日本には古くから「温故知新」と言う言葉があります。その昔、あちこちの会社の社長の席の後ろに額縁に入れているのを目にしました。若いころはそんなものは年寄りの言葉であり、自分達は関係ないと否定しておりました。しかし、歳を重ねて来るとこの言葉がことごとく身にしみるようになっております。
革新とかイノベーションとか色々と世間では過去から脱皮すると言う風潮があります。しかし、長い歴史で考えてみればほとんどものが先人の努力に上に成り立っているものです。かの有名な発明家と言われるエジソンも実は自身がゼロから考えたもので発明を出来たのではなく、先人の努力の結果を改良したのです。その意味ではボクは発明家とするには疑問を感じます。技術屋の多くは先人を無視したごとく自身の技術を誇ってしまうエゴイステックな部分がありますが、その陰には先人がおり、自身の結果が将来にどう寄与出来るかということ理解して語ることが必要で、先人へのリスペクト(尊敬)の念を忘れてはならいないと思います。それには良い歴史(音楽、絵画、そして文学もしかり、そして我らのクルマたち)を日頃から体で味わうしかないと思います。
それはさておき、発売から半世紀以上経過したコンテツを維持する際にはそんな「温故知新」を感じざるを得ません。コンテツごと日野コンテッサ1300は日野自動車の大いなる意欲とは裏腹に、新車の発売 (1964年10月) 直後の1966年1年にトヨタとの業務提携交渉がはじまり、1966年10月には契約締結となり市場から去ることになりました。その間、多くのユーザーがコンテツを使用し、楽しみ、またメンテナンスをした訳です。その間の設計&生産上の初期トラブルやコストダウンなどの売手側の事情による技術上の変更・改善はいくばくか施されました。しかし、もっとも重要な利用者の使用過程 (2年の販売期間並びのその後の数年) での、実際使用してどうだったかなどの最も重要なフィードバックは非常に少なかったとボクは分析しております。
今日となってはこれら日野車の愛用がどんなものであったかを知るには、旧い文献、すなわち当時の雑誌など原文記事を読むことがベストと考えます。そしてその中にコンテツを楽しむ上でどんなものがあったか、長所、短所を含めて学ぶものが沢山あります。今日でもそれを理解し、更に醸成出来るものがまだまだあると思う訳です。そんなものを頭の片隅に置き、「旧き」のものをレビューし、「新しき」もの、すなわち今日ないし明日のコンテッサに向けてどう楽しむかを述べて見たいと考えます。
国語辞典によれば、「過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと」。
中国の思想家、「故きを温め新しきを知れば、以て師為るべし」の孔子の教えにあるようです。
(SE, 2009.5.8, Original)
(2019.9.23 Renewd)
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