2021.9 長月 (ナガツキ)


2021.9.28:1964年 パリ・モーターショー - コンテッサ1300の世界戦略

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 毎年、9月末になると、気になることがあります。書ける内にここに公の記録に残しておきましょう。

 日野コンテッサ1300のスタイリング (インテリア含め) &ボデー設計 及びプロト (コンテッサ900のシャシーベース) 製作は、コンテッサ900の設計完了直後の1960年夏、イタリアのミケロッティ社 (Michelotti Studio) に打診&交渉し、進められました。それは第二次大戦後の日本の自動車産業衰退を復興すべく、フランスのルノー4CVのノックダウン生産&完全国産化を進め、その結果生まれたコンテッサ900、さらに進化させた初めての純国産であり、日本の経済発展を担うべき「輸出適格車」という十字架を背負う運命でした。

 日野自動車はコンテッサ1300の国内販売を1964年9月1日 (昭和39年) に開始し、その2ヶ月後の11月2日が第11回東京モーターショーでミケロッティ氏デザインのトリネーゼデザイン (イタリア風デザイン) として技術の先進さと共に発表しました。それにかなり先行して、「輸出適格車」のコンテッサ1300は、フランスはパリで自動車専門のコンサルタントを使い、フランスを初め欧州でのデビューを目論んでいました。その指揮を取られていたのが、当時の役員であった内田一郎さんでした。自ら名付けた「コンテッサ」、そして「輸出適格車」構想の生みの親でした。

 その最初のイベントが1964年10月1~11日の世界でもっとも有名な第51回パリ・モーターショー (Paris Motor Show 1964、所謂、パリ・サロン) でした。その後、コンテッサ1300の出展は1966年まで継続し、様々なコンテッサ1300 (将来を担うスポーツカー:コンテッサ1300スプリント含め)を展示しました。

 このパリ・モーターショー は展示だけにとどまらず、事前に様々な試乗会やプレス&アナリスト・イベントがパッケージングされています。日野自動車も忠実にそれに従い、二つの事前イベントを行いました。その一つがパリ郊外 Autodrome de Linas-Montlhery (wikiモンレリーサーキット) での試乗会、もう一つがプレス&アナリスト向けカンファレンスでした。言わば、自動車文化の社交の場です。

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パリショーを前にしたモンレリーサーキットの試乗会での日野コンテッサ1300

 モンレリーサーキットでの試乗会には、フランスの元F1ドライバーのモーリス・トランティニアン (Maurice Bienvenu Jean Paul Trintignant、実に長い!) さんもその一人でした。高速性能、操縦性能、加速性能など氏からも高い評価を得たと当時の文面があります。

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モンレリーサーキット、モーリス・トランティニアン氏と日野自動車 松方社長

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モンレリーサーキット、元F1ドライバー、モーリス・トランティニアン氏の走行
RR独特のベタ踏み全開加速時の特徴であるリアの沈み!

 そしてプレス&アナリスト・カンファレンス、パリ・モーターショーの直前の9月25日 (金曜日) 、ブローニュの森の超高級レストラン「レ・プレ・カトラン (Restaurant gastronomique étoilé Le Pré Catelan à Paris) 」で午後6~9時に開催されました。そこには、フランス自動車技術協会の会長、バレ氏をはじめ、パリを中心に欧州の自動車専門家が正確な数はまだ把握出来ませんが数十名招待されました。コンテッサ1300の先祖のルノーの関係者にも招待状は送られました。また、コンテッサの屋外に展示されました。

 以下はレ・プレ・カトランでの当日の貴重なオリジナル・プログラムです。実はパリの古本屋で入手したものです (2000年当時) 。

Paris Invitation
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ブローニュの森での日野コンテッサ 1300 (プレスキット)

 そして、本番、第51回パリ・モーターショー、場所は、Parc des Expositions de Villepinte (パリ エクスポ ポルト ド ヴェルサイユ) 、2台のコンテッサ・セダンを展示、会場は今も健在のようです。当時の雰囲気は、1964 Paris Motor Show PARC DES EXPOSITIONS, PARIS の画像で垣間見ことができます。日野自動車のブースは以下の間取り図 (右下) で判明できます。画像の右手前でしょうか?残念ながら実際はわかりません。

Paris 1964 Hino Layout


 歴史的には以上のようなものです。

 2011年7月、ビジネス上のパリでのカンファレンスで出張の機会がありました。このブローニュの森の超高級レストラン「レ・プレ・カトラン」がどのようなものか、ただただ見てみたいと思いました。

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ブローニュの森の超高級レストラン「レ・プレ・カトラン」のエントランス

 パリのオペラ地区から地下鉄とバスを乗り継ぎ、ブローニュの森を歩き、目的の「レ・プレ・カトラン」は広大な敷地の中に静寂と共にありました。エントランスを抜け中に入り、係の方にお聞きするとここの設備はレストランとカンファレンス・センターがあり、おそらくコンテッサ1300セダンの発表はこのカンファレンス・センターで実施されたものと思います。

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「レ・プレ・カトラン」の前にて、当時の日野自動車の意気込みのようなオーラを感じた!

 半世紀以上も前に、ここで発表のコンテッサ1300セダンが欧州を走る回ることを夢ではなく現実のものにしようとした日野の当時の事業責任者であった社長の松方 正信氏、コンテッサの名付け親でこのコンテッサ1300を自ら世界に売り歩けねばならない十字架を背負った内田 一郎氏  (素晴らしきカー・ガイ達) が熱弁をふるったかと思うと感慨深いものがありました。

 以下の写真はその場のプレスキットの一部のパリの仮ナンバー「3047 WW75」をつけたコンテッサ1300セダンです。その背景はもちろん「ブローニュの森」でした。今回、この場所を特定しようと試みましたがそれは無理からぬものでした。

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ブローニュの森、パリ市の仮ナンバーの日野コンテッサ 1300 (プレスキット)

 上述のレ・プレ・カトランでの当日のオリジナル・プログラム、内容的は日本からのプレミアカー、日野コンテッサ、フランスに到着、それを祝いましょう...なんて感じかと思います。文面、構成、そしてデザインはやはりフランス人の専門家を活用した結果であり、ジャパニーズを強調したシンプル且つインパクトある簡素な表現と見受けます。

 このパリ、ブローニュの森の後、恒例の古本屋に出向きました。ドアを開けると当方を記憶いただいているようで、すぐに半年前に入ったという日野の写真を持ち出してきました。

フランス語の手書きメモがある当時の日野工場と試乗用コンテッサ

フランス語の手書きメモがある当時の日野工場と試乗用コンテッサ


それらの写真 (中央のコンテッサ1300を除く) は、ルノー4CVのノックダウン生産を開始した当時の日野の工場内部を個人が撮影したものです。写真の裏にはフランス語の手書きメモがあり、撮影は1955年12月7日とあります。撮影の主を分析すれば、当時、ノックダウンのためにルノー本社から派遣され、長く日野に常駐した技術者、Aime Jardon氏となりました。

 氏は、晩年、日野とルノーの関係についての数百ページに及ぶ論文 (Loïc LE MAUFF L’aventure de Renault au Japon dans les années Cinquante. Alain PLESSIS) に協力しております。このペーパーは、日野小型車史を研究するものにとっては最高レベルの資料であります。日本人の創造性なども言及されており、「日本人は一度、教えれば、すぐに理解する、しかし、それを自ら創造したように勘違いする」と、本質をついたような記述が多く見られます。

 以上です。パリには半世紀も前の日野コンテッサの痕跡が散らばっているようです。さて、この1964年秋のパリ進出、その後がどうなったのでしょうか? (続く

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2021.9.23:人車ともOH中 - 点火系、オールドスクール化

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 先般以来、点火コイルをボッシュの青コイルイグニッションワイヤーをMSDのスーパーコンダクターにしたりと、基本に戻しながら問題の本質を追求しております。オールドスクール化しております。

 今日は、いよいよ、究極のメカニカル・コンタクトポイントに戻してみました。ブツは画像の様に、オリジナルのコンタクトポイント、今ではトヨタ純正:04191-40010です。当時、多くの自動車メーカーがデンソー製であり、そのほとんどが共通、今でも、モノタロウなどで購入可能です。

 無接点のフルトラのトリガーやセンサーを外し、コンタクトポイントに戻したのが以下の画像です。自車にとって、この光景は実に40数年ぶりであります。何か新鮮な気分でもあります。また、60'sはこれでいいのかと思うものです。

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 コンデンサー、0.22μFも新品を入れました。その姿が以下の画像です。何か、アナログな感じが漂っています。

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 ソレックスキャブも先般以来、フロートなど調整してますので油面をアイドリング状態でチェック、21ミリでオーケーとしました。

 そしてオールドスクール化した我がコンテッサ、試験のために近所のいつものコースをいつものようなドライブをしてみました。

 成績は以下のようです。つまり、証明書であるプラグ焼け具合です。NGK BP-6ES、ギャプ=0.9ミリ、一応焼けてます。A/F比やタイミングなど問題ない様です。やはり、左半番 (#4&#3) と右半分 (#2&#1) の焼けぐらいが完全に均一ではありません。この問題は、結局は点火系ではないと、また#1が成績が悪い!

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 今回、MSDやボッシュにと大枚をはたきました。シンプルで問題を抱えるリスクの少ないメカでのシステムは問題の切り分けに役に立つものです。これはこれでいつでも使える様に保存し、課題はしょったままですが、オールドスクール化はここまでにしましょう。

 オールドスクール化した面倒な電気&電子をもたないメカニカルも良いですが、この先は、同時点火に戻すこととします!やはり性能&フィーリングには勝てません!

参考:プラグの読み方 (How to read inginition plug?)

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2021.9.14:電子/電気回路CADでCompu-Fire DIS-IXを回路図に!

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 2014年9月から我が愛機:コンテッサクーペに使用しているCompu-Fire社のDIS-IX、ディストリビュータ レスイグニション システム、目下、点火系のチェックのために降ろしています。

 Compu-Fire社、現在ではPertronix社に吸収されてしまいました。今、Summit Racing含め、販売されているのはおそらく在庫分だけと推測します (昔より、大分高価) 。でも、今のところスペアパーツ は購入できそうです。つまり、売れてないということ?

 日本流に言うと、同時点火同点です。非常にシンプルな構成で実現しています。ただ、DIS-IXはオフロード専用になっており、公道での仕様は推奨されていません。オフロードなどの使用故、シンプルな構造にしたのでしょう。

 この複雑にないシステム、公称スペック上は6万ボルト!とかでMSDの4万6000ボルトを上回るとか、自分は気にいております。近い将来、これをメンテナンスして行く過程で代替部品をどうするか?と。言う課題のもとに例の簡単な回路図ドローイングのソフトで全体図を描いてみました。およそ、小一時間で楽しみながら描いたの以下の図です。

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 この先、コイルの抵抗値を測定してみたいと思います。それによってMSDのものが使用できるか判断できます。

 まずは今回、判明した1番プラグへのワイヤーは抵抗値:10Kオームと他の三本の1Kオームに比べて大きなことです。走行自体はこれで大きな問題は考えづらいですが、気持ちの良いものではありません。MSGのスーパーコンダクターにしようかと目論んでします。ただ、大きな出費となってしまいますが…。これは、図面を描いて分かったのですが、構造上、1/4番に影響しそうです。

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2021.9.11:人車共OH中 - 懸案事項、一歩一歩!

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 一昨日、デリバリーされたソレックスキャブのポンプノズルの実に小さなアルミガスケット、早速、使い、懸案事項の調査と修復を再開しました。

 この際ですから、気を入れて、疑わしい部分を可能な限り、チェックを進めました。

 以下の画像のように、取り付けたままですが、外せるものを外してみました。そして目視チェックです。特に不安なものは見当たりません。加速系は外してません。そこでキャブクリーナをメインにラインを吹いておきました。

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 アイドルスクリュー、懸案の1番に使ってたものをチェックしましたが、特に不具合は見当たりません。もちろん、段付きなんかは論外で、ありません。一応、スクリューはボール盤でスコッチでクリーンアップ、スプリングもきれいにしてあげました。

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 そしてフロート、ここに一つ問題を発見、前後、都合、4つの位置が一致してません。これについては,大分前、バルプが不具合で交換した際に、ちゃんと揃えた筈です。と、言っても5年近くは経てるので正直、ずれたのかどうかは不明です。でも、結果と違うということです。

 画像のような足跡のメジャメントを作り、スタテックな状態での位置をそろえて置きました。

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 そして、フロートの重要、前後のキャブ同士で同じか?ぴったり、両方ともに117グラムと同じでした。これも問題無し!

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 と、言うことで、取り敢えず、全ての部品を下に戻して、作業は終了としました。新しく替えたIGコイル周りのワイヤ の取り回しを次の作業としました。

 以下の本日のデータです。ついでに、先般外したCompuFireの同時点火のIGワイヤ の抵抗値を計測してみました。三本が約1キロオーム、一本だけは10キロオームもあり、実がこれは1番ようなのです。でもこの程度ではプラグの焼けに差が出るほどものと思われません。しかし、これはやはり、MSDに切り替えるべきかと考えるようになりました。

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2021.9.9:本日のデリバリー - ソレックス ポンプノズルガスケット

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 9月に入って、とんでもなく寒い毎日が続いております。つい10日前に比べて10度以上も低いと年寄りには過酷とも言える気候の激変です。神様がどこかで人間をふるいにかけているのではと思うものです。

 我が愛機、コンテッサ 、先の休日に気合も入ってなく、ボケッと作業してとんでもないことをしました。1番プラグの焼けが悪い原因を探るべく、画像にあるようにソレックスのポンプノズルをチェックしようとし、ピンセットでノズルを引き上げた際に、非常に小さなアルミのガスケット (ID=3mm、OD=4mm、t=0.8mm程度のワッシャ) を地上あるいはエンジンルーム内に落としてしまいました。

 この種のものは探すのは実に困難です。一応、例によって探す対象を区分を切って探す努力をしましたがすぐにあきらめました。そして、アルミチューブで作ろうかと、結局、これは適切なサイズを購入が必要でやめました。また、OH時の旧いものやストックしてある2型の流用もありです。

 とりあえず、時間節約のためにネットで検索、ビンゴ!世の中は捨てたもんではありません。福岡県のソレックス関係を専門に扱っている部品屋さんに注文しました。

 今日、下の画像のようにそれが着きました。今週末、セットして、さらに掘り下げて1番プラグの焼けが悪いのを調査をしましょう。

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【思い出:8年前】

 8年前の暑かった夏、ソレックスキャブをOHキットを一心に組み込んでいました。ばらし始めたのその2年前、であると、やりはじめて10年も歳月がすぎたのかと感慨ぶかいものです。また、未だこんな作業を何時まで続けるのでしょうか?

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