巴里に咲き、巴里に散ったロマンと野心
第二楽章 – 展開 :第52回 パリサロン (1965年)
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1966年に入り、兼ねてからの代理店、E. Dujardin SA社に加えて、周辺諸国での代理店設定、完成車輸出、各地のモーターショーへの出展、さらに走るイベントやエレガンスコンクールなど、壮大なプランも本格化してまいりました。これも1964年以来の足跡の結果を示すものです。
1964年、1965年、そしてこの年、1966年は日野自動車にとって3年目の第53回パリサロン、コンテッサ1300セダン (PD200) 、クーペ (PD400) のフランスでのホモロゲーションは取得しました。欧州での実り多くの1966年のイベント、そして次なる第四楽章、すなわち華麗なるフィナーレを迎えられたのでしょうか?
主なイベントをハイライトしてみましょう:
1966年、欧州進出の足跡 – 上半期ハイライト
1966年1月12〜2月3日:第15回ブリュッセル自動車ショー
1966年1月12〜2月3日:コンテッサ1300、ベルギーのブリュッセルにおいて、第15回ブリュッセル自動車ショー開催。コンテッサ1300セダンを2台、クーペを1台出品。この車はオランダの代理店のオートモービル・ファブリック社より出品。
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コンテッサ1300セダンを2台
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クーペを1台出品。
1966年1月16日:キプロス島(地中海東部)のハッピー・バァレー・ドライビングテストで優勝!
1966年1月16日:コンテッサ1300、地中海東部、キプロス島 (Cyprus) のハッピー・バァレー・ドライビングテストでコンテッサ1300総合優勝。ドライバーは現地代理店のトリミティコス社長 (現A.Tricomitis Ltdと推定) 。
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キプロス島にはコンテッサ1300は50数台輸出された。
1966年2月:スイスのフィリピネティ社と代理店契約
1966年2月:コンテッサ1300、11月、スイスのフィリピネティ社と代理店契約を結びコンテッサ1300の輸出を計画していたが、この2月、ジュネーブ市の郊外のランシーに同社設立になる、日野オートモービル社が完成したのに併い、3月より本格的輸出を開始。
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輸出台数:コンテッサ1300、セダン・クーペ完成車20台(クーペ、セダン各10台)
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年間輸出目標:300〜500台
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販売方式:フィリピネティ社傘下の代理店、ディーラーを通じて販売
1966年3月10〜20日:ジュネーブショー
1966年3月10〜20日:コンテッサ1300、スイスのジュネープ市で開催されたジュネーブショーに日野オートモービル社と共同で、屋内展示場にコンテッサ1300セダン、クーペ各1台、屋外に試乗車として同じくセダン、クーペ各1台を出品。(参考:当時のモノクロカラーカタログ – フランス語)
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コンテッサ1300セダン:屋内展示&屋外試乗車各1台
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コンテッサ1300クーペ:屋内展示&屋外試乗車各1台
このカタログ (フライヤー) によれば、最高速度:160km/h、軽合金シリンダーヘッド、取り外し可能なウェットライナー、フィルター付き電動燃料ポンプ、スパークプラグ:Hitachi L 45 または Bosch W 175、または Champion N 5、ピレリ Cinturato 165 x 13 タイヤ、などなど日本の中では見られない記述がみられ、欧州顧客へのキメの細かい対応を垣間見ることができます。
1966年4月13〜24日:バルセロナ・オートショー
1966年4月13〜24日:コンテッサ1300、バロセロナ・オートショーに昨年に引き続きスペイン代理店タバコス社を通じて、コンテッサ13003M、4M、クーペを出品。日本から唯一の参加となる。(参考:後の7月に作成されたスペイン語版カタログ)
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コンテッサ1300セダン、3速/4速車各1台
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コンテッサクーペを1台出品
カタログ:Contessa 1300 Coupe, Stile Torinese 抄訳 (w/ Google Transalator)
まったく新しいコンテッサ 1300 クーペに乗り込みましょう! そして、あなたが求めていた感情、つまり真の自動車運転の喜びを感じるでしょう。 そこには、エレガンスと快適さを備えたグランツーリスモの振る舞いが特徴のあなたの個人的な車があり ます…そして体を快適にする比類のない一連のアメニティ
世界的に有名なイタリア人カー デザイナー、ジョヴァンニ ミケロッティによって完璧に実現されたコンテッサ 1300 クーペは、トリノ スタイリングの最新トレンドである「トリネーゼ」スタイリングを表しています。
1966年4月13〜24日:コンテッサ1300、バロセロナ・オートショーに昨年に引き続きスペイン代理店タバコス社を通じて、コンテッサ13003M、4M、クーペを出品。日本から唯一の参加となる。(参考:後の7月に作成されたスペイン語版カタログ)
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コンテッサ1300セダン、3速/4速車各1台
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コンテッサクーペを1台出品
“私の一連の好ましい事情並びに熱心さと、私は今年の自動車ショーに展示されましたコンテッサ1300クーペを買い取る光栄にあるかりました。この、人がただただ羨むコンテッサの完璧さに全く満足しております。貴社がこの車両の製造にあたりまして払われた慎重さおよにび完全さに対し深く感謝します。”
1966年4月27日:オランダ、モービルファブリエク社のスローベン工場の起工式
1966年4月27日 :コンテッサ1300、ベネルックス諸国の代理店であるオランダ、オートモービルファブリエク社のスローベン工場の起工式が行われる。現在、同社には、毎月コンテッサ1300(完成車)100台他の輸出が行われている。
スローベン組み立て工場が完成すると同時に小型車のCKD組立が開始され、初年度、コンテッサ、レンジャー、THトラックあわせて500台以上の組立、販売が予定されていた。 (画像:組立工場礎石を前に、日野自動車の海外進出を一手に担ってきた日野自動車 常務 内田一郎 氏(右がら二人目)
1966年7月16日:1966年国際自動車エレガンスコンクール (ベルギー、ノッケ市)
1966年7月16日:コンテッサ1300、ベルギーのフランドル地方のノッケ市 (Belgium. Knokke) で、1966年国際自動車エレガンスコンクールが行われ、プロフェショナル部門(メーカーまたはデーラー出品)でクーペ、プライベート部門(個人出品)でセダンがそれぞれ名誉大賞を受賞。
以上、1966年の上半期はまさに計画通りの順調満帆のような日野自動車&コンテッサ1300の足跡でありました。また、最大の懸案事項、日本からのコストのかかる完成車輸出に変えて、欧州現地での生産に向けての大きな進展もありました。
ベネルックス市場向け、オランダ工場建設について
上述の1966年4月27日 のオランダ、オートモービルファブリエク社のスローベン工場については、現地、ゼーラント州の都市、フリシンゲン (Vlissingen) の公式HPの中のデジタルアーカイブに詳しく紹介されていました。当時の多くの画像と共に日野自動車の生きた足跡を知ることができます。
記述によると、前年度の1965年11月には土地の確保はできており、1966年4月27日に工場の礎石 (オランダ語:steenlegging) で記録されています。その場所は、フリシンゲン東 (Vlissingen-oost) とあり、市の郊外、港に隣接した工場団地あるいは倉庫街のようです。
以下に多くの画像から数枚でまとめました。所謂、CKD工場のようなもので、コンテッサについてはまずは完成車輸入の検査&現地対応だと分析します。
しかし、このデジタルアーカイブによれば、1966年末には工場は閉鎖されたとあります。上述の生産目標にほど遠い結果あるいは現実であったと理解します。これはこの時点で強い野心を持った欧州進出は断念せざるを得なかった結果と分析します。
1965年7月:日野コンテッサ1300クーペ 名誉大賞!
1965年7月10〜11日、フランス,ニースに近い紺碧の地中海に面したイアリア、アラッシオ (Alassio) の国際自動車エレガンスコンクールで、日野コンテッサ1300クーペは名誉大賞(Premio d’onore)、セダンは一位に輝きました。ミケロッティ氏のデザイン技術と日野のエンジン・シャシーなどの実装技術が欧州で評価された瞬間でした。
欧州進出への市場の注目を得るための重要なイベントであり、日本車として過去にも先にも例のない快挙となりました。
名誉大賞(Premio d’onore)の記念してコンテッサクーペのCMフィルムも制作された
1965年は、実車の販売に向けて大きな進展がなかったように見えます。その背景の一つには、フランスでのホモロゲーション、日本で言えば、運輸省の型式認定に相当する当局のHomologationが得られなかったと分析します。もう一つの問題は日本からどうクルマを送るのかの問題も根底にあったと考えます。しかし、これらの課題解決には、輸出の責務を一手に担う内田 一郎氏たちは日夜奔走していたのです。
1964年10月1〜11日:第51回 パリサロン
そして1965年のハイライトはやはりここのテーマである第52回パリサロンです。何といっても前年の1964年含めも当時の日本のOEM各社は日野自動車以外 (1965年度はホンダが出展) 、この場には居なかったのですから!しかも、フラグシップというべきコンクールで名誉大賞を得た “コンテッサ1300クーペ” が出展できるようになったのです。
このレイアウト図から想像が膨らんで面白い。手元にある他の画像などの分析をすると、日野の右隣のSBARAは出展しなかったようで、そこにはコンテッサの白いセダンが鎮座しているように見える。分析が正しいかどうかはなんとも言えないが…
ここでも “MADE IN JAPAN” と銘打った日野コンテッサ1300クーペ。それはフランス人コンサルタントの戦略には間違いない!
上の画像のクーペに感じたことが、意外と小ぶりに見える、西洋人の大きな身体のせいだろうか?でも何か好ましく感じる!





















