CCC '65シリーズ-I GT-I クラス
車番 | ドライバー | 車両 | 決勝結果(5月2日) | クラブ | |||
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車名 | 排気量 | 順位 | タイム | 周回数 | |||
15 | 福島 慶忠 | 日野コンテッサ | 1,251 | --- | --- | --- | QCCJ |
16 | 富田 一三 | 日野コンテッサ | 1,251 | --- | --- | --- | QCCJ |
24 | 杉山 元 | 日野コンテッサGT | 983 | --- | --- | --- | NARC |
25 | 井浪 博文 | 日野コンテッサGT | 983 | --- | --- | --- | NARC |
34 | 山西 喜三夫 | 日野コンテッサ | 1,251 | 17 | 37'11"38 | 19 | NAC |
35 | 保利 昇 (三) | 日野コンテッサ | 983 | --- | --- | --- | NAC |
36 | 塩沢 勝臣 | 日野コンテッサ | 1,251 | 20 | --- | 11 | NAC |
37 | 桜井 祥智 | 日野コンテッサ | 983 | --- | --- | --- | NAC |
日野コンテッサに関するデータ(グランド・ツーリング・カーI、400~1300cc)
- 決勝結果データはCARグラフィック(1965.9)CCC船橋レースを参照
- QCCJ:日本4CVクラブ
- NARC:日本自動車競走倶楽部
- NAC:日本オートクラブ
- 当日のプログラムはこちら:全日本自動車クラブ選手権レース大会 '65シリーズ-1(1965.7.17-18)
(ご注意:80ページのファイルのため、圧縮して低品質になってます。高品質データをご希望ならばこちらに実名などをインプットください)
一般データ
- 開催日時:1965年7月18日、スタート午後3時30分
- 場所:千葉県船橋市、船橋サーキット
- 30周、72km
- 優勝:浮谷 東次郎(トヨタ・スポーツ800) タイム 50'30"79(30ラップ)
- 最高ラップタイム:浮谷 東次郎、1'35"89
各車の勇姿
山西車:左ハンドルの方がタイムが出る山西選手には特製のコンテッサ1300が与えられた (はぎ取るものがより少なく且つコスト安であるスタンダードの右ハンドル車を改造、コンテッサの右・左の改造は構造上、実に簡単な作業だった) 。これは後のコンテッサクーペ、日野プロトも同様に山西車は左ハンドルだった。一般的にも、コンテッサは左ハンドル車の方がクラッチワークがやり易かった。
保利車:前年度末に生産終了になったコンテッサ900だが1,000以下では若干なりとも戦闘能力があった。
塩沢車:こちらも山西車同様にスタンダード右ハンドル車改造の左ハンドル車。塩沢車にはデルRSA以来の米国ホフカー社のパターンをコピーした特製の真新しい軽合金ヒドロアルミニウムホイール (今で言うアルミホイール) が試されていた (著作権 (Copyright) については当サイトとしては不明。少なくとも現物検証では何の刻印もない) 。当時としてセダンレースに先進的なもので話題になった。前輪は5J-13、後輪は6J-13、リアエンジン車らしくタイヤサイズの前後が異る。
アバルト(立原義次)を追うコンテッサ(山西車)
伝説の驚異的追上げの浮谷東次郎を横目にやる山西選手
山西選手のコーナリング (あるGPレーサーとのお別れ) :よく見るとタイヤの選択に興味をそそる。前輪はレーシングタイヤのようだが、後輪がなんだかホワイトリボンのバイアスタイヤ (5.60-13) のように見える。上記の塩沢先週車とは真逆の設定である。でも山西選手のドライビングであれば後輪は何でも良い、むしろこれで良いのだとという選択肢は理解できる。
(2014.12.23, SE, Original)
(Updated 2019.8.13)
(Revised 2021.1.5)
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