2021.1 睦月 (むつき)


2021.1.31:たかがパナスポーツ、されどパナスポーツ...

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 2021年、今シーズンのビ筑、どうするか思案中です。基本的には人車共に "原点回帰” を目論んでいます。

 2016年、ビ筑に初エントリー、以来5年、我がコンテッサ、微力ながらいろいろ試しましたが、ここで一区切り、こんな年齢ではと思うもののの若かりし頃に戻ってみたいと誇大妄想しています。

 これは今に始まったわけではなく、進行中のエンジン制作もその一つです。ことエンジンに関して言えば、現行エンジン、実はコンテッサ1300を初めて乗った1970年以来の所謂ノーマルエンジンなのです。コンテッサに慣れた1972-3年くらいからは少しボアを上げたエンジンや少し手をいれたものであり、自分のコンテッサ歴の90%はノーマルエンジンでなかったのです。

 その意味で制作中のエンジンは実は原点回帰なのです。そこでもう一つ、足回り関係のホイールもしかりです。現行のそれはある意味で自分にとっては仮の姿だったのです。

 そこで、表題の ”パナスポーツ”、つまり ”フォーミュラワン"、所謂、バナナ型の典型的デザインのホイールです。

 最近の旧車関係の雑誌を見ていると "ワタナベ “ 神様仏様のごとくワンパターンのオンパレードです。グローバルでみれば “ワタナベ“ 、今でいう旧車が現役だった時代は日本だけの現象であり、言わば、日本の常識は世界の何とかであります。ただ最近のJDMを中心に "ワタナベ の価値は上昇してるようです。

 自分はパナスポーツ派であり、アルミが主流になった80年代から変わりません。80年代当時、米国のR&D誌やAutoWeek誌などでも “PanaSports” は常時広告されており、サーキットでも目にすることが出来ました。その当時 ”ワタナベ “ は皆無でした。

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これは90年代だが、NAロードスターにも "パナスポーツ" が高く評価れていた。

 80年代のある時期、それまで何種類かの中古のアルミホイールを使用してましたが、どうしても “フォーミュラワン" 、すなわち ”パナスポーツ” が欲しくなりました。新品は高価ですので雑誌の売買欄でPCD120の5.5.J-14の “フォーミュラワン" を発見、購入となりました。確か、品川駅あたりのとある場所で落ち合い引き取ることになりました。売手の方のお話しではVW用だとかで、ではPCD120ではないだろうと、結果的にコンテッサに合わせてみましたが合いません。VWはPCD130、先方の間違いでした。

 その後、”フォーミュラワン” のカタログを入手しました。なるほど、14インチ、PCD120は6Jと7Jのみ、5.5J-14はないことを知りました (カタログ:こちらを参照) 。

 それならば、もう中古は待てないと、清水寺から飛び降りる気持ちで新品ホイール&タイヤを発注しました。その当時で確か合計:18万越えだったと記憶します。とても高価な時代でした。

 そんなこんだで、”パナスポーツ” こと、”フォーミュラワン” を履いた我がコンテッサの姿は以下のようです。サイズは前輪は6J-14後輪は7J-14、タイヤはADVAN HF-R、F=185/60R14、R=195/60R14です:

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 この文面を書くにあたって、現在、 ”パナスポーツ” がどうなっているかチェックしてみました (製品情報) 。何と、数年前に工場を閉じ、生産を中止したようです (弊社工場稼働中止) 。残念ですが時代が変わったのでしょう。

 まあ、それ良いとして、今シーズンはタイヤをグリップ指向からコンテッサの足にやさしいノーマル方向にと、すなわちエンジン同様に原点回帰の一つの項目です。そしてホイールもやはり気に入っている往年の ”パナスポーツ” こと、”フォーミュラワン” にと、丁度、上の画像のようにしたいと考えています。

 実は80年代に購入した ”フォーミュラワン” は画像のDEL DANDY TURING号と共に新しいオーナー (山形県) に嫁ぎました。思い入れのあった “フォーミュラワン" は手元に残す算段で別なホイールを購入してましたが、慌ただしかった引き渡しもあり、取り換える時間もなく本人の意思に関係なくクルマと一緒に去っていったのです。

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 そんなほろ苦い思い出、その直後、”フォーミュラワン” をヤフオクで購入しました。目下、6Jが2本、7Jが4本。中古で長らく保有、本当はもう2本、6Jがあると良いのですが、ここ10数年、残念ながら出品はありません。不便なPCD120であります。

 昔、鉄の7Jを履いていたので (下の画像) 、今回は前後とも7Jで行こうと考えています。昔はRRの定番として後輪を太くしてたのですが今回はジムカーナもありなので前後のホイール&タイヤサイズを同じにしたいのです。

 そんなこんだでまずは中古品のリファービッシュ&クリーンアップを進めています。現状、ゴールドのスポークですが、シルバーにします。

  "たかがパナスポーツ、されどパナスポーツ…" の日々です。

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実はやはりこの強化&ワイド鉄ホイールが一番格好いいと思っている!
1995年、幕張メッセの東京モーターショーへの搬入時、化粧直ししたボデーショップにて。

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20210122:人車共OH中 - 遺跡発掘&検証の日々 (続)

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 前回、報告のコンテッサ1300 GR100エンジンのブロックの黒:ブラックの耐熱ペイント、三日を経て乾いて来ました。

 今週末の天気、良くないようで気温も低いようです。今日は4月の陽気とか、気温も高いので急遽、次のプロセスを決断しました。

 昼の休み時間にVHTの耐熱クリアを入れました。2回ほど、吹きました。これでクリアが乾燥したらマスキングを外すことになります。楽しみです!

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2021.1.19:人車共OH中 - 遺跡発掘&検証の日々 (続)

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 相変わらずのコンテッサ1300 GR100エンジンのブロックのクリーンアップと日野の赤でない黒:ブラックの耐熱ペインティング作業です。それは考古学の発掘&復元作業のようなものです。

 最後のプロセスで画像のような新たなオイルプラグを発見!ブロック上面のタペット近辺です。オイルラインの至るところに徹底的にプラグを設けたようです。米国・カリフォルニアのOHVエンジンのチューンアップの奥の深さを感じつつ、これが今から55年前の1966年 (昭和41年) なのだと想いを馳せています。

 これらのプラグを抜くと、下の画像のように、今まさにスレッドされたようかの新鮮さです。おそらく何度もプラグを抜いたり入れたりされてないのではと推測します。

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 これらのプラグはもちろんインチ規格です。ネットでこんなものが今でも売られているか検索しましたがヒットしません。いずれ見つかるでしょう。

 さて、日野コンテッサはウエットライナーです。つまり、ライナーがブロックから独立してます。そこでブロック内部の水回りを清掃にはライナーを取り外し必要があります。それには以下の画像な特殊工具 (SST) が必要となります。

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 このSSTは当時の日野の純正工具です。ただし、一般向け市販の標準ピストン (71〜72,2mm) 向けのものです。画像左下の少し大きめのプレートが自分が内燃機屋にお願いして制作したボア アップ (73mm&75mm) ピストン専用のものです。

 このSST無しで抜くと、例えば、下部からマイナスドライバーで叩くとか、それは多くはライナーを破損させてしまいます。要注意の場所です。

 今回のこのブロックは日野ワークス向けの74mmピストンのライナー、そこで73mm用を利用してライナーを抜くことにしました。

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 この作業は今まで何度かしてるものの正真正銘55年も経たものは初めてです。慎重に慎重にと、あるところグワっとライナーが動くと、これで成功です。この感覚が大事です。

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 なるほど、ライナーの周辺の汚れ具合、これで水の流れが分析できるのかな、何て考えてしまいます。時間のある時に4本並べて分析するのが楽しみです。

 今回、制作しているエンジンは73mmピストンです。よってこの74mmのライナーは使用しません。この74mmのピストン&ライナーについては大きなストーリがあるので別途、機会をみて記述しましょう。

 ライナーを抜いたブロックの内側壁面は以下の画像のように冷却水によるサビで結構汚れています!しかし、どれもこんなもので、これよりとんでもなく酷いものも見受けます。

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 このブロックの内側壁面の部分は取り敢えず以下のようにクリーンアップしました。

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 この内側壁面は水で錆びて汚れることは仕方ないと考えます。ただ鉄ブロックでそれをどれだけ防ぐだけかと考えます。

 船舶エンジン (冷却に塩を含んだ海水を使うので非常に深刻) の場合はそれなりの防錆塗装をするようです。また、コンテッサでも塗装したと言う声も聞きました。

 今回、欧米のディスカッションルームをチェック (Water Jacket Inside Coating??? - Antique Automobile Club of America)しましたら、これで良いのだと、自分もそう思ってしていると言うのがありました。それは防錆剤の入った不凍液を適切に使用することだそうです。ただ問題は、一つ、不凍液の性能の劣化に比べ防錆剤の性能劣化がとんでもなく速いことです。

 諸々、エンジンに限らずチェックすると防錆剤はワンシーズンで入れ替えというのがベターのようです。と、いうことは防錆剤入り不凍液の寿命はワンシーズンということになります。これを肝に銘じておく必要があります!

 鉄ブロック内部のサビの進行を遅らすには、シーズン毎に新しい防錆剤入り不凍液を入れることしかない、と言う結論です。

 次にブラックペイントのためのマスキングです。当然のことながらペイント不要な部分を徹底的にマスキングしました。いつものことながらペイントのマスキング処理は手間と時間を必要とする辛抱のプロセスです。

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 そして、まずはプライマリーです。耐熱のVHTスプレー缶です。以下のようです。

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 そして1日、乾燥させて耐熱のVHTスプレー缶艶消しブラックのペイントを施しました。待望の黒:ブラックです!

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 さあ、これで数日乾燥させて、週末にはクリアーの耐熱のVHTスプレーを入れる予定です。それが完了後、クランクシャフトを含め、機械加工&調整に内燃機屋に馳せ参じたいと今から心が踊っています!さあ、この55年もののブラックのブロックのニューエンジンの期待如何に?競技の場で陽の目を観れるのでしょうか!

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2021.1.10:人車共OH中 - 遺跡発掘&検証の日々 (続)

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 エンジンブロック外面のクリーンアップも最終工程になってきました。

 鋳物の地肌のデティール、まだまだ完全に日野の赤が抜けませんがこの辺で良しとしましょう。

 今日も結構進めした。ここまで来るとワイヤブラシの使い方に加えてペイントリムーバの使い方も慣れ、素人でも効率良い方法が分かって来ました。しかし、よくあることで、素人というものはやっと勉強出来たころが最終作業となることです。

 今日のハイライトは機械加工された面を綺麗にすることです。ひつこくこびり着いているガスケットをスクレーバで取り除き、加工面をスコッチたわしの中目で整え、最終的に細目を使用しました。これで日野の加工後がしっかりと出てきました。実に楽しい瞬間です。

 以上の処理で画像のように無垢の感じになりました。日野の工場で生産された際の品質までは無理としても自分として納得、これで良しとしましょう。このブロックをみていると段々強靱になったような気がします。何時ものように妄想です。

2021.1.9:人車共OH中 - 遺跡発掘&検証の日々 (続)

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 この日もエンジンブロックの塗装のための下準備に引き続き、ひたすらブロック外面のクリーンアップを進めました。

 すると今まで気がついてなかった新たなオイルプラグを発見しました。

 画像のように上面に2箇所ありました。結果的にこれで都合、9箇所のオイルプラグがあることになります。

 おそらくブロック内のオイルラインのすべてのクリーンアップが速やかかつ完全に出来るようにするためではないかと推測します。いずれにせよ、これは米国のOHV V8エンジンのチューンアップの教則本にあるそのものです。

 そしてもう一つ、以前、書いたようにウォータージェケットのドレインのプラグが日野製の機構に変えて、単純な8mmX1.25のボルトになっていることで、どのようにしたのか判明しました。ソリューションは単純で8mmX1.25のリコイルで処理されていました。

 この簡単な改造でエンジンに載せたら手の届きにくいところの日野製のドレインプラグをオープンすることが結構面倒な作業がスパナ1つで水抜きできそうです。これも作業効率アップには最高のソリューションと思いました。

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20210106:今年の正月三が日

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 新年明けましておめでとうございます、本年も宜しくお願いします。

 以下は今年の正月三が日です。

【DAY1:元旦】

 今年の元旦は前日大晦日と打って変わって画像のように実に穏やかなに日和でした。前日の風で空気が綺麗になったせいか空も高く紺碧でした。

 結局、この日は江戸川土手を散歩した程度で少し暖かい日和を楽しみました。元旦のハイライトは恒例のウィーンフィルハーモニーの2021ニューイヤーコンサートでした。(以下の画像はテレビ映像のコピーです)

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 今年の指揮者は、巨匠、リッカルド・ムーティさん、お歳は80とか、さすが指揮者、矍鑠 (かくしゃく) とされています。解説によると氏は半世紀前のウイーンフィルをよく知る方で今の若い皆さんに伝統を伝えていただいてるとのことです。

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 今年はご多分にもれずコロナ禍で無観客でのニューイヤーコンサートでした。しかし、世界で8千万以上の皆さんがライブで鑑賞してるとのことです。

 演奏された皇帝円舞曲や美しく青きドナウ (ヨハン・シュトラウス、詩人と農夫 (スッペ) など実は高校時代にベートーベンの第5番を目指す過程に学び、演奏した作品で非常に懐かしく感じました。青きドナウの演奏に際してムーティさんは音楽は国民に希望を与えるものと、実際、青きドナウは当時、意気消沈したオートリア国民に希望を見出すためだったようです。なるほど、ムーティさんのお言葉に今のコロナ禍の時代がオーバーラップしました。

 いつもならリアルタイムである会場の拍手、今年はありません。しかし、各セッションの最後に世界の皆さんが以下の画像のように拍手とともにアップされました。これもネット時代ならではアイデアでその粋な計らいに感動しました。

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【DAY2:1月2日】

 元旦に続いて穏やかな日和です。我が愛機:コンテッサ、実に室内が汚れていました。もうかれこれ一年以上ものを詰め込んで筑波のビ筑往復で一度も面倒みてませんでした。そこで中身を全部出して、雑巾で砂など含めて拭い去って隅々まで綺麗にしてあげました。

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 次に木工作業です。今、進めているエンジンブロックの塗装、その足場をハギレ材でインスタントに制作しました。出来上がりにはいつものようにこの日の製造年月日を入れておきました。

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【DAY3:1月3日】

 さあ、この日は筑波山の朝日峠に向かいました。本来ならば大晦日ですが、寒い、風が強い、などで大事をとって断念しました。箱根大学駅伝の山下りを見て自宅をでました。

 この日は実に穏やかで寒さも感じせない朝日峠駐車場でした。

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 到着すると年末年始この場所だけの顔馴染みさんが何人かおりました。強者は大晦日から連チャンも、暖かさにもつられて終わりの無い会話がこの日も続きました。

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 11時過ぎに朝日峠を切り上げ、箱根大学駅伝の鶴見中継点あたりから大手町ゴールまでの観戦することができました。そして次なる作業はエンジンブロックのクリーンアップです。以下の画像のようにまあまあ綺麗になりました。後はキャブ側の複雑な形状の面の仕上げのみとなりました。

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 正月三が日のエンディングです。この日の松戸市の日没は午後4時36分とのこと。兼ねてから目論んでた江戸川土手からの富士山の夕陽をカメラに納めることです。iPhoneが便利であまり出番の無いミラーレス一眼カメラ、今は無きメーカーのPENTAX Q-S1に望遠を付けて目的の場所に向かいました。

 日没付近から10数分撮りました。以下の画像 (AS-IS:無修正) は4時40分、日没から4分後です。趣味でないカメラです、撮ってみると結構エラーが、この場所は高圧線が目の前にあったのです!まあ、いいか、良い思い出となりました。小学校時代から見てる光景です。しかし、今は外環が立ちはだかっているのです。でもこれも現代を象徴する光景だと思います。

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 と、いうことで短い正月3が日も無事に終わりました。コロナ禍も第三波、これからが正念場です。犠牲にならないよう何とか頑張りたいと思うこの正月でした。皆さんもどうぞご自愛ください。

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