LOS ANGELES TIMES - 14th Annual GRAND PRIX (1971年10月31日)


19711031 LA TIMES GP

  日野が米国西海岸でのレースを撤退した1967年から4年を経た後、1971年度のL.A.タイムズGP (その当時、毎年10月末にリバーサイド国際レースウエイにて開催) に「THE HINO SAMURAI」が3番目のオーナー、テリー・ホール(元プロ・スケーター)自身のドライバーにより、前座のスポーツレーシング(B/C/Dクラス)レースに出場していました。

 この時点のコンペティション能力は、日本GP(1967年度)に遠征した際と基本的は変わってなかったようです。ただ、日本GPにテストドライブもすることなく参戦し、自ら墓穴を掘った訳でが、用済みになった個体は運よくこの個人オーナーに渡り、ようやくサーキットでの走りができるようになりました。

 また、大きな進化として、ボデーのカラーリングは当初のオレンジ (当時のイタリアのプロトタイプカーによく見かける。デザイナーが米国でもイタリアンデザインに優ることができることを意図とした) から実戦的な日本のナショナルカラー的、あるいはアメリカンレーシングカラーとも言える白 (実際にはパールホワイト?) になりました。この後に発売となったイタリア Polytoys社のSamuraiは基本的に白である所以と分析しています。(以下のHino Samurai @MUSEE NATIONAL DE L'AUTOMOBILE DE MULHOUSE (Wiki - Cité de l'automobile) をご参考ください)

 尚、この1971年、当のBREは既にDATSUN 510より成功&伝説を創り始めた時代に突入していました。本プログラムの内容から明らかに知ることができます。

 ご参考:YouYube “Hino Samurai race car & 1971 Can Am race” でこの日のレースの映像が公開されていることを発見しました。カンナムカー、510、そしてBRE Samuraiも見ることができます。貴重な映像です!

19711031 LA TIMES GP a

Hino Samurai @MUSEE NATIONAL DE L'AUTOMOBILE DE MULHOUSE

19711031 LA TIMES GP b

第4回日本GPから4年後、BREの手から離れた日野サムライはプライベータにより実戦にチャレンジしていた。

19711031 LA TIMES GP c

日野後のBREは日産とともにレース場でメインストリームとなっった。


(Original, SE, 2014.12.21)
(Renewd 2019.8.14)

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