歴史は脇に置いて、重要なことは日野自動車の外に『現物』がちゃんと残ったということです。それも再起不能の処分 (現物を抹殺する、これは日本メーカーとしてよくあること) や廃棄されたものでないことです。これは当時、日野コンテッサの競技資産の多くが日本国内の日野自動車の中だけではなく、米国BREの元にも貴重な資産があったためです。これは不幸中の幸いです。

 この幸運にも残ったエンジン、今回のエンジン制作にこの『』ブロックを使用する所存です。このブロックはシリアルナンバーで分析するとおそらく1966年前期のものと分析します。BREのもとで競技エンジン開発のために米国に送られたものです。

 何機かあるBREのエンジンの中でも他にない特徴がこのブロックにはあります。『』のペイントに加えて、次の画像のようにオイルラインを容易に清掃できるように各所にプラグが設けられていることです。これも米国のエンジン改造の教則本に書かれているそのものです。

20201212 Black BLK d¥え
20201212 Black BLK f


 加えて、このブロックをその他の部品からさらに分析&推測すると、おろらく1968年3月22日の第10回日本スポーツカー富士300キロレース大会 (全日本S&T) に山西喜三夫さんのドライブで活躍したものと断定しています。日野自動車として最後の競技出場のエンジンと解釈するものです。成績は総合13位、クラス6位、予選タイム:1分57.24 (左回り) と記録されています。以下の出走時の画像です:

20201212 Black BLK f


 さて、本題である目下の悩みは、日野本来の『』にするか、些細な理由ではあるものの歴史を重視して『』にするかです。

 即断即決、早とちりではありませんが、『黒』のペイントです。理由は簡単明白であり、歴史を重視することです。先達がトライされたことを尊敬してぜひともその証しを『現物』として残しておきたいのです。それも完全な動態保存です。おそらく日野時代の競技エンジンとしてのパワーは得られないものの、街乗り&軽競技を目指したチューンアップを考えております。もちろん、最新のテクノロジーも盛り込みます。

 これは2017年にレストア課題で話題になった “トリノ憲章” の一件や最近のClassic Motorsports誌で報じられている競技車両の価値に対してのレストア課題などのようなことを感じているためであります。

 まさに遺跡発掘&検証のような、なんだかんだの日々であります。目下、妄想が先ばしっているようです!


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