2024.10.27:備忘録 – 日野自動車、岩崎 三郎さんの思い出 「2024.10.19 日野自動車の斜め割コンロッドは温故知新だった!」で記載の日野自動車のエンジン技術者、岩崎 三郎さん、最初にお会いしたのは1991年、その後、1993年、オールドタイマー、「日野の夢 (ロマン) 、コンテッサに託して」執筆に際して、日野自動車として、コンテッサ開発について詳しいお話をいただきました (所謂、インタビュー&取材) 。 その結果が「ジョバンニ・ミケロッティ氏との出会い – トリノの常識人」となりました。取材を前に、画像のように氏の執筆記事や論文が送られてきました。取材時は、よくある技術者特有の自身の自慢話や主張はまったくなく、実に真摯に戦前の入社時から始まって氏の自動車や日野自動車へのおもいを語っていただきました。出版後には丁寧にお礼のお手紙をいただきました。また、当時のTACS NYMの日野コンテッサクラブにも足を運んでいただきました。 先に紹介した自動車技術会の「リアエンジン乗用車、コンテッサの開発 岩崎三郎氏 」は、日野コンテッサの開発についてもっとも詳しくかかれた当事者の話が載っていると考えます。氏はその巻末に、自分たちが創り上げた「日野コンテッサ」が市場撤退にも関わらず雑誌に取り上げられたり、愛好家クラブ (日野コンテッサクラブ) など、今でも自分たちの製品を大切にされてることへの感謝の念を述べています。 氏の実に率直なお言葉に感謝するものです。またそれはコンテッサ・フリークのみならず単に技術だけではない真の自動車文化を知る大変貴重な文献と考えます。 旧HP、「2017.8.25:終戦の日に思うこと」で氏の思い出を書かせていただいた。その「日野コンテッサ900スプリント」や上の画像の「日野コンテッサ1300」と並ぶ岩崎さん、技術者としてコンテッサへの愛情を大いに感じる。また、画像右上のカセットテープは氏へのインタビュー記録。長年、口述記録として文章にと思ってるが今だに出来てない…