2021.7.31:問題解決へ、イグニション ワイヤーのDIY
我が日野コンテッサクーペ、問題解明のためにひとまず、ノーマルの点火方式にもどしたらさらなる不調を囲った愛車であります。
まずは、米国MSD社のスーパーコンダクター イグニション ワイヤーをコンテッサ用に合わせて制作しました。抵抗値は50オーム/フィートと超優れものです。
冒頭の画像が完成形です。専用のワイヤーカット&カシメツールを購入したもののここまて来るには結構難儀でした。やはり初めてのプロセスはやってみて経験値を積む必要があるのは例外ではありません。
長さが異なる各ワイヤーの抵抗の実測値は以下の様です:
1番:94オーム
2番:92.5オーム
3番:79.9オーム
4番:64.6オーム
To コイル:115.5オーム
期待通りの低い抵抗値です。
ワイヤーを整理するホルダーブラケットも7mm径から太い8.5mmのワイヤーに合わせて形状を加工しておきました。
そして、取り付けた姿が以下の様です。このMSDのワイヤーは赤と黒があり、地味な黒を選択しました。赤は派手で他の部品が負けそうなので黒で正解だったと自負してます。それでなくとも8.5mm径は太くて目立つのですから…つまり主張が強いのです。
さて、結果は?一応、エンジンは始動、近所の何時ものコースを同じアクセルワーク&ギアで走行、しかし残念ながら、今回の問題の本質はワイヤーではなかったようです。。
次なる、対策の絞り込みはイグニションコイルへと、昔、経験した負荷を掛けると不甲斐なくなる現象です。さあ、どうなるでしょうか!?
【おまけ画像:55年前の日野コンテッサ1300クーペ】
以下は、1966年 (昭和41年) 7月23日、ちょうど55年前の夏の米国カリフォルニア州、リバーサイドレースウェイ、CSCC (California Sports Car Club) 、ナショナルポイントレースの一コマです。#93のピートさんはクラス3位、#51のボブさんは4位の記録が残っています。後ろのベレットGT (プライベータ) はこの後にコンテッサをパスしたようですが最終結果は不明です。コンテッサは油圧&油温対策半ばのようで、#51はフロントにオイルクーラーを、#93は冷えの悪い後部のラエータ脇のままのようです。古の一コマです。
2021.7.15:これで問題の1つが解決か - IGワイヤー
先週のウィークエンドに問題解明のために同時点火に代えて交換したコンベンショナルなIGシステムに新たなは不具合が発生しました。
交換したIGワイヤーの明らかな不具合、まずはその対処として、IGワイヤー関連一式を注文しました。早、この日に手元に届きました。
注文した製品は、MSDの "ワイヤー 8.5mm スーパーコンダクター プラグワイヤー 黒 ブラック" 、"MSD プラグ コード ブーツ ターミナル スパーク プラグ用 ストレート マルチアングル 端子 肉厚 高性能 点火プラグ ワンオフ パーツ”、そして組立&カシメ用の "MSD クランプツール ワンオフ バイスツール プラグコードツール” です。
はたしてこれでコンテッサの新たな病の一つは良くなるでしょうか?週末の組立作業が楽しみです。今週末は天気も良さそうです!
2021.7.11:週末の作業 - 主なぬことが発覚!
目下、ガレージ の中がガラクタの登場で大変ことになっています。とりあえず、片付くまで外のカーポートにコンテッサを置くことにしました。
車両の後半くらいのアプローチが傾斜しております。コンテッサは水平に駐車させたいので画像のようにアストロのスロープ を購入、特別セールでかなり安価でした。
必需品、ボデーカバー (Budge Car Cover) 、これはロス郊外のトーランスのAutoZoneで何年か前に購入したものです。コンテッサで郊外で宿泊しなければならない際に使用してました。この薄いカバーが3層構造とかで雨風&太陽を避けるとかだそうです。日本ではこの種のもが良いものがないのが残念です。価格もしかりです。おそらく、経験上、何年も耐えるものでないので換えを考えておく必要あるそうです。
さて、コンテッサを屋外に出したせいでしょうか?不平でしょうか!?先週末のビ筑第3戦断念になった原因のエンジン不調を昨日、分析してみました。複数の要素があるのですが、その一つ、試運転の際に致命的だったのが4,000回転以上がいうことを効かない現象です。
まず、症状からみて疑ったのがディスビュー回り、その一つのプラグコードです。以下の画像の中のシートのメモのように、#2の導通が芳しくありません。なるほど、これかとなりました。他のコードも抵抗入りとは言え期待を裏切る抵抗値です。
で、目下、MSDのスーパーコンダクター ブラックを導入すべく進めております。ただ、一つ、ディストリビュータキャップ、これを日野純正のままが良いのか、悩んでおります。つまり、今回の不調の原因にもつながったコードの取り付け方法です。ちょっと、トリックを考えないと安心できません。
あるいは画像の右のように同じ径のトヨタのものを使用するのも選択肢です。これだとコードは一般的なカシメの端子を使うことができ、日野のような不安材料は払拭できます。さらに、VW Aircool (009) のものを使用するかと、これも候補、ただ、トヨタもVWもローターの位置関係が異なるので、日野のローターに下駄を履かせるようなことをする必要なありです。
あまり生産性のない課題に悩んだ本日です。
2021.7.10:ビギナーズジムカーナin筑波 2021 第3戦 HISクラス (2021.7.4 開催)
ビギナーズジムカーナin筑波 (ビ筑) 今年で4年目となったHISクラスです。7月4日 (日) 筑波サーキットのジムカーナ場で第3戦、例年通り、梅雨の中、あいにくのコンディションで開催されました。
旧車向けのHISクラス、出走車 (者) 、ホンダ S600 (アーロンホンダ S600) とHONDA Today 550AT (トゥデイ550AT) の2台のみ、我がコンテッサクーペ (2021はエコ de コンテッサ) は、残念ながらエンジン不調により出走を断念しました (DNS) 。
この日は、朝一番から画像のようにアーロンさんが中心になり現場からリアルタイムでLIneのグループ:HISクラスにメッセージや画像&映像が共有されました。
一本目の走行後、早速、映像が共有されました:
以下はLineの会話:
そして、二本目の走行後にも、早速、映像が共有されました:
以下はLineの会話:
と、言うことで、本日も無事、競技を終えることができました。ただし、当方のDNSにより、競技が成立しませんでした。深く、お詫び申し上げます。
公式リザルト:https://www.zummyracing.jp/wp-content/uploads/2021/07/20210704result.pdf
生タイム順位:https://www.zummyracing.jp/wp-content/uploads/2021/07/20210704resultall.pdf
と、いうことで次回は、第4戦は8月29日 (日) のTC1000です。
皆さん、旧車は絵画ではありません。ただ眺めて鑑賞するなんて。。。そうクルマは走っている姿が最も美しいのです。旧車を1/1のプラモデルにしないで、ぜひ、このHISクラスで走って楽しみましょう!クルマも良くなります!
2021.7.7:本日はファミレス老舗のスカイラーク1号店の誕生の日!
七夕に日の今朝、TBSラジオ、檀れいさんの 今日の1ページで、51年前の1970年7月7日、日本における郊外型ファミリーレストランの先駆けとなるスカイラーク1号店、国立店がオープンしたとお話がありました。すぐにフラッシュバックしたは、甲州街道で1号店の東にあったスカイラーク調布店です。
1971~2年当時、東京西部地区を中心に日野コンテッサ1300クーペ好きの若者が集まっていました。駄弁ったり、つるんで走ることは勿論、当時、日野自動車から部品供給を完全に絶たれてしまったコンテッサクーペの部品をどうするか、自分たちで何とかしようが議論の中心になっていました。
それではクラブを創ろうと、ではどこで結成式をやるのか、東京西武方面、ボクのような松戸、それから東京の南部、あるいは埼玉方面、結果的にその中心をと誰となく思い描き、中心になりそうなのは調布あたり、それも新しい今で言うファミレス、しかもちょっと洒落た雰囲気でお手頃価格、そして重要な点はクルマが自由に駐車できると、結果的に新しかったスカイラーク調布店となりました。
1973年8月、誰もがその日の仕事を終えて、夏の陽の落ちる夕方の6〜7時くらいに愛車コンテッサクーペでスカイラーク調布店に集まってきました。
ミーティングの内容は、最大課題の部品の問題とかツーリングなど極々一般的な話となりました。そしてクラブ名を "PD300 コンテッサ・クーペ・カー・クラブ" としました。まさに日野コンテッサ1300クーペ好きが拘った名称で、PD300を頭に付けました。また、会長に年齢的に二回りも上の阿久津さんにお願いをしました。氏以外はおおよそ20代の若者ばかりだったのです。
そんなこんだを思い出させていただいた今朝の檀れいさんのお話しでした。スカイラーク調布店はその後も利用、ある時は店内のあるスペースを貸し切りにしたりとか、コンテッサクーぺが20数台集合する盛況さでした。しかし、残念ながらこの調布店は消えてなくなりました。
また、"PD300 コンテッサ・クーペ・カー・クラブ" は、クーペだけではなく、セダンのコンテッサ1300もいうことで "日野コンテッサクラブ" と変えて発展してゆきました。
画像は当日のもの、誰もが若い!それから50年弱、ここいる誰もが実は現在に続く、"日野コンテッサクラブ" を卒業しております。数人の方は今でも家族ともども交流させていただいております。
スカイラークは今では多くがガストになりました。このような昔、若者だった時代のクルマ談議を思い出せてくれる良き場所であり、自分は今のガストの愛好者であります。今日は、檀れいさんに感謝!
(以上)
2021.7.5:書籍っていいな! - 断捨離人生なのに!困ったもんだ!
約1ヶ月前のことです。ネットでピート・ブロックさんがスタイリングしたLANG COOPERについてチェックしていたら、画像のような "Lang Cooper: Peter Brock's Group 7 USSRRC Sports" とタイトルしたハードカバー版を発見しました。価格は例えば、Amazon.com で百数十ドルでこれは買わんとしてました。
しかし、その直後、ヤフオクの中で偶然にも同書籍が販売されている、しかも価格がAmazonn他の60%くらいと大バーゲン、勿論、未開封新品、暫し、考え、このLang Cooperカラーの粋なデザインの書籍、結局はポチってしまいました。
何と、意思の弱いことか!自分の人生は、すでに断捨離末期年齢、バッサバッサと身の回り品を片付けねばなりません。特に書籍は頭の痛いもので、毎日、書棚を見ては、こんなもの、誰も興味何か無いだろう、自分が居なくなったらゴミの山以外の何ものでない、まっさきに処分対象になるんだろう、なんて考えてしまいます。
もう増やすまい、と、思いながらの実にバカな選択であるハードカバー本の購入です。
さて何故、この書籍を購入したのか、Lang Cooperに関して、当時のSCGなどのレース専門誌は所有しているものの、ピートさんのデザインについて、すなわちおそらく彼の最初のスタイリングであるLang Cooper II、そしてDe Tomaso P70、さらにDaytna Cobra、Hino SAMURAI、Mirage、Cobra Daytona Super Coupe、TR-250KやJ6 (JP6) へと続くデザインの進化についてもう少し的に知りたいと感じていたのです。そこにこの専門書籍、おそらく初めてで唯一であると思います。
内容は期待にたがわず素晴らしいものです。ピートさんのLang Cooper IIが誕生する前のCooperそのもののオリジナルのLang Cooperそのものの時代からすべてのイベントの写真や克明な解説がなされています。特に気にいったのが以下の画像です。
このピートさんのLang Cooper II、こんな時代もあったのだと、感慨深く感じました。それなり気のレーシングカーが一度は過ごさなければならないステップのように感じました。つまり、レーストラックで酷使された結果として栄光の個体もこのようなことがあるのだということです。
そして、それを救う神 (人間様ですが) が現れ、新たな進化の努力を進めるのだということです。現状は以下のようです。すばらしいですね。
この書籍とにかく素晴らしい、一台の個体の制作&レストア過程含めライフサイクルを完全編纂!やはり書籍っていいなと思った瞬間です。