日野自動車工業(株)は1966年(昭和40年)当時、技術の挑戦の場として積極的にGTプロトの開発に続いて、対米輸出を進めるためにピート・ブロックとチーム・サムライを結成しコンテッサ1300クーペで米国西海岸を中心にセダンレースに積極的に参戦していた。その2台のコンテッサのボデーに「いざ征かむ、めにものみせん、青い目の大和魂、コンテッサ駆り」と「先陣は我がコンテッサ、青い目の大和魂、手綱さばいて」と描き、打倒ミニに燃えていた。
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チームサムライ:ロサンゼルス郊外 (ウイロースプリングス) でテスト開始。
クルマの熟成短縮と現地での販売効果を狙っていた。
このコンセプトは今日でも変わりない。
(SE, New Original, 2022.6.25)
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