本寄稿にあるようにコンテッサ1300クーペ「L」の検証を試みました。ここでは恐れ多くもコンテツの心臓部のGR100についての検証を試みます。
コンテッサ1300は実質上2年数ヶ月と他に類を見ないほどの短命さでした。シャシー&足回りやトランスミッションについては、フランスのルノー4CVの模倣としてのコンテッサ900の熟成を図ったものであり、日本市場を意識したそれなりの進化がありました。しかし、肝心のエンジンについては、コンテッサ900はルノー4CVの延長ではあるものの、コンテッサ1300のGR100は過去を断ち切ってのかなりの日野の新たな挑戦をせざるを得なかったと分析します。
その背景には、エンジンは伝統的に産業の核を成す技術であり、それは世界的に明白であり、日野自身の技術を確立するための日野の大きな挑戦であったのです。GR100は日野自身の新設計となり、幾多の実験が繰り返し、半世紀以前の1964年9月に市場に投入されました。しかし、その後は運命的に非常に短い生涯だったのです。
多くのエンジンの歴史を見ると何十年と熟成が成されています。代表的な例は戦後間もないオースチンのエンジン (BMC A-series engine) は日産 (A型) にも引き継がれました。現行ランドローバーのV8エンジンは1962年のBuick (Buick small-block 215) に遡ります。また、コンテッサ900が模倣したルノーのエンジンはその後、脈々と80年代のサンクまで引き継がれています。いずれも30-40年と息長く正常進化の道をたどりました。
なぜこんなことを言ったかと言うと、色々新技術が盛り込まれたGR100であったが、初期トラブルの設計変更は別として、現場 (すなわちユーザー&ニーズ) での実践での熟成を取り込むべくもなく、市場から去らざるを得なかったのです。ある程度の進歩があるとすれば、トヨタブリスカに搭載したG型 (基本的にはGR) に見られる程度でした。市場での評価を得る間もなく消えたエンジンでした。また世の中に役立ったと言う生産量についても世界的にみれば極めて少数であり、結果的に商売として原価を見れば、コンテッサ1300の他の部位に対して多額の開発費であったと分析します。
事実、半世紀以上を迎えても、あるいは20万kmを超えても、オーバーホールなしで元気にハイウエイを飛ばしている個体も少なくありません。結果的にどうみるべきか?完成されたエンジンだったのか?それとも単に運が良かっただけか?
さて本題です。米国のドラックレースのエンジンチューナー屋が創っているパソコンでのエンジンチューニングのシミュレーションソフトウエア (DesktTop DYNOS) を気に入っており、時折遊んでいました。今回、ここでの「擬似検証」、すなわち、このシミュレーションであり、コンピュータテクノロジーを使って、「GR100の検証」を試みるものです。
- 検証1:標準エンジン
最初は試しに、検証1として標準のクーペ仕様をシミュレーションしてみる(表:標準仕様を参照)。表から分るように約70馬力/5000-5500rpm(SAE)を提示する。カタログ表記の65馬力はDINであり、当時も確かSAE表記では68馬力(だったと思う)、このシミュレーションは中々なものである。トルクのピークも3000-3500rpmと一致する。40年前のエンジン、いや設計では45年前か、シミュレーションなんかも無かった時代である。パソコンではあるが最新のソフトウエア・シミュレーションがホボ同じアウトプットを瞬時に出すという事は感動ものである。 - 検証2:スポーツキット装着エンジン
スポーツキットを装着したらどうなるだろうか?ソレックスキャブ、少し高回転型のカム、9.3 に上げた圧縮比、72.2mmのボア、そして直管に近い公道仕様の排気系である。当時の非公式なデータは、単なるキット装着でおよそ13馬力アップの78馬力(DIN)となっている。一方、シミュレーションの方はと言うと、これまた80馬力強(SAE)でホボ、ドンピシャである!(表:スポーツキット装着参照)しかも当時のデータ通りにちゃんとトルクのピークが4000rpmあたりに移動し、馬力のピークも高回転になっている。尚、ポーティングなど更なるチューニングについてはここには含まれてない。 - 検証3:75mmピストン (トヨタ 3K) 流用エンジン
ここまで来るとこのシンプルなソフトウエアは素人目にも信頼がグンと上がる。そこで、当時から多くのコンテツ走り屋や伝説の常勝コンテッサバギー軍団(野田の針ケ谷兄弟と清水の都築兄弟)が密かに試みていた禁じ手の75mmボアアップを検証3としよう(表:ボアアップ(75mm)参照)。排気量は、1395cc程度である。およそ5000rpmくらいまでトルクアップのおかげで10%ほどの馬力アップである。信頼性を考えれば思ったほどの効果ではない。しかし多くの75mmピストン使用者は吸排気系の改良を同時に行っているので更なる数値が出ているだろう。 - 検証4:BRE ストローカー・エンジン
試しにBRE製、ボア:72.2mm、ストローク:88.4mm、排気量:1446ccのストローカーエンジン:Stroker(表:ストローカー参照)。当時の日野のベンチでは5800rpmで98.5馬力(DIN)、4000rpm以下は使えるものではないと記されている。これまた、シミュレーションもその通りの結果がでている。シミュレーション上の最大出力は7000rpmでおよそ120馬力(SAE)。日野の実験値は5500rpmが最高回転、これは当時のGR100開発者の経験値として、ピストンスピードその他の条件でそれ以上は回さなかったようだ。装着されているカムなどを考えれば120馬力のエンジン、しかしそこまで絞り出すには色々な課題があったものと推測する。 - 検証5:理想のエンジン
さて、最後に検証5。今回のテーマのゴールである。たった2年しか市場になかったGR100も延命したならばもっと力強いエンジンになったと想いたい。幸いなことに我々はそれが出来るのではないかと、開発から40数年経た今日でも考え実践している。そんな想いで、一般的に出来る72.2mmのピストン、吸入バルブ径アップ、カム(およそ280度)、吸排気系などの改善を図ると、「表:可能性」にあるような結果が得られる。標準のGR100の様に低速トルクを犠牲にすることなく、7500rpmで120馬力強(SAE)を絞り出せる。こんなエンジンが欲しいものである。当時のミニのドニントンやルノーのゴルデーニエンジンと似たようなものかもしれない。
GR100としてまだ様々な課題はあるものの世界の歴史的な他のOHVエンジンのように努力すれば約2年の生涯を超えた世界を現実のものにすることが出来ます。日野としてそれが時間的制約で出来なかっただけです。我々は (素人であっても) 現在それが可能であることをこのエンジン・シミュレーションは教えてくれてます。
門外漢が勝手な意見を書いて申し訳ないと思うが、ぜひGR100設計者の鈴木博士のコメントもお聞き出来ればと思います。また、日野がGR100以降の新設計を試みたYE47&YE57エンジンも機会があればシミュレーションしてみたいものです。
エンジン・シミュレーション:馬力
エンジン・シミュレーション:トルク
エンジン・シミュレーションの画面例
【2004.10.11:GR100設計者からのご返事】
日野GR100エンジン「擬似検証」に対して、「The Father of the GR100 (生みの親)」である鈴木博士から「エンジンの生涯」として、GR100エンジンが長生きしていたらどの程度の効率(出力)を得たかについて次のような貴重なご意見をいただきました。世の中で十分活躍したエンジンの寿命はおよそ20-30年、そして 生涯で2倍程度の馬力を得ています。よってGR100も120馬力以上にと、最終形で160馬力 (これはおそらく1600cc) と心強い回答でした。気持ちよくなった勢いで我々コンテッサ・フリークは「育ての親」として、これからGR100に今後も新たな息を吹き込めたいと考えます。本当にありがとうございました。
ところで、GR並びにYE28 (日野プロト) 開発の技術者は、日野のガソリンエンジン開発時あるいは撤退後、ホンダに移籍してました。当時のFIエンジンを含め日野出身の技術者が多くの分野を担当したことは公にはあまり知られてないようです。ホンダもそのようなことは自ら言わないというものです。ボクの推測では、S360ベースのエキセントリックなグランドデザインを一般的は工業製品に進化(または改革)させる担い手の中心になったのではないかと考えています。その裏付け (推測) として空冷のホンダ 1300は空冷ながらかなり急激にコンベンシャルなエンジンに変化出来た訳です。しかもボア*ストロークはYE28と一致するし、同じドライサンプでした。その後のホンダの水冷はボア*ストロークが72*82mm (1300cc) となり、GR100と同様なロングストロークでした。これらホンダのエンジンは世界中で長い間活躍しています。
これを考えると会社は異なるがモノづくりの技術 (人そのもの) が絶対に継承されていると考えたいです。そんな意味で日野では2年余りのGR100であったが、そのDNAは脈々と生きていると信じています。
もう一つ、当時、コンテッサの足回りの技術者もホンダに移籍しています。空冷の1300からホイールがコンテッサと同じPCD 120mmになりました。これは単に偶然の一致と考えられません。ホンダはその後シビックに転用し、さらに軽自動車にも展開しました。おそらくサプライヤー関係含め生産設備の治具など原価償却面で優等生だったに違いありません。
技術者は事業 (企業) 戦略に沿って、自らの経験と裏付けを持って新しい技術と共にモノを創ります。ホンダは日野の技術者を得て、莫大な開発費の節減と開発期間短縮を実現した筈です。これらは技術の伝承でもあります。こんな風に見るとコンテッサは2年余りの寿命ではなさそうです。
【2018.10.24:考察 - 現実的課題】
GR100が理論上120馬力/7500rpmを得ても次のようは課題を克服する必要を感じます:
- ブロックやスリーブなどはどうか?それだけの馬力&回転に耐えられるだろうか?それらの再考が必要であり、現代のテクノロジーも入れる必要がある。
- オイルポンプやオイルラインはどうだろうか?さらに冷却も考え直す必要あるだろう。
- カムシャフト (カムメタル無し) やバルブ系統も同様に再考をしなければならないだろう。アイドルギヤはノーマルであっても懸案事項である。またカムからギヤで駆動を得ているディストリビューター系も相当な負担となるだろう。
- 例え、7500rpmのエンジンができてもそれをタイヤに伝えるギアボックス、すなわちトランスミッションはそのようにできてない。
などなど、現実は問題山積であります。そのようなエンジンが出来て、コンテッサに搭載しても走るのはホンの一瞬であり、極めて耐久性のない非現実的なものが見えます。コスト/パフォーマンスは極めて悪いものになりそうです。ROI (投資利益率) なんてとんでもない限りなくゼロに近いものでしょう。
楽しいエンジンにするには基本に対して忠実に全体を再考&設計し直す必要ありとつくづく思うものです。新たな目的&目標設定が必要です。そのためのソフトウェアシミュレーションでもあります。
(SE, 2004.8.15, Original)
(Added, 2018.10.24)
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