今日、どの程度多くの人々は日野コンテッサと言うクルマを知っているだろうか?日野自動車が第二次世界大戦以前から大衆車製造を語り、その後フランスのルノー社と提携し、ルノー4CVの国産化、第二回日本GP(1964年)に国産初のフォーミュラカーで参戦、そして社運を賭け、精魂を尽くし、自社技術の日野コンテッサ1300を世に出した。他社に先駆け世界に輸出し、欧州でのコンクール・デ・エレガンスで毎年大賞を得、米国ではセダンレースを仕掛けたていたことを知っているだろうか?おそらくそんなものがあった、そんなことがあった、と言う程度でもあればまだよいほうである。
歴史とは単に語り継がれるだけでは、特定の部分が強調されたり、歪みを持って継承され易い。メディアのプロジェクト何とかの世界では、得てして我ら日本人は一部をまつりあげて涙の物語に浮かれやすい。そんなことでは真実は知れ得ない。最善の方法は、現物を持って、当時の現実を理解し、更にそれに今もって磨きを掛ける努力をしている連中(プロジェクト、モータースポーツ)が忠実に、起源、歴史、現状を夢を持って語り、検証することである。
本サイトはそんなことを目論み、ここの歴史のセクション、更にサイト全体の内容はそんな目的にある。ビジネス面、産業面から見れば非常にマイナーな日野コンテッサについて、長期に渡り、共に生活する身から、一人のエンスーの目として、クールに様々なことを明らかにし、日野の当時の努力を理解し、そしてオーナーの尽力による現存する当時以上に現代の技術で磨きのかかったクルマ達のステータスを上げ、日本の工業立国のための生まれた日野コンテッサの歴史を次の世代に正しく伝えることが出来れば幸いである。
永年に渡り情報整理に多大なご協力をいただいた日野自動車&関係者並びに情報提供いただいた友人たちに感謝したい。(江澤:サイトオーナー、(以下、SE))