(2005年4月24日, ご返事)
堀さま、
はじめました。HINOSAMURAI.ORGのオーナー兼クリエータの江澤と申し上げます。下記のメッセージを感謝します。それに加え、こんなことを書いて来る方はどんなお人かと興味深く感じております。
下記にちょっとメモを書かさせていただきます。
(1)当時の「オートスポーツに紹介」は「結果的に」その通りです。オートスポーツの他にモーターファンにも紹介されています。(当時のJ6写真参照(いずれもEl SegundoのBREと思われます。昔、トレバー・ハリスさんからコピーさせていただいたものです))
(2)J6ですがサイトに載っけてある記事のころはロータリーを目論んでいたようです。その当時、あちこちにプロモーションしたようです。元々はトヨタとの計画をして実車を創ったようです。しかし、最終的にトヨタとの納期の問題の絡みで問題が出てきて、ピートさんの意見では弁護士が来て、未完成の車を取り上げて行かれたようです。そんな意味でも富士のテストでもちゃんと言わなかった(言えなかった)のではと推測するものです。
(3)トリッキーなサスペンションとは車高の上下に関係なくジオメトリーが変化(トレッドなど)が変化しないということと聞いています。でもそれ以上の何かがあるようですが、追求はしていません。シャシー設計者のトレバー・ハリスに手書きで図(写真参照)を書きながら説明してもらったことがあります。
(4)福沢選手の一件はお書きに様になぞに包まれたままです。私もお書きの推測をしておりますが、その『ウラ』が取れておりません。堀さんの根拠に興味があります。しかし、私個人としてはサスの問題とは見てませんでした。と、言うのはウインドシールド(日本製)がプアであったこと、同じウインドシールドでチェックした人間によりますと、屈折に問題があり、歪んで(景色が)見えるそうです。これで走ったどうなるでのではと、走ったら運転が出来ない、まっすぐ走れない!なんて表現でした。まっ、どちらとも言えませんが。
(5)モールドの話しは書いた通りで、近所のガレージに引き取られました。そこからビートルベースの同形状の車が産まれました。それをチェックに行きました。今、その際のスライドを出して見ましたら1984年で大変古い話しです。その直後にある博物館が買って行ったそうです。(写真参照)
と、取り合えず、久しぶりに懐かしい話しを思い出したり、写真を出して眺めました。ありがとうございました。とりとめのないことですが、もし何か面白いお話があればお聞かせ下さい。
敬具、 江澤 智
(追伸)参考サイト http://www.2000gt.net/JP6/JP6.php
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