ここ何年もメディアを通じて目にするコンテッサ1300クーペ L は、多くは、「軽量化のためにボデーな薄板パネルは押せばヘコむような…」などの表現があります。
それはそれで間違いないものの、薄板の使用がノーマル車の比較して115kgも軽くしているとも受け取れない表現でもあり、苦慮しています。意味のない情報だけがメディアを中心に一人歩きしてるように感じております。メディアは何の検証もすることもありません。もちろん本サイドとへの質問もありません。
そこで115kgの軽量化はどのような要素・方法で実現できたのでしょうか?
マジックはありません。ただただ部品一つ一つを削り取るような努力の結果だったのす。また、さらにそれ以上の軽量化は可能なのかを明らかにしたいと思います。
まずはクーペのスタンダードを検証:50kgの軽量化
まずは945Kgから895kg、50kgの軽量化のクーペであり、それはクーペのデラックス版とスタンダード版があったことを理解する必要があります (新型自動車の届出の範囲及び届出資料:日野PD300型乗用車_自車第685号 新型自動車第2760号_コンテッサ1300クーペ) 。
一般に発売されたのがここで言うデラックス版であります。しかし、運輸省への届けにはスタンダード版が存在していたのです。所謂、装備品を簡素化したものです。このスタンドード版は現在、国内では確認できないものの国外ではまれに確認できます。
詳細は、本サイトの「コンテッサ1300クーペ:デラックス&スタンダードモデル」を参照ください。この装備品の簡素化により、一般に流通したデラックス版に比較して50kgの軽量化となる895kgのコンテッサクーペを理解することが必要です。これが軽量化クーペのスタートラインです。
さらに65kgの軽量化でクーペ “L” 誕生
895kgから830kg、65kgの軽減、それはHolstic (全体論) 的アプローチによるものです。おそらく当時のレース担当者が鉛筆ナメナメ、まずは卓上で諸々試行錯誤したのではと推測するものです。
また、1967年の新たなシーズン向けにさらなる軽量化したコンテッサを望んだ米国・チームサムライの条件、すなわち800kg以下も理解することが必要です。それは目視できる内装を変更しないという当時のチームサムライの戦略を重視する (現代のレギュレーションでは合わないが) ことでした。その背景は、当時のストックカーレースでは、マーケット戦略、「レースはクルマを売る」のセオリーに基づいて、一般の購入のクルマと同じように見えるレーシングカーが必要であったのです。つまり、レースに勝ったクルマと同じクルマを手にしたいという心理作戦でもあります。
これはコンテッサも例外ではありませんでした。チームサイム側の要求は、「内装の見てくれは変更しない、ただし、その中の詰め物はすべて取り去る」というものでした。それに忠実に制作されたのが「軽量化クーぺ」だったのです。例えば、リアのシートは当時のポルシェ911Rなどと同様にダミーシートを装備したのです。
ここで当時日野が進めた部材などの軽量化を推測再現してみたいと思います。
以下は。ボデーパネルの0.9ミリに変えての0.7ミリの当時としては薄板利用の重量軽減効果の推定データです:
(単位:kg) | ノーマル | 薄板 |
---|---|---|
フロントマスク | 5.1 | 3.9 |
フロントボンネット | 10.1 | 7.9 |
ルーフ | 11.9 | 9.2 |
リヤボンネット | 6.3 | 5.0 |
フロントフェンダー (左右計) | 6.3 | 6.0 |
ドア (左右計) | 23.7 | 29.5 |
リヤフェンダー (左右計) | 15.3 | 11.2 |
合計 | 80.2 | 63.4 |
重量軽減 | 16.7 |
(抽) 上記データは、大まかな寸法で鉄の質量を基に計算した推定値であり、実測値ではありません。
実は、冒頭にあるペナペナと言われ薄板利用の重量軽減効果は、たったの16.7kgと貢献率は少ないことが判ります。しかし、これは “たったの” ではなく以下に記述のように数多くの “たったの” の集まりで65kgが達成されているのです。すなわち、部分最適アプローチでない、全体最適アプローチなのです。
次に、軽量化のためのガラス類をアクリルに変えた重量を推定してみます:
(単位:kg) | ノーマル | アクリル |
---|---|---|
三角窓 (左右計) | 0.9 | 0.3 |
リアクオータ (左右計) | 3.9 | 1.1 |
リア | 8.0 | 2.3 |
合計 | 12.8 | 3.7 |
重量軽減 | 9.1 |
(抽) 上記データは、大まかな寸法でそれぞれの材質の質量を基に計算した推定値であり、実測値ではありません。
以上の試算値をベースにノーマルのクーペから830kgの軽量化クーペをどう達成するかさらなる検証をしてみましょう:
モデル&軽量項目 | 軽量化重量 (単位:kg) | トータル重量 (単位:kg) |
---|---|---|
クーペ デラックス) | 945 | |
クーペ スタンダード | 50 | 895 |
薄板鉄板 | 16.7 | 878 |
アクリル | 9.1 | 869 |
マットの除去 | 5 | 864 |
アンダーコートの除去 | 10 | 854 |
フロントシート (レーシングバケット) | 10 | 844 |
リヤシート (ダミーシート) | 8 | 836 |
その他:エアクリーナ、薄板バンバー、バッテリー、他 | 6 | 830 |
クーペ L の重量 | 830 |
(抽) 上記データは、つじつま合わせも含め、大まかな推定値であり、実測値ではありません。
と、いうことでめでたく830kgの軽量化クーペが出来上がった次第です。新型自動車の届出の範囲及び届出資料 (日野PD300型 (類別追加) 乗用車_41自車第538号 39新型自動車第2741号_コンテッサ1300クーペ L) には、“旅客自動車運送事業用の適否…否” としてるのも興味深い記述です。
それは実に多くの要素を切り詰めるような涙ぐましい努力の結果であったのです。薄板鉄板の大きな貢献要素であるものの25%ほどの寄与率です。と、いうことはノーマルクーペでも845kg程度は薄板鉄板なくして可能ということです。もう少し努力をすれば830kgに近づけることも難しいものではありません。また。同様に940kgがベースのセダンデラックスでも軽量化セダンを制作するこが可能であるということです。
クーペ “L” FIA承認の内容
日野自動車ではコンテッサ900の時代から歴代の車両をFIA (Federation Internationale de l’Automobile、wiki - 国際自動車連盟) のホモロゲーションに登録しています。これは日野自動車に限らず、当時の日本の自動車メーカーとして極普通のことでありました (参照:list of previously homologated cars) 。ただ、当時の国内自動車メーカーで、レース専用の軽量化車両を制作し、当時の運輸省に届けを出し、さらにFIAに登録したのは日野自動車を除いて見当たりません。
クーペ ”L” は、1966年11月1日に「F.I.A. Recognition No. 1444」として正式な登録が認められました。この時の車両中は、815kgと運輸省届出に比較して15kgの減量となっています。おそらくスペアタイヤが含まれてないと推測しています。
検証 - クーペ “L” をもって米国西海岸レースで ミニクーパーに勝てたか?
では830kgの軽量化クーペ、あるいはBREからの要求であった800kg以下のコンテッサクーペ “L” で、1967年シーズンの西海岸レースで宿敵「ミニクーパー」に対応できたでしょうか?当サイトオーナーと見解としてそれは「NO」です。
それはあまりに明白であります。1966年シーズンのノーマルクーペでも830kg程度は達成しており、それは上記の推定データでも理解可能なことです。このボデーをもってさえも最終戦のタイムズGPを除いて、ミニクーパーにまったく歯が立たず、常に後塵を拝していたのです。最終戦のタイムズGPでは、レギュレーションに反するストローカーエンジン (1500cc) を使用しても、 ストレートではまったく歯が立たず、最終ラップの最終コーナーで、コーナリングに劣るミニクーパーを決死の覚悟で交わして、運良く辛うじて勝った (?) と言うことが事実のようです。でも勝ちは勝ちに変わりありません。
また、当時のSCCAレースフィールド、これはもう次元が進化していることが明らかでした。TRANS-AM RACING 1966-85 (Detroit’s battle for pony car supremacy, Albert R. Bochroch, Motorbooks International) によれば、後のミニクーパーがどの程度の戦力があったか理解できます:
上記のように、SCCAの場でのミニクーパーは、567kg (1250lb) の車重に、105馬力 (SAE) ですからおそらくDINで90馬力+であり、5.4kg/馬力と驚異的な数値です。実に魅力的であり、確かなる戦闘力を期待させるものです。
これに比べて、コンテッサが新たに90馬力の出力を得たとしても、800kgのボデーでは8.9kg/馬力程度にしかなりません。単純にミニクーパーと同等にするには150馬力程度のエンジン出力が必要となります。ただ、エンジン出力だけではなくシャシー性能もあるので、どれだけのタイム差になるかもこの試算だけでは未知であることが事実かと思います。
90馬力のミニクーパーに対して、重たいコンテツは最低でも100馬力以上を捻出する必要があると推測します。当時の日野自動車およびBREにその開発能力があったかには時間幅で大いに “?” マークがつきます。
旧い設計のGR100を捨てて、抜本的な新しいエンジンを自力でやるにはおそらく数年の時間を要するだろうと分析するものです。例えば、GR100エンジンの重量は130kg余り、当時のルノーR8のエンジンは遥かに軽く、1968年のR16の後継のエンジンでは、1600ccで100kgとコンテツのGR100とは比較も出来ないほどの差です。
これはエンジンに限らず、4リッタークラスのエンジンにも利用可能と言われたコンテツのミッションの重量も同様の重たいもので、各部に抜本的な設計思想を変える必要があったと分析します。
どうしようもなかったコンテッサの設計 - 当時の車両事情を知る
上記のように、1964年に発売されたコンテッサ1300も数年を経て、特に根本的な設計思想、技術に変革をしなければ市場の進化に追随できない状況にあったと考えます。その理由を検証するために、当時 (1967年以降) の各社の1300ccクラスの車両の重量とエンジン出力をリストして、重量/馬力 (所謂、パワーウェイトレシオ) 順に並べてみましょう。
メーカー | モデル | 発売年度 | 排気量 (cc) | 馬力 hp) | 車重 (kg) | 車重/馬力 |
---|---|---|---|---|---|---|
ホンダ | 1300 99 | 1968 | 1,298 | 115 | 895 | 7.78 |
スバル | ff-1 1300GS | 1970 | 1,267 | 93 | 725 | 7.80 |
Hans Glas GmbH | GLAS 1304 TS | 1965 | 1,290 | 85 | 770 | 9.05 |
BMC | Cooper S 1300 | 1965 | 1,275 | 75 | 707 | 9.43 |
三菱 | コルトギャラン A1 | 1969 | 1,289 | 88 | 830 | 9.55 |
Alfa Romeo | GTJ | 1968 | 1,290 | 91 | 850 | 9.77 |
ルノー | Gordini 1300 | 1964 | 1,255 | 88 | 850 | 9.65 |
日野 | コンテッサクーペ "L" (*) | 1966 | 1,251 | 78 | 830 | 10.64 |
日野 | コンテッサクーペ (STD) (*) | 1966 | 1,251 | 78 | 895 | 11.47 |
日野 | コンテッサクーペ (DL) (*) | 1966 | 1,251 | 78 | 945 | 12.12 |
日野 | コンテッサクーペ "L" | 1966 | 1,251 | 65 | 830 | 12.77 |
日野 | コンテッサクーペ (STD) | 1965 | 1,251 | 65 | 895 | 13.77 |
日野 | コンテッサクーペ (DL) | 1965 | 1,251 | 65 | 945 | 14.54 |
(註)日野の (*) 印は、スポーツキット装着を表す。
このリストから明らかなように、1968年以降発売の国産車は新しい時代に入ったと考えるべきものです。コンテッサ1300とは一線を引くもので、車両重量の軽減化、そしてエンジン出力のアップ、いずれも欧州の先進国並みの性能を引き出すに至っています。これは日野コンテッサに限ったことではなく、コンテッサ1300と同年代開発・発売のコロナ、ベレット、ブルーバードなど設計の旧いOHV車すべて共通するものです。国産黎明期のクルマとその後の発展系のクルマには雲泥の差があったのです。
ボデー&シャシーの設計が異なり、さらにパワートレイン全体の基本設計が異なる、要は、コンテツはとてつもなく旧い設計であったのです。GR100の10馬力程度のパワーアップのマイナーチェンジを市場に出し、その後コンテッサ1300の正常進化を目指して予定したコンテッサ マーク2をもってしても、あるいはGR100改善の排気量アップの1500エンジン (これは重量増になった)を完成させても、時間幅でみれば上記の他社のクルマたちにはまったく歯が立たなかったと分析します。
懲りもせず、さらなる軽量化の可能性 - 750kg以下もそんなに難しく無い!
当時の運輸省届出の830kg、あるいはFIAホモロゲの815kg、ノーマルのクーペに比べて大分軽量化が達成しましたがそれで十分でしょうか?おそらく実際のレーシングフィールドでは何パーセントかの軽量が許されて訳で (当時で10%と記憶) 、さらなる軽量化を現代の感覚かつリーズナルなコストで更なる可能性を模索してみます。その名も、 “スーパークーペ L” 、以下のような試算をしてみました:
モデル&軽量項目 | 軽量化重量 (単位:kg) | トータル重量 (単位:kg) |
---|---|---|
クーペ L | 830 | |
スペアタイヤの除去 | 15 | 815 |
ドアガラスのアクリル化 | 5 | 811 |
バンパー&ステーの除去 | 20 | 791 |
シートの軽量化 | 5 | 786 |
インストパネルの軽量化 | 5 | 781 |
ホイールの軽量化 | 8 | 773 |
ボルト&ナット類 | 5 | 768 |
フェンダー&ボンネットのファイバー化 | 20 | 748 |
メンバーのジュラルミン化 | 5 | 738 |
ラジエータ他諸々 | 5 | 738 |
アンダーパネル類の樹脂化 | 2 | 736 |
“スーパークーペ L” | 736 |
(抽) 上記データは、つじつま合わせも含め、大まかな推定値であり、実測値ではありません。
どうでしょう!736kgを叩き出しました!オリジナルからおよそ200kg以上もの軽量化です。およそ20%以上となります。ここで重要なことは、本来の薄板鉄板によらないでもコンテッサの大幅な軽量化が工夫次第で可能ということです。
さらに資金に目をつぶって、あるいは資金が潤沢ならば、新しい素材、例えば、チタンとか炭素誠意を多用すれば、さらなる軽量化が可能でしょう。しかし、それは明らかに投資に比べて得られるゲインは小さいものでしょう。また、そのような大金をつぎ込む手法は、純粋な個人投資である本サイトオーナーの意思には反するものです。
そして最後の一手です。もしドライバー自身が最近の健康問題でもあるメタボであれば、20〜30kgぐらいの軽量化が見込めるではないかと分析します。おそらく、これが最もROI (投資利益率) が高いのではないかと真面目に考えますが、どうでしょうか?最盛期 (メタボの時期) から20数kg以上も少くなった50kg前後で30%もの軽量化となった当サイトオーナーには残念ながらそのゲインは期待できません。
自分のクルマは自分でつくる!
以上、最後はコンテッサ1300の設計に悲観的な見方になってしまいました。当時の技術を考えれば、残念ながらそれは事実でもあります。しかし、もう一方の事実は、コンテッサクーペは、1965年4月発売、そして翌年の10月には日野とトヨタの業務提携ですでに市場撤退が盛り込められていました。結果的に、1年6ヶ月と短命であり、実質的にはたったの一年で息の根を絶たざるをえなかった正に美人薄命の伯爵夫人でした。進化も止められてしまったのです。
コンテツは販売後、初期不良やコスト改善の改善などは進められたものの、それも1967年末には明確な形で消え去り、補給部品も絶たれたのです。当然ながら、短命でありますので性能改善は皆無でありました。すなわち、性能に関しては、コンテッサ1300は1960年 (昭和35年) に始まった技術のまま、シーラカンスの如く凍結されたようなものです。
これを別な見方をすれば、日野自動車が出来なかったことが山の如くあり、それをやればいいということに帰結します。つまり、自分でいじる点は沢山ありとそれは面白い、それも現代の技術、あるいは将来の技術を利用してやればいいことです。つまり、“自分のクルマは自分でつくる” ということになります。それも大メーカーのプロジェクトの大人数&資金ではなく、自分の身の丈にあったレベルで、あくまでDIYレベルで行うものです。諸々そう考えれば、非力なコンテッサ1300の未来も実に明るいものです。
【参考資料】
- 新型自動車の届出の範囲及び届出資料
- F.I.A. Recognition No. 1444 - Contessa 1300 Coupe L, HINO MORTORS, LTD.
- TRANS-AM RACING 1966-85, Albert R. Bochroch, Motorbooks International (Google - Images, Amazon)
【参考画像:エンジンフード】
さらなる軽量化の一例として、1969年 (昭和44年) まで、プライベータとして国内レーシングフィールで活躍していたコンテッサのエンジンフードです。おそらくワンオフで製作したものと推測します。本来の鉄のフードのホンの一部分使うものの木片でステーを作ったり、まったくペナペナなものです。今でもこんなものを作って自車に使ってみたいと思うものです。
【参考画像:後部座席 - ダミーシート】
115kgの重量軽減を目指した努力の一つが画像ような一般的にダミーシートである後尾座席である。見ての通り、内部は一般的な座席ととしての機能を犠牲にしている。バネの数も少ないし、細いものが使われている。またビニールレザーの薄手である。
コンテッサ1300クーペ “L” はこのような状態で合法的に数少ないユーザーに渡ったのである。当時のポルシャ 911Rなどに脈略を通じるものである。国産他車としては例外的な対応であった。日野自動車の当時の努力・情熱を大いに評価したい部分でもある。
【関連ページ】
SE, 20161206, Original
Added, 20170109
Refined 20221128
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