日野サムライの車検失格について
悲劇の序章の如く起こった第4回日本グランプリでのサムライ事件。コンテッサ1300の運命をあたかも無言で語ったようなノンフィクション・ドラマだった。この直前の1967(昭和42)年の4月には日野自動車のコンテッサ1300の生産ラインから既にその姿は消えていた。世界にはばたくべく心血を注いで世に送り出したコンテッサ1300は、1964(昭和39)年の暑い夏の盛りに1号車がラインオフしてから、わずか2年と7カ月とその運命は美人薄命の如くあまりにも短命だった。
(SE)