2019.11 霜月 (しもつき)


2019.11.30:人車共OH中 - 清水寺から飛び降りる決断!

20191130 Crank Cleaning

 1970年半ば、日野コンテッサでの公認レース出場を断念した友人から長い時間の説得の結果、譲り受けた部品の一部のクランクシャフトです。当のご本人は諦めた際にコンテッサを八つ裂きにしました。部品もバラバラにして、そのいくつかが雨ざらしに近い状態になっていました。非常に残念なことですが、最後の処分の仕方としてそれもありと理解出来るものです。

 最初は全部捨てると強い意志でしたが、数ヶ月、説得の上、まだ使えそうな貴重な部品をいただきました。しかし、最重要なクランクはその時点ですでにサビが発生していました。その後、油漬けにして外気を触れないようにして今日まで場所を変えながら大切に保存していました。結果的にサビは増大してません。

 そのサビをなるべく最適な方法で除去しようと進め始めました。米国の航空機エンジンのレストアなどのプロセス (すべて個人のプロジェクト) をチェックすると自分としても納得できるものがありました。それを試すべく始めたのが画像の方法です。これが清水寺から飛び降りるような大胆な方法です!

 表面をサンドペーパーやブラストなどで削ることなくまずは付いているサビだけを化学的に取ろうというものです。いくつかの文献に共通的にある48時間の処理後、取り出し、水洗いをして、ゴミを取り、すぐに乾かし、油を入れると、そしてサビの状態をチェックし、次のプロセスをどうするか判断することになります。楽しみです!

2019.11.29:フェアレディZ 50th Anniversary を見る!

20191129 Nissan Yokohama 1

 本日、所用で横浜パシフィコに出向きました。その帰りの足の途中、日産横浜本社ののショールームを例によって見学しました。ここを見学し、歴史的な個体を目にできるは楽しみです。

 先に発表され話題になった “フェアレディZ 50th Anniversary が展示されていました。もちろん、他の展示車同様にキャビンにすわりといろいろいじくりまわすことができます。このモデルの特徴的なデザインはもう有名なアイコンになっているピート・ブロック (Peter Brock) さんのサイドの2本の斜めのラインでしょう。2013年の東京モーターショーで発表された “IDX” にも同様なラインが描かれていました。

 ピートさんのラインはいまでも日産のマーケティングとして重要なアイコンになっているものだと思います。おそらく永遠のモチーフなのかもしれません。それはやはり、Datsun 510を含め、BRE Datsun 240Zの米国レース界での実績による米国日産の成功に大きく貢献したピートさんへのリスペクトを感じます(ご参考:現BRE HP)。また、そこにはこの個体をモチーフにした特別ポスター (Limited Edition 50th Anniversary Poster) も案内されていました。 

 二人乗りで後輪駆動だけのモデル、シンプルなスペックが良いですネ。車両重量:1,500kg、馬力:336ps、これはパワーウィエトレシオ:4.4、凄い!、アウディS4 (4.7) より高性能、ホンダ シビック タイプR (4.3) に近い、丁度、新しいアルピーヌA110とドンピシャと同じが良い、これでビ筑をトライするとどうなるだろうと舞い上がり、コクピットの中で色々シミュレーションしながら誇大妄想状態でした。

 コクピットにも座れたし、あれころと操作もできたし良い日でありました。ピートさんの偉大を感じました。 (ご参考:短編:ピーター・ブロック(Peter Brook)物語 - すばらしきクリエーター)

20191129 Nissan Yokohama 2

1990年代の半ば、米国西海岸の小さな町、サンタクルーズを散策した際、
アンテックショップで偶然発見して購入したBRE Datsun 240Zのミニカーです。
ともに程良くやれた状態、しかも赤の一台はボデーだけ、
それも一部破損状態ととても気にいって大事にキープしています。
このようにピートさんの日産のレーシングカーは
多くの米国人の生活の一部として愛されている証しだと分かる瞬間です。

197011 roadtrack 2 med-2

Road & TRack誌 1970年11月号の新たなBRE Datsun 240Z レーシングカーの詳報より
背後のトランスポーターは日野のKMバンです。
ピートさんの日野コンテッサの時代にコンテッサ用のトランスポーターでした。
氏の要求仕様にそって製作されコンテッサと共に輸出されました。
ただ、日野の標準ジーゼルエンジンではハイウウェイの上り坂がきつく
ピートさんたちがガソリンのV8にスワップしたそうです。
この個体は今でも米国の愛好家のもとにあることは有名なことです。

2019.11.29:人車共OH中 - ピストンリングのミステリー

20191129 74 Piston AR

 画像の左のピストンは日野品番:7109125310のYE28用、右は日野品番:7106120730、共に高回転向け競技向けエンジンに製作された74mmの径、所謂74ピストンです。

 左のものはオイルリングがありません。当時の日野の設計&試験に関する書物を読むと、そこにはちゃんとピストンの下部ではありますがオイルリングが存在します。それはどの過程で省かれたかは分析できていません。少なくとも米国のオーナーがチューンナップした結果のYE28エンジンのピストンにはオイルリングが存在しません。またスペアパーツにもありません。

 オーナーの証言によると、オイルリングは使用しなかったこと、高回転向けの薄い二つのコンプレッションリングだけを使用したとのことです。さらにそのオイルリングにはアルファロメオのものを使用、そのために大量のオイルリングをストックしていました。また、取付方法や使用オイルにもノウハウがあったようです。

 以上の話がミステリーではありません。ミステリーは画像の右の74mmピストンのコンプレッションリングとオイルリングです。リングのサイズをチェックすると米国のオーナーが使ったアルファロメオのそれと同サイズです。これはいけるぞと思い、早速、イタリアからアルファロメオ1300のリングセットを購入してみました。

 結果的にサイズ的には日野のそれとアルファロメオのそれは同じであり、フォーム・フィット・ファンクションとして使えると考えております。多くのノウハウがある断面形状については完全には分析できていませんが、今のところ、日野ワークスだけに提供されたOHV 74ピストンのエンジンが新品のリングを使ってOH (オーバーホール) できると期待しております。

 しかし、1960年代の日野のエンジニアは何故、1950年代から市場に出ているアルファロメオ1300のTOHCエンジン (ボア:74mm X ストローク:74mm) のピストンと同じサイズであったのかが興味あるところです。

2019.11.22:人車共OH中 - アイドルギヤのミステリー

20191122 Idel Gear

 またまたミステリーです。画像はクランクシャフトからカムシャフトを駆動するためにその中間に入っているアイドルギヤです。長年、保存したいたものです (左の部品) 。

 これは日野独自の設計によりアルミ製で中間にゴムのダンパーが入っています。これはノイズの削減が目的です。ルノーを踏襲した設計のコンテッサ900では独特のカラカラ音を発してユーザーの批判をかったようです。

 そこでコンテッサ1300では、アルミのギヤにダンパーとサンドイッチしたと設計者にお聞きしています。しかし、市場では900であったノイズが1300でもあると指摘、すなわち改善がないと評価さた部分です。

 日野最後のガソリンエンジンとなるトヨタ向けのブリスカ1300のエンジンにはオイルラインからノズルを設けてこのアイドルギヤに吹き付け、ようやく悪魔のカラカラ音も収まり静かなエンジンになりました。しかし、時すでに遅し、生産中止になったコンテッサ1300には適用はされず市場撤退となりました。

 さて、本題のミステリーは、通常は右のアイドルギヤのようにクランクシャフトのギヤ (下側二つ) とカムシャフトギヤ (上側一つ) の合マークが入っていますが、左側のアイドルギヤにはそれが存在しません。これは何故でしょうか?

 目下、理由は不明であります。この未使用の部品も使う際には右のアイドルギヤ同様な位置に打刻すれば良いでしょう。大したことではありません。でもミステリーですネ。

2019.11.20:人車共OH中 - シリンダーライナーのミステリー (続)

20070401+Cyner 1

 先日、日野ワークスに供給された排気量アップ (1358cc) の74mmのボアのライナーは標準品と異なって強度を上げるために厚いものだったことを書きました。そのスペシャルなライナーは1976年に手にしたクーペ “L” に入っていました。当時の購入先の前のオーナーは、K型の75mmピストンを使用する場合は厚いライナーを変えないとダメと強く言っていました。

 厚いライナーの検証に画像を参照ください。左のライナーはストックの標準品で前回書いたように段付きになっています。右のライナーはその部分がフラットで胴回り全体も太いものになっています。つまり厚いということです。

 右のライナーは日野プロトのレーシングエンジン、YE28のものです。すなわちボア:74mmストローク:74mm、高回転向けにスクェアにしています。下の画像でライナー下部の厚みの違いを明確に目視できます。

 これで判明したことは、日野は、当初のライナー間に冷却の間隙を設けたがそれをやめて、ピストン径の増大に伴うライナーの強度を保証するために厚いものを制作していたことです。それもOHVにもツインカムにも同様なことをされたと分析します。競技向けでもロングストローク故にそんなに高回転でもないOHVエンジンにもそうしていたことに敬服するものです。

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2019.11.17:人車共OH中 - シリンダーライナーのミステリー

20191118 Cylinder Liner 1

 日野コンテッサ1300のGR100はウエットライナーです。当時の日野の技術で1-2番、3-4番の間には1ミリ弱の間隙を設けて水の流れを作ったそうです。もちろん冷却のためであります。

 右の画像のようにライナーを合わせるとその隙間が明らかに目視することが出来ます。これを設計した当時の日野の技術者はこの狭いスリットのような間隙を何時も自慢されておりました。おそらく日野自動車が初めて設計した小型ガソリンエンジンなのでそれなりの思いやりがあったのだろうと思う場面でした。

20191118 Cylinder Liner 2

 そして右の画像のあるのがそのスリットが存在しないシリンダーライナーです。

 このライナーは私が1976年に入手したBRE製のクーペ “L” に入っていたものです。

 何時の時点にこのスペシャルなライナーが入ったかは定かではありません。

 前オーナーによると、このオリジナルの設計を変えたスリット無しの厚いライナーの目的は、ボアアップしたライナーの剛性を上げるためだったと聞いております。

 それは正に正論です。スポーツキットの72.2ミリ程度ならそんなに剛性を気にする必要はないでしょう。しかし、それがワークスに供給した74ミリならそれなりの考慮があったのではないかと推測するものです。

 当時からボアアップしたライナーはフニャフニャになって踊っているかも知れないと我々仲間内で議論していました。やはり、競技に取り組んでおられる方はちゃんと対策をしていたのだと思います。私はこの厚みのあるスリット無しのライナーで何年も日常使用しましたが冷却に何ら問題を感じませんでした。と、言うことは日野の技術者の思い入れは技術上のよかれだったのかとも結果的にそうかも知れません。

 以下に参考までに形状の画像を示します。左がスペシャルの大きなボアアップしたものです。右は標準品のライナー (画像はスポーツキット) です。見ての通り、ボアアップのライナーはフラットな構造で組み付けた際に厚みによりスリットは無くなります。問題はライナーの下部がわかりやすのですが、一番下のようにそこがカミソリ状態になってしまうことからもライナーの厚みが明らかなリスクであることは間違いありません。

20191118 Cylinder Liner 3
20191118 Cylinder Liner 4


追記:上記の1-2番、3-4番の間の間隙、当時の高性能エンジンであった日産 SR311 2Lエンジンの断面図をみるとありません。つまり、そこには冷却水を流してなかったようです。と、いうことは無くてもよいのではと考えます。日野の技術者は卓上の設計のこだわりを現場の実務より優先したのではないかと推測します。でもそのスピリットを否定するものではありません。 (2019.11.20)
参考文献:
DATSUN COMPETITION PREPARATION MANUAL by BOB SHARP RACING with NISSAN MOTOR CORP. IN U.S.A.

2019.11.16:人車共OH中 - コンロッドのミステリー

20191116 Conrod Misc

 先週記述のようにコンロッドの差異に気づきました。

 そこで色々取り出し、品番をチェックしました。先週、大端部の厚さが異なっていると気がついたコンロッドは品番 2 005 1211 00 (画像の左二つ) と同じものです。28.0mm vs. 27.7mmでした。

 そこでもう一つ出してみました。品番は 7 112 1211 00 (画像の右二つ) で、これは試作品番あるいはワークス向けに出された部品です。これらは28.0mmでした。

 おそらくこの程度の違いはいいのではないかという気になりました。

 画像のコンロッド&ピストンの経緯は以下の通りです (思い出した際に備忘録を):

一番左:これは今回投入しようとしているセットです。先般記述のように友人からのものです。その前の使用者は1970年までFiscoで活躍したSさん、その前は1967年1月の全日本ドライバーズ選手権の優勝したダンハムさんの個体、さらにその前はピートさんが優勝した1966年10月のLA Timps GPの個体と分析します。ピストンについては、友人がエンジン始動不可の際にメンテナンスしていた当時のDELでバラし (それには自分もその場に居た) 、新たなピストンを組み込み、未使用だったものです。その状態で今日に至っています。

 左から二つ目:これは1970年代の半ば、日野の試作車などの外注先の工場にあったエンジンからのもので、当時、自分のクーペに搭載したものです。ピストンは所謂、”74” でワークスに供給された薄型リングの1,360ccエンジンのものです。このエンジンは2~3年でボロボロになり、トヨタ K型の75ミリ (1,390cc程度になる) に入れ替えました。このエンジンは強力でした。

 左から3つ目:上記と同じ工場からのもので、同様に “74” ピストンのエンジンで八王子の友人のクーペに搭載されていました。しかし、ある時期にダメになり、トヨタ K型の73ミリ (1,330cc程度になる) に入れ替えました。それもダメになり、その際、ジャンクとして引き取りました。面白いことにコンロッドは 7 112 1211 00 でスペシャルです。

 一番右:これはBREの部品、多くの残骸パーツの中からかきあつめたコンロッドです。7 112 1211 00 の品番、同じものでこうも軽くして磨き上げたのかと感心するものです。飛行機エンジンのコンロッドを彷彿させられます。当時の米国の航空機エンジンのなども背景にしたOHVエンジンのチューンアップ技術&経験の深さを垣間見るもです。

2019.11.10:人車共OH中 - クリーンアップ&次のステップへ

20190110 Racing Rod 1

 先の桐生CCFに際してエンジンルームも多少クリーンアップしました。すなわちごみ取りとアルミの磨きです。しかし、納得のいう輝きからほど遠く曇りのある状態でした。

 今日はエンジンルームのアルミを重点的に磨きました。と、いうのも数ヶ月もの間、磨きを入れていませんでした。健康であれば毎週ごとに軽くゴミを取る程度に磨いていました。しかし、それを怠るとなかなか元のクリーンさに戻りません。何回か行って望む輝きになるまで、もう少し、努力して続けましょう。

 今日はガレージの何年、いや30-40年チェックしてない部品を今後のために開けてみました。旧いもの・ことはだんだんと記憶が薄れるものです。時折、確かなる確認が必要なようです。その一例が下の画像です。

 これは1970年代半ば、まだコンテッサ1300でレースをやるのだと頑張っていた友人から譲り受けたものです。保存のために油漬けにしてました。今日、今日になって判明したことですが、コンロッドの大端部 (ビッグエンド) の厚みがストックよりダイブ厚いと言うことです。競技向けに大端部 の強度を増していたと推測します。当時の日野のワークスカーはそんなことまでしてたのかと、感心、しかし、そのためにはこのコンロッド用のクランクシャフトが必要ということです!日野コンテッサ1300レーシングの闇に切り捨てられた歴史を垣間見るものです。

20190110 Racing Rod 2


2019.11.4:想定外のルーチンワーク - 下回りのクリーンアップ

20191104 Re-Cleanup

 昨日、桐生クラシックカーフェスティバルに参加しました。

 事前の天気予報で関東地方南部は夕方以降、雨ありと予報にありました。3時半ぐらいに桐生の会場を出て、渋滞に会い下道と変わらない時間を要した往路の高速道路は避け、復路は慣れた一般道にしました。グーグルナビも2時間30分とかその時間で高速使用に40分くらい余計な程度でした。

 ひたすらグーグルナビに沿って多くが広域農業道路でほとんど信号がありません。そして新国道4号線に入り、幸手くらいでしょう、雨が突然きました。来たかと、結構、強い振りでした。せっかく、昨日、下回り綺麗にしたのと (なぜか外回りは気にならない!) 、野田近くになると道路は乾いていました。自宅には6時半前に到着、グーグルナビよりは若干多めの所要時間でした。

 そんな雨にたたられ、これは悔しいと主に、今日の午後に再度、下回りのクリーンアップ、実際は拭き掃除程度ですが進めました。つくづく思うのは、このエネルギーなくなったらこのクルマを乗る資格無しというのが心にあることです。

2019.11.3:年一度のイベント参加 - 桐生クラシックカーフェスティバル

20191103 Kiryu CCF 1

 文化の日、桐生クラシックカーフェスティバルに参加、年一回のメジャーイベントです。もう何年もこの種のことに経験がないので会場の入り口では緊張をするものです。

 多くの綺麗な旧車たちがいる中、恐る恐る案内された場所に駐車、そうすると顔なじみのお方数人に挨拶をいただきました。知り合いがいることは大変心強く感じました。なにはともあれ、受付に行きました。画像のような気の利いたバッグとフルカラーの分厚い参加車すべてを紹介したプログラムが入っていました。

 なるほど、このプログラムは優れもの、それは参加者の個人の氏名がすべて載っていることです。ここ何年も個人情報なにやらで参加者のリストを載せないとか、氏名は削除することが多くのイベントで見受けます。この桐生CCFはそうではない、すごい、この場所は、参加者の顔が見える!これはぜひとも今後も継続いただければと考えます。ブランドアップとして大きな要素です。

 さらに一言を加えるなば、残念ながら車両の画像にナンバープレートが消されていること、ここでもそうかと思うものです。ナンバー自体はオーナーの氏名同様に車両個体の貴重な履歴情報であるので個人的に消すべきものではないと考えます。検討されることを強く望みます。個体の貴重な歴史や存在感を無理やり無視しているようにもので、それなら掲載の写真はなんでも良い、昔のカタログのコピーでも十分です。

 さて、まる一日、原宿竹下通りのような大勢の見学者、座ってひたすら話しかられた方への対応をしました。数多くの質問をいただきました。ここでもあったのがここまで自走してきたのか」とか、「部品は困っているしょう」、さらに「コンテッサの横に空気穴がないとか (900と混同) 」など珍問は避けて通れません。また、コンテッサのスタイルになると、それに見合った馬力のないクルマと言うと、「走らなくてもいいじゃない、こうやって置いて観てるだけで十分」、何とも唖然とする場面は一度だけではなかったのです!

 しかし、中には「入り口の今回目玉のホンダコレクションの個体よりも貴重」だとか今でも競技走行していることを知るとこれからもガンガン走らせてください」など、オーナーとしてこれ以上ないエネルギーをいただけるお言葉もありました。旧車は走ってこそ!走らなければ1/1のスケールモデル!」旧車は走れば走るほどクルマは良くなり、停車していてもオーラを発して美しくなるものです。ぜひ、飾っておくだけでなく、それなりに目いっぱい、クルマもドライバーも汗をかきたいものです。

 午後になるとラリー参加のクルマが戻り、その際に主催者の粋な計らいでコンテッサをこちらの場所へと誘導されました。都合、4台のコンテッサ1300が並びました。以下の画像のように当サイトオーナーが以前所有していた1300DX (エンジンはスープアップしたクーペ仕様) と並ぶことが出来ました。以前も増して綺麗になり維持されていることに感謝です。

 閉会式の前にはこの日の参加者への表彰式 (コンクールデレガンス?やラリー入賞と思う) がありました。たしか募集要項にはこの種の案内がありません。参加申込に際して、表彰の基準 (誰がジャッジするのか含めて) を明確にすることが必要です。事前に公開することにより審査の透明化が計られこのイベントの価値はさらに上がるものでグローバル基準に成長すると確信します。

 最後に、前原実行委員長ともご挨拶できました。奥様ともどもお話をいただき、とても素敵なご夫婦と感じました。年一回のイベント参加、とても素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。主催者ならびにお寄りいただいた皆さま、ありがとうございました。

20191103 Kiryu CCF 12

2019.11.2:ルーチンワーク - 何時もの光景 - 下回り

20191102 Routine Clean Up

 何時ものように先週の土日のビ筑の後の下回りのチェック&クリーンアップです。

 ジャッキアップをして、下回りのチェックと汚れのクリーンアップ&ワックス入れです。今回は土曜日の朝が雨上がりだったこととジムカーナ場がウェットから始まったこともありフェンダー周りが結構汚れていました。汚れのキツイところはコンパウンド入りのワックスを掛けてこびりついた汚れを除去、そして全体的に雑巾で清掃後は水ワックで仕上げました。

 ミッションカバー関係は1/16〜1/8程度の増し締めがありました。ガスケットが厚いので当然と思います。その他は思いの他、増し締めはありませんでした。

 実は明日 (11月3日) は、おそらく初めてで最後の桐生CCFに参加します。年一度の旧車イベンド参加、今年はここを選択しました。

 そのために外装に1年ぶりくらいと思いますがワックスがけしました。また、ウインドウの清掃、こちら横浜のイベント以来ですので数年ぶり、社内の清掃、これは2013年公道復帰以来です。実に不精なオーナーです。下回りはビ筑を走った後、毎回、清掃する割には外装&内装の掃除はほとんどしてないのが実情です。

 最後にタイヤをノーマル&スティールホイールに替え、空気圧の調整をして完了となりました。作業時間にして9時間近く!身体の関係で通常の倍くらい掛かるようです。でも、作業に耐えられるように徐々に戻りつつあるのは幸いです。ボチボチと行きましょう。

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