日野自動車は、前述の戦略面:市場背景に記述のように自前の小型乗用車を設計・製造・販売することが夢であり、現実的課題でした。そのために、1945年の終戦後のGHQによる工場閉鎖の解除後、国の政策であった外国自動車技術導入を進め、1953年からフランス、ルノー4CVのノックダウンでの生産を開始し、1957年には何とか完全国産化へと進みました。
その間、ルノー4CVの日本の国内事情に合わせる、あるいは市場に受け入れられる血の滲むような努力を日夜続けたのです。フランス車独特の軽量ボデーの設計、軽量で小排気量、そして高性能・軽快な走行性能などは大いに企業として「知の資産」となりました。また、クルマそのものを設計する図面に品質要件を盛り込む、今では当たり前のことではあるがそのような設計の基本、そして大量生産を満足させる生産技術など含めソフト面は日野自動車のみならず日本の自動車工業あるいはモノづくりについて基本技術を非常に短時間にものにすることになりました。
ルノー4CVに手をつけてから僅か5~6年ではあるが、日野自動車として、「日本人」の好みに合わせた小型乗用車を自らの手で「造る」ための明らかな自信、目標、そして構想が1956年 (昭和31年) には現実なものになりました。それは日野のDNA (すなわち、星子イズム) の実行でもありました。具現化された構想は、ルノー4CVより一回り上のクラス、次世代の自家用車であり、当時の必須条件であった営業車にも満足させる企画となりました。
(SE、2011.1.28 Original)
(2021.9.4, Revised)
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