Date |
Poject |
Event |
More |
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1956初め |
コンテッサ900 |
コンテッサ900具体的検討開始 |
No |
1956末 |
コンテッサ900 |
コンテッサ900粘土模型より候補選出 |
No |
1957 |
日野コンマース |
日野コンマース、企画・設計に着手 |
No |
1957.7 |
コンテッサ900 |
コンテッサ900手板金の実体模型完成 |
No |
1958.1 |
コンテッサ900 |
コンテッサ900試作1号車完成 |
No |
1959.10.1 |
一般 |
日野ルノー車同好発足、会員400人、ルノー9台揃う。 |
No |
1959末 |
一般 |
日野ルノー値下げ断行、オートショーにて万能商業車「コンマース」発表 |
No |
1960.1 |
コンテッサ900 |
試験開始2年後、社外テストに出る。 |
No |
1960.2.2 |
一般 |
ルノー技術援助契約の延長認可される:かねて日本政府に対し申請していたルノーと日野との技術援助契約の延長が2月2日附けで決定した。これで現在の契約の終了する昭和31年3月31日よりさらに向こう2カ年「ルノー」の生産が可能になった訳である。前回の契約との相違点は次のようである。技術援助の対価(ロイヤリティ)が従来より4割安くなった。補給部品のロイヤリティが免除された。従って今回の契約は日野にとって非常に有利となった。 |
No |
1960.2 |
一般 |
小型エンジン工場完成 |
No |
1960.2 |
日野コンマース |
日野コンマース、発売開始 |
No |
1960.2中旬 |
一般 |
三井精機“ハンビー”280台、タイに輸出契約 |
No |
1960.4.3 |
一般 |
走る看板ガーリックカー:日野ルノーをただで差し上げますと、発表して、多くのモーターファンから、三万通の申し込を受けたSB食品の走る看板、ガーリックカー百台の引き渡し式が、4月3日、東京日野自動車杉並営業所で行われた。 |
No |
1960.5.16 |
一般 |
日野ルノー値下げ断行、スタンダード、57万5千円から52万5千円、デラックス、62万4千円から57万5千円(東京地区) |
No |
1960.7.8〜17 |
日野ルノー |
東京日本橋、高島屋の「台所から生まれる生活展」のポニー・ハウスに日野ルノー展示 |
No |
1960.7.14〜8.20 |
日野コンマース |
第九回江戸趣味納涼大会(上野忍ばずの池)の「新しい生活コーナー展」に日野コンマース展示 |
No |
1960.7.27 |
一般 |
ルノー、日本モータリストクラブが正丸峠往復試験 |
No |
1960.8 |
一般 |
ハンビー、300台、ビルマへ |
No |
1960夏 |
コンテッサ1300 |
コンテッサ900設計完了後、イタリアに人を出し、カロッツェリアを全部当たる。そしてミケロッティにコンテッサ1300のデザイン依頼交渉開始する。 |
No |
1960.10.21 |
一般 |
東京日野自動車、16大学にルノーを贈呈(早稲田、慶応、一ツ橋、東京、専修、日本、中央、成城、成けい、亜細亜、法政、明治、立教、東京工、青山学院、拓殖の各校) |
No |
1960.10.24〜 |
一般 |
第7回全日本自動車ショー(東京晴海の貿易センター),日野コンマース(キャンパー含む)、ルノー4CV展示 |
No |
1960.11.1 |
日野コンマース |
駐日米大使ダクラス・マッカーサ二世、日野コンマースのキャンパーを賞賛 |
No |
1961春 |
コンテッサ1300 |
ミケロッティよりコンテッサ1300のデザインの契約の内諾を得る。 |
No |
1961.2.26 |
コンテッサ900 |
社員の社内見学会 |
No |
1961.2.27 |
コンテッサ900 |
新聞発表(午前&午後の二度、経団連記者クラブ16社、業界新聞50社を工場に招く) |
No |
1961.3.1-2 |
コンテッサ900 |
品川プリンスで新車発表会 |
No |
1961.3.11-12 |
一般 |
ビルマ、ラングーン市のアーミーガリソンシアターで日野モーターショー開催(コンマース病院車を展示、その後、赤十字社に寄贈)。 |
No |
1961.3 |
一般 |
日野コンマース、タイに180台、ビルマに100台、香港に60台、インドネシアに30台に輸出 |
No |
1961.4.1 |
コンテッサ900 |
コンテッサ900並びにブリスカ発売開始 |
No |
1961.4 |
コンテッサ1300 |
コンテッサ1300のデザインをミケロッティに依頼 |
No |
1961.4.17〜5.7 |
一般 |
第4回東京国際見本市(東京晴海)にコンマース、コンテッサ、ブリスカを展示 |
No |
1961.5.4 |
一般 |
定例取締役会に於いて、広瀬会長は取締役から相談役、大久保社長は代表取締役のまま取締役会長、松方副社長は代表取締役ならびに取締役社長、取締役副社長に菅波販売会社社長が現職のまま就任へと。 |
No |
1961.5 |
コンテッサ1300 |
基本方針決定、設計に着手 |
No |
1961.8 |
コンテッサ1300 |
配置計画図をミケロッティに送付 |
No |
1961.10.24-11.7 |
一般 |
第8回全日本モーターショー、東京晴海埠頭の貿易センターで開催。コンテッサ、ブリスカ、ルノー、日野コンマースなど20台出展(大型車含む) |
No |
1961.11 |
コンテッサ1300 |
ミケロッティよりスケッチ数種受領、幹部会議での採択 |
No |
1961.11 |
一般 |
中南部インド学術調査隊:神秘の謎をさぐる15,000km後援に日野コンマース2台と社員2名が参加する。 |
No |
1961.11.30 |
一般 |
36回定時株主総会及び取締役に於いて、販売会社専務取締役の内田一郎氏が常務取締役(輸出担当)に新任 |
No |
1961.12 |
コンテッサ1300 |
最終打ち合わせの為、岩崎部長及び自販幹部がトリノへ |
No |
1961.12 |
コンテッサ1300 |
ミケロッティより実寸図受領 |
No |
1961はじめ |
日野コンマース |
インドネシア海軍にコンマース40台納入 |
No |
1962.2 |
日野ブリスカ |
ブリスカにライトバン、ピックアップ、そしてパネルバんの新機種を追加 |
No |
1962.2-5 |
コンテッサ1300 |
ボデー担当者、ホワイト・ボデー製作の為、トリノに滞在 |
No |
1962.2.23-3.2 |
コンテッサ900 |
コンテッサ900、バンコクのジャパン・モーター・ショーに出展 |
No |
1962.3 |
コンテッサ1300 |
コンテッサ900の改造で予備的基礎実験開始 |
No |
1962.3.9 |
コンテッサ900 |
コンテッサ900、沖縄展示のため、横浜港より船積 |
No |
1962.3.28 |
コンテッサ900 |
コンテッサ900、各国展示のため、横浜港より船積 |
No |
1962.4.14-17 |
一般 |
沖縄の首府那覇市で日野の新車展示会開催。コンテッサ900左ハンドル7台、コンマース2台、ブリスカ1台を展示。なお展示車は現地にて完売。 |
No |
1962.5なかば |
一般 |
マレー、シンガポール地区へのコンテッサ・キャンペーン開始、サンプルカー、2台を出荷 |
No |
1962.5.19 |
一般 |
日本におけるルノー4CVの国産化の継続に関する契約(生産の2カ年無償延長)、補給部品の国産化の契約(無期限製造権の買い取り) |
No |
1962.6 |
コンテッサ1300 |
コンテッサ900スプリント、ミケロッティ氏製作開始 |
No |
1962.6(?) |
一般 |
広告指定文字、コンテッサ、ブリスカ、ルノーについて製品名に「日野」を付け、企業イメージとして「日野」と製品名のデザインにする。 |
No |
1962.6(?) |
コンテッサ900 |
香港に累計30台のコンテッサを出荷 |
No |
1962.6(?) |
コンテッサ900 |
東パキスタン、ダッカ代理店、日本総領事にコンテッサ販売 |
No |
1962.6(?) |
コンテッサ900 |
アラビア、クエート向けにコンテッサ10台を出荷 |
No |
1962.6.15 |
一般 |
小型車ラインの本工場からの分離完了。羽村工場への移行体勢完備する。 |
No |
1962.6.26 |
日野ブリスカ |
大阪市難波の南海電気鉄道へのバス納入200台突破記念に2台のブリスカを贈呈
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No |
1962夏 |
コンテッサ900 |
タイ、サリット首相にコンテッサを贈呈。9月迄に販売計画、累計120台 |
No |
1962夏 |
コンテッサ900 |
東南アジア地区、コンテッサ販売推進のためにタイ、バンコクのテレビ(アーミィ:陸軍のチャネル)に2ヶ月スポット放送 |
No |
1962夏 |
コンテッサ900 |
コンテッサ900、100台を輸出成約(タイ国三井物産経由でビクトリー・オート社) |
No |
1962.7 |
コンテッサ900 |
カンボジア(旧フランス植民地)へコンテッサをサンプル輸出。年内に60台の出荷が確実に。ルノー市場独占に切り込む。 |
No |
1962.9 |
一般 |
総セールスマン:従業員(五千人)およびその家族を対象とした販売奨励制度発足 |
No |
1962.9.20 |
コンテッサ900 |
コンテッサ900、1,000台をCKDで輸出調印。フィリピン、オートセールス社(販売代理店)&コンソリデーテッド・アッセンブリー社(組立会社)。 |
No |
1962.10 |
コンテッサ1300 |
コンテッサ900スプリント製作完了 |
No |
1962.10 |
コンテッサ1300 |
第1号試作エンジン完成、本格的実験の開始 |
No |
1962.10.31-11.8 |
コンテッサ1300 |
コンテッサ900スプリント、トリノ・オートーショーに出展 |
No |
1962.10.25 |
一般 |
第9回全日本自動車ショー |
No |
1962.11 |
コンテッサ1300 |
技術幹部、ボディ・リファインの為、再度トリノに飛ぶ |
No |
1962.11 |
コンテッサ1300 |
ボディ構造設計完了 |
No |
1962.12 |
コンテッサ1300 |
コンテッサ1300デザインに関するミケロッティとの正式契約 |
No |
1962.12.1 |
日野ブリスカ |
新型FG30ブリスカ発売開始(旧はFG10)。キャブが2バレルに。 |
No |
1962秋 |
コンテッサ900 |
コンテッサ900、カンボジアに7月のサンプル出荷の結果として、60台の出荷確定。 |
No |
1963.1 |
コンテッサ1300 |
日野コンテッサ900スプリント 10月から生産!日野自動車がイタリアのデザイナー、ジョバンニ・ミケロッティ氏と契約し、日野からエンジン、ミッション、足まわりなどを輸出して、イタリアでボディプレスと組立を行う新形式で”日野コンテッサ900スプリント”というスポーツカーを生産することになった。本格的生産は10月からで第1期5000台を予定している。EC諸国およびアメリカ市場に輸出されるもようである。 |
No |
1963.2 |
コンテッサ900 |
タイ、バンコック・モーターショーにコンテッサ900をサンプル展示 |
No |
1963.2 |
一般 |
タイに組み立て工場,ビクトリーオート社とJV、乗用車100台/月、大型トラック30台/月予定 |
No |
1963.2.9-25 |
コンテッサ900 |
コンテッサ900、マニラ・モーターショーに出品(一日目に6台の販売契約) |
No |
1963.3.14 |
コンテッサ900 |
コンテッサ900スプリント、ジュネーブ・オートショーに出品 |
No |
1963.4.11 |
コンテッサ900 |
イースト・アフリカン・サファリにコンテッサ900出場(個人) |
No |
1963.4.14 |
コンテッサ1300 |
コンテッサ900スプリント、ニューヨーク・オートーショーに出品 |
No |
1963.5.3 |
一般 |
第1回日本グランプリ自動車レース |
No |
1963夏 |
コンテッサ1300 |
量産設計完了 |
No |
1963.8.28 |
一般 |
ブリスカ大量輸出、南アフリカ共和国、ヴァンルー・モータース社との間に、FGのCKD輸出の契約締結。8/28より毎月100台出荷 |
No |
1963.8 |
コンテッサ900 |
広島タクシーにコンテッサ900、187台納車 |
No |
1963.10.25-11.10 |
一般 |
第10回東京モーターショー、ミケロッティデザインのヒノ・コンテッサ900スプリント公開 |
No |
1963.11 |
一般 |
日野自工、トヨタとの合併問題を否定 |
No |
1964.1 |
コンテッサ1300 |
最終仕様による試作車完成 |
No |
1964春 |
コンテッサ1300 |
量産試作(数十台) |
No |
1964.3.26-30 |
コンテッサ900 |
イースト・アフリカン・サファリにコンテッサ900S4台出場 |
No |
1964.6-8 |
コンテッサ1300 |
オーストラリアでの16,000km連続走行試験開始 |
No |
1964.7 |
コンテッサ1300 |
コンベア上での本格的生産開始 |
No |
1964.8.31 |
コンテッサ1300 |
東京高輪プリンスホテルにてコンテッサ1300及び同クーペ発表会。ジョバンニ・ミケロッティも同席 |
No |
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(SE) |