2025.9.9 60年前の野心に満ちた日野レーシング戦略 – 全てはここから始まった! 今から60年前の1965年 (昭和40年) 、日野自動車の競技車両開発部門 (3研)が構想1年まもない期間でコンテッサ GT Protoを作り上げ、熟成を図っていました。 大命題である日野コンテッサ1300の輸出戦略の一環として対米進出を前提にしたプログラムを計画いました。そのために日野レーシングチームのドライバー、ダンハム (Robert Dunham) さんが仲介となり、当時、西海岸のレース界で頭角を表していたピーター・ブロックさんを起用すべく、1965年9月中旬、台風が近づく中、日野自動車は鈴鹿サーキットを貸し切り、ピートさんを日本に招聘しました。 日野自動車の競技車両 (GTP&フォーミュラ含む) を試乗し、日野側とピートさんやダンハムさんたちはおそらく米国セダンレースの可能性や改善策を議論したのではないかと推測します。 この日の主役はこの日のために制作した特別仕様のコンテッサクーペでした。結果として1〜2ヶ月後にはピートさんがプロジェクトの青写真を描き、日野自動車とピートさんのBRE (Brock Racing Enterprises) は、米国西海岸での1966年シーズンのセダンレースのプログラムを契約しました。 史実にあまり登場しない日野レーシングの足跡、この先、できる限り記述しましょう! 画像1:日野レース委員長の宮古 忠啓さん (左) 、ボブ・ダンハムさん (中)、そしてピート・ブロックさん (右)。コンテッサクーペはこの日の主役!(註) 右奥の英国フォードタウナスは宮古さんの愛車、東京〜鈴鹿を通ったとのこと。 画像2:日野の秘密兵器、実験用に購入したクーパーF3、この時点でデルコンテッサに生まれ変わってはないがマグホイールには”DEL”のロゴが! 画像3:ダンハムさんが乗り込みスタートするクーパーF3。三人のエンジニアのアクションが実にレーシー! 画像4:ダンハムさんドライブのクーパーF3が鈴鹿サーキットのストレートを疾走! 画像5:開発間もない仏アルピーヌ製日野GR100改ツインカムベースエンジン (正常進化版) を搭載した日野 GT Protoを前にこの日の主役の皆さんが談笑。 画像6:日野 GT Protoのコクピットに座るピートさん。 画像7:そしてピートさんドライブの日野 GT Protoが走り出す。