七夕に日の今朝、TBSラジオ、檀れいさんの 今日の1ページで、51年前の1970年7月7日、日本における郊外型ファミリーレストランの先駆けとなるスカイラーク1号店、国立店がオープンしたとお話がありました。すぐにフラッシュバックしたは、甲州街道で1号店の東にあったスカイラーク調布店です。
1971~2年当時、東京西部地区を中心に日野コンテッサ1300クーペ好きの若者が集まっていました。駄弁ったり、つるんで走ることは勿論、当時、日野自動車から部品供給を完全に絶たれてしまったコンテッサクーペの部品をどうするか、自分たちで何とかしようが議論の中心になっていました。
それではクラブを創ろうと、ではどこで結成式をやるのか、東京西武方面、ボクのような松戸、それから東京の南部、あるいは埼玉方面、結果的にその中心をと誰となく思い描き、中心になりそうなのは調布あたり、それも新しい今で言うファミレス、しかもちょっと洒落た雰囲気でお手頃価格、そして重要な点はクルマが自由に駐車できると、結果的に新しかったスカイラーク調布店となりました。
1973年8月、誰もがその日の仕事を終えて、夏の陽の落ちる夕方の6〜7時くらいに愛車コンテッサクーペでスカイラーク調布店に集まってきました。
ミーティングの内容は、最大課題の部品の問題とかツーリングなど極々一般的な話となりました。そしてクラブ名を "PD300 コンテッサ・クーペ・カー・クラブ" としました。まさに日野コンテッサ1300クーペ好きが拘った名称で、PD300を頭に付けました。また、会長に年齢的に二回りも上の阿久津さんにお願いをしました。氏以外はおおよそ20代の若者ばかりだったのです。
そんなこんだを思い出させていただいた今朝の檀れいさんのお話しでした。スカイラーク調布店はその後も利用、ある時は店内のあるスペースを貸し切りにしたりとか、コンテッサクーぺが20数台集合する盛況さでした。しかし、残念ながらこの調布店は消えてなくなりました。
また、"PD300 コンテッサ・クーペ・カー・クラブ" は、クーペだけではなく、セダンのコンテッサ1300もいうことで "日野コンテッサクラブ" と変えて発展してゆきました。
画像は当日のもの、誰もが若い!それから50年弱、ここいる誰もが実は現在に続く、"日野コンテッサクラブ" を卒業しております。数人の方は今でも家族ともども交流させていただいております。
スカイラークは今では多くがガストになりました。このような昔、若者だった時代のクルマ談議を思い出せてくれる良き場所であり、自分は今のガストの愛好者であります。今日は、檀れいさんに感謝!
(以上)