2025.8.15 今日は8月15日、我が家にあった防空壕跡

 戦争遺構として話題になっている「防空壕」、1975年まで住んだ我が家の中にその跡があり、隣の家との境目あたりの小山がそれで (画像) で、子供の頃は上がると目線が高くなり気持ちは山に登った気分でした。
 子供時代に戦争について何も思わなかったのですが、親たちや長姉たちはこの小山の下に掘った豪に避難したかと思うと、今では複雑な気持ちになります。
 自分たちの年齢は戦争の経験がありません。しかし、海外では多くの場面で身を持っての戦争体験が話題になります。
 1970年後半、長期滞在した南カリフォルニア、その時代のテレビドラマにあるような週末のホームパーティ、そこでの会話、自分と同じくらいの年代がアルコールと共に会話が弾むと、彼らの多くがベトナムでの戦地の経験が共通話題、生々しい戦争を知らない自分にとっては難しい場面でした。
 また90年代半ば、中部のデトロイトではホームパーティ、ホスト役の同居している親父さんはオランダからの移民一世、ボクが日本人と分かると南方で日本軍の捕虜となった時代の話し、これまた生ましい語り、多くの「汚い日本語」が出てきました。
 残念ながらと言うと複雑ですが自分には戦争体験がありません。両親の経験談や目の前の防空壕跡、そして戦争相手側の立場での日本に対する当時の状況、戦争の現場での真の現実話しは心にささっております。備忘録としてここに書き留めました。以下、過去の8月15日関連です:

日野コンテッサ物語

考古学な日々 – 古の部品

経年劣化修復プロジェクト

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